第4章 訓練(続)
リンドウは中々この部屋に戻って来なかった。
きっと、私の味覚に合う料理が念入りに調理されて居るからだろう。
私は正直、どんな料理が運ばれて来るのか興味深々だった。
そう言えば、リンドウが私の事をユカと呼び始めてから、私に対する彼の口調が変わった事に気が付いた。
これまで、私の事を「様付け」で呼んでいた時は、まるで主人に仕える執事のように丁寧な物言いだったのが、今は友達のような自然な口調に成っている。
それだけ、二人の距離感が縮まったのだと、私は少し嬉しく成った。
勿論、私だって地球人類と精霊の恋が成就するとは考えていなかったが、善悪は別にして、私は性格的に好きな物は好き、嫌いな物は嫌いと好みがハッキリしていた。
そして好きで有れば、その対象が例えば人形で有っても、人間で有っても、猿で有っても、私の場合は余り気に成らなかった。
要するに、対象の属性は関係が無いのだ。
好きか嫌いか、そしてそのどちらでも無いかが有るだけだった。
「ユカ、お待たせ」
リンドウが料理をトレイに乗せて運んで来た。
「待ってました!」
私は心の中でそう叫んだ。
「うちのシェフが真心を込めて作った料理です。どうぞ、召し上がれ」
うちのシェフったって、機械だよね。
機械が真心を込める事が有るのか!
まあ、それはひとつの例え話だよねと思いながら、リンドウがテーブルの上に置いた料理を見て、私は思わず「アッ!」と声を上げた。
「こ、これは、ラーメンじゃん!」
「へえ、これがラーメンと言う食べ物なの?でも、良かったね。ユカはラーメンが、とん骨味だっけ?食べたいと言っていたから。この料理、少し変な匂いがするけどね。僕は苦手かな」
リンドウがとん骨味は苦手だと聞いて私は安心した。
汗を滲ませて「とん骨ラーメン」を美味しそうに食べる精霊とかは余り見たく無いし、増してそれがリンドウだったら尚更だ。
しかし私の場合は、確かにラーメンが大好きで、我ながらラーメンを啜る姿は似合っていると思っている。
会社の昼休みには、最低でも週に二度はラーメン専門店で昼食を摂っていた。
「じゃあ、僕はこれからクルー専用の食堂でお昼を済ませて来るから。どうぞごゆっくり。昼食が済んだらトレーニングを始めるね」
リンドウはそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。
そのラーメンのスープをひと口飲んでみて、私は有り得ない奇跡の旨さに唸った。
物質を分子レベルまで分解した上で、味覚的な嗜好に合わせて調理するとここまで美味しく成るのか。
私は、改めてこのテクノロジーの偉大さに感心した。
一方、幾ら軽食部門とは言え、自分の味覚に最も合う料理が「とん骨ラーメン」だったとは!
私って、どれだけ安上がりに出来ている女なんだろう。
こんな事なら、この事は知らない方が却って幸せだったかも。
私は、割り切れなさと見窄らしさが入り混じった気持ちの中で、私の好みの「ストライクど真ん中」を打ち抜く「とん骨ラーメン」を、鼻汁を拭き拭き啜った。
「さあユカ、トレーニングを始めよう!」
リンドウはこの部屋に再び戻って来ると、例の爽やかな笑顔を振り撒きながらそう言った。
遂に私のトレーニングが始まるのだ。
「ええい、どうせ私はマナ板の鯉じゃ!焼くなり煮るなり好きにせい!」
私は開き直った。
肉体的な負荷は無いと言うリンドウの言葉が救いだったが、それとは別に、結果は火を見るよりも明らかにせよ、女王ラフィーリアとの通信能力を高めるトーレーングに関心が有る自分も感じた。
「ははは、ユカ、緊張しなくても大丈夫!トーレーングを楽しんでね。じゃあトレーニングルームに案内するね」
リンドウは、この部屋の奥に有ったドアを開けた。
トレーニングルームは、このミーティングルームに隣接していた。
「ポイントビューウィック」は、かなり巨大な宇宙空母らしかったが、船は船なので割り当てられる「船内のスペース」は限られている筈だった。
そして、このトレーニングを受けるのは私だけなので、トレーニングルームもまた私専用で、ミーティングルームのスペースを割いて、わざわざ設置されたに違い無かった。
このトレーニングに賭ける彼らの本気度が伝わって来て、私は自分の背筋がぶるっと震える緊張感を感じた。
トレーニングルームには、日焼けサロンのサンタンマシーンのような形状をした透明なカプセルが置かれていた。
「この装置は、アルクトゥルスのセルペンス星系で開発された最新型のコクーンです!」
リンドウが装置の説明を行った。
「コクーンって?」
「コクーンは繭と言う意味ですが、これは生命体を細胞レベルから癒したり活性化させる装置だと思って下さい」
「ふ~ん、私はこれからこの装置で癒されたり活性化されたりするのか?」
彼らは高度なテクノロジーを持っているから、若しかしたら身体の隅々までマッサージをして呉れる機械かも知れない。
八木沢のマンションに行ってから色々な事が有ったから、私、丁度肩が凝っていたのよね。
コクーンちゃん、マッサージ宜しくね。あっ、最初は優しくしてね。後は段々と強くやっても良いからね。
私は、最新型コクーンから、マッサージを受ける気満々に成っていた。
「そうです。このコクーンは三次元物理空間で生活する生命体に特化した装置で、最新型の凄い所は、癒すだけでは無く活性化や更には細胞のクリスタル化までもカバーしている事です!」
そうか。じゃあこのコクーンは、叩いたり、揉んだりする以外にも、私が初めて体験するような凄い「マッサージ技」を極めているのね。
私はリンドウの説明を勝手に解釈して、その期待は嫌が上にも高まった。
「これからユカにして貰う作業は3つだけだよ。先ずはそこのロッカーでコクーン用の衣服に着替えてね」
リンドウは、鈍いゴールドに光るロッカーの扉を開けた。
「次は、コクーンに付いているこの緑のボタンを押すと蓋が開くので、枕の方を頭にして仰向けで休んでね」
リンドウがボタンを押すと、コクーンの上部が左右に割れて下部と一体化し、寝心地が良さそうなベッドが現れた。
「後は全てコクーンの方で自動的に行うから、トレーニングが終わったらまた衣服を着替えてミーティングルームに戻って来てね」
「ところで私、どの位の時間コクーンに入っていれば良いの?」
私の質問にリンドウは笑顔を浮かべた。
「コクーンの方で、ユカの体調等を判断して施術を行う時間を決めるから僕には分からない」
リンドウは首を横に振った。
「恐らく最低でも2時間かな。そしてユカの最後の作業は、ミーティングルームに僕が居なかったらテーブルの上に有る赤のボタンを押す事。直ぐに来るから」
そうか。最低でも2時間か。それだけ長い時間マッサージをして貰えば、身体がフニャフニャに成っちゃうね。
「それでは、とても気持ちが良い最新のトレーニングをお楽しみ下さい」
私に飲み物が入ったペットボトルを渡すと、リンドウは左手でバイバイをしながらトレーニングルームから出て行った。
施術、とても気持ちが良い、最新の、楽しむ、そんなフレーズに包まれた最高のマッサージを受けれるなんて、こりゃ私の役得だね。
先ずはお着替えをしなきゃ。
ロッカーには、シルク素材のような光沢を持った、薄手の柔らかい生地で作られた作務衣に似た上下の衣服が入っていた。
この上着は背中が割れていないタイプで、紐を前で結ぶごく普通に仕様に成っていた。
これは病院で健康診断を受ける時に着る衣服に似てるよね。
いやむしろ、リラクゼーションサロンでマッサージを受けた時に着た衣服により近いと思った。
そうか。これはこれから受けるマッサージをより気持ちよくする為に開発された、私専用の衣服なのだろう。
私は独りで合点し頷いた。
イッヒッヒ、これから極上の「この世の物とは思えない至福」の時間を楽しむぞ!
コクーンに入ろうとした時、私の脳裏に嫌な記憶が蘇った。
私が「ポイントビューウィック」で目覚めて、リンドウが馬鹿力で「ウェルカムハグ」を私にした時、「僕は地球人類の力加減にまだ慣れて居ない」とか不吉な事を言っていたよな。
あんな馬鹿力でマッサージを受けたら、気持ちが良いどころか骨が粉々に砕けてしまう。
実はその痛みに耐えるのが、このトレーニングの真の目的だったなんてオチはご免だからね!
痛みに悶え苦しむ私を見て、「ユカ、心配しなくても大丈夫!このコクーンは最新型だから、砕けた骨をちゃんと接合する機能も持っているから」とかリンドウなら爽やかな笑顔で言い兼ねない。
その時は、幾らリンドウでも一発殴ってやろうと私は心に誓った。
「コクーンちゃん、私はあんたの事を心から信じているからね。もし裏切ったりしたら斧でぶっ叩いて、あんたを粉々にするから覚悟して置いてね!」
私は又しても、機械を脅迫してしまった。
恐る恐る、腰を引きながら私はコクーンの中に入った。
ホルダーにペットボトルを置いて、リンドウから言われた通りに私が横に成るとコクーンの扉が自動的に閉まった。
「コクーンちゃん、くれぐれも地球人類の力加減に目盛をセットする事を忘れないように。そして特に最初の方は優しくマッサージをするのよ!」
私以外は誰も居ない部屋で、私は大声でコクーンにそう命令した。
やがて、薄い透明の膜のような物が私の全身を覆った。
コクーンからピピピと言う何かを計算して、インプットしているような機械音が鳴った。
昔、八木沢と行った温泉の旅館で「10分間で300円」もする「高級マッサージ機」を使った時にも、機械は事前に私の身体の形状とサイズを調べていた事を私は思い出した。
これは私の身体を正確に採寸しているんだわ!
私の脳裏から、馬鹿力でマッサージをされると言う悪夢は少し薄れて行った。
「これからユウカ様専用トレーニングのフェーズワンを開始します」
それは機械が発するようなぎこち無い発音では無く、きっと誰かが話した声を録音して再生しているに違いが無い、自然で流暢な日本語の声だった。
勿論、初めて聞く声だったが、私の安心感は増大した。
「宜しくマッサージを頼みますぜ!コクーンの旦那!」
私はまるでマヤのような口調で、コクーンにお願いした。
先程、私の全身を覆った膜が自動的に収納されると、今度はキラキラと光る細かなパウダー状の物質が、霧雨のように私に降り注がれた。
その物質は、次々と私の身体に降って来たが、粉雪のように降り積もる事は決して無く、私の身体の奥深くに染み込んでいるようだった。
「それではトレーニングのフェーズワンについて簡単にご説明します。このフェーズはユウカ様の細胞の中の疲労物質及び滞留しているネガティブエネルギーの除去を目的にしています」
ふうん、このパウダーが私の疲れや心配や恐れ等を無くして呉れると言うのか?
「ユウカ様からは37兆1003億5292万7386個の細胞が検出されましたので、その細胞全てにヒーリングスノウが浸透すれば、このフェーズは終了に成ります」
へえ、私は悲しい位、全くの「お金持ち」じゃないけど、凄い数の「細胞持ち」だったんだね。
「ユウカ様の全細胞に、今、ヒーリングスノウが浸透しました」
早っ!
「スノウの効果が定着するのに35分45秒が必要ですので、暫く、そのままでお待ち下さい」
「あのう、待っている間に、マッサージサービスって言うプログラムが発動されたりはしないの?」
コクーンが高度なテクノロジーを有している事が分かった時点で、すっかり安心した私はかねてからの期待事項を口にした。
「マッサージサービスですか?」
あれっ?このコクーン、プログラムされている言葉だけじゃなく、ちゃんと会話が出来るじゃん!
コクーンは暫く沈黙していたが、やがて、
「ユウカ様のお言葉の意味に関する解析が完了しました!残念ながら、私はマッサージサービスなるスキルを有しておりません」
「だよね~」
コクーンからは、私が予想した通りの回答が返って来た。
「ところでほら、最初に私の身体を採寸した膜みたいのが有ったでしょう」
「インフィニティメンブレーンの事でしょうか?」
「そう、それ!あれを5センチ間隔で指の先みたいにして、上下に上げたり下げたりして頂戴!指の先は少し硬めにする事と上げるのは3cmにするのよ」
私は、「インフィニティ何ちゃら」の意味は全く分からなかったが、先刻の膜が仕事をして呉れさえすれば良かった。
「かしこまりました!インフィニティメンブレーンの形状変化と指示された動作に関する準備が完了しました。オペレーションを開始します」
コクーンはそう伝えると、私の指示通り、膜を動かし始めた。
「おお、思ったよりも気持ちが良いがに!」
私は、又してもマヤの口調に成った。
「でも、少し痛いかな。指の先をもっと柔くしてみて頂戴!」
「かしこまりました」
「ギャハハ、それじゃくすぐったいよ!もう少し硬くして!」
「かしこまりました」
「うん、それ良いかも。これがいつでも出来るように記憶する事を命じます!」
何の事は無い、私はコクーンが優秀なマッサージ師に成るべく調教をしていたのだ。
「私のメモリーに、指示されたオペレーションのセーブが完了しました。ご指示が有れば何時でもリアクトが可能です」
「よろしい!」
「じゃあ次は、膜に山を作ってそれをウェイブのように動かしてみて頂戴」
「如何でしょうか?」
「これも良いかもね、セーブ!」
「了解しました」
私は、余りの気持ちの良さにウトウトと居眠りをしていた。
通常のマッサージは一人のマッサージ師が一箇所を揉むのだが、コクーンの膜の場合、私の全身を同時にマッサージするので満足感もその分大きかった。
「ユウカ様、トレーニングフェイズトゥーを開始するお時間に成りました」
私は、この後、トレーニングフェイズスリーまで受けた。
コクーン説明では、このトレーニングは細胞の負荷が大きいので、初日は全て出力レベルワンと言う最低の出力で行ったとの事だった。
フェイズトゥーは暗めの光線が、そしてフェイズスリーは眩しい光線がコクーンの中で激しく交錯するタイプのオペレーションだった。
フェイズワンは、私の疲れや心配や恐れ等を無くして呉れるトレーニングだと言う事は理解出来たが、私はその後のトレーニングに関するコクーン説明は、正直、良く分からなかった。
まあ、後でリンドウから分かり易く教えて貰えば良いや!
「ユウカ様、これでよろしいでしょうか?」
私は、コクーンの声で目覚めた。
又もや、私はウトウトと居眠りをしていたいたのだ。
「うん、気持ちが良いね。これもセーブ!」
「了解しました」
フェイズトゥーが終ってからの40分52秒と、フェイズスリーが終わってからも45分は過ぎただろうか、そのクーリングオフの時間を使って私はコクーンに対して様々な「マッサージ技」を伝授していた。
流石に、私の身体は軟体生物のようにフニャフニャに成っていて、トレーニングが始まる前まで肩が凝っていた事は嘘の様に綺麗さっぱり消えていた。
「本日のトレーニングがそのメニューを全て完了しました。お疲れ様でした」
コクーンは私を労らった。
「有難う!ところでマッサージ、明日からもビシビシ教えるからね。目指せ!超一流マッサージ師!」
「師匠、有難うございました!これからも頑張ります」
「頑張れ、コクーン!」
これでは、どちらがトレーニングを受けているのか分からない状況だった。
マトリックス・メモリー 瑠璃光院 秀和 @rurikouin
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