第3章 竜胆(りんどう)
第3章 竜胆(りんどう)
「お目覚めのようですね。ご気分は?」
私の意識が戻るのとその言葉を聞いたのはどちらが先だったのか。
私がその言葉をしっかり理解出来たと言う事は、私の目覚めの方が早かった筈だが、私の意識の中ではそれはほとんど同時に起こっていた。
それから僅かな時間が過ぎて、私に最低限の思考力が戻った瞬間、私はがばっと跳ね起きた。
理由は無かったのだが、直感的に私は素っ裸にされたうえに、頑丈な椅子だか十字架だかそんな硬いものに固定されて、すごく恥ずかしい格好にされているような気がしたからだ。
私は素早くベッドから降りながら自分の格好を改めて確認した。
素っ裸にされていると思ったのは私の被害妄想で、実際の私は「モリヤの笛」によって搬出された時に着ていたピンクのパジャマを着たまま、中世風の華奢なベッドに寝かされていたのだった。
取り敢えず服を着ていた事で、最低限の余裕が出た私は、
「ぎゃー、人殺し!誘拐魔!」
と叫んだ。
26年間も生きてきて、これだけ無条件に恥じらいも無く大声で叫んだ事は生まれて初めてだった。
その瞬間、私の心の中に長く満たされないまま沈殿していた何かが、少なく共、その表層部分は叫び声と一緒に弾け飛んだ。
一種の「カタルシス作用」が起こり、私はこれまで味わった事が無い様なスッキリとした気分に成った。
こんなに危機的な状況なのに爽快な気持ちに成るとは、私ってどれだけ「能天気」なんだろう。
むしろ、超が付く「ヤケ糞の大物」とでも呼ぶべきか?
それから今度は、私に声をかけた男の姿を、ゆっくりと視覚的に捉えた。
「大丈夫だから!心配しないで」
その男はハグをするような感じで、しかし実際は私の肋骨が何本折れたのかを数えなければ成らないくらいの力で私を抱き締めた。
「きゃ~、助けて~!死ぬ!」
私は1分程の間に、人生でぶっちぎりの「大声新記録」を2回も樹立した。
「ご免なさい、強過ぎましたか?僕はまだ地球人類の力加減に慣れていないもので。」
「お前はロボットか。力加減に慣れて無いなら、いきなり抱き締めたりするなよな!」
「まあ、お陰で更に気分がスッキリしたから良いけど」
先刻は、激痛にも似た感覚が私にその言葉を発せさせたが、今は30秒前に「人殺し」と叫んだ時とは明らかに異なる領域からその声は出ていた。
彼の顔と姿を捉えた私の視覚が、その情報を脳に伝達して既に解析を完了していたからだ。
「まじ?」
私は心の中で呟いた。
その男の顔と姿は、正に天使と見紛うばかりの美しさで、端正な顔立ちも黄金色に輝く長髪も全く嫌みが無く完璧だった。
思わず、私はその男に見入ってしまったが、
「ところで、あんたが私を誘拐したモリヤの笛?」
幾ら何でも、誘拐犯に「素敵な方ですね」と言う訳にもいかないので、私は出来るだけ不機嫌そうな口調で尋ねた。
「ええ、貴女は僕のことをそう呼んでいたみたいですね」
やはり、この男が「モリヤの笛」の正体だったのだ。
この男に、立て続けに質問したい衝動に駆られた時、
「軽食と飲み物をお持ちしますね。少しは気分が落ち着くかも知れませんから」
「モリヤの笛」はそう言うと、この部屋を出て行った。
「モリヤの笛」の容貌が、私の好みの「ストライクゾーン」のど真ん中を射抜いた事と、彼の態度が紳士的な事も有って私の不安はかなり和らいでいた。
私って自分で思っていたより、案外、「面食い」なのかも知れない。
「先刻のハグはご愛嬌って事で!」
そこには早くも、「モリヤの笛」の蛮行を許している私が居た。
これまで神様に誓って、絶対に「面食われ」では無い八木沢に恋をしたりしていたから、私は「面食い」とは程遠い存在だと確信していたが、それは錯覚だったのかも知れない。
私は単なるひねくれ者では無く、美しい物はやはり美しいと思う、素直な感情も有していたのだ。
その時、私の思考の中に八木沢が出て来た事で、私は急に腹立たしい気分に襲われた。
「この山羊のアホンダラ!どこをほっついてたんだよ!まさかアストラルのパンフを食ってたんじゃないだろうね!私、結局、モリヤの笛に誘拐されちゃったよ。」
一方でどの位の時間、この場所で眠っていたのかは定かでは無いが、自分のワンルームで八木沢を待っていたのが遠い過去のようにも思えた。
「僕達はお肉を食べないので、貴女のお口に合えば良いのですが。」
そう言いながら、「モリヤの笛」はワゴンで料理を運んで来た。
一見すると運ばれた料理は、スープに数種類のサンドウィッチ、それにフルーツジュースの様だった。
誘拐されて目覚めた早々に食事を摂るのも、淑女として如何なものかと迷ったが、次の「モリヤの笛」の言葉でその迷いも見事に吹き飛んだ。
「そうそう、この部屋には僕の秘蔵のお酒が有りますので、それをお注ぎしましょうね。きっと気持ちが落ち着くと思いますから。」
アストラルでは真水のような焼酎を飲んだだけで、八木沢が部屋に来てから一緒に飲もうと思って我慢していた私は、その言葉に喉の奥が恥ずかしい位ゴクンと鳴った。
クリスタルらしい上品に輝く容器から、真紅の液体を注ぐ「モリヤの笛」の姿は余りにも美しく、彼を超えて美しくサーブ出来る執事は人間界には居ないと断定出来た。
あの馬鹿力でグラスを粉々にする芸でも見せられるのかと思っていた私には、嬉しい方向での予想外れだった。
この色からすれば、きっとワインのルージュだよね。
私は一刻も早くそれを飲みたかったが、誘拐犯に対してどう挨拶してから飲み始めたらよいかが分からず、暫く、遠くの方を眺めていた。
「データでは、貴女はお酒がお好きと言うことに成っていたのですが、どうやらデータが間違っていた様ですね。それではこのは酒は下げて置きますね」
「待って!」
私はグラスを下げようとする「モリヤの笛」の腕を掴んだ。
その力は恐らく、ハグをした「モリヤの笛」に負けない位の力強さだった筈だ。
「私、飲みます。折角注いで貰ったのだから」
そう言って少しだけ、その酒を口に含んだ。
その瞬間、私の脳と全身の細胞が、全部飲んでしまえと私に強く命じた。
はしたないとかを考える余裕も無く、脳と細胞に命じられるまま、私は一気にその酒を飲み干した。
「美味っ!」
「お気に召された様で、何よりです」
「モリヤの笛」は、天上人に匹敵する気品と優雅さに満ちた表情で私に微笑んだ。
「このお酒は、貴方に初めてお会い出来た記念として差し上げます」
旨い酒を頂戴するのは嬉しかったけど、「初めてお会いする」も何も、あんたが私を誘拐したから会ってしまったのでしょうが。
「あのねぇ、私、あんたに質問が山程有るんだけど」
「ええ、そうでしょうね。後ほどゆっくりご説明を致します。僕は今から大事なミーティングが有りますので、暫く失礼しますね」
「ちょ、一寸待ってよ!」
「貴女のご質問には必ずお答えしますので、それまでに食事の方を済ませておいて下さいね。」
それだけ言うと、「モリヤの笛」はそそくさと部屋から出て行った。
「一体、何なのよ」
私は憮然とした気分に成ったが、余り腹立たしさを覚えてはいなかった。
私って、どうして「タイプの男」には直ぐに相手の事を許してしまうのだろう?
私の会社の中は、決して許せないタイプの人物達で満ち満ちていると言うのに。
「ええい、もう成るように成れ!」
そう覚悟を決めた私は、急に空腹感を覚えた。
私は食前酒として、「モリヤの笛」が呉れた秘蔵酒を並々とグラスに注ぐと一気に飲み干した。
「やっぱり美味っ」
その酒は、色合いからして私はてっきり「赤ワイン」だと確信していたが、原材料は明らかに葡萄では無かった。
極上の極まりが無い天使の香り、盃を何杯も重ねざるを得ない誘惑する甘美な味わい、そして喉の奥でとろける様な至高のフィニッシュ。
私がこれまで飲んできた如何なる酒と比べても、その旨さは別次元の酒だった。
調子に乗った私は、スープとサンドウィッチを一気に平らげた。
こちらの方も、この世の物とは思えない美味しさだった。
これから毎日、こんなに美味しい物が食べられるのなら、案外、「誘拐された生活」も悪くは無いかもと思ったが、これからもう八木沢とは会えないかも知れないと考えるとやはり胸の奥がズキンと痛んだ。
私が、酒をボトルに半分程残している以外は、出された物の全て胃袋に収めた時、「モリヤの笛」がこの部屋に戻って来た。
「お待たせしました。何なりとお尋ね下さい」
そう言われて見ると、山のように質問したい事が有った筈なのに、まさか酒のせいでは無いだろうが質問事項が直ぐには思い浮かばなかった。
そこで取り敢えず、
「何時までも貴方の事をモリヤの笛と呼ぶ訳にもいかないし、貴方は私のフルネームを知っている訳だから、貴方の名前を教えて頂戴!」
「それはごもっともなご質問です。私の名前はリンドウです」
リンドウ、そう、貴方の名前は「竜胆(りんどう)」なのね。
りんどうは、秋の野山に寒色系の花を咲かせる日本原産の草花だ。
その凛とした佇まいが、私は子供の頃から大好きだった。
確か「竜胆」の花言葉は「悲しんでるあなたを愛する」だった筈。
その名前の響きは、遠い昔に忘れてしまっていた甘酸っぱい不思議な懐かしさを私に思い出させた。
「うん分かった。じゃあこれからは貴方の事をリンどんと呼ぶね」
「御意!貴方様の御心のままに!」
リンドウは何故か急に畏まった云い方をした。
「それでリンどん、この場所は一体何処なのかしら?それから、これは私に取って大切な疑問なんだけど、何故、私の様な者を誘拐したの?確か私にしか出来ないお願いが有るとか云ってたけど?」
「それは・・・」
リンドウがそう言いかけた時、この部屋のドアがスーッと開いて、艶やかだが崇高な気品と威厳を兼ね備えた一人の女性が入って来た。
「そこからは、わたしが代わってお話をしましょう。ユウカ様には。」
今、入って来た艶やかな女性を良く見ると、女神と見紛うばかりに眩しい美貌の持ち主だった。
リンちゃんと云い、この女性と云い、ここには私と同じ位の「容姿が中の中」の人物は居ないのか?
「ようこそポイントビューウィックへ。そして初めまして、わたしはリルジーナと申します。どうかお見知り置きを。改めて歓迎致します。ユウカ様!」
先刻から「ユウカ様、ユウカ様って云ってるけど、ユウカ様って一体誰なのよ!私は由佳様なんですけど」
「先ず、手荒な方法でユウカ様をこちらまでお招きした事を深くお詫び致します。わたし達には余り時間が残されていない物ですから」
どうやら、ユウカ様と言うのは私の事らしい。
私は「イエローピッグ」では無かったのか?
「私達は、アセンションを間近に控えている地球を見守り、必要ならば積極的に守護し支援する立場に有る勢力の一員です」
「アセンション」って、地球の次元が上昇するとかしないとかのお話に出てくる用語だよね。
地球を守るって事は、この人達は、案外悪い人達では無いのかな。
「ところが最近に成って、地球の波動を下げてアセンションを阻止しようとしている悪意の勢力が、アンチャラプレーンを伝わって地球上空の3次元物理空間を占領しようとしているのです。」
「ナンチャラブレーン?」
「アンチャラプレーンです。アフリカのコンゴ共和国上空まで達する事が可能な、琴座に存在するトンネルの事です。」
「悪者達が、そのトンネルから地球の上空にやって来ると!」
「ええ、そうです。現在は彼らの前衛部隊の一部が琴座のポータルの中に入った段階で、幸い、本隊は未だ5次元物理空間に留まっていますが、4次元物理空間に降りて来るのは時間の問題です。」
「悪者の本隊って強いの?」
「それはとても強力な宇宙艦隊で、今回は約1千隻が地球の上空に集結すると云われています。」
「それって、地球の次元上昇を阻止しようとしている悪意の5次元勢力が、琴座のポータル経由でアンチャラブレーンを使って3次元の地球に侵攻して来るって話だよね。」
「ユウカ様のご理解が早くて助かります。」
リルジーナは、本当に助かったと言う表情に成った。
「でも、それって思い切りヤバいじゃん!」
私は、思わずリルジーナの話に身を乗り出していた。
「ええ、とてもヤバい、失礼、危険な状況です!」
ここでリルジーナは、飲み物を運んで来る様にリンドウに命じた。
リンドウに取って、リルジーナは目上の存在だったのか?
「わたし達に取って喫緊のミッションは、彼らの艦隊をアンチャラプレーン内に侵入させない事です!」
侵入させないと言う事は、このポイントビューウィックも善意の勢力が有する艦隊の一部だと云う事に成る。
「このポイントビューウィックは、わたし達光の存在が誇る最新鋭の巨大宇宙空母艦ですが、残念な事に現在、この宙域にはわたし達の艦隊しか駐留していません。」
「その数は?」
「50隻足らずです。」
リルジーナは、リンドウが運んで来た飲み物を一口飲むと、ふうっと大きな溜息をついた。
「50隻対1千隻では勝負に成らないのでは?」
「正に、状況はユウカ様のご指摘の通りなのですが、別の宇宙空域に出掛けているわたし達の主力艦隊が戻るまで、ここはわたし達だけで何としても守り抜かなければ成らないのです!」
リルジーナは毅然とした態度で語気を強めた。
「気持ちは分かるけど、でも一体どうやって守ると云うの?」
「実は、ユウカ様のお力をお借りして守る計画なのです。本当はもう少し先でお力をお借りする予定でしたが、前倒しでお願いせざるを得ない状況に成ってしまいました。」
「まさか?とても笑えない冗談だわ!私には頑張ってもサンショウウオを飼育するくらいの能力しか無いのよ。」
私は、ハハッと、自嘲気味に力無く笑った。
確かに、彼らがここまで大掛かりな冗談を真顔で実行する訳は無いので、これには大きな勘違いか手違いが彼らの方に存在する筈だった。
「これからのお話は、貴女には全く信じられない事ばかりですから、今日のところは浴室をお使い戴き、まずはお着替えをして下さい。そして自室でゆっくりとお休み下さい。未だ少々ですが時間は残っていますから。詳しい事は明日またお話を致しましょう。」
そう言えば、ここに来てから色々と驚く事ばかりだったのですっかり忘れていたが、私はピンクのパジャマを着たままだった。
「それじゃ、お言葉に甘えます」
「ええ、ユウカ様の召使いがご案内致しますから、ごゆっくりと。」
「私の召使い?」
「良い子ですよ。可愛がってあげて下さいね。」
そう言い残すと、リンどんとリルジーナは部屋を後にした。
私も遂に召使いを持つ身分に成ったか。
彼らに取って私は大切な人らしいからその位の待遇は当然だよね。
取り敢えず、豚小屋に入れられなくて良かったよね。
私は少なく共、その部分に関してだけはホッとしていた。
それにしても、悪意の勢力から攻撃を受けているとかの状況は説明を受けたが、私が何故ユウカ様と呼ばれるのかや、彼らは一体何処から来た存在なのか等、肝心の部分に関してはさっぱり理解出来ていなかった。
若しかしたら、ポイントビューウィックも、悪意の艦隊から攻撃を受けたりするのかな?
明日、リルジーナの話を聴く前に、召使いって子に詳しく尋ねてみよう。
「モリヤの笛」を使って、私をこの場所に移動させるテクノロジーだけを見ても、彼らが地球の存在では無いだろうと思ってはいたが。
「八木ちん、私、とんでもない場所に連れて来られたみたいだよ。」
八木沢はあれから私のワンルームに、遅ればせながらやって来た筈だった。
私の姿が見えなかったので驚いたに違いない。
それから竜巻が起こっていたから、私の部屋は今頃、現場検証をされているだろう。
失踪事件として大騒ぎに成っていなければ良いが。
会社の連中は全く心配はしないと思うが、連絡を受けた私の両親は心配するかも知れない。
「ヤッピー!!!」
部屋のドアが開いて、体長が60cm位で薄い緑色の羽根を羽ばたかせて飛んでいる生物が入ってきた。
「あ、あんた誰?」
「リルにウチが召使いだと紹介されかも知れないけれど、ぶっぶう~。それは大間違い!ウチはアンタの監視役。」
そう言うとその生物は、私の身体の周りを2回程回って、私をじろじろと観察した。
「ふ~ん、オバちゃんだと聞いていたけど、アンタまあまあ若く見えるじゃん。」
「誰がオバちゃんなのよ」
まあ、オバちゃんだと呼ばれて、ムキに成って怒る程は若くは無いけど。
「それよりあんた、本当に誰なのよ?」
「オバちゃん、オバちゃんのそのパジャマ、デザインも色も素材も最低!後でウチが捨てておいてあげるね。」
「要らん世話じゃ!」
この生物の登場で、彼らが地球以外から来ている存在で有る事が確定した。
半ば予想していた事も有って、私はこの事には余り驚かなかった。
その羽根付きの生物とは、それからもなかなか会話が噛み合わなかったが、彼女がマヤと言う名前で有る事と、これから私をバスに案内して呉れる事だけは分かった。
「ウチの舌は、様と言う言葉を発音出来ない構造に成っているから、アンタのことはこれからはユウカと呼ぶね」
マヤは今、見事に「様」と発音したのだが、私も「様付け」で呼ばれる事に居心地が悪かったのでこの申し出は有難かった。
少なく共、これから私はマヤから「オバちゃん」と呼ばれなくても済みそうだった。
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