第1章 モリヤの笛(続) 

 アストラルのマスターは、私たちの様子がいつもと違う事に最初から気が付いていたようで、「何に致しますか?」と他人行儀に注文を聞いただけで、後は別の客とずっと話をしていて私達の前には立たなかった。

 今夜は、私たちをそっとして置くつもりらしい。

 マスターらしい配慮だが、今日に関して言えば、その思いやりが反って私には辛かった。

 八木沢は「モリヤの笛」の事をずっと考えていたし、私は私で、明日連れて行く心療内科の事を考えていたから、お葬式のように静か時が過ぎていく酒席だったからだ。

 そして、私は八木沢の飲むピッチが異常に早いことに気が付いた。

 「八木ちん、そんなにガブ飲みしちゃ体に悪いよ」と言おうとしたが、酔い潰れ常習者の私が言っても説得力がないと思って、代わりに私は真水に近い焼酎の水割りに飲み物を変えた。

 八木沢の呑むピッチはそれからも落ちず、「酔い潰れモード」を驀進していたが、八木沢は私のようにギャーギャーと騒ぐ事はしなかった。

 もし私が、八木沢のように「モリヤの笛」が眼の前で消えて竜巻になるという幻覚を見ていたら、もっと派手に喚き散らしただろうに。

 そう思うと、私は独りでじっと耐えている八木沢を思って、母性本能みたいなものを擽られた。

 「なあ由佳、自分の部屋を自分自身で無茶苦茶にしてまで、警察をからかう趣味が俺に有ると思うか?」

 無い。それは絶対に無い。だからあんたは病気なんだよ!

 私は心の中でそう叫んだ。

 「俺はこの店で、何回も山羊の鳴き真似をしたよな。今日は俺のためにお前が鳴いてくれ」

 「えっ?私が?」   

 八木沢がそう言った時、私は最初、彼の話を信用しない私への嫌がらせかと思ったが、よく見ると八木沢の眼は私に癒して欲しいと訴えている様だった。

 「そうだな、俺は山羊より豚の鳴き声の方が良いな。由佳、豚になってくれ!」

 八木沢はそう云いながら、グラスのマドラーを私の鼻先に近づけると、

 「子豚の由佳ちゃん、さあお鳴き!」

 と云いながら、そのマドラーをくるくると回した。

 人は、酒酔いが進行すると、誰でも自分の声量をコントロール出来無くなるらしい。

 カウンターの隅で飲んでる私達に、折角マスターが気を使って、隣の何席かを空席にして呉れていたのに、八木沢の声が太過ぎたために、マスターを含めてカウンターで飲んでいた客の全員が一斉にこちらの方を振り向いた。

 「ほら、子豚ちゃん、鳴いて鳴いて!」

 泣く子と地頭と酔っ払いには勝てない。

 八木ちん、私、来月で27歳になるんだよ。分かる?27歳なんだよ!他人の前で豚の鳴き真似をしても、ちっとも可愛くない年なのよ。

 私は八木沢にそう言おうとしたが、日頃、36歳の男にメェメェと云わせている事の天罰が下ったんだと自ら納得した事と、私の母性本能のスイッチが既にオンに成っていた事、そしてもっと決定的な理由だと思うが、マスターが私に片目を瞑ってみせた事で、私は「ぶう」と鳴いた。 


 バーカウンターにカップルで来ていた10代位の若い女がククッと笑った。

 若い女はいつも遠慮がない。

 八木沢は益々調子に乗ってきて、

 「駄目、駄目。豚はそんなに上品には鳴かないぞ!ブウブウ、こんな風に鼻にかけて鳴くんだ!ブウブウブウ!」

 先刻の若い女がギャハハと下品に笑った。

 この女の方が、私の何倍も下品な豚の鳴き真似は上手そうだった。

 私はマスターの方を見た。今度はマスターはただ微笑しているだけで、特段のサインを私に与えては呉れなかった。

 私はマスターの顔を見ながら、

 「ぶう、ぶう、ぶう」

 と3回鳴いた。

 鳴きながら、先刻のマスターのウィンクが、私のフェティシュの弾薬庫に繋がる導火線の1本を確実に着火させたことを悟った。

 「ぶう、ぶう、ぶう」

 私はまた3回鳴いた。

 もう飽きてしまったのか今度は下品な女は笑わなかった。


 私はそれからも、10分に1回程度、八木沢のリクエストで豚の鳴き真似をした。

 一寸とした非日常など、直ぐに「単なる日常の風景」に埋没してしまうのだろう。

 アストラルのバーカウンターの客は、まるで何事も無かったかの様に、またそれぞれの談笑に戻って行った。

 そして、私の規則正しく繰り返す鳴き声は、最初は喜んでいた八木沢に眠気を与えた様で、いつしか八木沢はカウンターに伏して寝入ってしまった。

 八木沢の寝顔に母性本能を刺激され、マスターのウィンクでフェティズムに火が点く私という女は、一体どんな女なのかしらと私は真剣に考えた。

 「由佳ちゃん、いつも気苦労が絶え無いね。八木沢さんは後でボクが彼のマンションまで送っていくから」

 マスターが労いの笑顔と共に、私の目の前にやって来た。

 「由佳ちゃんの自宅はここから近いらしいけど、今日のところはもう帰った方が良いかもよ。」

 そう言うとマスターは私のグラスを片付けようとしたが、

 「あれ? 若しかして、由佳ちゃん、今夜は八木沢さんちに泊まるの?」

 「まさか!」

 ああ、ごめんごめんと言いながら、マスターは私のグラスとコースターを片付け始めた。

 「でも、今日は一寸事情が有って、八木ちんは自分のマンションには帰れないんだ。」   

 「えっ?そうなんだ。」

 マスターは少し困った素振りを見せたが、

 「八木沢さんは、いつかも酔い潰れてこの店に泊まっていった事が有るから大丈夫だよ。」

 と言った。

 「うん、そうだね、折角だからお言葉に甘えて、今日はマスターにお願いしようかな。」

 「OK、じゃあ気を付けて帰ってね。」

 「有難う、マスターに私がひとつ借りを作ったと言う事で宜しくね。」 

 「気にしないで、大丈夫だから。」

 マスターは私にまたウインクを返しそうになって、何故かしら途中でそれを止めた。 

 私は眠っている八木沢の頭を、数回、撫でてからアストラルを後にした。

 メェメェちゃん、今日は大変だったね、お疲れ様でした。

 明日までに「信頼出来る心療内科」を探して置くからね。

 そして明日は有給休暇を取って私が一緒に付き添うから、だから八木ちん、今夜はゆっくりとお休みなさい。


 私には難しいことは分からないが、どうやら主イエス・キリストの構造は「三位一体」になっているらしい。

 キリスト様と自分を比べるのは不遜だと思うし、そのレベルの違いを広さで例えれば、宇宙と私のワンルームくらいの差がある事も承知したう上で、私には何となく「三位一体」と云う感覚が理解出来る。

 それは、私が自分勝手に思い込んでいる感覚かも知れなかったが。

 私と言う主体は、単独でも一応存在する事は出来るけど、それはただ存在しているだけにしか過ぎない。

 ところが、その主体に「光」が当てられることで、初めて「形」が認識される。

 そして初めて、私が丸型だったのか四角形だったのか或いは三角形だったのかを知るのだ。

 更に、その「形」を安定させるために「三次元の物体や存在」には自動的に影が与えられる。

 それによって私流の「三位一体」は完結するのだ。

 ところが現実の私は、「影」に当たる八木沢と先に出会った為に、自分の分身のような愛おしさは常に有るのだが、「光」を当てる存在が無かったから、二人とも「闇」の中に埋没してしまってお互いを正確に認識し合う事が出来なかった。

 ところが、今日のように、アストラルのマスタ-という「光」が差し込むと、私の形状が認識されて、八木沢との有るべき距離がはっきりして来て、とても安定した関係性と精神状態を保つ事が出来るように感じるのだ。

 私は、この私流の「三位一体」をとても気に入っているのだが、もし、この話を二人してしまえば、マスターの当惑した顔と、八木沢の「俺はお前の影法師かよ」とむくれる顔が容易に想像されたので、誰にも打ち明けてはいない。

 その前に、そもそもキリスト様の三位一体は「神と精霊と神の子」なので、人間が出来ているマスターは兎も角として、私と八木沢をその三位一体に当て嵌めることは、不遜を通り越して神への冒涜に成ってしまうだろう。

 私はそう考えた時点で、この問題をこれ以上深く考えても私には難し過ぎるテーマなので、今日の所はこれくらいにして置こうと思った。 


 私はベッドの照明を消そうとしたが、まだシャワーを浴びていなかった事を思い出して、よろよろと立ち上がった。

 それから、八木沢にメールを打っていなかった事にも気付いて、眼が覚めたら私に連絡をする旨の文章を入力した。

 入力しながら、アストラルのカウンターにひとり残してきた八木沢のことを考えて私はハッとなった。

 夜中に八木沢がお店で眼を覚まして、また同じ幻覚を見て錯乱してしまったら、アストラルのマスターに迷惑がかかってしまうではないか?

 お客が未だ飲んでいた場合は、彼らにも迷惑が及んでしまう。

 私は何と言う間抜けだったのか。

 ぶうぶうと鳴いてばかりいた為に、そしてマスターに心配を掛け無い為に今回の事は言わないと心に決めていたせいで、肝心な事に気が回らなかった。

 八木沢はまだ泥酔しているかも知れないので、メールの送信ボタンを押すのは止めて、私はマスターの携帯に先に連絡を入れてみた。

 「やあ、由佳ちゃん、先刻はお疲れ様。」

 「マスターごめんなさいね。今日は色々とお願いしちゃって。今、お店?」

 「うん、お店を閉めてるところ。」

 「八木ちんは?」

 「八木沢さん、もう起きてるよ。今は顔を洗いに行ってるんで、戻ったら由佳ちゃんに連絡するように伝えようか?」

 「ええ、お願いします。それとマスター、八木ちんさ、眼を覚ましてから何か変な事を言ってなかった?」

 「変な事?」  

 「あっ。いいの!別に何でもないの。じゃあ宜しくお願いします。」

 私はそう言ってから携帯を切った。

 そして、八木沢がマスターに迷惑をかけていなかった事にホッと安堵している自分が分かった。

 

 暫くして、八木沢から連絡があった。

 酔い潰れた直後にしては、思ったよりしっかりとした声だった。

 私はまた竜巻が起こるかも知れないので、今夜は私と一緒に居た方が良い旨を八木沢に伝えた。

 ただ、今夜も竜巻の幻覚を見るかも知れないからとは言わなかった。

 何しろ八木沢は、モリヤの笛事件はその笛が起こした事件だと真剣に信じているからだ。

 そして、ホテルに泊まるのならそこに私が行くし、私のワンルームで良ければここで待っているとも伝えた。

 八木沢は、暫く考えてから私のワンルームに泊まる方を選んだ。

 流石の八木沢も、今夜ばかりは心細かった様だ。

 八木沢が私のワンルームに泊まるのは、何時以来だろう?

 私たちが別れてから2年位は経つので、それ以上の年月が経っている事に成る。

 勿論、今夜は男と女の関係に戻る事など有り得ないのだが、もうこのワンルームに八木沢が泊まることは無いと思っていたから、一晩限りとは言え何となく嬉しかった。

 バスルームの湯船にお湯を張りながら、明日、八木沢を何処の病院に連れて行くべきか、ネットで検索してみた。

 この医院はここから近いし、評判も良いみたいだから、明日の朝に受診の予約を入れよう!

 私は八木沢の受診先を決めると、八木沢が若し幻覚を見て暴れた時の為に、バスローブの紐を何本か用意し、大声を出すことも考えられたのでガムテープも用意した。

 その様子を、事情を知らない人が見ていたら、私はきっと怪しげな女王様に見えただろう。


 八木沢が私のワンルームに来るのを待つ間、私は八木沢の幻覚について考えてみた。

 幻覚を見た上に、自分自身で部屋の中をあれだけ粉々にする訳だから、かなりの重症なのかも知れなかった。

 焦点が合わない濁った瞳孔で、自室の調度品や本類を破壊している八木沢を、私は想像したく無いと思った。

 幸か不幸か、私は幻覚を経験した事が無かったので、幻を見ている感覚や状態について全く想像が付かなかった。

 ナチュラルハイやアルコール幻覚症では、今回のような事には成らない気がしたので、仕事に疲れた八木沢がLSDかシロシビン、若しかすればケタミンのような、兎に角、強力な幻覚剤を何処かで手に入れて服用したに違いが無いと思った。

 やはり、明日は絶対病院に行かせて、治療を受けさせると同時に、常習者に成らないように私が監視してあげなければ成らないとも思った。

 「でも、よりにもよって幻覚剤を飲むなんて!どうして私のようにアルコール依存症で我慢出来なかったのかしら」

 私はひとり呟いた。

 まあ、本当はアルコール依存症も身体には悪いのだが。

 「それは幻覚じゃないよ。」

 どこかで声がした。

 「えっ?」

 「ごめんなさい、僕が空間を少し歪ませちゃったもので。」 

 私は驚いて、思わず後ろの方に転んでしまった。

 転んだと言うより尻餅をついた恰好だ。

 運悪く、尻餅をついた場所にカムテープの束が有って、私のお尻は相当痛かった筈なのに、驚きで頭の中が一杯に成っていた私は、痛みを全く感じなかった。

 この、私のこれまでの人生で最大の驚きは、突然何処からか声がしたと言う聴覚が齎らした物よりは、ベッドの上に「モリヤの笛」を発見してしまった視覚から齎らされた物の方が遥かに大きかった。


 「うっ、嘘?」

 「菊池由佳さんですね。僕、貴女を捜すのに結構苦労しちゃいました。」 

 「モリヤの笛」は私にそう言った。

 「八木沢彦次さんが、貴女に通信して呉れたお蔭で、この場所を特定する事が出来ましたけど。」

 「だっ、誰よ、あんた?」 

 「いや、驚きました。マニュアルでは、僕がファーストコンタクトする生物がターゲットと言う事に成っていたもんですから。」 

 「生物?ターゲット?」

 驚かされているのは私だけだと思っていたから、「モリヤの笛」も驚いたと言う事が分かって私は余計不安に成った。

 「ちょ、その前にあんた、なんで私と八木ちんのフルネームを知っている訳?」

 八木沢は彦次と云う自分の名前が大嫌いらしく、「ヒコちゃん」とか呼ぼうものなら烈火の如く怒るので、無用な紛争を避ける為に私はこれまで「八木ちん」と呼んできた。

 私個人としては「ヒコちゃん」は、「ペコちゃん」や「ポコちゃん」と同系統の可愛い愛称だと思うのだが、本人が極度に嫌がるので、私自身の淑女としての品格を保つ為に敢えてそれを封印してきた。

 本人曰く「彦次」と言う名前は「ダサい」らしいのだ。

 八木沢は、素が十分に「ダサい」のだから「彦次」でも良さそうなものだが、名刺の名前も漢字では無くローマ字で記載していた。

 「あのう、菊池さん、さぞ驚かれているとは思いますが、今は詳しくお話しする時間が無いので。」

 「モリヤの笛」からは、常にガーと言ったノイズのような音も一緒に聞こえている。

 「こちらの方に一寸した事情が有りまして、僕は今、特殊な空間から貴女に通信しています。」

 「通信しなくて良いです!」

 「ところで、これも我々の技術的な理由から、あと数分後に起こる空間の歪みを利用して、あなたをこちら方に搬入しなくては成りません。」

 「搬入?」


 どうやら私はかなり危機的な状況に追い込まれているらしかった。

 数分後には、「モリヤの笛」は私をどこかの場所に搬入すると宣告したのだ。

 少なくとも、八木沢が幻覚を見たのでは無かった事がこれで判明した。

 八木沢が見たものが幻覚で無かった以上、私の危機的な状況も幻覚では無かった。

 「実は、我々は貴女に折り入った頼みが有るのです。そしてそれは、どうしても貴女でなければ出来無いお願いなのです。」

 「僕はとてもお腹が空いているので、これから貴女を食べるお願いをしています」と言われたらどうしようかと心配していたので、私はその点だけは少し安心した。

 そして、私はこれがドッキリカメラである可能性を考えてみた。

 ドッキリカメラのスタッフが隠れるとすれば、この狭いワンルームだと、トイレかバスルームかディアウォールで仕切られたオープンクローゼットの空間しか無い。

 しかし、その全ての場所を、部屋に戻ってから私は既に調べてしまっていた。

 「あっ、予定された軌道で空間が歪み始めました。それではゆっくりとベッドに横になって下さい。」

 ドッキリカメラ説は脆くも崩れ去って、八木沢が言っていたスローモションの竜巻が始まった。

 「大丈夫!心配しないで。貴女は僕達に取ってとても大切な方ですから。」

 心配するなと言われて、はいそうですかと納得出来るような状況で無い事は分かっていた。

 ただ、「モリヤの笛」が私のワンルームに戻ってからまだ30分も経っていないのに、心配する対象が八木沢から自分に急に変更させられた為に、私は恐怖を感じるだけの余裕が無くて平然とした顔付きに成っていただけなのだ。


 「あの、私はどこに搬送されるんですか?」

 「貴女は何も心配しなくて良いです。それより早くベッドに横に成って下さい!そして眼を閉じて。そう、もっと体の力を抜いて下さい。」 

 「モリヤの笛」は、熟練した外科医のような口調で私に指示した。

 「ターゲット、イエローピッグとコンタクトが完了しました。今からポイントビューウィックへ搬送します。搬入準備をお願いします。」

 「モリヤの笛」とその仲間たちの間で、私はどうやら「黄色い豚」と呼ばれているらしかった。

 彼らに取って、私は大切な方で有る筈だったが、その割りには冴えない名前を付けて呉れた物だ。

 八木沢の方は「山羊爺」と呼ばれているかも知れない。

 私に取っては、これ以上無い劇的な状況だったから、もっとドラマティックなコードネームを付けて欲しかった。

 幾ら何でもイエローピッグはひど過ぎるよね。

 ところで、「モリヤの笛」は一体いつから、そしてどこか私を観察していたのだろうか?

 八木沢からの連絡でやっと特定出来たと言っていたから、八木沢の部屋から八木沢はずっと観察されていた可能性が高かった。

 だが少なく共、「モリヤの笛」が私のワンルームにかつて有った頃は、彼の活動が開始されていなかった事は明白だった。

 

 イエローピッグかぁ!

 私は未だそのコードネームに拘っていた。

 今夜、アストラルでぶうぶうと鳴き過ぎたことを私は後悔した。

 せめて「イエロードール」くらいに昇格させて貰えない物かとも思ったが、本当はもっと深刻で重大な危機が私には迫っている筈だった。

 そして、私が「モリヤの笛」に誘拐されかかっていると言うのに、八木沢が私のワンルームに未だ到着していない事に気が付いた。

 八木沢から私に連絡が有ってから既に20分は経っていた。

 直ぐにお店を出て歩いて来れば、今頃、このワンルームに着いていても可笑しく無いのに。

 「この役立たず!のろまの山羊野郎!」

 そう八木沢を罵った時、私の意識はすうっと暗闇のなかに同化していき、光を欠いた「ニ位一体」の状態に溶け出していった。

 そして、やがて私は「一次元の点」に還元された。

 「八木ちん、私、今、モリヤの笛に誘拐されかけてるよ。早く助けに来てよ!」

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