第2章 合鍵(続)

 「困るんですよね!」

 「はあ?」

 「我々も忙しいので、もっと真剣に答えて戴かないと。」

 「・・・」

 「八木沢さん、聞いていますか?」

 「えっ?」

 昨夜は、酔い潰れた時と明け方にちょっと眠っただけだったので、睡眠不足と二日酔いのダブルパンチで俺の体調は最悪だった。

 今日の現場検証には、専門家の捜査官と作業員らしい服装の男が数名来ていて、思っていたよりずっと本格的な検証が実施されていた。

 そして彼らは、今回の事件が空き巣や強盗による犯行では無いと直ぐに断定した。

 確かに素人の俺でもそう断定出来そうな状況が揃ってはいたが。

 調度品があれだけ粉々に成っているのに、窓ガラスは全く割れておらず、施錠も完璧だったからだ。

 これで、俺がナイフで刺されて死んでいたら、歴史に残る完全密室殺人事件に成っていたかも知れなかった。

 外部からの不審な侵入者が居ないとすれば、後は合鍵を持っている者の嫌がらせか俺の狂言かと言う事に成る。

 捜査官の話では、昔、捨てられた女性が合鍵を使って男性の部屋に入って、その腹いせに花瓶とかを割る事は稀に有るらしかった。

 その話を聞いて、由佳だったら別れ話の仕方次第では、そのくらいのことはやりかねないと思って俺はぶるっと身震いした。

 それを見ていた捜査官が、只でさえ要領を得ない俺の話に苛立っていた事も有って、俺に苦言を呈したのだった。

 捜査官の口振りからは、今回の事件とテロとの関連を疑って俺の背後関係を調べた形跡が感じられた。

 勿論、俺にテロリストの友人は居ないのでシロだと判明したが、念のため爆発等があったかの検証をしていたようだ。

 暫くして、作業員が捜査官に何か耳打ちして現場検証は終わった。

 「我々はこれで引き上げますが、恨みを買っている人で若し合鍵が手に入りそうな人物を思い出したら連絡してみて下さい。それじゃ。」

 「あ、どうも。」

 俺は捜査官にぺこりと頭を下げたが、捜査官がチッと舌打ちしたのを聞き逃さなかった。

 結局、捜査官は今回の事件は俺の狂言だと思っているのだ。

 狂言の場合、それを証明するのが技術的に難しいと言う話を聞いた事が有る。

 多くの場合、警察は立件せずに内部で処理をしてしまう様だ。

 増してや、今回のように被害を受けたのが狂言者である俺だけと云う、阿呆らしくて間抜けな事件では尚更だった。

 捜査官は俺の部屋を出て、エレベーターに向かう途中で、

 「まったく人騒がせな野郎だぜ。」

 と吐き捨てるように言った。

 彼らを見送った後、俺がそのままぼうっと突っ立っていることに気が付かなかったのだ。

 その時、俺は注意力が散漫な捜査官だと思ったが、何れにしても由佳が失踪したかも知れない件を彼らに言わなくてやはり正解だったとも思った。


 「なるほど、そうでしたか」

 アストラルのマスターは、いつもの偽善者然とした微笑を湛えて落ち着いた口調でそう言った。

 今回の話を聞けば、普通はもっと驚きさそうなものだが、マスターは俺に対して何も質問をしないばかりか、まるで予想していたかのように、

 「今日の夕方にでもお店の方にみえませんか? 若しかしたら役に立つかも知れない人物を呼んで置きますから」

 と言った。

 「えっ?」

 藁をも掴む気持ちで相談した俺は、マスターの意外な言葉にあっけにとられた。

 「八木沢さんもご存知の人物です。詳しいことはその時にお話します。それじゃ、私はちょっと急ぎの用が有りますので、これで失礼します。」

 そう言うと、ぽかんとしている俺を残してマスターは喫茶店を後にした。

 結局、由佳の件をマスターから警察に届け出て、一緒に出頭して欲しいと依頼するのは夕方を待つしか無さそうだった。

 俺は夕方まで何とか時間を潰して、アストラルに一番近い地下鉄の改札口を出た時にマスターからスマホに連絡が入った。

 昼間に話をした人物が、もう直ぐ店の方に来るだろうとの事だった。

 俺は、その人物は誰なのかを訊ねたが、マスターは会えば分かると言って電話を切った。

 そこまで勿体振る必要が有るのかと思ったが、案外、由佳だったりしてと少し期待してしまった。

 しかし良く考えてみれば、その人物が由佳だったら事件解決の役に立つ人物ではなく、事件その物が解決してしまうから、それは流石に有り得ない話だった。

 そうなるとその人物とは一体誰なのか?

 見当が付かないまま歩いているうちに、アストラルが入居しているビルが見えて来た。

 「何だ原口じゃないか?」

 俺は素っ頓狂な声を上げた。

 アストラルの店の前に、俺の大学時代の後輩でこの店を俺に紹介した原口が待っていた。

 「何だとはヒドいじゃないですか、八木沢先輩」

 と原口は言った。

 「お前、この事件について何かを知っているのか?」

 俺がそう言いかけた時、背後から何者かの手によって俺の口はハンカチのようなもので塞がれた。

 「これはクロロホルムか?いやクロロホルムでは人間は簡単には眠らないから、これは高濃度のエンフルラン!」

 反射的にそう思ったら、案の定、意識が遠くなりかけて来た。

 「畜生、一体全体どう成っているんだ!由佳の次は俺まで誘拐しようってのか?」

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