チキンのジンジャーソテー

玉椿 沢

チキンのジンジャーソテー

 旅芸人という仕事上、その男女二人連れは一カ所に留まっている事はない。


 明確な宛てがある訳ではない旅ができるのは、二人が南のドゥフテフルスの名家出身――特に男のファン・スーチン・ビセンが、伯父は子爵、父は騎士爵という地位にあるからだろう。


 とはいえ、イモと干し肉ばかりの食事である事に変わりはなく、町を離れれば料理を作るエルも腕の振るいようがなくなる。


「ところが――」


 野営している場所に戻ってきたファンは、ニコニコしながらカゴを持ち上げて見せた。


「色々と分けてもらったッスよ」


 野営地の近くに気のいい農家がいてくれた事が幸いした。


「鶏肉、タマネギ、ジンジャー」


 ファンの好物であるという以上に、鶏肉が手に入ったのは幸いだ。卵を産むため、ニワトリは別の意味で貴重な家畜。


「それはよかった」


 エルはにっこり笑い、久しぶりにチキンソテーでも作ろうかとかまどに鍋を掛ける。


「ジンジャーがあるのは嬉しいですね」


 エルがジンジャーをすり下ろす傍らで、ファンは鶏のムネ肉を若干、分厚く削ぎ切りにしていく。


 ソースは魚醤ぎょしょうとハチミツ酒にすり下ろしたジンジャーを合わせて作る。


「はい、エル。早く漬けて焼くッスよ」


 ソースの入った器を相方であり、故郷にいた頃は侍女でもあった女へと向けるファンだったが、エルはファンが削ぎ切りにした鶏肉を手元に寄せ、


「皮は剥ぎますよ?」


 旅芸人も兵士と同じく身体が資本だ。高タンパクは大歓迎だが、カロリーまで高くては歓迎できなくなる。


「ま、そりゃそうッスね」


 残念そうな顔をするファンだが、心得ている。


 皮を強火で焼いてからひっくり返し、蒸し焼きにしたらジューシーにソテーになるのだが、鶏皮は歓迎できない高カロリーな部位だ。


 残念そうな顔は、であって、残念な顔ではない。


「少しわざとらしさが消えてきた気がします」


 エルは顔を群れ向け、ファンへ微笑みかけた。


 ソースに漬け込んだ肉を油を引いた鍋に移し、こういう所に演技を持ってくるのが、ファンの修練でもある。騎士の家の出であるファンに望まれていた事は、騎士として身を立てる事だった。旅芸人を本業にしたいと考えたのは、ここ何年かの事である。


 起きている間は師の教えを守り、眠っている時すら睡眠学習のようなスタイルを取っているファンである。


「おーおー」


 ジュージューと音を立て始める鍋を覗き込むのも、それだ。


「熱ッ!」


 飛び跳ねた油を顔に掛けるのはやり過ぎだが。


「顔は気を付けて下さい!」


 油跳ねくらいで大やけどという事はないが、それでも顔は芸人の命だ。


「ただでさえ、一重瞼で目つきが悪いっていわれてるんですから」


「あいたァ」


 ファンも戯けるのだから、エルも注意以上の意味は持たせていない。そして話術となれば、ファンが戯けて、エルが注意するという立ち位置が常でもある。


「でも肉が焼けてるのを見ると、こう……ワクワクしてくるんスよねェ。どれくらいで旨くなるかなぁ、とか」


「でも、もうフタして蒸し焼きにしますからね」


 身を乗り出したファンに対し、エルがお預けくらわせるように蓋を閉めるのも、そういう練習になっているのかも知れない。


「魚醤とジンジャーで辛口に、ハチミツ酒で照りをつけて、タマネギと一緒に焼いて甘い味を……」


 蓋を閉められた鍋を前に、ファンはニコニコしなかがら身体を揺らす。


「ふふ」


 しかしエルにとって、戯けた様子のファンは救いでもある。


 一品だけの食事であるから、豊かな食卓とは、間違ってもいえない。子爵家にいた頃に囲んでいた、肉も野菜もある豪華なダイニングとは比べるべくもないのだが、そのダイニングを前にしている時と、今、チキンを蒸し焼きにしている鍋を前にしている時と、ファンの顔は変わらない。


「別に、パンやイモはなくていいッスからね」


 自分にとって決定的な差がある訳ではない、というのがファンの考え方だ。


「今夜はスープもないですよ」


 水だけですと水瓶を指すエルであるが、それもファンには問題ではない。


「その分、肉食べるッス。肉食べて、もっともっと練習するんスよ」


 ポンポンと自分の腹を叩くファンは、また一層、明るい笑みを浮かべた。


「お師匠がいってたッス」


 ファンの師匠――剣の師匠も、芸の師匠も、そろっていった言葉がある。


 それは陰陽という思想にあるといい――、


「陰はから、陽はいっぱい」


 互いに互いを補完する存在だというのが、ファンの根底となる考え方だ。


「何で料理を作れるか。それは鍋が空っぽだからッス。鍋が空っぽだから、中に肉や野菜を入れて料理する事ができる。その料理を食べるには、お腹を空かしておかないといけない。お腹を空かすには、ちゃんと自分のする事をしなければいけない。そうして、空といっぱいを繰り返す事が、生きる筝って事ッス」


 それは剣技や芸能に関わる事だけではないからこそ、ファンが修めた事は学問として成立する。


「そうですね」


 エルも知っている。仕事や学業を終え、空腹で帰ってきた者に、温かい食事を提供できるのが当たり前の生活――その当たり前を守るのが領主達の勤めである。


「できましたね」


 エルが蓋を取る。


「チキンのジンジャーソテーです」


 お腹いっぱい食べられる、温かい食事だ。


 それを食べ、明日からも旅芸人は行く。


 時々、領民の生活など知った事かと振る舞う悪徳領主に、Noを突きつける事もある世直し旅風に。

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