【7】終

【7】★ (終)

 見下ろして、緑色のイガグリのようだと思った。

 球から突き出された無数の棘。母なる惑星でパンデミックを起こしたというウイルスの形状にも似ている。

 だが、到着の際は惑星中を包んでいた煙が今は消えている。悪臭も感じられない。

 地表の鈍色は緑色に塗り替えられ、さらには、赤、黄、橙、白、青、紫と、カラフルな点描が描かれていた。秋の野花だ。

 小型船が離水した時はまだ水は濁っていたが、いずれ河底に敷き詰められている色とりどりの礫が見通せるほど澄み渡るだろう。

 少し離れた中空では、回収船が空中プラットフォームを旋回し、〈缶詰〉を貯留穴ピットに落とさぬまま、帰ってゆく。

 受入も、破砕も、選別も、燃焼も、溶解も。惑星缶詰循環工場プラネット・プラントは、その全機能を停止していた。惑星中に植物が蔓延り、花咲き乱れ、プラント群の機械の細部まで入り込み壊してしまったから。

 回収船は、各惑星の宙域に〈缶詰〉を持ち帰るしかない。もしかしたら、この世に存在してはいけないような〈缶詰〉も。天体衝突が起きると当て込んで送られたそれ。気まずい思いをする人もいるかもしれないが、私の職務では、人の事情よりも星の声が優先される。

 これから博士──かつてのエリオ青年は忙しくなるだろう。別れ際の様子を思い出す。


 しばらく宇宙災害は起きないでしょう。寄星虫がこの惑星を気に入り、寿いだので。そうですね、地球で言うところの数千世紀の間は。星の命運──軌道が変わりました。

 つまりは亡くなった人たちへの贖罪として〈銀河の最果て〉と心中する計画はご破算です。

 いずれは連邦政府のお偉方も気付くでしょう。銀河に浮かぶ至宝とも呼ぶべき、貴重な宇宙生物の棲み処である美しき星が再生したことにより、新たな利権争いが生まれるかもれしれません。

 それらの醜い争いから、責任者として〈銀河の最果て〉を守る──それが、あなたに唯一残された仕事ではないでしょうか──


 私の言葉に博士は、手つかずの宿題を抱えた八月最終週の学生のような表情を浮かべた。

 私も大概、利己的だった。まるでレムとシイナの遺志のように告げたが、実際のところわからない(シイナはともかく、レムはエリオに殺意を抱いていたぐらいだ)。死者は生者に都合よく利用される。悪用とまでは言わずとも。

 私はこの不運にして若さと恋を喪った男を好ましく感じていた。〈星休み〉に遭遇した旅人に宿を提供し、コンベアにさらわれたトランクを追いかけ、甘味・恋バナ好きな、本来同世代のお人好し。父に少し似ていたかもしれない。


「君は……その、どうして、元気なんだ?」


 夏休みの宿題にいやいや手つけようとする学生の表情のまま、彼は訊いてくる。寄生されているのに、と。

 随分な言われようだが、疑問はもっともだった。

 私は萌え出づる病を得た姉妹と同じく、寄星虫に冒されていた。つまりは〈苗床〉だ。星に繁栄をもたらし、その代償のように衰弱し、やがては死に至る。 


「人よりちょっと頑丈なのでしょうね」

「ちょっとってレベルじゃないだろう、それに寄星虫病は若い女が罹患するものだと」

「そうですね、人の場合」


 先程から私が言うところの〝人〟とは、種としての意味だった。


「私と父には生物学上の繋がりはありません。母はひとりで私を産んだそうです。出産の立ち会いがなかったという意味ではなく、まるきり一人で」


 元々、日程の合わない妊娠だったという。だが、夫に子を待ち望まれていた母は大雑把というか大らかというか、そのまま妊娠を受け入れた。

 就職後、出張先の惑星で存命だった母に会いに行った。ちっとも歳をとったふうに見えない息子を、母は災害死した息子の息子と勘違いした(母は母でひどい童顔だったが)。孫に対しては誰も極甘になるらしく、大層もてなされた。そして、当事者ではないからこそ、あけすけな質問にも答えてくれた。離婚の原因は、男をつくって出て行ったのではなく、単に迎え・・が来たからと答えた。あと、ヨダカに味付けにケチを付けられたから、と。

 今、母は果樹園のオーナーであり、悠々自適な生活を送っている。父と息子を置いていった人ではあるが、今更責めるほどの情熱を抱く相手ではなかった。


よりも寄星虫との相性が良かった、それだけです」


 言ってから、二通りの意味にとれるなと気付いた。そのどちらも間違っておらず、特に言い直さなかったが。

 

 ──〈卵種〉の設定は、独創ではなかったということか。


 ごく小さな呟きに、私は曖昧に微笑む。


「……魔女のことはどうすればいい」

「彼女は正規の職員でしたか?」


 問えば、博士はいやとかぶりをふり、


「書面上はいない。俺が私的に雇っていただけだ。まあ、責任者の権限で色々融通させてもらったが」


 なにやらごにょごにょと言う。色々と書類やら帳簿を改竄していたらしい。


「彼女についてはどうとでも。野ざらしでも、鳥葬でも、墓を作りたくば作ればいいですし。でも、墓碑銘をどう刻むか悩みますね」


 冗談に博士は嫌そうに顔を顰めた。もさもさ動く眉や髭が逆にユーモラスなのだが、指摘しないでおく。代わりに、まあ、惑星がいいようにしますよと軽く答えた。


「……君は本懐を遂げたのだろう。だったら、ここに残らないか」


 意外な誘いではあったが、理解できないでもない。博士は多方面からの圧をひとり耐えられるか、自信がないのだろう。

 せっかくではあったが、丁重に断る。


「本業のついでです。あ、缶詰の処分はお願いしますよ」

惑星缶詰循環工場プラネット・プラントは稼働停止だ。未来永劫にな。持ち帰り願おう」


 ふんと鼻を鳴らした博士に、私は安堵して別れの言葉を告げた。

 ならば、預かっていてください。また見に来ます、この惑星の将来を。その時、寿ぐに値するか――





 小型艇から見下ろす地表は色とりどりだが、鮮やかな青紫色に塗られた面積が一番広いだろうか。

 『悲しんでいるあなたを愛す』――リンドウの花言葉はなかなか歪んでいる。好きな相手ならば、悲しみとは無縁でいてほしい、それが真っ当な考えだろうに。だが、心情としてはよほど理解できた。

 もし、父より先に私が逝ったとして、変わりなく毎日を送られたら面白くない。サンを喪った時以上に身も世もなく悲しんだなら、深い満足と愛情と憐れみを覚えるだろう。

 ……彼も、そうだったのだろうか。

 私はぼんやりと想いを馳せる。

 上空に差し掛かった銀河の中州はひっくり返した宝石箱さながら。植物の繁茂は中州一帯が最も盛んだった。

 秋の野花の繚乱、その中に一点、場違いな黒いゴミ袋じみた塊を認める。

 私は確かに魔女を撃ち、赤黒の汚泥のような内容物を撒き散らかせ、何度も踏みつけにした。猟銃を構えた腕は筋肉痛になり、足裏には硬いものを砕いた感触が残り、靴はべっとり生臭く温かな液体に汚れ、血腥さに喘いだ。

 父と私の人生をもてあそんだ魔女への復讐を果たした。

 もちろん後悔はしていない。ある種の満足と達成感を覚えている。 

 だからこそ、その黒いゴミ袋がふらふらと立ち上がったのを画面越しに大写しで視ても、さほど心が乱れなかった。〝魔女〟〝メリッサ〟〝アイランド〟のいずれか。私にとってはもちろん、魔女でしかないが――


 白一色。突然、モニタが暗転ならぬ白転した。

 純白のカーテンか豪奢なドレスの裾が目前で広げられた、そんな錯覚。モニタ越しだとわかっていたが、つい仰け反る。黒の余ができたかと思えば、それは光の筋を曳きながら射放つ速さで遠ざかる。

 ――星間渡り鳥、白鷺イーグレット。だが、他の鳥よりも一際大きく、特別に美しい雄鳥が魔女の眼前に降り立つ。

 瑪瑙の嘴、黒真珠の瞳、蛋白石の輝きを帯びた羽毛。首はしなやかなS字カーブを描き、ふっくらとした背や胸からは細い細い生糸のような飾り羽を垂らしている。

 かつて、群れが喪ったはずの統率者リーダー、その称号にふさわしく。

 画面をさらに拡大させると、魔女が目を見開かせ、そのぎょろ目の縁にみるみる水滴が膨らみゆくのが見て取れた。

 けれど、立ち塞がった雄鳥が優美な翼を広げ、覆い隠したので、水滴が決壊したかまではわからない。まるで抱き締めるような仕草だった。

 倍率を下げると、方々から、私の凶行から逃れた鳥達が戻ってくるのが見て取れた。

 彼らは中州に集まってくる。長年求め続けたリーダーの元へ。

 嘆息が漏れた。

 寄星虫は宿主が属する星を寿ぐ。緑の文様――網を張った宿主からその星の情報を得て、さらに自らも星に糸を巡らせて判断する。人に寄生すれば、やはり人寄りの視点で寿ぐことが多い。砂と岩の惑星では鉱床が見つかり、好景気に沸いたという。

 だが、人ではない・・・・・私を経由して当該の星を寿ぐ場合、多少、視点はずれてくる。今回、相棒がこの惑星の主として認めたのは人ではない。この惑星の人間よりもずっと数の多い生命体、すなわち鳥たちだった。

 鳥たちは、群れのリーダーを喪い、長年〈銀河の最果て〉ひいては惑星缶詰循環工場プラネット・プラントに繋ぎ止められていた。彼らが渇望していたのはリーダーの再生。そして、リーダーが希求していたのはただ一人、彼が永く翔び続け、ようやく辿り着いた唯一無二のアイランド――


 言っておくけど、と前置きしてから吐き出す。


「……確信があったわけじゃない。わかっていたら復讐にならないし」


 いいわけっぽいと思わないわけでもなかったが。

 と、眼前に鮮やかな青紫の花が現れる。金緑の糸が絡みついたそれ。

 花は五弁に裂けた鐘型、上から見ると星の形状に似ている。葉は対生の細い笹状、茎の先端と茎のまたに花は咲き、一輪でも量感がある。

 通常、リンドウは大きな群落はつくらず、一株、もしくは数株ずつ咲く。

 だが、今、眼下の地表を染める色で一番面積を有しているのが青紫色だった。つまりはリンドウが最も繁茂している。そして魔女が珍しいこともあると、最初に摘んできたのもこの花だった。


『悲しんでいるあなたを愛す』


 寿がれた星は、星の主たる鳥の無言のメッセージを放ち続けていたのだ。鳥であった青年を喪い、彼の故郷と呼べる星で、彼の仲間を保護し続けていた彼女へ。


「もしかしたら、そういうこともあるかもしれないとは思ったけれど」


 それでも私の精神衛生上、復讐は必要不可欠だった。

 一方、魔女の気持ちもなんとはなしに察してしまった。彼女が〈缶詰〉を流して〝サン〟と〝ダーシュ〟のラベルを貼り替えたのは、自分自身に懐疑を抱いたからではないか。同胞を殺して唯一となったにも関わらず、別の誰かを愛した。ならば自分は本物ではなかったか、本物にはなりえないのか。いや、そもそも本物に〝本物〟の価値はあるのか。ラベルの貼り替えをしたなら、本物すら偽物になるのでは――


 想像、いや妄想だ。死んだ狐が何を思っていたのか、土神が狐の笑ったような死に顔に何を思ったかなんて、明言されていないのと同じく。

 下方では、方々から白い鳥たちが飛来し、中洲では野花が咲き乱れ、川面は朝陽に光り立ち、その中心には白い雄鳥と黒い魔女。その一対の男女を寿ぐ、賑々しい結婚式のような。

 手渡されたリンドウを一見空いている助手席に放り、次の星へ向かうため、私は手近な転送門ゲートへと針路をとった。〈了〉


参考文献

・新編 銀河鉄道の夜/宮沢賢治 新潮文庫

・注文の多い料理店/宮沢賢治 新潮文庫

・星の王子さま/サン=テグジュペリ 新潮文庫

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センチメンタル・ファニー・ストーリーズ 坂水 @sakamizu

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