第6話 冒涜の時間、或いは餌の時間
× × ×
皇帝の執務室の椅子に座る機会がある人間など、この世に何人いるだろう。
しかも、室内には皇帝本人がいた。
にもかかわらず、奴隷のヒューゴは椅子に堂々と腰掛けている。
皇帝のリヒトはと言えば。
どっかと腰掛けたヒューゴの足の間に、足を組んで腰掛けていた。
彼は机に向かって真面目に万年筆を滑らせている。執務の真っ最中だ。ただ。
白い頬には、微かに血の色が上っている。気のせいか、息が乱れていた。
伏せられた目は潤み、時折焦点が合わなくなる。
そして、落ち着かないように、先ほどから、足が何度も組みなおされていた。
その背にヒューゴは伸し掛かるようにして、足の間に座る彼の耳へ後ろから唇を寄せる。
まだ昼食には早い時間帯、朝の光の中、耳たぶに息を吹きかけるだけで、腕の中にいるリヒトの肩が跳ねた。
「そういや、約束してなかったか?」
ふと、ヒューゴは尋ねる。声は、平静。
その声に我に返ったか、気を取り直すような態度で、震えながら、組んでいたリヒトの両足が解かれた。
後ろからリヒトの身体に回ったヒューゴの腕、その指先は、リヒトの胸元に伸びていた。
「や、くそく…」
呟きながら、リヒトは手元の書類に目を落とした。
その頬は上気し、息は弾んでいる。
リヒトはそれでも、苦行のように万年筆を動かし、書類の末尾に署名を入れた。文字には一つの揺らぎもない。
整然とサインが入れられたそれが、どのような状況で作成されたかを、後で確認する相手が知らないで済むのは幸いだろう。
それが右前の箱へ入れられるのを見ながら、ヒューゴの長い指が淫靡に動いた。
悦かったか、たまりかねたようにリヒトが自身の内腿をすり合わせる。
その動きを満足げに見下ろした後、ヒューゴは鍵のかかった扉に視線を向けた。
「将軍だよ、リカルド。今日の午前中に、話があるとか言ってなかったか?」
もう昼は近いが、まだ来ないとなると、あちらも忙しいのだろう。
帝国将軍リカルド・パジェスの名に、快楽に朦朧と酔ったようだったリヒトの目に、微かに正気が戻る。
だがその正気が煩わしいと言わんばかりの息を吐き、リヒト。
「まだ…余裕はある」
理性的な声で、一言。とはいえ、これは。
だからもっと、と。
続きを促す言葉だ。
ヒューゴは不思議な気分になる。
していない時も、行為のはじまりの時も、リヒトはむしろ交わりを蔑視しているような態度を取る。
なのに、最中はこうだ。行為を止められるのを嫌がる。
だが確かに、快楽を気に入っていなければ、毎日のようにまじわりはしないだろう。
いや、自分のペット、即ち、ヒューゴへの餌が十分でないと判断している可能性も高い。
とはいえ、今のリヒトのように、毎日、ほぼ一日中、悪魔のヒューゴと交わりを続けるなど、荒淫にもほどがある。
人間が悪魔に付き合うなど不可能だ。死んでしまう。普通なら、身体も心も壊れるだろう。
それがリヒトは、まったくの健康体だ。
一日中シても足りないと言うほどになった現在も、壊れない理由は。
元からの神聖力の高さのせいもあるが、ヒューゴの行いのせいでもある。
ヒューゴは、リヒトから放たれる精気を、ヒューゴは神聖力に耐えうるだけの力を保てるだけの量と、満腹にさえなれば、それ以上は食べない。
余分に放たれた精気はリヒトへ返し、彼の補修へ使われるように循環させている。
結果、ただでさえ強いリヒトの神聖力はより磨き抜かれていた。
その影響で、肉体面においても、細胞レベルで言えば赤子なみの若さ・瑞々しさだ。
歳をとっているはずなのに、逆に若返っている。
いつもリヒトとつながっている場所など、爛れるどころか…と、うっかり考えさし、ヒューゴは首を横に振った。
リヒトの中の感触を思い出しただけで、兆しそうになったからだ。
(神の力とされる神聖力をこんなことに使ったやつなんて、今まで一人もいなかったんだろうなぁ…冒涜だろこれ)
悪魔だから恐れ入ったりはしないが。むしろ悪魔らしいじゃないか、と自画自賛。
とはいえ、たぶんヒューゴは自分で自分の首を絞めている。が、リヒトを壊したくはない。ジレンマだ。
何かを諦めた目で、ヒューゴは腕の中のリヒトを見下ろす。執拗に手を動かし続けながら。
「着替えの時間が必要だろ」
今のリヒトは人前へ出られる姿ではない。
リヒトはヒューゴと触れあっている背中を、先ほどからずっと強く押し付けてきている。
離れたくないと言いたげな、これは無意識だ。気付いていないふりをしながら、ヒューゴは名残惜しい気分で、リヒトの胸から指を離した。
後ろからその身体に腕を回し、ぎゅうっと抱きしめて頬にキス。
「それに俺は満腹だ」
ペットに餌をやる飼い主の義務ならもう果たしている。
「ほら、やるべきことはちゃちゃっと終わらせるぞ」
「あ、」
(名残惜しそうな声を上げるんじゃない)
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