第2話 悪魔との秘め事
× × ×
「ここで待て」
会議室を後にしたリヒトは、護衛の近衛騎士に指示を出し、ある場所へ消えた。
手洗いである。
そういうところは、この方もちゃんと人間なのだな、と周囲に控える者を不思議な心地にさせた。
ただし。
…これから中で行われることを知っていれば、そう思えたかどうか。
リヒトが足を踏み入れるなり、
「よお」
首に、奴隷の証である革の首輪をした青年が、気楽に片手を挙げて彼に挨拶した。
用を足していた、というよりも、彼と待ち合わせていたような態度だ。
とはいえ、皇宮の中に配置された侍従とも違う、みすぼらしい身なりをしている。
きちんと整えていない髪は黒。瞳は鮮やかな濃紺。肌は、この国では珍しい褐色。きめ細やかで肌艶はいい。
そして、態度は、皇帝にも劣らず、尊大。
それが鼻につかないのは、明るい雰囲気のせいだろう。
見る者に、自由な風を思わせる朗らかな笑顔を、彼はリヒトに向けた。
対等の者のように。
「お疲れ、リヒト」
身軽な足取りで近づいてくる彼を待つように、リヒトはいっとき、足を止める
すぐ、投げやりに一言。
「無駄口はいらん、それより、ヒューゴ」
リヒトは、ヒューゴと呼んだ青年の手を掴み、近くの個室に引っ張り込んだ。
鍵をかける仕草は乱暴だ。
「待てよ、まず結界張るから」
苛立ちを感じ取ったか、ヒューゴは宥めるように続ける。
「声が聴こえたらヤバイだろ、それから次元を少しずらして…と、」
不可思議な単語には耳を傾けず、リヒトは背中をヒューゴの胸に預けた。
背を向けた状態でヒューゴの手を取り、手袋をはめた手でぎゅっと握りこむ。
その頬は、淡く上気していた。
何も知らないものが見れば、怒っているのだろうかと思ったかもしれないが。
それは、紛れもなく、羞恥の色だ。
「…さっさと済ませろ」
言い捨て、リヒトは奥歯を食いしばるようにして、沈黙。俯いてしまう。
いったいこれから、何が始まるのか。
俯いた項まで赤い。
肌が白いから余計目立った。
「ふぅん」
対するヒューゴはさめた目で、腕の中の皇帝を見下ろす。
彼こそ、どこか、怒りを覚えた態度だ。
だがすぐ、思考を切り替えた態度で、舌なめずり。
その表情は、誰が見ても邪悪そのもの。
「そんじゃ、仰せのままに」
リヒトの耳元で優しげに囁き、
「いただきます」
愉しげに、声が揺れたのも無理はない。
本人了解の上で、悪魔であるヒューゴは、セックスの最中に放たれるリヒトの精気を食べている。これから始まるのは、そのための行為だ。
そうして、今日も。
リヒトの精気は上質だった。
普通の食事だけではヒューゴは飢えてしまうことを知っているリヒトは、こうして仕事の合間にとにかく与えようとしてくるが、実はこれは過剰である。
行為の途中から、ヒューゴの食事は必要なくなるゆえに食べなくなるわけだが。
(これがなんだか、逆にリヒトの精力の強さに繋がってる気がする…)
放たれる精気は、年を経るごと、また、リヒトが得る快楽が強まるほど、濃密になる。
それをヒューゴは受け取りはするが、ある程度はそのままリヒトへ返す形になっていた。
身体をつなげた、その時に。
結果、余計にリヒトの神聖力は底上げされ、神殿で生活をする神官たちの中には、彼を目にするだけで涙を流して跪く者もいる。
おそらく、リヒト・オリエス皇帝は、現在、この地上において、もっとも神に近い存在なのだ。
そんな、人物が。
悪魔相手に、真昼間から淫行に耽る。
―――――まさに、禁忌だ。
(まあ言い訳なら、いくらでもできるけどな)
できるなら、誰にも知られない方がいい。
ヒューゴは、ちらと天井へ視線を流した。
身を押し揉むように快楽に溺れ、ヒューゴの突き上げにいじめられているような泣き顔を見せるリヒトは、どこまで気付いているだろうか?
(あんなところに、覗き見と盗み聞きの仕掛けが施されてるなんてな…変質者か?)
ここはトイレである。
ヒューゴは自身がしていることは棚に上げて、そちらを睨みつけた。
結界を張った時点で、いや、そもそもリヒトがやってくる前に無効化したが、大概の者は気付かないに違いない。
行為の終わりに。
ヒューゴは、リヒトの身体を支えるように正面から抱きしめる。
そして、額に、頬に、唇に、何度もキスを落とした。
啄むようなキスを唇にされ、最中、リヒトはヒューゴの唇に噛みついた。
ちゃんとキスをすれば、リヒトを宥めるような動きに、気持ちが落ち着いてくる。
激しく抱かれるのも好みだが、甘やかすヒューゴの腕と動きがリヒトは本当に好きだった。
気付けば震える腰を抱かれ、唇を解かれ、ヒューゴが額と額を合わせてくる。
「後始末をする。またあとでな」
言われる端から、リヒトはもう次が待ち遠しかった。
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