それは踏み荒らされたくない新雪

崇期

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 新米刑事・上尻かみじり舞子まいこは、昨年、コンビを組んでいた中堅刑事・水塚みずつかとある賭けをして、負けたことがある。

 それは、張り込みの最中にたまたま目に入った歯科医院の看板にモアイ像を模したキャラクターが描かれているのを見て、「きっと、院長がモアイにそっくりなんですよ」と軽口を叩いたときだった。

 水塚が「本当にそう思うか?」と世間話にしてはめずらしく重苦しい語調で念を押してきたので、「だったら賭けましょうか?」ということになった。

 後日、水塚が歯のメンテナンスと称してわざわざその歯科医院を訪ねて、実際は似ても似つかぬカーネルおじさん似の好々爺こうこうやだったと知らせてきた。

「だったら、あのモアイは一体なんなのよ!」と憤慨した上尻。

「それが解答」と、水塚は勿体ぶって答えた。「ここ(世の中)は、そんな簡単じゃないからね」



 今、上尻がお手上げ寸前となっている事件も、そんなモアイの顔を持っていた。有名な不可解事件「ディアトロフ峠事件」に一部、似た事象があったと言われていなかったか。

 大手製薬メーカー社長令嬢との結婚を間近に控えたエリート男とその親友の男が雪山で凍死。エリートは山小屋で倒れ、親友の方は荷物と身につけていた衣服すべてを小屋に残し、五十メートルほど離れた場所で、素っ裸の状態で新雪に埋もれて死んでいた。いわゆる異常行動としてよく知られる「矛盾脱衣」(※)と思われた。それが片方の男だけに起こったのだ。

 モアイが教えてくれたように、なにもかも明快とはいかぬならば、これについても想像の範囲ではないのだと上尻は結論づけようとした。散々調査はされたが、結局なにも出てはこなかったのだ。

 二人に争った跡はなく、怪しげな薬を飲んだようでもなかった。裸体の方にも凍傷以外、傷一つなかった。

 たとえばこの社長令嬢と婚約していなかった方、つまり素っ裸の男の方も社長令嬢に恋い焦がれていたとして、二人して雪山でなにを話したのか今ではわからないし、彼の持ち物から見つかった手帳に残された不思議な詩の一文が、なにかを──彼らが雪山へ向かった動機を──表しているようにも思えたが、不可解すぎて解き明かせなかった。


「インターネットでも調べましたし、知り合いの文学少女・文学青年を思いつく限りあたって訊いてみたものの、この詩の作者を知っている者はいませんでした。これは船飼ふなかい(矛盾脱衣を起こした男)の自作かもしれません」

 上尻は遺留品を並べたテーブルの向かいにいるベテラン刑事に言った。ベテラン刑事は、それならば詩は遺書のようなものであり、船飼の自殺ではないかと思ったようだった。上尻はそれを否定する。

「自殺というか、『不条理発作』というものじゃないでしょうか」

「不条理発作?」ベテラン刑事は顔を歪める。「まあ、凍死者がなぜか脱衣しておったという過去の事例のほとんどが、極限下での生理的な現象と言われているみたいだからな。それを不条理な発作と名付けることもできなくはないか」

「『不条理発作』と『発作』は別物ですよ」上尻は遠慮がちに、でも声を強めて言う。「もちろん、文学みたいに『太陽が眩しかったから』云々などと言うと現場が混乱するでしょうけど。下手するとおもしろがられる可能性もあるし」

「君流に言えば、『モアイ的世界』かね?」賭けの話を聞き知っているベテラン刑事は軽く嗤う。


 上尻は、船飼の遺留品の手帳から手を放した。事件性がないとなると、事故として処理され、これら品々も遺族の元へ返されるだろう。

 彼の遺族はどう思うのだろう。「わからない」を呑み込む、あるいは放り投げることにするのか。わかるような仮の理由を作り上げて、忌まわしい思い出をくれる人生を憎みながら生きていくことも考えられる。自分ならそうするかもしれない、と上尻は思った。モアイとの出会いが本当にもたらしたものは、やはり頭で測ることのできない世界は心地悪いものだな、という感情だった。


 残されていた詩を憶えておきたくて、上尻は自分の手帳に書き留めておくことにした。




  誰にも踏み荒らされたくない新雪だと言えば

  解決しない寂しさだとは思えなくなるだろう










※矛盾脱衣……寒い状況であるのに脱衣するという異常行動のこと。

  

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それは踏み荒らされたくない新雪 崇期 @suuki-shu

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