調理に禅味を盛るには?

四谷軒

忠七めしの誕生、そして

 紙きの音が聞こえる。

 ここは武蔵。

 小川という町だ。

 小川和紙、という和紙で有名であり、川で紙を漉く音は、町の人々には耳慣れたものである。


 それは、ここに川面かわもを前にたたずむ忠七にとってもそれは同様で、紙漉きの音しかなければ、それは無音と同じ状況である――はずだった。


「駄目だ。どうにも紙きがうるさくっていけねぇ」


 忠七は川原の小石を蹴飛ばす。

 小石が、ぼちゃんと川に飛び込み、その瞬間だけは、紙きの音が消えた。忠七の耳から。

 だがそれは一瞬で、また世界は紙きの音だらけだ。


「ちくしょうッ」


 忠七は滅多矢鱈めったやたらに石を蹴る。

 だがそれが何の解決にならないことを知り、いや、知っていたことに気づき、川原に両手をついて、息をとさせながら、また思い出すのだ。


 ――山岡鉄舟から出された難問を。



「禅味を盛ってみよ」


「……はあ?」


 忠七は料理人である。武蔵の小京都、小川でも知られた割烹かっぽうの料理人であり、そのことを誇りに思っていた。

 そして何より忠七の自尊心をくすぐるのは、江戸、否、最近は東京というこの国の首府から、わざわざ彼の料理を食べにくる剣客がいることである。


 その剣客、山岡鉄舟。

 鉄舟は、幕府の勝海舟の江戸開城にあたっての、官軍の西郷隆盛への使者の役割をになったことで知られる。

 一触即発の危機にあった幕府と官軍の間を往還する使者を果たしたことが、鉄舟の胆力というか度胸というか、いかに腹のわった人物であることが、うかがい知れよう。


 さてその鉄舟が、父の知行である小川をたびたび訪れたのだが、その都度、忠七の作る料理を味わい、そして酒をたしなむというのが、いつの間にやら、鉄舟と忠七の「定番」となっていた。

 そして鉄舟が、ある時ふと忠七に、料理に禅味を盛れと言って来たのである。



「……参ったなぁ」


 忠七とて料理人としての沽券がある。馴染みの客ともいえる鉄舟から特にと言われたら、否やはない。

 だが、禅味といわれても、皆目見当がつかなかった。


「禅味、禅味……禅味って何だ? 禅の味ってことか? じゃあ禅って、どんな味? 禅味、禅味……」


 口ずさんでも何の解決もならない。

 それは知っている。

 だが、ついつい、口に出てしまうのだ。

 しまいには、割烹の弟子やら女中やらの視線が気になり、こうして小川の町を散策しているわけだ。


「大体、禅、と言われても困るんだよなぁ。こちとら包丁人だぜ。鉄舟先生のように剣術やっとうができるわけじゃない。剣禅一致ってわけにはいかないぜ」


 山岡鉄舟は剣、禅、そして書にまで才を見せる粋人である。

 その鉄舟自身が禅味を求道して作るのなら分かる。


「おれが今さら座禅を組んで、面壁九年めんぺききゅうねんって洒落込しゃれこむわけにもいかないし」


 忠七はため息をつく。


「鉄舟先生、月が替わったら又来るとか言ってたなぁ」


 そうすると、もう日が無い。

 どうするか。


「禅味、鉄舟先生、剣禅一致……」


 独り言のが増える。

 忠七はいつの間にか川原で紙を漉いている和紙工たちの後ろを歩いていた。

 小川の和紙は、はるか昔に高麗の渡来人が伝えたと言われる。


 あの和紙工たちに聞けば、西の果てより伝来したという仏の教え――禅についても分かるかもしれない、とらちもないことを考える。

 かぶりを振って、すぐに否定する。


「阿呆か、おれは。大体、禅についてなら、あの人たちより、まず鉄舟先生に聞くべきで……」


 その時、忠七の脳裏に凄まじい考えが


「あっ……」


 忠七は急いで割烹かっぽうへと駆け戻る。

 今の閃きを忘れないうちに。

 そして何よりも――一刻も早く、思いついた料理を作りたくてしょうがなかった。











「――それで結局、忠七はどんな料理を作ったの?」


 現代。

 中学生のさくらは、通っている中学校で催すオンラインランチ会のメニューについて、祖父に相談していた。

 そのオンラインランチ会は、さくら自身の提案で、「生徒たちが自分で作った料理」を出すことになっていた。

 そこで、さくらは同居している祖父に話を聞いていたという次第である。祖父は、過去の事績についての研究において、碩学せきがくの長老ともいうべき存在であり、その智嚢ちのうから、何か「引き立つ」料理のネタは無いかと聞かれていたのだ。


 そこで話したネタ――料理が、「忠七めし」という料理の由来であった。


「……忠七はな、ご飯の上に、ノリ、ネギ、ワサビ、ユズを散らして、カツオの出汁だしをかけたのを出したのじゃ」


 忠七は、ワサビの辛いところが剣、ノリの淡いところが禅、そしてユズの香りが書を表すと言って、山岡鉄舟に供した。

 祖父は話をつづけようとして、さくらにさえぎられる。


「えっとノリが禅という理屈……まあこれは置いといて、剣のワサビと書のユズまで表して、それのどこが味なの?」


「う~ん……」


 祖父は少し考えると、さくらに問いかけた。


「それはじゃな、忠七にとって、とは何だったのか、ということを考えるんじゃ」


「…………」


 今の挿話にヒントがあるということか、と、さくらは首をひねった。


「忠七さんの……禅……あ」


 孫娘が何か思いついたらしい。

 それが嬉しくて、祖父は顔をほころばした。


「そうか! 。だから、、というワケね」


 忠七からすれば禅といえば鉄舟自身であり、である以上、鉄舟自身――剣、禅、書それぞれの達人――を表現することが「禅味」と言えた。


「よく思いついたのう。あとは、香の物として、ヤマゴボウの味噌漬けと浜納豆をにするのじゃ」


「え」


「え、じゃあないぞ。そもそも、ノリは瀬戸内海で採れたの、ユズは小川町のユズ、そしてカツオ出汁だしのカツオは土佐沖の……と、いろいろと趣向を凝らしておる」


「えーっ!? そんなのちょっと用意できないわ! 中学生よ、鉄ちゃん……じゃない私たち」


 どうやら鉄ちゃんと呼ばれるクラスメイトに、何か料理を教えたいらしい。

 さくらのその想いが、祖父には透けて見えた。


「と、とにかく、今、親御さんが出張して、ご飯を自分で作らなきゃいけない子もいるの! その辺を……」


「それこそ、考えてみたらどうじゃの。忠七のように」


 大体、「忠七めし」は今でも忠七の割烹で供される名物料理である。それをそのまま出すのもどうかと思われる。


「それこそ……その鉄ちゃんから、忠七ならぬ、さくらの『さくらめし』なんて言われるようにのう」


「…………」


 その沈黙に、どうやらでもないらしい、祖父は感じた。


「さ、わしは研究のつづきがあるから、これでの」


「うん、ありがとう、おじいちゃん」


 思案するさくらに成功の予感を感じつつ、祖父は研究へと戻っていった。



 ……後日、オンラインランチ会のために、さくらはノリもネギもユズもスーパーで買い、出汁だし出汁だしもとで、香の物はコンビニでも買った漬物にして、を作った。


「これなら、特別なことをしなくても、みんなも作れると思うから」


 そういって微笑むさくらに、クラスメイトに――特に鉄ちゃんは惜しみない拍手を送ったという。


【了】


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