小稲荷さまの3色おいなり

「なんてことじゃ……なんてことじゃ……」


羽菜がキッチンを覗き込むと、玉藻が冷蔵庫を開け放ったままぷるぷる震えていた。


「どうかしたの? タマモ」

じゃ」

「え」

「おあげがあるのじゃ! 羽菜殿は神か!」

「神様がそれ言うの」


小さなお稲荷様は、羽菜のツッコミにお構いなく飛び跳ねて喜んでいる。きつね色の髪からは三角の耳がぴょこんと飛び出し、浴衣の裾からは尻尾まで見えている。


「決まりじゃ! 今日は祭りじゃ! いなり寿司祭りなのじゃ!」

「おー、って待って待ってタマモ。実は昨日作った筑前煮が余っちゃってて」

「む?」


玉藻は冷蔵庫の中に頭を突っ込むと、ラップをかけた椀を取り出した。


「これじゃろうか?」

「それそれ。先にそっちを食べたいな、って。おいなりさんと一緒でもいいけど」

「ふむ。美味しそうにできてるの。ごぼうに蓮根、人参、しいたけに鶏肉。……いけるじゃろう。羽菜殿、全てに任せておくのじゃ。割烹アル・モンデ、開店じゃ!」


言うが早いか、頭の上に葉っぱを載せて、くるりとトンボ返りする。と、和装キッチンスーツへと早変わりした。濃紺の作務衣さむえに筒状の帽子。腰にはぐるりと浅黄うすき色の前掛けを1周させている。


張り切ってシンク前の台に飛び乗ると、おあげをざるの中に並べ、上からお湯を注ぎ始めた。


「油切りじゃ。おあげはそのままだと油っぽすぎるのでこうするのじゃ」


おあげを軽く絞ってお湯を切り、半分に切り分ける。雪平鍋に花びらのように綺麗に並べ、めんつゆ・水・砂糖を入れて蓋をすると弱火でことこと煮始めた。


「おあげさんを時はめんつゆが楽ちんなのじゃ。さ、この間に酢飯じゃ」


秤の上にボウルを載せてスイッチを入れ、お茶碗2杯分のご飯を投入する。目盛りは300g。


「お酢はご飯の10%くらい入れるのじゃ。と、言うことは、合わせ酢を30gじゃな。えーとお酢を大匙2、砂糖を小さじ1と1/2、塩を小さじ1/2より気持ち多めくらいでいいかの。ちょっと多いけど、まあいいのじゃ」


玉藻は3つの調味料をボウルの中に入れ、しゃもじでさっくり切りながら混ぜ合わせる。うむ、と頷くと、鍋の中のおあげをひっくり返し、火を止めた。


「酢飯もOK。煮しめもOK。さて! 筑前煮じゃ。羽菜殿、筑前煮を細かく刻むのじゃ」

「筑前煮を?」

「うむ。あまり細かくし過ぎると、ゴボウや蓮根の食感が無くなって寂しくなるでの。そこそこの大きさでいいのじゃ」


言われた通りゴボウや蓮根、人参、鶏肉を小さく刻む。玉藻は酢飯の一部を茶碗にとりわけ、刻んだ材料と混ぜ合わせた。


「え、酢飯に筑前煮混ぜるんだ」

「うむ。五目いなりじゃ! 根菜類はお酢にも合うのじゃ」


混ぜ終わったところで、鍋から煮しめたおあげを取り出し、軽く絞る。そして袋状になるよう広げると、そこに酢飯を詰め込み始めた。


普通の酢飯を入れたものは、俵状になるようにくるんと丸く巻く。


混ぜ飯の方は巻いて閉じない。詰めたご飯が見えるよう、丸太状におあげを膨らませて詰め、詰め終わったら、ごま油を垂らし、白ごまを振る。


「わー! できた! おいなりさんだ。……ってタマモ? 何してるの」

「フフフ。もう1種類作っているのじゃ」


タマモは、煮しめていない、というよりも、油抜きすらしていないおあげに普通の白飯を詰め、その上からお酢をかけただけのいなり寿司を作った。それを先の2つと一緒に並べ、盛り付けた。


「完成じゃ! お稲荷様特製、3種類のいなり寿司じゃ」

「やったー」


お皿の上には3種類のいなり寿司が並んでいる。1つ目は、煮しめたお揚げで酢飯を包んだ俵型のおいなり。2つ目は、煮しめたおあげで混ぜご飯を包んだ丸太型の五目いなり。そして3つ目は、薄きいろのお揚げの中に酢飯が入っているだけの白いおいなり。色や形の異なる3つのおいなりが並んでいるのは、見た目に華やかだ。確かに、の風情がある。


2人はぱちんと手を合わせた


「「いただきまーす」」


羽菜は五目いなりを手に取った。口に入れると、ふわっとごま油の香りが鼻に抜ける。噛みしめると、じわりと出汁を出すおあげの後に、やわらかな酢飯。そして、パリっと噛み応えのある根菜類。フワフワでシャキシャキで、噛んで楽しい。


ごぼうや蓮根も、元・筑前煮だったとは思えないほどお酢に合う。そして、ごま油。香りはもちろん良いが、味の方でも全体を繋ぎ、違和感なくひとつのお寿司としてバランスを取っている。


「おいしーこれ。いなり寿司に筑前煮って、いけるんだね」

「うむ! おいなりさんは懐が深いのじゃ。なんでもいけるのじゃ。野菜が余ったらピクルスにして小さく刻んだまぜご飯にして、ピクルスおいなりでも成立するのじゃ」

「へー」


続いて、羽菜は俵のおいなりに手を伸ばした。煮しめたおあげと酢飯が口の中でほどけ、酸っぱくて、甘くて、しょっぱくて、おいしい。を気にせず、指に付いたおあげの油をぺろりと舐める。これもおいしい。おいなりの王道だ。


そして、最後のひとつ、白いおいなりへと手を伸ばした。油抜きをしていないおあげは、べたっとしている。噛んでみるものの、味はほとんどしない。やがて酢飯と言うか、酢をかけたご飯に辿り着くと、申し訳程度のすっぱさが顔を出す。甘さもしょっぱさもなく、酸っぱいだけ。羽菜は思わず首を傾げた。


「タマモ、これ、あんま味しなくない?」

「うむ。しないのじゃ。でも、儂はこのおいなりさんが一番好きなのじゃ」

「これが?」


玉藻は糸のように目を細めて頷く。


「ふふ。やはり覚えておらぬようじゃの。このおいなりさんはの、羽菜殿が儂に作ってくれた味なのじゃ」

「え、私がタマモに?」

「うむ。初めて羽菜殿が儂の神社に来た時の事じゃ、そうとう酔っ払っておったんじゃろな。フラフラしながらお賽銭を投げ込んで鈴を鳴らすと、パンパンと手を叩いて『好きになりたい!』と言ったのじゃ」


羽菜にはまるで覚えが無かった。が、ムチャクチャ飲んだ日がある事は覚えている。そう言えば、始めて玉藻が家に来たのは、その翌日だったかもしれない。


「なんじゃ? と思ってきつねの姿のまま話を聞いていると、『好きになりたい! 料理とか! いろいろ!』と言うなり、ぺこりと1礼して帰ろうとしたのじゃ。そこで儂は願い事を聞き届けようと颯爽と羽菜殿の前に現れたのじゃ! ……が、なにせお腹がペコペコでフラフラでの。恥ずかしい話じゃが、そのままぱたりと倒れてしまったのじゃ」

「ええ、大丈夫だったの?」

「うむ。羽菜殿が助けてくれたのじゃ。きつね姿の儂を抱えて一目散ににきて、冷蔵庫からおあげを出して、ご飯を詰めて、お酢をかけて出してくれたのじゃ」


おぼろげながら、記憶にある。確か急に倒れた子ぎつねを見てびっくりして連れ帰り、何か食べさせねばと思ったのだ。だが、きつねが食べるものって何? あぶらあげ? おいなりさん? と考え、冷蔵庫に残っていた油揚げを思い出したはいいものの、いなり寿司の作り方など知らない。目の前では、子ぎつねがくったりとして小さく呼吸を繰り返している。


とにかく早くせねば。いなり寿司というくらいだから、酢飯が入ってるんだろうと考えて、おあげにご飯を詰めて酢をかけた。をえいやと子ぎつねに差し出す。


子ぎつねはひくひくと鼻をうごめかせ、少し顔をあげた。そして、が置いてある事に気づくと、ぷるぷると震えながらひと口齧った。


「食べ……た?」


気のせいだろうか、子ぎつねはに齧りついた瞬間、怪訝そうに首を傾げたように見えた。が、すぐにもうひと口齧りついた。そしてもうひと口。その速度はだんだん上がっていく。遂には貪るようにして、を全て平らげた。


「ああ、あの時の……」

「うむ。思い出してくれたかの。だから儂は、このおいなりさんが一番好きなのじゃ。儂にとって特別の、羽菜殿が作ってくれたおいなりさんが」


玉藻は白いおいなりをぱくりと頬張ると、糸のように目を細めた。


「おいしいんだ。これが」


羽菜ももうひと口白いいなりを頬張る。あいかわらず、微妙だ。だがしかし、その微妙さは、どことなく先ほどとは違うように感じた。


「『おいしい』にはそういうところがあるのじゃ。単に味がどうこうだけじゃなく、誰と食べただとか、どんなときに食べただとか。境遇というか、シチュエーションというか、そう、物語が。その物語ストーリーがが、誰かにとっての最高の調味料になるのじゃ」


羽菜は食べかけの白いお稲荷を見つめる。


「これが、ね。……美味しいって、料理って、面白いね。好きになれそう」


羽菜がそう呟いた時だった。突然、玉藻の体がふわっと光る。髪の毛や耳、そしてしっぽは重力を無視するかのようにゆらゆらと揺れ始める。少年は蒼く光を放つ大きな瞳で、羽菜を真っ直ぐ見つめた。


「え、何々? どうしたのタマモ」

「大願成就、なのじゃ。やっと願いを叶えてあげられたのじゃ」

「それって、あの日私が言った……」

「うむ。これでやっと恩を返せたのじゃ。羽菜殿、本当にありがとう。羽菜殿は儂の命の恩人なのじゃ」

「タマモ、そんなこと無いよ。私こそありがとう」


小さな神様はどことなく寂し気に微笑む。


「おいしい物語をありがとう。儂の作ったなんでもないに、名前を付けてくれてありがとう。恩返しをするだけのつもりが、羽菜殿が名前を、物語を作ってくれたおかげで、あのまかないたちも、儂にとって大切なものになったのじゃ。もう、儂がいなくても羽菜殿は大丈夫なのじゃ」

「まさかタマモ、もううちには来ないの? 待って! まだまだ教えてもらいたい事があるから! いかないで!」


羽菜は涙目になって玉藻の肩に手を置く。玉藻はゆっくりと目を細めて羽菜の手の上に手を重ねた。


「うむ。行かないのじゃ」

「え」

「羽菜殿が料理を好きになったのはいいが、どうせまた食材を余らせるのじゃ。そしたらまた儂がまかないを作るのじゃ! 料理は楽しめるし食べるものも助かって一石二鳥なのじゃ」

「今、完全に消える流れだったじゃん」

「む? そうじゃろか? でも、いていいんじゃろ?」

「いいけど」


少年は腰に手を当て呵々と笑った。相変わらず所作が爺くさい。


「そうじゃ。名前じゃ。羽菜殿、今回のまかないの名前は何にするのじゃ」

「えー、じゃあ、アル・モンデ特製、小稲荷さまの3色おいなり祭り。で」

「うむ!」


こうして羽菜と玉藻のおいしい生活は、今しばらくは続くことになったのでした。ひとまずは、めでたしめでたし。


##


「ところで羽菜殿、なんで料理とか好きになりたかったんじゃ」

「え、しっかり料理できるようになりたくて」

「若いのに感心なのじゃ」

「あと、モテたくて」

「下心にも真っ直ぐすぎなのじゃ」

「偉い人も『男を捕まえるならまず胃袋をつかめ』って言ってるし」

「なんと」

「あと『料理上手は愛され上手』って」

「それは偉い人の言葉でなく、森高千里殿の歌の歌詞じゃ。名曲なのじゃ」

「えー?」


―おしまい―

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こぎつね食堂アル・モンデ 吉岡梅 @uomasa

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