閑話――【王太子リオンの視点】
俺の名はリオン・C・ボイジャ。
このボイジャ王国の王太子だ。
母上は側妃であったが、長男であるという理由で俺が王太子と定まった。
俺が生まれる半年前に正妃は子を産んでいたが、女児な上に常にぼんやりしている覇気のない子供だったのも大きい。
思えば、物心ついてから、ずっと苛立ちを感じていた。
周囲にいる人間の軽薄さに、愚かさに……特に、女という生き物の醜悪さには嫌悪を感じていた。
悪趣味にその身を飾り立て、猫なで声で擦り寄り、中身のない話を並べた挙句に、男をコントロールして養分を吸い取ろうとする様は、タチの悪い魔物と何が違うのか。
やがて、母上や一族の者が送り込む、少女達を次第に疎ましく感じ、不機嫌に追い払う事が日常茶飯事となった。
「お前は、この国の王となる身なのですよ。王太子妃を早めに定め、我が陣営を万全に整える必要があるのです!」
母上は野心家ではあるが、家柄と地盤の弱さを補おうと必死であったが、それならば、尚の事あの女どもが役に立つとは到底思えなかった。
その内容を穏便な言葉で包んで伝えると、母上は深い溜息を吐いた。
「勿論、有能さを基準にした王太子妃の選定も進んでおります。しかし、それとは別に其方は女性に慣れるべきです。今のその態度では社交でも外交でも問題がありすぎです」
俺の家庭教師は母上のこうした最初から全てに完璧を求めるような教育に対し「子供に求めるには厳しすぎる」と勇敢にも提言してくれたが、彼女は聞き入れようとはしなかった。
□
『子供会』なる催しも、初めはつまらない公式行事と思っていた。
目の前を通り過ぎる着飾った貴族の女ども。
どれも、判で押したような、張り付いた笑顔の無個性な人形ばかりだ。
母上に、婚約者候補なる令嬢を紹介されるも、他とそう大差ない。
婚約者候補の筆頭は公爵令嬢のイザベラ。
母上の本家筋に当たる家柄の令嬢で彼女の一押しだ。
正直、俺の嫌いな貴族の女そのものを体現しており、わざとらしい媚びた振る舞いには嫌悪感しかない。
二人目は辺境伯令嬢のケイトリン。
子供ながら、鍛えられた身体で知性を感じる力強い緑の瞳の赤毛の少女だ。
比較的マトモに話が通じる分、他の女よりマシであったが、どうにも、こちらを見下しているような気配を感じる。
庶民のみならず貴族にも人気がある少女だが、全くもって生意気で気に入らない。
三人目は侯爵令嬢のナンシー。
色白で結い上げた長い青髪の他より早熟で大人びた風貌の持ち主だが、何を考えているのか分からない不気味さがある。
俺に対する応対は無礼にならない程度の最小限に留めているのは別にいいが、俺よりも腹違いの姉である王女クリスティーンと親密に接しているのが忌々しい。
ただ、彼女は父上のお気に入りの令嬢でもあるので、無下にもできない。
俺は適当に話を切り上げて、その場を離れ、会場を巡回した。
まとわりつこうとする令嬢達を強引に追い払い、いつものように側近候補である、侯爵令息ハリーと騎士団長の子息ジョージと、会場を練り歩いた。
貴族の子供が人形だとすると、それ以外の子供は躾がなっていない野獣だ。
しかし、貴族の上部だけの社交にウンザリしていた俺にはむしろ好ましく感じる。
少なくとも、その剥き出しの野生には何の虚偽も含まれてはいない。
ふと、テーブルの一つに目をやると、身分の低そうな少年が隣のメガネの少女の菓子を奪って食べていた。
俺は内心で、その下賤さを蔑む一方で密かに溜飲を下げた。
『そうだ、女の物など、いくらでも奪ってもいいのだ』
そうでもしなければ、彼女らは無限に奪っていく。
俺の富を、力を、時間を……。
メガネの少女の顔が涙で歪みかけているのを見て、俺の心は黒い愉悦に満たされようとした……が、
「あ!あの!!私の、一つあげるよ!!」
隣に座っていた、少女が不意にそう言い、彼女の皿に自分の菓子を置く。
そこにいたのは今まで見た事がないタイプの少女だった。
「良く考えたら、二つは多いかなーって」
翡翠のような髪を二つに纏めた、赤い瞳の少女。
「それに、こんな素敵なお菓子だもの。みんなで楽しく食べた方が美味しいよね!」
輝きに満ちた微笑みに、俺の胸は撃ち抜かれた。
その出で立ちも華美ではないがデザインが良く、機能的な上に、彼女の可憐さを存分に引き出していた。
彼女の笑顔で、自分の中で凝り固まっていた黒い情念が溶けていく。
「お声をかけてはどうですか?殿下」
お供のハリーは俺の視線が彼女に釘付けになっているのに目ざとく気付いて、そう提案する。
「あ、いや……それは……」
俺は激しく動揺し、顔が赤らむのを感じた。
ハリーはニヤリ、と意地悪く笑う。
「殿下の気が引けるようでしたら、私が声を掛けてお呼びしましょうか?」
それを聞いて、俺は冗談じゃない!と思った。
ハリーは俺と同い歳なのに、妙に早熟で、女の子に積極的に口説いては周囲に侍らしている。
コイツにだけは先を越されたくない。
俺は意を決して、彼女に声を掛けようとした……
□
「ふぇっ……ふぇぇぇぇぇーーん!!!」
彼女が泣きながら駆け出した後ろ姿を見て、自分が決定的に間違えた事を悟った。
……そうだ……今まで、自分から女の子に話しかけたことなんてなかった……。
俺は反射的に彼女を追いかけるが、とても足が速く、結局追いつけなかった。
□
「殿下も、なんだって、いきなり怒鳴るんですか……相手はどう見ても箱入り娘ですよ」
息も絶え絶えのハリーは遠慮なく苦言を呈した。
ジョージは地面に大の字になってバテている。
「今まで女の子なんて怒鳴って追い払うものだと思い込んでいたから……つい……」
「ついじゃありませんよ!もう……やっと殿下にも、初恋チャンスかと思ったのに」
「いやー、大したもんだなぁ〜あの子。俺たちより足が速い上に、追っ手を振り切って完全に逃げ切るなんてさぁ!」
ジョージは頭だけ上げてそう言った。
「感心してる場合じゃないでしょ……それにしても、あの娘誰なんだろうか……今まで見たことないけど……?」
社交家の家柄で目ぼしい貴族の顔を大体覚えているハリーが知らないとなると、貴族ではないのだろうか……。
「でも、所作や服の仕立てを見るに、庶民とは思えませんねー。どこかの領地で隠されていたか、もしくは外国育ちの子でしょうか?」
外国……と聞いて、俺の胸の内に不安の種が脈動した。
今まで、本や教師の知識としてしか理解してなかった事柄が、具体的な事象となって俺の前に立ち塞がる。
俺は不安を振りほどくように首を振り、あてもなく地面に目をやると、何かが光を反射したのに気がつく。
手にとって見ると、落ちていたのは、あの少女が身につけていた髪飾りだった。
□
この事は周囲で見ていた子供を通じて大人達の間で噂になった。
後日、俺と母上は父上に呼ばれ、機密性の高い個室で会談する。
母上は、俺が初めて同年代の少女に興味を持った事を喜び、国王である父上に彼女を召しかかえるよう勧めたが、父上はこれを却下した。
「イシュタール家から正式に抗議文が来た。そのような要望は到底受け入れられないだろう」
「何故ですか。相手はこの王国の貴族でしょう?なんの権利があって王家に物申すなどと身勝手なことを……」
母上が不服そうに詰め寄ると、父上は俺たちを睨みつけた。
「イシュタールの娘には手を出すな。あの一族と王家が交わることは許されていない」
この言葉に、俺と母上は絶句した。
俺が知る限り、王国の最高権力者である父上にここまで言わせる存在は、帝国皇帝と聖教皇の二人だけだ。
この二名の意に反した者は確実に破滅する。その事は歴史が物語っている。
「それに、彼女アリス・イシュタールは帝国の第五皇子との婚約が決定した」
俺の初恋はその一言で無残に砕け散った。
「諦めるのだ、リオン。たとえ王族であっても、我々は人の子に過ぎない。実際、手に入らないモノの方が多いのが現実だ……」
俺は、父上の実感に満ちた言葉を、素直に受け入れる事は出来なかった。
いつか、王となる自分が此処一番の勝負に、始まる前に負けていたと、認める訳にはいかないのだ。
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