家族の肖像

「いや実際、アリスは可愛いだろ。何が恥ずかしいんだ?」

 兄チャールズは真顔でそう言った。


 私は駆けつけた兄に説明を求められ、毟り取られた扉を傍らに置いたクローゼットを横目で見つつ、有りのまま話した。


 もっとも、前世がどうのとかは言えるはずもない。

 私はこの世界のことをまだ何も知らないのだ。


「自分で自分の事を可愛い〜と、口に出して言うのはどうかと思うのですが……」

「事実の指摘を恥ずかしがってどうする。アリスは可愛い……いや、あまりにも可愛すぎる。大体、その新しい髪型は可愛さが過剰で限界を突破している。従来の髪型が“百可愛い”とすると、新型は“百万可愛い”くらいの威力だ。戦略兵器並みの危険性がある」


 “可愛い”が殺傷能力が伴った単位になっている件……。

 にしても、ちょっと大げさじゃないですかねぇ?

 うちの兄様、まさかシスコンなのでは……?


「でしょー!でしょー!この髪型は私、メイ・ドジスン会心の一撃です!どんな殿方だってイチコロですよ!」

 私が兄に疑惑の目を向ける一方で、メイは興奮気味にはしゃいでいる。

「それはダメだ!アリスは大事な大事な我がイシュタール一族の宝だ!他所の男の目に触れるなんてトンデモない!!」


 兄のチャールズは普段は寡黙な少年で、私とは二つ歳が離れている。

 将来は士官になるのが夢なのか、日頃から体力作りと剣の修行に明け暮れている脳筋キャラだ。

 通常、親との会話ですら必要最小限の受け答えしかしないが、何故か私の事となると妙に饒舌になった。

 妹の私のことを大事にしてくれているのは有難いが、将来の進路に何らかの影響……障害になりそうな一抹の不安がある……主に婚活方面で。



「お父様」

「ん?どうかしたのかい?アリス」


 私はリビングで寛いでいる父に話しかける。

 アリスの父ルイスは文官系貴族風の三十代男性で、銀髪と緑目で鼻眼鏡を装着した穏やかそうな雰囲気だ。


「お父様は普段どんなお仕事をなさっているのですか?」

「おおー。お父さんの仕事に興味あるのかい?」

「はい。知っておきたいです」

 

 私がもじもじしながら尋ねると、父はニッコリ微笑んで、私の両脇を抱きかかえ、膝に置いた。

 色々考えた結果、せめて父親の表の仕事くらいは聞いておこうと思ったのだ。

 ……裏稼業は知らん。


「お父さんはねー、お星様がいつ、どこにあるのかを観測して記録するお仕事をしてるんだよ」

「お星様は動いているのですか?」


 私はこの世界のことを何も知らない。

 もしも、ゲームの世界であったならば、物理法則もへったくれもないのだ。


「そうだよ。星は太陽や月と同じように夜空を旅をしているんだ。そして、星の位置を観測した記録を利用して正確な暦や地図を作成するんだよ」

「ふーん」


 どうやら、“天文方”なる仕事は前世のそれと大差ないようだ。

 説明を聞く限り、星占いとか魔法だのといったスピリチュアルな要素はなさそう。


 父は私が仕事に興味を抱いたことに気を良くして、屋敷の敷地内にある小型の天文台で天体観測を疑似体験させてくれたりした。


「ほーら、あそこにあるのがユキギツネ座で、その尻尾の先にある明るい星が北限星だよー」

「うわぁ」


 無邪気に星の世界の話をする父が後ろ暗い仕事をしているようには見えない。

 やはり、私は“うさぎちゃん”ではないのだろうか……。


 母は幼い子供の夜更かしに苦言を呈ししつつも、暖かい飲み物を差し入れて一緒に体験し、私としては幼年期の楽しい思い出の一つとなった。



 しかし、子供を装いつつ大人たちから、この世界についての情報を聞き出すのは想像以上に至難の業であった。


 ならば、自力で調べるしかあるまいと考え、屋敷にある書庫で棚を眺めるが……。


「……読めん」


 私はこの世界の文字が読めない……まぁ、幼女だから仕方ないんだけどさぁ……転生チートとかないのかなー?


 試しに一冊手に取って開いてみるが、見たことがない文字が並べられているだけで、さっぱり理解できない。

 でも、字が読めないことには始まらないんだよね……。

 なので、私は母に相談した。



「あらあら〜。うちのアリスちゃんったら、可愛い上にお利口さんなのねぇ」


 母キャロラインは緑髪の気品溢れる、おっとりした貴族女性で、私を軽々と抱きかかえて頬ずりする。


「そうねぇ……すこぉし、早いけどぉ、家庭教師に来てもらおうかしらぁ〜」

「早かったですか?」

「うーん。普通は七歳くらいかなー。遅いところだと十歳って家もあるけどぉ。学園に行くことを考えたら早い方がいいかもねぇ」


 ……学園。

 やっぱりそういうのがあるんだ……。


「行かないといけないのですか……?」

「ああ〜ん、ずっと先の話よぉ〜。今はまだウチの可愛い可愛い天使ちゃん!ふふふ」



 こうして、母方の親戚であるジョアンナという人が住み込みの家庭教師としてイシュタール家にやってきた。


 彼女は私に、この世界での標準的な初等教育と礼儀作法……いわゆる令嬢教育を施した。


「さすが、名門イシュタール家のお嬢様ですね。大変筋が良いです」

 私が一日も早く本が読みたいあまりに、学習意欲に満ち溢れつつ勉強に取り組んでいる様を見て褒めてくれた。

「ただ、勉学への情熱をほんの少しでも礼儀作法やダンスにも分けて欲しいのですが……」

 彼女は苦笑するが……すまん……マジで興味ないんだ……私は情報が欲しいだけなんだ。

「まぁ、社交活動に興味がないのも含めてイシュタール家の血筋でしょうけど……惜しいですわねぇ……」

 先生はトオイメで溜息を吐く。


 私は半年でこの世界の標準語であるコモン語の読み書きを習得し、ようやく知りたかった情報、世界情勢と歴史、それに一般常識を知るスタート地点に立つことが出来た。


 ジョアンナ先生の授業は私が十歳になるまで続き、その後も彼女は側仕えとして、このイシュタール家で働くようになる。



 回り道しつつも、何とか自力で調査が可能になり、ジョアンナ先生の授業と家の蔵書から得た知識から、一般教養の範囲での世界の有り様を知ることが出来た。


 結論からいうと、この世界はスタータイドの舞台に極めて酷似している。

 少なくとも、ゲームに登場するのと同じ名前の国や地名は存在していた。


 私が住んでいる、この国の名前はボイジャ王国。

 六百年の歴史を持つ王家で、この大陸の中では大国の一つとして名を馳せている。

 かつては大陸の半分を支配していたが、二百五十年前に起こった世界大戦の結果、帝国に敗北して領土を失い、以後従属国として安定した政治で平穏を保っている。

 そして、長い歴史を持つ国として様々な有形無形の財を持つ。

 特にゲームの舞台ともなる、セレスティアル学園は大陸中から才能ある若者が集まるエリート校として有名だ。


 帝国とは、この大陸で最も大きく、絶大な力を持つパイオニア帝国のことで、このボイジャ王国の宗主国だ。

 一千年の歴史を持ち、先に発生した世界大戦の覇者で、今尚、圧倒的な軍事力と経済力で従属国をまとめ上げている。

 ジョアンナ先生もこの帝国の出身らしい。


 この帝国に劣らない影響力を及ぼしている国、それがホライズンズ聖教国。

 帝国は主に軍事と経済で大陸を牛耳っているが、聖教国は最も多くの信徒を抱えるメシア教の総本山で、主に信仰の力によって大陸に住む人間を精神的な側面から支配してきた。

 その頂点である聖教皇には帝国ですら表立って逆らうことが出来ない。

 何故なら、聖教皇は王族の任命権を有しており、過去、意に沿わない多くの権力者を“破門宣告”によって没落させてきた。

 その老獪な政治力は現在でも健在で、たとえどの国であろうと、聖教皇の意向を無視することはできない状態だ。


 この大陸には、これら大国と呼ばれる国の他にも数多くの小国がある。

 ほとんどの国は、帝国と聖教国という二つの権威に従っているが、少数派ながら例外も存在していている。


 近年勢力を増しているバイキング連邦議会国が、その筆頭だろう。

 連邦は大陸の辺境に位置している複数の種族からなる議会制の新しい大国だ。

 辺境には亜人や獣人が多く住んでいて、彼らは長年の間、人間達から劣った種族と見做され差別の対象となっていたが、百年前に英雄王ギルバートが北方の小国群を連邦として纏め上げ統一する。

 彼は斬新なアイデアで、数々の技術革命を起こし、連邦は破竹の勢いで発展している。

 さらに、一部の地域とはいえ、民主主義を取り入れている上に、魔術と科学による工業化や、重商政策を打ち出している点で、この英雄王には内政チートの気配を感じる……本人もしくは関係者が転生者の可能性はアリか……。


 そして、最後の大国が、大陸の東の海に浮かぶ島国、ハヤブサ公国だ。

 この国は二千年の長い歴史を持つ国で、他国との関わりを最小限にしている永世中立国として有名だ。

 事実上鎖国状態なので、公国の実情は神秘のヴェールに包まれ謎の国となっている。


 ……私が家の書庫で調べた範囲では以上のような世界情勢だった。

 ゲームの世界ではただの固有名詞に過ぎなかった国名だけど、実際に住んでいる世界の歴史を知ることによって、それは生きている実体を伴った名前として私の中に刻まれた。



 そして、ゲームの舞台となるセレスティアル学園だが、その歴史は何と王国より古い。

 伝説では、学園を設立したのはボイジャ王朝の前身であるマリナー王朝の賢王ナサニエルと伝えられている。


 王国では爵位を賜っている貴族の令嬢子息の中で優秀な者は、十五、六歳になったら入学する。


 この学園での成績次第で、その後の進路選択の幅が変わるので、この国の貴族は非常に教育熱心だ。

 また、大陸でも有数の名門校なので、他国からの留学生も数多く存在している。

 それと、平民でもOB貴族の推薦と寄付金があれば、特待生として入学可能で、実の子息が学問に秀でていない貴族が、領地内の将来有望な若者を送り込んでくるケースも多い。

 学園は王国から強い自治権を賜っていて、その運営は独立志向の実力至上主義で、極めて自由な校風だ。

 私が知っているゲーム中のセレスティアル学園のイメージと同じだ。


「……やっぱり、ゲームと同じ学園は存在するんだなぁ……」


 お茶の時間での母とジョアンナ先生の会話を聞く限り、私がそこに通う可能性は高いようだが……今の時点ではちょっと現実味がない。


 ゲームの中の学園にアリス・イシュタールという女の子はプレイヤー目線では存在しなかったし、自分が隠しキャラの“うさぎちゃん”と見た目以外、同一人物だとも思えない。


 この世界がゲームと同じ舞台である可能性は非常に高いが……

 現実もそれと同じストーリーをなぞるのだとしたら……


 私は一体何者なのだろうか……?



 未来に漠然とした不安がある一方で、一少女としてのアリスの幼年期は優しい世界だった。


 家族と使用人には大事に愛され、穏やかな時間の中で、すくすくと成長していった。


 しかし、


 私が十歳になった時、変化が訪れる。


 それは、アリスの人生においての重要なイベントでもあり、この世界の大きな流れに自分が関わることになる切っ掛けでもあった。


 アリスは、運命の人と出会う。

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