婚約者という存在

 攻略対象の一人、王太子リオンは俺様系高スペック人間だが、非常に我儘で傲慢なキャラだ。


 正直好きなキャラじゃない。


 ゲームプレイ中も、「なんでコイツいつもイライラしてんの?カルシウム摂れよ」としか思えなかった。

 ストーリーが展開すると、彼には彼の生き辛い事情がある、とは判明するが……客観的に見ると部外者には単なる八つ当たりである。


 到底許せる事ではない。


 そんな面倒臭いキャラに、アリスは今、泣かされて宮殿の広い庭を追いかけ回されてる。


「うわぁぁああぁぁぁーーん!!!」

「逃げるなーー!!待てーーー!!こらーーーー!!!」

「だから、女の子にそういう乱暴なのはダメなんですってばーー!!」

「あの子、足はえーなー!!すげーー!!」


 私は少年三人に追いかけられて全力で庭を走っている。

 前方に建物の角が見えたので、追っ手を振り切ろうと、建物の物陰に潜り込む形で九十度に曲がった。


 その直後、誰かが私の腕を掴んで、近くにあった茂みに引きずり込む。

 叫び声をあげそうになったが、その誰かが優しく抱きかかえるように私の口を押さえた。


「――しっ……静かに……」


 口に人差し指を当て、見知らぬ人は耳元で囁いた。


 追ってきた少年たちは茂みを素通りして、遠ざかっていった。


「もう大丈夫だよ」


 見知らぬ人がそう言って拘束を解き放ち、私は安堵の息を吐いた。


「彼らが戻ってくるかもしれないから、今のうちに避難しよう」

 見知らぬ人は初めて見る同年代らしき少年で、私の手を引いて、庭園の外れにある離宮のような場所に案内してくれた。


「ここは……?」

 私が尋ねると、彼は柔らかく微笑んだ。

「ここは、僕が滞在している仮住まいだ。王族でも許可がなければ入れない場所だから、安心してゆっくり休んで」

 落ち着いて良く見ると、彼は、腰まで届く長い銀髪に赤い瞳の美少年で、見るからに只者ではないオーラが漂っている……しかし、ゲーム内で、こんな人物見たことがない……誰だろうか……?


「助けてくれて有難うございます……あの……」

「僕はバーナード。使いを出して君の家族に迎えに来てもらおう。君の名前は?」

 この宮殿の子供会には家族の同伴で来たが、今は他の保護者達と共に別の会場でパーティ中の筈だ。


「アリスです……アリス・イシュタール」


 私が名乗ると、彼はハッとした表情で、ジッとこちらを見つめる。


「……そうか」


 彼は呟く。


「そうか……君はイシュタールなのか……そうだったのか……!」


 彼は噛みしめるように何度も頷き、私へ向ける目は、最初どこか虚ろだったのが、次第に輝きを増し、その赤い瞳の奥に星が煌めくのを幻視した。


 これが、私と彼の出会いだった。



 その後、連絡を受けた家族が大慌てで離宮に駆け込み、私の無事を確認するまで大変だった。

 特に事情を聞いた兄チャールズが、王太子を殴りに行こうとするのを私達は必死に宥めた。


「王家には後で厳重に抗議しておくから、ここは落ち着いて」

「そうよぉ〜、今回は完全に向こうが悪いんだからぁ〜。ここで付け入る隙を与えちゃダメよぉ〜」

「くそっ!あのイキリ王子が!今度会ったらタダじゃ済まさん!いつか消す!」

 家族の物言いが不敬罪に問われないかとドキドキする。


「初めまして、イシュタール家のみなさん」

 バーナードはそう挨拶した。

「貴方がバーナード様ですか……お話は……伺っております」

 普段は飄々としている父の受け答えが緊張気味な所をみると、やんごとなきお方なのだろうか。


 それから、私たちはすぐに宮殿を後にして、帰宅した。

 しかし、何故か謎の少年バーナードもウチに用があると言って同行を願い出て、それを両親は特に深い理由も聞かずに許諾した。



 帰宅した両親とバーナードは、応接間に行き、三人だけで長い時間話し合った。


「アリス」


 話し合いを終えたバーナードは庭で寛いでいた私に歩み寄り、その場で跪いた。


「僕の名は、バーナード・G・R・パイオニア。パイオニア帝国皇帝の第五皇子だ」


 ……只者ではないとは思っていたが、予想以上の大物で、大いにビビる。


「どうか、僕と婚約して欲しい。生涯、君を守る役割を担いたい……」


 いや、何で……?

 なぜ、ボイジャ王国のしょっぱい貴族のウチに、帝国の皇子が……?


「あらー、そこは別に気にしなくていいのよぉ〜、貴方のお祖母様も帝国の皇女だったのよぉ〜」

「えっ……?」


 初耳なんですけど!

 ……そういえば、世界情勢を調べるのに、いっぱいいっぱいで、家系図は確認してなかったな……。


 両親の顔を見ると複雑な表情でこちらを見ている。

「結婚に関しては、アリスの意思を尊重したいが……王太子の件もある。バーナード様との縁組は決して悪い話ではない。しかし……」

「全てはアリスちゃんの気持ち次第よぉ〜」


 私はバーナードへと向き合った。


 彼は真剣な眼差しで私を見つめる。


「僕は無理強いはしない。でも、君が望むならば、世界の全てを敵に回してもいい。どうか僕を将来の花婿候補に加えて欲しい」

「どうして……私なんですか……?」


 確かにアリスは可愛い少女だが……彼ほどの少年がそこまで入れ込む程だとは思えない。


「僕は、現皇帝の息子ではあるが、後ろ盾のない庶子に過ぎない……やがては皇室を出て行く身だ。このイシュタール家に婿として受け入れて貰えれば、僕にとっても助かるんだ。それに……」

 彼は私の目を見て、手を差し出し言った。

「君と会って……君がイシュタールの娘と知って、自分の使命を……僕は君に出会うために生まれてきたと、そう確信したんだ」


  ――ドクン――


 アリスの心臓は音を立てて高鳴る。


 彼の瞳の奥では無数の星が潮となって煌めいている。


 私は……いや、アリスは……この少年、バーナードに恋をした。


 私は彼の手を取り、その申し出を受け入れた。



 前世の事はあまり覚えていない。


 ゲームに関することは、細かいところまで鮮明に覚えているが、それ以外のことは……前世での自分の名前すら思い出せない。

 ただ、日常生活の感触だけが残滓のように残っている。


 家族との食事時の感じとか、満員電車で退屈している時の感じとか、職場で忙しく働いている感じとか……別の世界で生きて来たという思い出はヴェールに包まれ曖昧な“感じ”のまま漂っている。


 時折、キーワードに抵触することで、前世の知識が不意にポップアップすることはあるが……私はそれを活用して、この世界で何かしようとは思わなかった。


 現在、私は家族に愛され大事にされているが……本当に愛されているのはアリスという名の少女であって“私”という別世界からの異物では、ない。


 そして、“私”もアリスを愛していた。


 だから、彼女の……アリスの人生の物語を捻じ曲げたくはなかった。


 アリスがバーナードに恋をしたのなら、“私”はそれを応援したい……。


 そんな事を考えながら、夜空の星を眺めていた私は、寝支度をしようと鏡を見て、ハッとする。


 あの特徴的な髪飾り――ツインテールを纏めている、月と星を組み合わせたアクセサリー。


 私は昼間、追いかけられたどさくさで、その一つ落としてしまったようだ。


「そういえば……うさぎちゃんの立ち絵では片方しか髪飾りを付けてなかったっけ……」


 私は鏡を見つめたまま、しばらく固まった。


「私……やっぱり、うさぎちゃんなの……?」



 バーナードはその後、私の家の敷地内、母屋近くにある空き家だった離れに三人の側仕え共々引っ越してきた。

 両親は本邸の客室を提供するつもりだったが、兄チャールズが猛反対したのと、本人が広い方が良いと言ったのだ。


 そして、今、運命の手によって巡り合わせた少年と少女は離れの庭園で向かい合って座っている。


「俺は完全に認めた訳じゃない!」

 チャールズは案の定、不服そうだ。

「これはあくまでも、クソ王子対策の暫定処置だ!」

「例え、仮にでもアリスの婚約者と認めていただいた恩は忘れませんよ。義兄上」

「まだ、正式に殿下をアリスの相手と認めていない!俺を義兄と呼ばないでください!!」

 眉間に深い皺が刻まれた兄は穏やかな笑みを浮かべる母に力ずくで引きずられ母屋に帰っていった。

「おほほほほ〜、ごゆっくり〜〜」


 私は兄の無作法を詫びた。

「別に構わないよ。気持ちは良く分かるし……アリスみたいな特別可愛い妹がいたら、男なら誰だって、ああなるよ」

 アリスの頬が赤くなるのを感じた。

 家族以外から可愛いと言われるのはまだ、慣れていない。


「アリス」


 彼は真剣な顔で私を見据える。


「僕たちは運命共同体だ。君のためなら、世界を敵にしても戦うってのは嘘じゃない。だから……」

 彼は微笑みを浮かべる。

「疑問や、悩みがあるなら、なんでも相談してほしいな……何があっても、僕は君の味方だからね」


 私は彼が何を言いたいのか、分からず首をかしげた。

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