予言の書

 アリス・イシュタールは十三歳になった。


 幼かった少女は、輝く美少女へと成長して、鏡の中の私はますます“うさぎちゃん”に近づいている……。


 しかし、今の時点で、私と彼女を繋ぐ接点はどこにもなかった。

 ……ここから、何が起きたら、私が不思議ちゃんになるんだよ……。


 それに、正直な所、“教授”の授業はどう考えても大学ユニバーシティレベルの教育で、今更、高校ハイスクール相当のセレスティアル学園に行く必要はないのではないか……そんな思いは年々強まっている。

 ……私たちって、良く付いていけてるな……地球だったら、まだ小学生なのに。


 そして、ついに、謎の一端が、明らかになる日がやってきた。



 私は朝食後に父に呼ばれ、書斎に招かれる。

 そこには父と、先に招かれていたバーナードが待っていた。


「よく来たね、アリス。その辺に座ってくれ」


 窓際に立った硬い雰囲気の父に私は知らずに緊張しつつ、ソファに腰掛けた。


「今日は、アリスにイシュタール家の使命について、知るべきことを伝えよう」

「使命?」

 父は頷いた。

「我らイシュタールの一族には先祖代々……世界の秩序を保つ為に課せられた大事な役割を担っている……」


「……その前に、君に聞いておきたい事がある」


 バーナードは父の言葉を遮って、私に問いかけた。


「アリス、君は秘密を隠しているんじゃないかな?まだ、僕たちに打ち明けていない秘密を……」


 私はドキッとした。


「えっ……?」

「……君は“記憶”を持っているのではないか?この世界のモノではない別の“記憶”を」

 彼の赤い澄んだ瞳は私の心の底まで見通すように私を見つめる。

 私は言葉に詰まり……どう反応していいのか分からなくなった。


「あの……その……私……」


「アリス、これは君を咎めているのではないんだ。寧ろ、これまで隠し通した、その慎重さは大変賢明な判断だ」

 バーナードの言葉に父も頷く。

「そうだよ。それに、たとえ別の“記憶”を持っていようと、アリスはアリス、可愛い私達の娘だ。だから、どうか我々を信じてほしい」


 二人の思いやりに満ちた眼差しに、アリスは胸が一杯になった。




 私は六歳の時に前世の記憶を思いだした事を二人に打ち明けた。


「そうだった……あの頃から急に大人びたんだっけ……」

 父は感慨深げに、溜息混じりに呟いた。

 ああ、やっぱり、分かるよね。親だもんね。


「僕は以前のアリスを知らないので、怪しいとは思ったが、確信は持てなかった。なので、教授に来てもらったんだ。あの人は転生者判定のスペシャリストでもあるから」

 バーナードはそう言った。


 どうやら、あのディベートの授業は英才教育だけではなく、思考プロセスによる前世判定も兼ていたらしい。


「話を戻すと、イシュタール家は数世代毎に帝国皇族と縁組し、王国の貴族王族との社交は最低限に留めている為に存在自体を知らない者も多い。知っている者も、我が一族を王国における帝国の配下――監視役と看做している者が殆どだ」

「違うのですか?」

 私もそう思っていた。

「それは表向きの……いや、一般人の為に用意した、分かりやすい裏の顔だ」

「……実態は違うと?」

「イシュタール伯爵、ここからは僕が説明しよう」

 バーナードは私に向かい合った。




「アリス、君のように別の“記憶”を持つ者、“転生者”は決して珍しい存在ではないんだ。この世界の有史以前より、彼らは不定期に世界に現れては大小様々な影響を与えてきた」

 この事は予想通りだ。

 歴史や世界情勢を見ても転生者が私以外にいないとは思えない。

「そして、そうした者の中に、この世界が“ゲーム”という種類の物語に酷似していると主張する者が度々現れた」

 スタータイドはインディーズ発としては異例の大ヒット作品で、家庭用ゲーム機にも移植されたので、一般ユーザーの認知度は高かった。

「彼らの証言に基づき纏めた物語を記した書物は全六十四巻となり、隠された書庫にて厳重に管理されている……これを僕らは『予言の書』と呼んでいる」

「ろ、ろくじゅう???」

 えー??確かに濃いゲームだったけど、流石にそこまでのボリュームは無かった筈……どういうこと??

「先ほどの話を聞く限り、君の知る『スタータイド』の物語は、予言の書の中盤……恐らく最初に語られた物語にして転生者達が“無印”と呼ぶソレだろう」


 そう、あのゲームは大ヒットしたのだった……。

 そりゃー、続編も出るよね……。


「これまで『スタータイド』は、この世界の異なる時代を舞台にした“正史”と呼ばれる六つの物語と“外伝”と呼ばれる十五の掌編、それに“パラレル”と呼ばれる三つの物語が確認されている」


 いやぁー、続編出しすぎなんじゃあないですかねー?

 開発元がインディーズから企業に転身したのか、ライセンスを大手に売買したのかなー?


「僕はこの予言の書の内容を全て暗記している」


 ……お、おう……それはすごい。


 ……ん??……あれ?……ということは……???


「じゃあ、私のことを最初から……」

「あの子供会で見かけた時に、君が“うさぎちゃん”だと、一目で分かったよ」


 そ、そうだったんだ……じゃあ、私と婚約したのも……。


「それは少し違う。あの日僕が子供会に行ったのは、『予言の書』に出てくる登場人物の現状確認が主な目的で、君との接触は予期せぬ出来事だった」


 バーナードは私の隣に腰を下ろす。


「“うさぎちゃん”は長い間、謎の人物として研究者の間でも、その正体を巡って数多くの仮説が立てられてきた。それくらい未知の、神秘的な存在だったんだ」


 虚空を眺めていた彼は不意にこちらを見た。


「だから僕は君が至極普通の……人並みな少女であったことに、最初は驚いた……しかし、君がイシュタールの娘と知り、疑問は解消した。それならば……彼女の言動は概ねだが理解の範疇にある」


 ……私はまだ、何も分からない……。


「結局イシュタールとは何なのですか?」


「イシュタール家とは、『予言の書』に基づき、世界の秩序を保つ秘密組織『リーブラ機関』の命により、様々な任務を担っている一族だ」


「リーブラ機関……?」

「そう。聖教会と帝国を始めとした大陸の主だった組織の上層部とも連携している独立機関だ。イシュタール家はこの組織の管轄下で、予言の書と現実に起きている事との相違の調査と、転生者が前世の知識を悪用して、この世界の秩序を乱す企みを事前に阻止する役目を担っている」


 私は無意識に父の顔を見るが、真剣な表情でこちらを見つめていた。


 ……どうやらマジな話のようだ。

 ウチの家がそんな陰謀論に出てきそうな組織に属していたとは……。


「予言の書の内容を知っている人間はどれだけいるのですか?」

「予言の書は存在自体が秘匿されている上に機関によって厳重に保守管理されている。全ての内容を知っているのは組織でも一握りの人員だけだ。それ以外では、帝国皇帝と聖教皇の二名のみだろう。一般に公開していい内容ではない」


 確かに、ゲームの設定やシナリオを知識として、ある程度知っていれば、良い事にも悪い事にも利用できる。

 投機によって暴利を貪る事も、不都合な要人を暗殺する事も可能だろう……。


「それを踏まえて、改めて君に問いたい……君は転生者の一人として、この世界で、どう生きて行く事を望むのか?」




 ……この質問って、あからさまな踏み絵だよねー。

 迂闊な返答をすると、最悪生死に関わるペナルティを科せられそう……。

 まぁ、この流れなら問題なさそうなので、今現在の素直な心情を述べることにした。


「私は……今のままで、十分幸せです……出来る事なら、このまま平和な時代が続けば良いと思ってます。無闇に世界を混乱はさせたくはないです」


 この言葉に、父は安堵の息を吐いた。しかし……。


「アリス、以前僕が言った、君の為なら世界を敵にしてもいい、ってのは本気なんだけど……無理して我慢しなくてもいいんだよ?」


 バーナードはニコニコしながら不穏な事を口走っている。

 気のせいか、目がマジだ。


「いやいや、本心ですっ。別に忖度してません!チートとか無双とか、どうでもいいです!!」

 大体、現時点では前世の記憶ってゲーム関連の事に限られてるし……時折何かの連想みたいな感じでランダムに思い出すことはあるけど……チートに利用出来そうなことなんて、都合よく思い出せないよ。


 私が必死になって答えると、彼は愉快そうに、クククと笑いを噛み殺した。

「殿下……あんまりうちの娘を揶揄わないでください……」

 父は頭痛を堪えるように苦言を零す。

「僕は本気だよ」

「いや、本当に勘弁してください……異端審問官だって、まだ活動してるんですよ」

「えっ……?」

 今、極めてヤバそうな単語を聞いたような気がする……。

「はぁー……全く面白くないね。あの過去の遺物レガシー集団は」


「異端……って、何ですか?確か異教徒狩りは二百年前に廃れましたよね?」

 この世界の歴史で、二百年前に暴走した狂信的な聖教徒達による異端者や異教徒の処刑祭りで多くの国が荒れたらしい。

 歴史書に書かれた概要によると、地球での魔女狩りとほぼ同等のイベントだったようだが……。

「あの事件を裏から糸を引いていたのが、異端審問会と呼ばれる聖教皇直轄の組織だ。当時は転生者の当たり年だったようでね。大量に発生した彼らを異端として私刑に追い込むよう民衆を扇動したらしい」

「む、昔の話ですよね……?」

「組織自体はずっと存続中だ。表立って活動してないだけで、裏では調子付いた無知な転生者を内密に狩っている。実に陰湿な連中だよ」

 うわー。怖い……そういうのがいるんだ……大人しくしてて良かった……。


「近年、転生者が関わっている可能性が非常に高い連邦議会国が国力を高めているのに脅威に感じ、転生者自体を危険視する権力者は少なくない。警戒しすぎるくらいが、ちょうどいいさ……前世の記憶を秘匿したアリスの判断は正しいよ」

 父はシリアスな表情で私を心配そうに見つめる。


 連邦議会国については、気になる存在だったので、以前資料を調べたことがある。


 辺境は帝国や聖教国から遠方にあることもあり、その威光が十分に届かず、主な住民である亜人や獣人への種族差別も加味して、長い年月、存在そのものが蔑まれてきた地域だった。


 それだけに今現在の連邦の飛躍っぷりは目を見張るものがあり、長年の理不尽な抑圧から解放され、飛ぶ鳥を落とす破竹の勢いで爆進中だ。

 そして、その発展の影響で連邦に地理的に近い地域の小国において民権運動で揺らいでいる政権も少なくない。

 その余波はこの王国にも届いており、バーンの兄も民権運動に入れ込み、家庭内での諍いの原因ともなっているそうだ。


「下らない。その程度の世の動きで揺らぐ王家なら、いっそ民主化した方がマシだ」

 優れた資質を持っていながら、庶子として幼い頃から日陰に潜む事を強要されてきたバーナードの既得権益への目線は冷ややかだ。


「それに、今までの辺境への扱いを考えたら、現状は当然の帰結でもある。帝国にしろ聖教会にしろ、辺境の救済に関しては、もっと早い段階で手を打って何とかするべきだった」

「結局、本拠地とその周辺以外はどうでもいいって王族ばかりですからねぇ……」


 バーナードと父にしてみたら、連邦議会国の出現は歴史の必然も同様だったようだ。




 私の脳は、本日初めて知った怒涛の情報によってパンク寸前で、この後、知恵熱を出して少し寝込んだ。


 結果、新事実を自分なりに消化するのに、しばらくかかってしまった。



 このようにして……私の子供時代は終わりを迎えた。


 教授の授業は継続して行われ、その内容はより専門的かつ実戦的な物へと推移した。


 それに加えて“実技”に関する講習も加わり……それは私の知る、俗に“パワーレベリング”と呼ばれるものだった。


 イシュタール家や帝国が極秘に管理しているダンジョンやフィールドで、数々の謎のマジックアイテムを用いて効率的に経験値を稼ぎ、私のレベルを限界まで引き上げた。

 この手法を彼らは“イシュタール式訓練”と呼称する。


 訓練は二年間続き、私が十五歳になる頃には、リーブラ機関の一員としての任務に就ける能力は身についた。


 後は、上層部からの指令を待つだけだったが……。


 私の運命……セレスティアル学園への道は、意外な所から開かれることとなる。

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