子供時代

 離れの一室にて、私は婚約者バーナードの隣に座っている。


「なるほど。オフィーリアは自殺ではなく、他殺であると……その解釈は興味深いな」

「ええ、その方が悲劇性がより一層高まるのでは、と……」


 議論に熱中する途中、私は彼の顔が徐々に近づいているのに気がつき、言葉が途切れる。

 星が煌めく赤い瞳に吸い込まれ……かけた。


 私とバーナードの見つめ合いを遮るように、極太レーザーのような眼光が二人を引き裂く。


「近い――!!」


 いつの間にか、兄チャールズは向かい合う私たちの肩を掴み、その距離を無理やり引き離した。


「おはようございます、お兄様」

 私は苦笑しつつも挨拶する。

 やはり……彼はアリスの恋路の障害となる、という私の予想は当たっていた。


「居られたんですか、義兄上。おはようございます」

 バーナードは穏やかに微笑む。


「まだ、義兄じゃない!殿下ともあろうものが……仮の婚約者とはいえ、妹とは節度を持って接して頂きたい!」

 チャールズがムッとしながら苦言を呈する様を見て、アリーナとバーンの二人はクスクス笑っている。



 子供会での一件から起きた大きな変化。


 一つは帝国の第五皇子バーナードとの婚約だが、もう一つ、私にとって大事な変化……。

 それは、引きこもり気味の箱入り娘だった私に初めての友人が出来た事。


 あの子供会にて、テーブルで隣り合ったメガネの少女アリーことアリーナ・ダール子爵令嬢と、ソバカスの少年バーンことバーネット・グレイルだ。


 事件から一ヶ月後、イシュタール家にアリーナからの手紙が届いたのをきっかけに我が家に招き、二人は友達になった。


 彼女は私の安否を心配して、知人を通じて調べたところ、バーンの兄とチャールズが師事している剣の師匠が同じという縁でイシュタール家に辿り着く。

 あの事件は参加者の口伝で面白おかしく加工されて噂話になった上に、兄はリオン王子と王家への不満を親しい友人達に零していたようだ。



「大丈夫だった?あれからずっと心配してたの!」


 他人行儀な挨拶はそこそこにして、イシュタール家に訪れた二人との再会を共に喜んだ。

 私たちは庭に設けられた茶会の席でお互いの事を語り合った。


 アリーナはダール子爵家の令嬢で、バーンはグレイル商会の三男だという。


 ダール子爵家はオービット侯爵家の分家で、領地こそ持たないが、優秀な高官や事業家を多く輩出する名家で知られている。


 グレイル家は平民の商家だが、長い間ダール子爵家と提携して多くの事業や交易を成し遂げてきた。


 アリーナとバーンは小さな頃から家族ぐるみの交流してきた幼馴染で、非常に親しい関係のようだ。


 二人が住んでいるのは、イシュタール家と隣接する領地の都市で、日帰りで往復出来る距離だった。


「元はと言えば、俺のせいです……申し訳ありませんでした」

 元気なイタズラ小僧という印象のバーンは、借りてきた猫のような大人しさで、私に頭を下げて謝罪する。


「あー、私の方こそ、大騒ぎして迷惑かけたよね……ごめんなさい。私、人がたくさん集まる催しって初めてだったから……少し混乱しちゃって」

 私も、立場の弱い庶民の少年を王族がらみのトラブルに巻き込んでしまったことを申し訳なく思い謝罪した。


「謝らなくっていいよー。バーンにはいい薬だから!それに、人前で初対面の淑女レディを、いきなり怒鳴りつけた上に追いかけ回すなんて!あの王子ってば最低ー!誰だってビックリして身の危険を感じるわよー」


 アリーナは思いやりがありつつも利発な性格のようで、私はすぐに彼女が好きになった。


 でも……王家に対して、ハッキリ物申す態度は不敬罪に問われないかな?大丈夫?と、少し心配になった。


「あの……あなた達、王家から何か、言われなかった……?」

 私がおずおずと尋ねると、二人は頷いた。

「ダール家に問い合わせが来たみたいで、親にあなたのことを聞かれたわ。でも、その時が初対面で何も知らなかったし……というか、名前すら聞けなかったのよ、私!」

「ウチも同じだったな。でもしばらくすると問い合わせの件自体が無しになって、それっきりだ」

「そうそう!」

 多分、私がバーナードと婚約した事が王家にも通達されたのだろうな。

 いかに王家であっても、宗主国の皇室がらみの縁組には干渉できないでしょうね。



 その後、私たちは、すぐに打ち解けて、頻繁にお互いの家を訪れて、年相応の子供らしい遊びに興じた。


 あの子供会で、自分の脆弱さを痛感した私は意識して体を動かすように努め、兄たちから初歩の護身術も習い、大人しい箱入り娘は、瞬く間に血色の良い健康的な少女に成長した。


 これで、再び同じ事が起きても、無様に逃げ出すなんて事にはならない……はず……。


「いや、身の危険を感じたら、すぐに逃げるんだ。いいね?」

「僕が守るから大丈夫だよ、アリス……」

「殿下のお手を煩わせるまでもありませんっっ――!!」

 睨みつける兄と微笑むバーナードとのやりとりに、つい、笑ってしまう。


 アリーナとは本の趣味も合い、会うと何時間でも語り合える心の友となった。

 バーンはバーナードや兄チャールズと剣や体術を競い合い、彼らは逞しい若者へと成長を遂げる。


 その訓練風景を見学するに、力ではチャールズが勝り、技ではバーナードが巧みで、戦術の組み立てはバーンが優れていた。

 私がアリーナと親交を深める一方で、男子勢もそれぞれ固い友情を築き上げていた。



 ジョアンナ先生による初等教育は私が十歳になった年に終わった。


 そして、その年の半ばに、バーナードが住む離れに一人の老紳士が訪れる。

 マーシャル・ミリオンという人物で、バーナードは彼を“教授”と呼んでいた。


 私は、バーナードと共に彼の指導で高等教育を受けるようになり、やがて、その授業には、ジョアンナ先生と、アリーナ、バーンも加わるようになる。


 教授は帝国でも高名な魔術工学の学位を持つ博士で、ジョアンナ先生は、私たちよりも熱意を持って前のめりに授業に臨んでいた。


「魔術とは過去から継承する知識のみでは成立せず、実際の運用には常に思考を重ね、現在の社会情勢を踏まえた世界の変化に対して柔軟に適応する必要があります」


 教授の授業は、受け身で参加することを良しとしない厳しい内容だ。


「では、今日の議題は『民主制』としましょう。命題『国民投票による民主制は人類にとって最も優れた政治体制であり、全ての君主制は直ちに移行するべきである』バーナード君、君はこの意見に賛成の立場で意見を述べたまえ」


 バーナードは教授の指名から間髪置かずに話し始める。


「はい、古来より、優れた王の資質の一つとして“民意の反映”という要素があり、民衆の知恵は支配者の思惑を上回る事も少なくはありません。しかし、残念な事に権力者が人間である以上、彼らが自身の私利私欲を国の発展よりも重要視することは良くあることです。民主制はこうした彼らの堕落に対して民衆による直接的な戒めになりえます……」


 彼が淀みなく堂々と意見を言ったのをみるに、これは普段から思考に思考を重ねているから出来ることなのだろう。


「ふむ。実に模範的な回答だ。教科書に載せたい程にね」


 しかし、教授のコメントにはやや毒が含まれていて、それを汲み取ったバーナードは苦笑する。

 要は想定の範囲内の意見で、面白くないってことだよね。

 教授の採点って、厳しい……。


「では、バーン。今の彼の発言に対する反論を反対派の立場から述べてほしい」

「うぇっ……!」

 直前まで眠そうにぼんやりしていた所を、急に指名されたバーンは一瞬たじろぐが、すぐに姿勢を整え、必死に考えている。


「それは……それは……えーと、物事を表面的にしか捉えていない理想論でしょう」


 彼は口を動かしながらも、懸命に頭の中で論を組み立てようと冷や汗を流す。


「確かに、民主制には多くの利点があります。しかし、同時に多くの欠点も存在しており、それが国家に対して致命的な破滅をも引き起こすことは自明です。具体的には、拝金主義の横行と諸外国からの干渉が挙げられます。国家の運営は百年の計でもって臨まねば立ち行かない事が多く、目先の利益でこれを妨げるような事態は避けるべきです。そうでなければ、文化や伝統といった掛け替えのない財産はあっという間に廃れてしまいます。さらに有事の際に……」


 教授の意図としては、それぞれの立ち位置の反対の意見を述べさせる事で、各自の見識の深さを問うのが目的なのだろう。

 バーンの兄が民権運動に力を入れているのを事前情報として知っているのだと思う。

 ……ただ、私が見る限り、彼自身はノンポリなんだけどねー。

 なーんも考えてないっていうか……まだ幼いから社会的な問題はピンと来ないんだろうな。


 私たちが議論を一通り終えると、教授は満足げに頷き、私たちに語りかける。


「このような社会的な問題には明確で普遍的な『正解』というモノが存在しません。しかし、だからといって、社会の中で生きている以上、こうした問題に対する議論を避けて通ることは出来ないのです。ましてや、君たちのような未来の知識人ならば尚更です。これらの問題に対し、魔術という長い年月で培ってきた叡智の結晶をどのように用いるのか、その事は決して思考停止せず、常に考えを巡らせて最善を模索するべきです。では、今回の議論に関するまとめを各自レポートとして後日提出するように」


 こうした議論は、授業の合間に頻繁に行われ、私たちは『人体実験の功罪』『奴隷制の是非』『種族差別は妥当か?』などについて盛んに討論した。



 この時期の私は、よく遊び、よく学び、子供らしい楽しい日々を存分に満喫していた。


 教授の授業は私たちの年齢を考えると、非常にハイレベルで、次々に出される課題に対して私たちは、時に競い合い、時に協力して、切磋琢磨しつつ乗り越えた。


 でも、そんな楽しいだけの子供時代に、やがて終わりが訪れる。


 私が十三歳になった年に、父からイシュタール家の秘密について知らされることとなった。


 それによって、今まで自分が捉えていた世界観が大きく変化する。

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