二択の果て『病死』――――『投げ槍』のデーモン

 曇り空、石畳の小高い丘の上。


「ここで、最後か」


 チップのデーモンは沈黙したままだ。エシュは肩をすくめて周囲を見渡す。見渡して感じたのは、第一に、臭いだった。

 腐臭。

 大量の死の臭い。

 背後の教会からの臭いが、より強い。丘の下の大都市に立ち上る煙の数々もロクなものではないだろう。しかし、それよりも酷い惨状が目前にあった。


「……………………」


 広場。

 乱立する木の柱に、根元には薪。まるで処刑場のようだった。縛り吊されている人影は顔が潰されていたが、すべて女性のシルエットだ。取り巻く群衆からの罵声が遅れて耳につく。晒された肌の斑点に、エシュは真実に思い至った。


やまい、か)


 薪に火が点いた。

 腐臭に、肉が焼ける臭いが加わる。エシュは自分の選択を想起していた。病魔蔓延る世界。残虐な処刑も黙って見ているだけだった。選択には責任が伴う。ここで手を出すことは、この惨状になんらかの責任を負わなければならない。


「だから、俺が負うべきは――――」


 エシュは空を見上げた。黒く濁った曇り空に、異形が映える。罵声が歓声に変わった。


「お前を討伐して二択迷宮を踏破する。それが、俺が請け負った依頼だ」


 緑色の鱗まみれな肌、カエルのような顔、ぎょろりと蠢く一つ目。

 二本の足、長くて関節の多い六本の腕、指は三本。

 真ん中の指はカギになっていて、骨のような材質の槍が引っかかっている。


「よお、。自己紹介は必要か?」

「そうだな。俺はエシュ、副業で傭兵をやっている」

「ははん? 随分俗っぽいのが来たな。オイラは『投げ槍』のデーモン。に病魔をばらまく、悪魔のような悪魔さ!」


 くひひ、と異形の悪魔は笑った。

 エシュは右手に鋼鉄の棍、左手に錫杖を構える。


「あらま、お仕事熱心なのね。オイラは遊びに力を入れたい派だな。


 投げ槍、そう名乗ったとおり。群衆どもが蠢く広場にそのまま投げ落とす。


「――――しッ!」


 エシュの口から鋭い吐息が漏れた。右腕の筋肉に酸素が送り込まれ、肘を曲げたまま鋼鉄の棍を勢い良く振り上げる。轟音を奏でる一振りは寸分違わず投げ槍の穂先を撃ち抜いていた。


「うおッ!?」


 投擲の姿勢のまま悪魔が仰け反った。その手には、投げ落としたはずの槍が握られている。


「……なーいす、ばってぃーんぐ」

「べーすぼーる、という遊びだったかな?」


 打ち返された槍は穂先がぐちゃぐちゃになってもう使えない。悪魔は槍をに捨てると、自分の両乳首を引っ張った。すると、さっきと同じような骨の槍が引きずり出される。


「んん~~~? どれくらい守れるかなー?」

「守る?」


 投擲、二本。エシュの踏み込みに大地が揺れた。無造作に投げ落とされた槍を直線上に捉える位置へ。移動の勢いのまま打ち返した槍が悪魔の両手に収まる。悪魔が笑うのと同時。


「邪魔だ」


 エシュは鋼鉄根を大きく振り回した。凄まじい衝撃波が広場を襲い、焼けた女ともども群衆が薙ぎ倒される。

 戦場に立つのは戦士だけでいい。

 悪魔は一つ目を回す。そこには、死者はいなかった。絶妙に加減された一撃が、女たちの炎を鎮火し、暴れる群衆も動けなくなるだけの傷を負わされただけだった。


「んな奴ら助ける意味あるの?」

。俺の依頼はお前を討伐して二択迷宮を踏破することだ」

「おいおい、同類! さっきの選択をオイラは知ってんだぜ? あれだけ見捨てて今さらさあ!」

「二択迷宮には選択が必要だ。だから選択した。そこにどんな疑問がある?」


 悪魔は首を傾げたまま笑った。


「同類……どんくらい殺した?」

「たくさん、さ」

「そーかい。じゃ、そろそろ遊びは終わろうかねぃ」

「分かった。次は当てていいんだな」


 返事は槍で来た。エシュが打ち返した槍を、次撃が潰す。さらに二本の投擲。タイミングをずらされたエシュは一本だけ打ち返すと鋼鉄根を手放した。身を開き、槍を右手で掴み取る。


「ぬぅ!!」


 そして、投げた。

 その投擲速度は悪魔のソレを凌駕していた。片腕が消し飛んで悪魔が墜落する。悪魔は墜落しながら新たな槍を引き抜いた。突き出される凶刃を、エシュは錫杖で受ける。その持ち手にヒビが入った。


「脆い」


 エシュは握力に任せて錫杖を砕く。そして、再び上空に飛び上がろうとした悪魔に錫杖の破片を投げつけた。全身に刺さる破片のダメージは、悪魔にとっては微々たるものだろう。だが、完全に不意を突かれた悪魔の動きが止まる。その数秒は、傭兵を前にしては致命的だ。


「戦場は、理不尽なものだ。理解を待てば死に至る」


 エシュには空を飛ぶ手段が無い。だから、飛び上がってさえしまえば悪魔の絶対優位は揺るがない。しかし、そのチャンスはもう逃した。戦士エシュに潰された。いつの間にか持ち上げていた鋼鉄棍の射程から逃れる時間は、もう無い。


「運命の交叉路に至れ」


 呼吸。踏み込み。筋肉の膨張。指先のコントロール。

 そのどれもが噛み合った一撃だった。鋼鉄棍の投擲が悪魔の土手っ腹に命中し、突き抜けるでもなく悪魔の全身に衝撃を通す。

 結果、『投げ槍』のデーモンが爆散した。


「悪魔、か⋯⋯⋯⋯これで死んだか?」


 拾い上げた鋼鉄棍で肉片を一つ一つ潰していく。戦士としての勘が戦闘の終わりを感じていたが、未知の脅威に油断は廃さなければならない。全ての肉片を液状にするまですり潰したエシュが、大きく鋼鉄棍を振り上げる。


「⋯⋯⋯⋯そこまでせんでも、もう死んどるよ」


 見かねたチップのデーモンが声を上げた。


「そうか。これで依頼達成で間違いないか?」

「せやね。おめっとさん」


 チップのデーモンが金色に発光する。チップがぐるぐる回転して、円形のドアになった。エシュは裏側を覗き込む。


「いや、そっちから開かんよ?」

「そうか」


 言って、エシュは鋼鉄棍を肩に担ぎながらドアを開けた。潜る直前に、チップのデーモンの声が聞こえた。


「兄ちゃんには、とてつもなく大きな選択が迫られる日が来る気がするんよ。てか、そういう輩にしかこの二択迷宮は姿を見せへん。悪魔デーモンはいつも人の選択を見てるで。

 だから、その時は⋯⋯どんなおもろい選択を――――⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

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