第六問『物量』

 真っ白の部屋。机が一つ。その上にはペンとインク壺、それと一枚の書類。


「人体実験許可」


 エシュは書類のタイトルを読み上げた。仰々しいタイトルに一瞬目を潜め、本文に視線を移す。要約すると、『どこか知らない世界で生きている人を用いてとある病気の治療方法を見つけるために少数民族で実験することを許可する』というものだった。


「⋯⋯最後のサインが抜けているな」

「せやね。サインは兄ちゃんがしてや」

「何故?」


 言いながら気付いて、エシュは肩をすくめた。チップのデーモンもその様子で察したか、何も言わなかった。

 二択迷宮。エシュは今、選択を迫られているのだ。


「サインすればどうなる? サインしないとどうなる?」

「サインしたなら、実験は即時開始。少数民族は良くて半減、最悪絶滅するな。せやけど病気そのもんは根絶されて、その十倍以上の人々が助かるんやで。

 逆にサインしなかったら病気は広って、下手をすりゃ人類そのものが絶滅するかも、な」


 多数のために少数を切り捨てられるか。これはそういう選択だった。

 エシュは即座に書類を破り捨てる。


「⋯⋯理由、聞いてもええか?」


 エシュはそう切り出す。


「この二択迷宮を突破することだった。相応の報酬も約束されている。件の少数民族とやらからは特に依頼は受けていない。。俺がその責を負ってやる理由はない。その病気とやらが脅威なのは、適当なのであろう?」

「せやかて、たくさん死ぬんよ? 兄ちゃんの家族も犠牲になるかもしれへんやん」

「俺の家族が? 病死?」


 ようやくウケたダジャレのように、エシュの声色に喜色が乗った。人心の機微に聡いデーモンはこちらの方面で攻めるのをやめた。その代わり。


「なんでや!? たくさん死ぬんやで? 兄ちゃんはそれを救えるんやで? ヒーローになろうや! なにを躊躇うことあるん!?」


 今までの依頼主に合わせた愛想笑いとは違う。心からの、冗談にウケたような笑いだった。


「ヒーロー? そんなものは、俺と対極に位置する輩だよ」


 今度こそチップのデーモンは沈黙した。この男は、自分の行動の指針を持っており、それが絶対であると本気で信じている。言葉による誘惑には決してなびかない。

 迷宮踏破の願い事は、あくまでも依頼達成の報酬のみだった。それ以上に彼の関心を惹けるものは、悪魔には持ち合わせていないのだ。


「さあ、運命の交叉路に至ろうか」


 エシュは最後の戦場に転送される。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る