第2話 Bパート
いつの時代も進級時に課題とされるのは、友人づくりであろう。一見ニヒルに構えている者でさえ、心の根底では薔薇色のスクールライフを夢見ているに違いない。
かく言う美波もその一人であった。いくら感情の起伏が少なくなったとは言え、そこはやはり乙女である。サッカー部の先輩や、同じ学年の秀才に恋をしてみたり、はたまたイケメンの教師に思いを馳せてみたり……。
決して高望みはしない。せめて友人の一人くらいでも作れれば、美波はよかった。だから、美波は常にウェルカムな状態でいたのだが、それもスタートラインで躓いていた。元凶はこのひと。
「それでさ。……がさ、……で、……だったのよ。おかしいでしょ」
美波が登校してきて、間も置かずやって来た彩香。幼なじみを思ってのことだから、美波も無下にはできない。かと言って親しげに話すのも、それはそれで後々角が立つ。ゆえに、どうすることもできず、肩身が狭い思いをしていた。
1年の教室に3年がいるというのは、それだけで緊張の糸が張る。ましてや、その中心ともなると、誰も近付こうと思わないのが当然の心理だ。
「ねえ、聞いてる、美波?」
「聞いてる、聞いてる」美波は惚けた。実際は八割方頭に入っていない。
「ホントかな?」察しの良い彩香は、腹を窺う。
「ホント、ホント」と、美波はさらに誤魔化すも、乗り切れるはずはなかった。
「絶対、嘘。だって、美波。私を見てたけど、心ここにあらずって感じだったもの」
ここまで言われてしまうと、言い逃れが出来ない美波。正直に白状する。
「ゴメンね。正直、聞いてなかった」
「やっぱり。酷いなぁ」拗ねた表情を見せる彩香。その一方的な批判に、さすがの美波も反論した。
「っていうか、彩香ちゃんも知ってるじゃん。私がそんなにテレビ観ないの。なのに、私にテレビ番組の話をするなんて、不毛以外の何ものでもないよ。――もしかして、彩香ちゃん。友達いないの?」
彩香は目を丸くした。そして、いかにも心外であるかのように言うのだった。
「美波は入学したてだから知らないと思うけど、私、学校の三大美女の一人なんだからね。そんな私に、友達がいないわけがないじゃない。失礼しちゃうわ」頬を膨らまし、そっぽを向く彩香。
美女であることと友達がいることとの関係性について美波は疑問であったが、本人がそう言っているのだからそれはそうなのだろうと、追求はしなかった。
「ゴメンゴメン。怒らないでよ。こんどジュース奢るから」
「私、そんな軽い女じゃないから」
「そうだよね。どれくらいだろ。――55キロぐらいかな」
体重には敏感なお年頃。言わずもがな、彩香は口を尖らす。
「はー、そんな重くないから。50キロだから」
今度は少し不快だったのか、声高に言う彩香は再びそっぽを向く。自身の容姿を言及する彩香であるから、気分を損ねるのは当然のことだ。美波は素直に反省した。
「ゴメン。怒っちゃった?」
「……」なにも言わずそっぽを向き続ける彩香。
美波も少し彩香に甘えていた部分があったかもしれない。保育園来の付き合いで、親同士も仲良し。何をするにも大抵一緒で、美波がワガママを言っても笑顔で許してくれていた。だから、今回もそうなると高を括っていた。完全に甘えが先行し、彩香が積み重ねてきた努力の結晶を、考えなしに貶してしまったのかもしれない。
美波は不安げに彩香を見つめる。それを彩香は横目に確認すると、突然吹き出すのだった。
「うっそ。驚いた?」
美波は目頭が熱くなるのを感じる。
「もう、びっくりした。心臓に悪いよ」
「ゴメンね。年長者としての威厳を示そうと思って。ちょっと、やり過ぎちゃったかな」
「ホントだよ。勘弁してよね」美波は彩香の肩を軽く小突いた。
笑って誤魔化す彩香は、不意に時計を見る。つられて美波も時計に視線を向けた。まさに本鈴直前。だから、美波も彩香が自分の教室に戻るのだと思った。しかし、実際は……。
「美波の担任って、斎藤先生だよね?」
「そうだけど」
「だよね。……遅いんじゃない?」
「だね。職員会議が長引いているのかな」
「そうかもね」フンッと息を吐き、腕に力を込めて彩香は立ち上がる。
「じゃあ、私戻るわ。もう授業始まるから」
「うん」とだけ、美波は短く答える。体を翻して、出入り口に向かう彩香。後輩からの注目を物ともせず、彼女は去って行った。
突如、美波は気配を感じる。振り向くと、そこにいたのは風間。相も変わらず、表情がない。
「おはようございます、伊藤さん」
「うん。おはよう、風間くん。どうしたの?」
「いやー、なんて言うか。昨日、あんなことを言ってしまった手前、コミュニケーションは取った方がいいのかなと思って」
ハハッ、と漏らす美波は続けた。
「そんなこと気にしなくてもいいのに。……でも、ありがとう」
昨日は見事な推理を披露した風間であったが、その“ありがとう”の意図は理解できない様子だ。
「理由はどうあれ、話しかけてくれて。上級生と親しげに話しているのは、悪ではないけど、あまり印象はよくないからね。でも、これで私が無害であることが証明された。だから、ありがとうって」
「なるほど。そういうことでしたか。すみません。自分、他人の感情には疎くて」
だろうね。言葉には出さなかったが、それに関して美波は、出会った当初から薄々勘づいていた。
風間のその出で立ちから、外見を気にしていないのは明白で。そんな彼であるから、他人からの評価も気にしないと踏んだ美波。他人からの評価を気にしない人間が、他人に興味があるはずがない。
しかし、それは、反って有り難かった。無用な気遣いや、思ってもない慰めほど煩わしいものはない。抱えている事情を知られているのなら、美波はフラットな関係を築きたかった。
「全然気にしないから大丈夫。それより昨日、お姉ちゃんの部屋からこんなの見つけたんだけど」
美波は机の中に手を入れ、用意していた物に手を掛ける。そして、まさに出そうとした瞬間、チャイムがなった。
「狙いすましたかのように……」美波は唇を噛む思いだった。
「まあまあ、仕様が無いですよ。昼休みにしましょう」
「そうだね」
美波は件の物から手を離し、隣の物に手を掛ける。次は朝のHRであるが、ついでに1限目の教材も出す算段だ。それが会話の終了を告げ、察した風間は軽く会釈する。
「では、昼休みに。……食堂で昼食を取りながらゆっくり話しましょう」
そう残し、風間は自席へと帰って行った。
美波は道中、口々に聞いた。新入生の学校に対する初見を。
彼ら、彼女らの言うことは、美波もおおむね同意である。「授業のレベルが高い」、「斎藤先生がカッコイイ」など、さまざまだ。本日、午前中の科目は数学A、現代文、英語、現代社会、理科総合Aであったが、美波も数学Aの『場合の数』というのは今一、ピンと来なかった。斎藤先生に関しても、年頃の女の子が好きそうな外見をしている。スラッと背が高く、目鼻立ちが整っているのはもちろんのこと、授業終わりに女子生徒が質問していた際の、真摯な対応には好感が持てた。
だから、道中の無言を埋めるために、美波は風間にそのようなことを言った。すると、風間は――
「それはそれは、学校生活が暇になることはなさそうですね」
「そんな呑気な……。もっと意識高く行こうよ」言葉とは裏腹に、淡々と溢す美波。
「意識高く、ですか。『場合の数』云々の話は学生の本分に沿ってるので同意しますが、斎藤教諭の話は自分には分かりません」
「風間くんは、真面目だね。年上に淡い恋心を抱く、うら若き乙女もいるんだって」
「へー、そうなんですね。勉強になりました」極めて風間は興味なさげである。
「ホントかな〜」
美波はそう思わせぶりに呟くも、無言を埋めるためだけの話題だったので、実際のところ、風間が理解しているか否かについては、さほど関心はなかった。
「……」
いよいよ話題を無くした美波。思考を巡らすも、生産性のある話題は何も思いつかない。
そんな無言の二人は、丁度、渡り廊下に差し掛かったところだった。
風に煽られ、靡く髪を美波は抑える。その右前方を歩く風間は、変わらぬ姿勢でひたすらに歩いていた。ポケットに手を突っ込み、180cm近くあると思われる身長も、猫背のせいで本領を発揮できていない。しかし、それでもその芯のブレなさに、美波は同級生とは思えぬ太々しさを感じた。
「べつに――」風間が徐に口を開く。
「他人の趣味嗜好を否定するつもりはありません。好意を抱く対象が年上だろうが、同性だろうが、自分は否定しません。だって、それはその人の勝手だから。自分が分からないと言ったのは、斎藤教諭を評価しているのが分からないと言ったんです」
「なるほどなるほど」俄然風間に興味が湧いてきた美波。親近感を込めて風間を見た。
それを不快に感じたのか、振り向いた風間の眉間には皺がある。
「何ですか?」
「何でも無い、何でも無い。気にしないで。ほら、食堂だよ」風間を宥めつつ、美波は前を向くよう促した。当然、そんな釈明が信じられない風間は、表情を変えることなく、渋々視線を戻す。
その間、常に美波の頬は緩んでいた。一見すると、取っ付き難そうな風間でも、年頃の男子程度には異性を気にしていたのだ。そう思うと、微笑ましいじゃないか。
渡り廊下も終盤に差し掛かっていた。そこの分岐点を左に折れ、そして、右に折れる。目的地は左手にあった。
前方の風間が、右に折れる。その際、明らかに顔を左方に向けた。それを見逃さなかった美波。食堂で何か起きていると、直感が働いた。
急く気持ちを抑えつつ、美波は右折する。
眼前に見えた光景に、美波は思わず駆け出す。
「ちょっと、……」
食堂の入り口に、女子生徒が倒れていた。
WICKED WOMAN SAhyogo @SA76
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