第1話 Bパート
一頻り話した彩香。「じゃあね。そろそろ教室戻るわ」と残し、踵を返した。入る時には注目を浴びていただろう彩香も、流石に帰る時は空間の一部となっている。絶妙なタイミングで机を避ける彩香は、一度もぶつかることなく出入口に到達。そして、身体を90度捻り、手を振って廊下へと消えて行った。
美波に突如と訪れた手持無沙汰。かといって、持ってきているペーパーバックを読む気にもなれず、唯々外を眺めるしかなかった。
校庭では吹き荒ぶ薫風に桜が揺れている。それを目の当たりにした美波は、今校庭に出たら嘸かし髪が乱れるんだろうななどと、くだらないことが頭を過る。だからであろう、不意の怒号に肩を揺らす羽目になったのは。
目を丸くした美波。室内を見渡すと、声の発生源がすぐ見分かった。なにせ、クラス中の注目を漏れなく浴びていたから。
生徒たちの視線の先には、長身の男子生徒が立っている。短髪で顔は整っているが、眉間の皺のせいで強面の印象を受けた。そんな彼が数名の男子生徒に睨みを利かしているのだ。これは只事ではないことは、鈍い美波にも分かる。
「お前だけなんだよ、神道。始業式に出てなかったのは」
そう怒りを露わにするのは、以外にも男子生徒Aだった。状況から判断すると、強面の神道が男子生徒に対して因縁をつけている図に見えるが、本当に現実とは小説より奇なり。思いもよらないことが起こる。
誰も強面の神道に怒号を浴びせようとは思わない。だから、おそらく神道と彼らは見知った関係なのだろう。そう美波は思うも、それもまた期待を裏切られた。
「登校早々ごあいさつだな。ところで誰だ、お前」ポカンとする一同。言われた本人も例外ではない。
一瞬、室内の時間が止まる。しかし、それを進展させるのも神道だった。
神道が何食わぬ顔で椅子を引く音に、一同の興味が手元に移る。再び、室内にカオスが広がりつつあった。かく言う美波も視線は外に向いているが、俄然興味は神道にあった。騒然とするなか、耳をそばだてる美波。
「とぼけるなよ。お前だろ。俺の金盗んだの」
「――」神道も反論をしている。しかし、喧騒にのまれ、聞き取れない。
「信用できるか。聞いているんだよ。中学時代の素行を」
「――」やはり聞こえない。
「そんな訳あるか。当事者がダチなんだよ。……なんだよ?」何やら会話の調子が変わる。
美波は興味をそそられ、視線を向けた。すると、神道、男子生徒A、B、Cにもう一人男子生徒が加わっていた。これもまた長身で矢島とは違い細身だ。髪はボサボサで猫背。その出で立ちから只者ではないことが窺える。
「見るからに神道君は、今登校してきたように見えるんですが」
「だからなんだよ」その質問は、自分は馬鹿ですの意と同義である。
この矛盾点は、鈍感な美波でも分かった。登校したての人間が、どうやってお金を盗むのか。小学生でも分かることを、恥ずかしげも無く聞く男子生徒Aを神道は嘲笑する。そんな神道をよそに、猫背の男子生徒は話を続けた。
「分かりませんか。登校して間もない人間が、この群衆のなか、どうやってお金を盗むって言うんですか」
「別に今来たとは限らないだろ。始業式中に一回教室に来て、俺の1万円を盗んでまた出て行ったんだろ」鼻を鳴らし、自信ありげな男子生徒A。しかし、その推測も間違いであることは明白だった。なぜなら――
「それは無理ですよ」諭すように猫背の男子生徒は言う。そして、続けた。
「なぜなら、始業式中この教室には鍵が掛かってたので」
ぐぬぬと言いたげな男子生徒Aは、それを悟られまいと虚勢を張った。
「じゃあ、その鍵を掛けた奴が犯人なんだよ」
「ちなみに、掛けたのは担任教師です」
「ったく、生徒の模範になるべき教師が窃盗するなんて信じられねえよ。なあ」
「「お、おう」」若干引き気味のBとC。
「ちょっと、シめてくるわ」息巻いて行動に移すA。それをすかさず猫背男子が制止する。
「やめましょうよ。見る限り、式中に体育館を出る人はいませんでしたよ」
「そんなの分からないだろ。見落としだってある」
「どうでしょう。あんな粛々とした場面でものが動けば誰でも気が向きます。それに自分は整列した場所が後ろの方でした。だから、体育館内がよく見えてましたが、体調を崩して退場する生徒はいましたが、斎藤先生に動きはありませんでした」
「ったく、じゃあ誰なんだよ。俺の金盗んだのは」癇癪を起こし、猫背男子に八つ当たりをする男子生徒A。
「そうですね――」
そう言ったきり、一点を見つめ猫背男子は停止してしまった。……傍から見ても分かる、その異様な集中力が。
そして、考え終わったのか猫背男子は視線をAへと戻した。
「君は……」
「君は止めろ。井上だ」
「はー、すみません。では、井上さんは裕福な家庭なんですか?」
「いいや。親父は一般的な会社員だし、御袋はパートだよ。それが?」
威圧する井上に、猫背男子はまったく怯まない。
「それでは、財布の中に一万円札が入っていることは稀って言う事ですね」
「そうだよ。今日帰りに洋服を買おうとお年玉を持って来てたんだ」あえて回りくどい言い方をする猫背男子に、井上は貧乏揺すりが止まらない。
「なら、答えは簡単です。井上さん、今日大金を持って来ていることを誰かに言ったんじゃないですか?」
「まあ、加藤と近藤には……」
井上は振り向き、二人を見る。
「いやっ、待てよ」そこで全てを悟る井上。
「俺とこいつらは幼稚園からのダチなんだよ」
「そんなの関係ありませんよ。あなたは好意的に思っているかもしれな。でも、相手が同じように思っいるとは限らない」
「いやいや」恐る恐る井上は振り向く。
「そんなわけ無いよな。俺達、ダチだよな。加藤、近藤」
「そんなの決まってるだろ」と即答する加藤。それに追うかたちで、近藤も同意した。しかし、何故だか近藤は驚いた表情で加藤を見ている。不審に思った猫背男子が近藤に問うたが、ヒラリと躱された。
「ほら、見ろ。勝手なこと言うじゃねえよ」そう恫喝する井上であるが、猫背男子にはまったく効いていない。
「分かりました。じゃあ、お二人とも財布を出してください」
「いいぜ」と余裕そうな加藤。それに対して、やはり近藤の方は不安げだ。
ゴソゴソとスクールバックを漁るふたり。ほぼ同じタイミングで出された二つの財布は、実に個性が出ていた。
「それでは少し拝借」猫背男子は最初に手にしたのは、蛇皮のいかにもな財布。加藤のものだった。
「んー、なるほど。ありがとうございます。ではでは――」次いで、質素な財布を手に取る。近藤のものだ。
「なるほど。分かりましたよ。井上さんのお金を取ったの」
何時しか、彼らのやり取りもはっきり聞こえるようになっている。
「近藤さん、あなたですね」
「いやいや、待ってくれよ。確かに、俺もたまたま今日財布に一万円入れてるよ。でも、だからって俺が犯人にされたらタマったもんじゃない」
「それもそうですね。それでは、近藤さん。財布に入っているお札を正確に言ってください」
「五千円札と、千円札5枚だろ」
ニヤリと口の端を上げる猫背男子。
「おしいです」と札束を器用に広げて言った。
「実際は、五千円札1枚と、千円札3枚。そして二千円札1枚です。んー、自分の財布の中身が分からない。そんなことってあるのでしょうか?」
言い淀む近藤。表情も強張り、それが犯人であることを物語っていた。
「おい、近藤。そうなのか?」
「……」口を紡ぐ近藤。
「何とか言えよ」井上は近藤に手を伸ばす。
「神道君」猫背男子の声が教室に響く。
その声に条件反射のごとく反応する神道は、瞬時に井上の間合いに入った。ともすれば、井上の伸ばす手を捻り、華麗に締め上げる。痛がる井上であったが、神道はまったく外す素振りを見せない。
「やり過ぎですよ。神道君」
「んっ、そうか?」とぼける神道。
「そうだよ。だから、早く放せって」耐えかねた井上が叫ぶ。
「神道君、放してあげてください。うるさいんで」
「了解」梃子でも動きそうになかった神道が、その一言ですんなり腕を放した。
「ったく、握力強すぎだろ、お前。骨が折れるかと思ったわ」手首をさすりつつ、文句を垂れる井上であったが先程までの威勢は感じられない。
「自業自得です。頭に血が上って、暴力に訴えるなんて文明人のすることじゃないですよ。恥ずべき行為だ」
「何を偉そうに。何なんだよ、お前」
「何って、風間恭史郎です。それと見返りも無しに、あなたの盗まれたお金を取り返そうとする者です。なので、不遜な態度は控えてください。やる気が削がれます。と言っても、すでに状況は終了していますが。あとは近藤さん次第です。どうしますか?」
「……ハッ」近藤は短く息を吐く。口許には薄ら笑いを浮かべていた。
「そうだよ。盗んだのは俺だ」
「ふざけんなよ、近藤。こんなことして、ただで済むと思ってんのか?」
「そういうとこだよ、井上」声を荒げる井上に対して、近藤は終始冷静だった。
「お前のすぐカッとなる所が前からずっと嫌だった。知ってたか?」
「し、知るかよ。そんなこと」 ワントーン下がる井上。
「だよな。知ってたよ。自分勝手だもんな、お前。だからだよ。すこし困らせてやろうと思ったんだ」
「はあ。くだらねえことしやがって。ったく」
井上はわしゃわしゃと髪を掻き乱す。
「それで、……気は済んだのかよ」
「えっ」近藤の表情が驚きに変わる。
「珍しいじゃん。こんな短時間で矛を収めるなんて」
「まあ、あれだ」井上が何やら照れくさそうだ。
「俺だって、お前に嫌われたくないからな」
「なんだよ、井上。お前にも可愛いとこあるじゃん」
「うるせぇ」井上が近藤を小突く。
これぞ青春と言ったところか。二人の間に和やか空気が流れる。その雰囲気に、風間も神道も事の発端を掘り返すようなことはしなかった。
「すまかったな、風間」と神道。
それに対して風間は、ピクリとも表情を変えずに、「これに懲りたら、時間通りに登校してください」とだけ告げて、自分の席に戻った。
緊張の糸が切れ、室内には再び喧騒が広がる。その最中で、美波は聞いた。
「一件落着だな」加藤は言った。
「何が一件落着だよ。言いだしっぺは加藤だろ。それなのに真っ先に白旗上げやがって」
「まあまあ。丸く収まったんだからいいじゃん」
「まったく。こいつが一番ふざけてるわ」語気は強いものの、近藤は口許に笑みを浮かべていた。それは先ほどの冷淡なものではなく、それこそ友人に送る笑みだ。
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