単純に好きとは言えない

石濱ウミ

・・・



 「で……まあ、推しっていうの?」


 あたしが、そう言ってストローを齧れば紙で出来たそれは、簡単に脆く解けて口の中に繊維を残す。

 なぜなら、さっきから言葉を探す度に意味もなく噛み締めているからで、そうでなくとも時間と共に軟くなるそれは、あたしの弱い意志と似ていた。

 だからあたしは紙ストローが嫌いだ。

 飲み物は虚しさを溶かしたみたいな味がするしで、ちっとも美味しくなんてない。

 

「ふうん?」


 目の前に座る幼馴染は、全く納得していない様子でそう言いながら、あたしの咥えるストローを抜き取る。


あまね、ストロー噛みすぎ。こんなんじゃ、もう飲めないだろ」


 テーブルに片方だけ頬杖を突き、少し傾いだ顔で面倒臭そうにあたしの話を聞いていた理央りおのその長く節くれ立つ指は、あたしの唾液で濡れたストローをいとも簡単に握り潰す。

 

「うっさい」


 軽く睨んでも意に返した様子もなく、先に飲み終えた自分の使っていたストローを取って挿し替えてくれることにだって、特に他意はない。多分。

 新しいのを持って来るのが、面倒なだけだと知っている。

 だって昔から、こういう奴なのだ。

 面倒くさがりの癖に、いつだって優しい。


「なので、見ているだけで充分なのです」

「……ふッ。冗談」

「あのね? バイト先で働く先輩を、こうして拝んでいるだけで本当に、満足なの」

「そんで? あのくだらねぇ呟きを、ひと言も漏らさず覗いてリプ返に一喜一憂して、それだけで良いとかマジか」


 鼻で笑うと、椅子の背もたれに片腕を乗せて寄り掛かる。


 可愛くない。全ッ然、可愛くない。

 昔は女の子みたいで、凄く可愛かったのに。泣かされてばかりの理央りおを守るのは、あたしだった。

 一緒に秘密基地作って、お姫さまごっこしたそのお姫さまは、理央りおだったくせに。

 あたしは、どんな時だって理央りおの騎士だ。

 いつの間にか背が高くなって、声も身体つきも男らしいものに変わった理央りおはもう、とっくにあたしのお姫さまじゃないのは分かってる。


 お祖母ちゃんは、あたしのことをリボンの騎士だねって言ったけど、それ誰? って調べたら髪が短いくらいしか共通点なかった。

 それもあって、リボンは今だって苦手。

 

 思わず不貞腐れた顔でカウンターの方を見れば、そこに居る何人かの中でも、やっぱり緑色のあのエプロンが一番似合うのはどう見ても先輩だと思う。

 実に、顔良しは正義だ。


「別に良いでしょ。付き合わせるお詫びに、理央りおには飲み物奢ってるじゃん」

「……誤解されてるかもよ?」

「何が? 誰に?」

「あの推しのセンパイに、俺があまねの……彼氏とかって」


 そこ、何で口籠るかな。

 流石に抵抗あるのは、分かるけど。

 

「んー? 理央りおには悪いけど、いっそ、そっちの方が都合良いかもって思うんだよね」

「え? 何でだよ」

「だって、そしたら警戒されないじゃん。卒業した高校の後輩に、付き纏われてるって誤解されたらヤダし。そもそも付き纏ってるんじゃなくて、拝んでるだけだし。彼氏とお茶してるって思わせておけば、先輩がバイト入っている日は全部、こうして存分にあの尊さに浸ってられるし」

「馬鹿か? 好きならもっと色々あるだろ」

「そーゆうのじゃナイんだわ」

 

 きっと分かんないよ、理央りおには。


 思わず俯いてしまったあたしは、誤魔化すように髪を押さえてストローを咥えた。

 美味しくない飲み物を飲み込む、理央りおの使ったストローは少しだけ、ふやけていて唇に柔らかく馴染んだ。

 そのまま不意に目を上げれば、それを黙ってじっと見ていた理央りおの視線とぶつかる。


「……何?」

「別に」


 突然テーブルの上に身を乗り出すと、頬を掠めるように伸ばされた理央りおの手が、押さえていない方のあたしの髪を一房、摘みあげた。


「髪、長くなったな」


 指先で髪を弄ぶ仕草は、やっぱりあのお姫さまだった理央りおからは到底信じられないくらいに、すっかり女に慣れた男のそれで、あたしは意地悪をしたくなる。


「そういえば理央りおの彼女は、みんな髪短かったよね?」

「え? そうだった?」

「りいなちゃんとか、態々わざわざさ、理央りおに寄せるために髪切ったりしたんだよ」


 さりげなく理央りおの手から逃れようと、身体を起こして髪を耳に掛けた。


「……あまねは?」

「何が」

「彼氏のために髪伸ばしたの?」

「まった良く言う。いないの知ってるくせに」


 カウンターの方を、ちらと見れば先輩は隣りに立っている女の人と笑顔で何かを喋っていた。笑い声だけが、ここまで届いてくる。

 

 あの日の、苦しそうな先輩はもう居ない。

 先輩の女の人に向ける眼差しは、見覚えのあるものだった。あの眼差しの意味を、わたしは知っている。

 良かったね、先輩。

 口元が思わず綻んだところを、目敏く理央りおに見つけられてしまう。

 

「は? 那月タツキと付き合ってんだろ?」

「何それ、那月タツキくんとか。フツーにないから。仲良いだけで」

「一緒に、帰ったりしてんじゃん」

「いや、帰るでしょフツーに友達なんだから」

「だって那月タツキに聞いたら……」

「騙されたんじゃない?」

「……嘘だろ。なんで騙すんだよ」

「そんなん、あたしが知るわけないじゃん」


 理央りおと先輩はサッカー部で、先輩があたしの推しになったあの日も、あたしは、いつものように美術室のある二階校舎の窓から校庭を見下ろしていた。

 

 その窓を開けたすぐ目の前には、手を伸ばしたら届きそうなハナミズキが白く咲き誇っていて、あたしはスケッチブックにその花を描き写す振りをしながら、その白い花の隙間から校庭を覗く。

 正しくは、白い花弁に見えるのは総苞というもので、花はその中心にあるのだと教えてくれたのは、隣りで椅子を並べていた那月タツキくんだった。

 あたしがスケッチそっちのけで校庭を見ていることなんて、描きかけのハナミズキが雄弁に語っているのは那月タツキくんのスケッチブックと比べたら一目瞭然だったけど、何も言わずにいてくれた。  


那月タツキくんは、優しいから」 

「なんだよ、ソレ」


 上から見ていると良く分かるのだ。

 誰の視線の先に誰がいるのかも、その視線を向けられている人が誰を見ているのかも、全部。

 理央りおとマネージャーの、りいなが付き合い始めたあの日から、先輩はあたしの推しになったのだ。


 バレないように、りいなを見つめる先輩の苦しくて切ない眼差しは、理央りおが、りいなを見つめる眼差しとは余りにも違って、ひどくあたしの胸を締め付けたのだ。

 あたしは、知ってる。

 先輩は最初から、りいなしか見ていなかった。そのりいなが、ずっと理央りおを見ていたから、先輩は二人をくっつけることにしたんだよね。

 それでも先輩は卒業するまで、りいなを切ない眼差しで見続けてたんだ。

 そんな先輩を自分と重ねて、ずっと窓から見てた。


「でも、そうだよね。先輩、理央りおのこと良く知ってるから……あたしが理央りおの彼女じゃないのバレちゃうね。推し活に付き合わせるのは、次から那月タツキくんに頼むわ」

「は? 何言っちゃってんの?」


 那月タツキくんには、きっと全部バレている。当たり前だけど「推し」と「好き」が違うのも。

 だから……。


「そっか、そういうことだったんだ」


 あたしは、テーブルの上に置いてある飲み物を見る。軟くなったストローが真ん中辺りで、がっくりと項垂れているのが目に入り、もう駄目だと思う。

 その視線に気づいた理央りおの手が伸びて、ストローを抜き取った。

 

あまねは、那月タツキと付き合ってるんだと思ってた。木に隠れた窓んとこでコソコソ何かいつも二人で居るし、一緒に帰ってたし、聞けば那月タツキは、そうだって言ってたし」


「……は?」


「そうかと思えば、先輩推しとか、見てるだけで幸せとか」


「うん……」


「短かった髪も伸ばし始めて、那月タツキの為かよって思ってたし」


 そう言うと理央りおは使えなくなったストローを持って席を立つと、それを捨ててカウンターにいる先輩の方へ行き、何か喋ってる。

 話す声は聞こえないけど、理央りおに向けて少し驚いた顔をしていた先輩が、あたしの方をちらっと見て、会釈してくれた。

 やばい。ずっと見ていた推しが、あたしを見てるって……慌てて、頭を下げる。

 理央りおは先輩に何を言ったんだろう。

 戻って来たその手には、新しいストローがあった。椅子に座りながら、あたしに向かって差し出す。


「……ほら、コレ」

「え、曲がるストローとか。何で」

「お前さ、紙ストロー苦手だろ。プラスチックストローは子供用しかないんだよ」

 

 なんだ、面倒くさがりのくせに態々わざわざそんなことしてくれるなんて。

 そうやって優しくするから、あたしの弱い意志はいつまでたっても理央りおを振り切れないのだ。

 あたしにストローを手渡す、理央りおの手を見ながら「あたしは子供か」って憎まれ口を叩く。


「俺だって充分、優しいと思うけど?」


 顔を上げると、そこにはあたしの知らない理央りおがいた。

 ストローを離そうとしない理央りおから無理矢理それを奪おうとした時、袋だけが破れて離れそうになったあたしの手を、理央りおが掴むからストローはテーブルの上に落ちる。


「これ貰いながらセンパイに、りいなと別れたって言ってきた」

「は? 嘘でしょ?」

「だから明日から朝、迎えに来てよ」

「……なんで」

「俺を起こすのは、騎士のあまねだろ」


 理央りおの大きくてサラサラした手が、ゆっくりとあたしの指を絡め取る。その感触は、懐かしくも新しい。


「お前……何で俺が、お姫さま嫌がらずにやってたのか気づいてなかったのかよ」


 ……そうだ。

 秘密基地のお姫さまごっこは、いつだって薔薇イバラ姫の理央りおを起こす物語だった。


「あたしだって一度は、誰かのお姫さまになりたいんだけど」

「ふうん? じゃあ、俺がお姫さまにしてやるよ」


 そう言いながら、曲がるプラスチックストローを片手で器用に容器に差し込む理央りおのもう片方の手は、あたしと繋いだまま。

 俯くようにして、ストローを咥えた。

 髪があたしの顔を隠してくれてたのに、理央りおの手で優しく耳に掛けられてしまう。

 ストローで吸い上げた氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーは、ちっとも美味しくないけど、もう虚しさを溶かしたような味はしないのだった。



 先輩、ごめんなさい。

 本気で理央りおと向き合うために、他界しても良いでしょうか?




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