その声が聴こえなくなっても

 そのしらせを受けたのは、師走を迎えて間もない月曜日の早朝だった。



『お母さん、自宅の風呂場で亡くなってた。デイケアの送迎スタッフさんが発見して……』

 日本時間で12月6日の午前10時。アメリカ時間で5日の午後8時。

 電話の向こうから、ざわざわと慌ただしい音が聴こえてくる。

『今、実家に着いたんやけど、警察が来てるわ。ご近所さん達もたくさん出てきてるし……あ、はい! 私、娘です!』

 息を切らしながら早口でまくし立てる姉の声に、「お姉ちゃん、分かった。落ち着いたらもう一度連絡して」と応えて電話を切るしかなかった。



 母と私の間にあったはずの「親娘の絆」は、ずいぶんと前にほころびたまま、つくろうことさえ出来ずにいた。その鉤裂かぎざきに引っかかってしまったかのように、「母がった」という現実は私の心の奥底にストンと落ちてはくれなかった。



 母は、世間で言うところの「毒親」だった。



***



 大学卒業と同時に、ひとり暮らしを始めた。就職先は自宅通勤が可能な距離だったけれど、母と暮らすのは限界だった。だから、逃げた。

 それ以来、母と会話をすることも、顔を合わせることもなくなった。もとより、娘の言うことに聞き耳を持たず、ぐしゃりと顔をゆがめて一方的に理不尽な言葉を吐き散らす人間を相手に、まともな会話など成立しなかったのだけれど。


 家を出てからも、父と姉とは折に触れて会っていた。

 姉とは一緒に買い物や旅行に出掛けることが多かったし、年末年始は姉夫婦の家で過ごしていた。幼い頃は姉の存在がうとましくてケンカばかりしていたけれど、実家を出たことで「お姉ちゃんが居てくれて、本当に良かった」と心から思うようになった。



 当時、日本で働いていたアメリカ人の相方と出逢い、結婚することになった。

 そのことを家族に報告したら、案の定、母の猛反対にあった。「言葉も文化も違う外国人とは、根本的に分かり合えない」「国際結婚は、日本人同士の結婚より離婚率が高い」という根拠のない理由で。

 そこまでは予想の範囲内だったけれど。

「どこの馬の骨とも知れない外国人にたぶらかされるなんて、本当に情けない。良いように利用されて捨てられる前に、さっさと別れなさい」

 そう言われて、さすがに堪忍袋の緒がキレた。この時ばかりは「相方が日本語を解さない人で良かった」と心底思った。

「僕らは独立した大人なんだから、自分のことは自分で決める権利がある。僕らが二人で決めたことは、二人で責任を持てば良いんだよ」

 そう言って、偏見に満ちた母の言葉と私の怒りをすっぱりと切り捨ててくれた相方は、今も変わらず私の隣に居る。



 介護が必要になった父を支えるために、相方の了承を得て実家に戻った時は、わざと生活リズムをずらして母との接触を出来る限り避けた。母は母で、自分の反対を押し切って外国人と結婚した娘を「赤の他人」として扱うことにしたらしい。

 そうこうする内に、急な異動で相方が一足先にアメリカに本帰国することになった。その数ヶ月後、父が介護老人福祉施設に入居し、実家には母と私だけが取り残された。とはいえ、母は一階で、私は二階で……とをする生活だったので、ほとんど顔を合わせることもなかった。

 相方が帰国してから1年半が過ぎた頃、待ちに待った米国移民ビザがようやく発給された。アメリカ行きの片道航空券も購入した。

 渡米の朝、母は自分の寝室に籠ったままだった。だから、別れの挨拶も交わさなかった。


 

 アメリカに移住してから3年後、父が亡くなった。葬儀に参列するために一時帰国した時は、母しかいない実家に戻る理由が見つからず、姉夫婦の家に滞在した。

 斎場で顔を合わせた母は、私の顔をじいっと見つめた後、「あら、あんた、帰ってたの」と弱々しい声でぽつりと告げた。

 それが、私が久しぶりに聴いた、母の最後の言葉となった。 



 彼女にとって「世界の中心」だった父が亡くなった後、しばらくの間、母は抜け殻のように生きていた。それでも、全てのことを自分でしなければ気が済まない厄介な性分もあって、姉夫婦の世話になることをかたくなに拒んだ。歳を重ねて自由がきかなくなった身体と老いがもたらすやまいを抱えつつ、父との思い出が染みついた家にしがみついたまま、高齢者支援サービスのお世話になりながら、ひとり暮らしを続けた。

 実家近くに住む姉が様子を見に行っては、『今日も毒吐かれた。まあ、元気な証拠やと思えばエエんやけどね』と電話の向こうで困ったように笑う。その度に、「ひとりになっても、娘に対する態度は変わらんのやな」と、やるせない気持ちになった。



 どれだけこちらが歩み寄ろうとしても、相手からかたくなに拒まれては為すすべもない。こじれた関係を修復したくとも、相手にその気がなければ空回りするばかり。

 悲しいけれど、それが現実だ。


 けれど、時折、その現実に胸が苦しくなるのはどうしてだろう。



***



『今、警察から戻ったんやけど……お母さんの検案結果が出るの、今夜遅くやって』

 警察での事情聴取を終えて帰宅した姉から再び電話があったのは、日本時間で午後3時を過ぎた頃。アメリカでは真夜中をとうに過ぎていたけれど、色々と思い巡らして眠れずにいた。


『ひとりで死ぬって、こういうことなんやねえ』

 電話の向こうで、姉の声がかすれている。

『警察で、色んな人から何度も同じことを聞かれて、その度に、全く同じ答えを返さなあかんのよ。むっちゃ疲れたわ』

 母の亡骸が戻らないことには葬儀の手配もままならない。それが、姉を余計に苛立たせているようだった。

 とにかく日本に帰ろう。少なくとも、日本に居れば私にも何か出来るはずだ。母のためでなく、姉のために──そう思った。



 母の訃報を受けた直後から、一時帰国のために必要な情報収集を始めていた。

 父が亡くなった際に利用した「Bereavement Fareビリーブメント・フェア(=家族の生死に関わる緊急時に、特別に適用される航空運賃と予約優先権。アメリカ国内で取り扱いがあるのはデルタ航空のみ)で航空券を予約するには、少なくとも臨終に立ち会った医師と医療機関の情報が必要だ。が、自宅で誰に看取られることもなく亡くなった場合、全てを警察に委ねることになるため、医師の名前は検案結果が出るまで分からない。

 なので、帰国便の予約は母の検案が終わるのを待つしかない。


 すでに行き詰まった感があるものの、「とにかく、できることから片付けよう」と気持ちを入れ替えた。 




 『母の検案を行った医師と医療機関の名前が分かった』と姉からメッセージが入ったのが、翌朝9時を過ぎた頃。日本時間では6日の午後11時過だった。


 ビリーブメント・フェアを利用するために必要な情報が揃ったので、早速、帰国便の予約を――というのは、パンデミック以前のお話。

 現在、日本政府が『新型コロナウィルスに関わる水際対策』として入国制限と検疫体制を強化しているため、日本に入国するには、国籍を問わず、政府が要求する書類の準備と様々な手続きを行う必要がある。

 この水際対策、状況に応じて内容がコロコロ変更される。酷い時は、ほぼ毎日……

 そんなワケで、『外務省海外安全ホームページ』と『厚生労働省』のサイトをこまめにチェックしないと、大変なことになる。

 とにかく、とっても面倒臭い。


 昨年、夏休みの間に子連れで一時帰国を予定していた友人などは、準備段階で悲鳴を上げていた。

「『日本へ入国する際に必要な書類や手続の情報については、厚生労働省のホームページ参照』って言われても、そのホームページ自体が理解不能。文章がややこしい上に、『こちらを参照(リンク先へ)』ってパターンが多すぎて、色んなページをウロウロするハメになるし、日本語版に書かれていないことが英語版に切り替えると詳しく書かれていたりするし……とにかく、ムチャクチャ不親切! 孫に会うのを楽しみにしている母に会うために一時帰国するだけなのに、手間も時間も掛かり過ぎ! 自主隔離用のホテルも予約しなきゃいけないのに、海外からの帰国者を受け入れてくれるホテルの情報は自力で探さなきゃいけないし、ホテル代(当時、14日間)は自己負担だし……考えただけで泣きたくなる!」


 彼女の話を聞きながら、「大変やなあ。我が家はそこまでして帰る理由もないからなあ。運転免許の更新期間中には一時帰国せなアカンけど、まだ2年先のことやし……それまでにパンデミックが終息してるとエエねんけどなあ」などと呑気に考えていた。よもや、自分が彼女のように悲鳴を上げることになるとは思いもせずに。



 では、アメリカ在住の日本人が日本へ入国する際に必要な、とっても面倒臭い手順をご紹介しよう。厚生労働省ホームページ上にある『水際対策に係る新たな措置について』(2022年1月29日現在)の内容を出来るだけ簡単にまとめたモノだ。


①全ての入国者(日本人を含む)は、「出国前72時間以内に実施した検査の陰性証明書」を提出すること。

②全ての入国者は、ワクチン接種証明書の有無にかかわらず、到着空港で検査を受けること。その後、検疫所が確保した宿泊施設で3日から6日間。宿泊施設退所後は、義務付けられている期間まで自宅等ですること。

③全ての入国者は、入国時に「検疫措置を遵守する旨の誓約書」を記入・提出すること。

④自主待機期間中、誓約書の誓約事項を確実に実施するため、 入国後、スマートフォンにアプリ3種類をインストールすること。



 上記だけでは「なんのこっちゃ?」と首を傾げる方も多いかと思うので、あちこちのサイトから掻き集めた情報も付け加えておこう。


 ①政府が求める陰性証明書には『満たすべき要件(これについては、後ほど述べる)』があり、『有効な証明書を提出できない場合、日本への上陸許可が下りない』という文言に、思わず震え上がった。

 実際、書類の不備などを理由に入国を拒否され、出発地へ強勢送還された海外在留邦人も居るから、他人事ではない。

 

 ②は、いわゆる『自主隔離』のことだ。

 母が亡くなった12月5日の時点で、『検疫所が確保した宿泊施設で3日間(という名の、強制隔離。この間は外出禁止)』が必要だった州はごくわずかで、私が住むバージニア州は対象外だった。

 が、1月18日以降、アメリカ全土からの帰国者が3日間待機(ニューヨーク、ハワイ、カリフォルニア、テキサスなどの7州は、6日間待機)の対象に変更された。

 「コロナ、帰国、親の葬儀」でネット検索すると、『規制が厳しくて、帰国を断念した』『親が危篤に陥り帰国したものの、自主隔離中に亡くなった』『自主隔離のおかげで、葬儀に間に合わなかった』云々、パンデミック以降の海外在住者の苦悩が、これでもかとばかりにヒットする。

 新たなウィルスの侵入を防ごうとする日本政府の努力は評価に値する。とはいえ、コロナワクチン3回目接種(ブースターショット)を11月に完了している在外邦人としては、「緊急帰国を要する日本国民に対して、特別処置を考慮するくらいの人情は持ち合わせておくれ」と叫びたくなる。

 せめてもの救いは、待機期間の合計日数が徐々に短縮化されていること。1月28日の時点で、全ての入国者を対象に『入国後の待機期間は7日間』と変更された。とはいえ、待期期間がゼロになるには、もう少し時間が掛かりそうだ。


 ③「その誓約書を、どこでどうやって手に入れるのか」という説明が明確になされていないため、「誓約書って、どれよ?」「どこにあるねん、契約書!」とあちこち探し回るハメになった。『ホームページ自体が理解不能』『ムチャクチャ不親切』という友人の話はホントだった。


 ④検疫手続の際、必要なアプリを利用できるスマートフォンを所持していなければ、空港内でスマートフォンをレンタルしなければいけない。もちろん自己負担で。

 ちなみに、アプリのインストールに必要なOSバージョンは、iPhone端末でiOS 13.5以上、Android端末でAndroid 6.0以上。iPhone 6以前の機種とiPod touch(第7世代)を大事に使っている方もいらっしゃるだろうが、残念ながらiOS 13.5には非対応なので、待機期間中の費用にレンタル代を加算しておかないと、悲劇が起きる。

 実は私、昨年10月まで挙動不審なiPhone6をだましだまし使っていた。が、ある日、利用している銀行アプリが古いiOSに対応しなくなった。

「どこでもクレジットカードで買い物できちゃうアメリカで……現金が必要ないから、銀行の実店舗にわざわざ出向く必要もないアメリカで……銀行アプリが使えへんって、意味ないやん!」

 ブチ切れた私を見て、相方が最新機種を買ってくれた。なんともタイミングの良い話だが、コレも何かの巡り合わせだったのかもしれない。



 今回、一番ネックとなったのが、①の案件だった。

 一見すれば簡単に聞こえるが、下記のようなオマケが付いていた。

『PCR検査を受ける際、所定の「出国前検査証明」フォーマット(PDF)をダウンロードして使用すること。やむを得ず任意のフォーマットを使用する場合、不備があれば搭乗拒否・入国拒否される』


 PCR検査だけなら、近所のドラッグストアで受けることが出来る。が、先ずは予約が必要だ。自治体が実施する集団検査場は予約不要な場合が多いが、どちらにせよ、採取された検体は一括回収されて検査機関に搬送されるので、検査結果が出るまで数日を要する。

 そんな状況で、「所定の『陰性証明書』フォーマットがあるので、それに検査結果を記入して、ついでに医師のサインも下さいな」などという(実に日本的で細かすぎる)リクエストが受け入れられるワケもない。


 そうなると、PCR検査を行っている医療機関に掛け合うしかないのだが、ここで再び問題となるのが『所定のフォーマット』だ。

 厚生労働省のホームページからダウンロードする「検査証明」は、英語と日本語(あるいは他の外国語)の二か国語表記。このPDFファイルを私のホームドクターにメール送信して確認したところ、『ボク、日本語は分からないんだよね……申し訳ないけど、ボク自身が理解出来ない言語で書かれた書類にサインは出来ないよ』と断られた。

 そりゃそうだ。あちらこちらに自分の知らない言語が書かれた書類を見せられて、「ここに書かれている言語が分からないって? あー、大丈夫ですよー。ほら、あなたの国の言語でも書かれてますよね? それと全く同じコトを、我が国の言葉に翻訳しただけですから。なーんにも怪しくないですよー。はい、ここにサインしちゃって下さいな」と言われたら、私だって同じ反応をする。

 日本企業の駐在員家族や日本人留学生が多く住む地域であれば、日本語を解する医療スタッフを抱える医療機関が多くあるので問題ないのだろうが、日本人などほとんど住んでいないバージニア州の片田舎に、そんな便利なモノは存在しない。 


 「検査結果が15分で出る検査施設が、アーリントンにあるらしい」という友人からの情報を得て、施設に直接問い合わせたところ、『日本政府が要求する書類? そんなの、聞いたことありませんよ! うーん、初めてのケースだなあ……あ、でも、この施設には医師が常駐しているので、その書類を事前にメールで送ってもらえれば、、大丈夫だと思いますよ」との返事だった。

 アメリカ人の「maybe多分」ほど当てにならないものはない。アーリントンは、ポトマック川を挟んでワシントン D.C. の向かい側にある。我が家から車で片道3時間の道程だ。「多分、大丈夫」というアメリカ人の口約束を信じて良いものか……と、不安が過ぎる。

 とは言え、一刻も早く陰性証明書を手に入れるには、その施設を頼る以外に方法がないので、検査予約を入れた。 


 陰性証明書も(多分)なんとかなりそうなので、あとは、帰国便の予約をするだけだ。この時、アメリカ時間で6日の午後3時頃。日本時間で7日の早朝だった。



 母の亡骸は、今、どこにあるんだろう。

 コロナ時代のお通夜とか告別式って、やっぱり、こじんまりと家族葬になるんだろうなあ……

 

 デルタ航空のカスタマー・サービス・センターに電話を入れる相方の隣で、ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 オペレーターに必要な情報を伝えながら、PC画面でフライト情報を確認していた相方が、少し不機嫌そうな声を出す。

『いや、だから、成田や羽田じゃなくて……東京の空港じゃなくて、大阪の空港着にして欲しんだよ。関西空港とか、伊丹とか……』

 オペレーターの困ったような声が、スピーカーから響いた。 

『パンデミック以来、デルタ航空が提供できるのは、成田か羽田着のフライトだけなんですよ。現在、アメリカから大阪直通で飛ぶのは貨物便だけで……でも、東京行きの便は毎日ありますから』


 それでは困る。

 大阪まで直行便で帰らないことには、東京で『自主隔離』という足止めを食って、告別式にさえ間に合わなくなる。大阪から入国して(隔離期間中、公共交通機関の利用は禁止されているので)自力で自宅に向かえば、その後は実家に引きこもれば良いだけなのに。

 とにかく大急ぎで帰国すれば、母の亡骸と対面することも叶うはずだ。何より、姉の力になれる──そう思っていたのに。


 日本への入国者総数が引き下げられている、というのは厚生労働省のホームページにも書かれていたが、日本到着便数が抑制されていることまでは考えが及ばなかった。それでなくとも、年末年始を日本で過ごそうと考えている在外邦人が多い時期だ。ほとんどのフライトが既に満席状態なのも無理はない。



 ……アカン、どう考えてもムリやわ。



 身体中の力が一気に抜けた。

 なんとかして私を日本に帰そうと、オペレーターと押し問答する相方に「ハニー」と呼掛ける。

「もうエエよ。電話切って」


 そう言うしかなかった。


 

***



 姉からビデオチャットが入ったのは、アメリカ時間で7日の早朝7時。日本時間では同日午後9時頃だった。


「お姉ちゃん、ごめん。フライト押さえようと頑張ったんやけど、葬儀に間に合いそうにないわ」

『そうやろなあ。ちょうどテレビで水際対策のニュースやってて、「お父さんの時みたいに緊急帰国はムリやろなあ」ってダンナと話してたとこなんよ』

「ごめん。アメリカから大阪への直行便が週に1本しかなくて、今週末の便は満席やってん。成田か羽田に飛ぶ便なら毎日あるんやけど、空港周辺で14日間自主隔離せなあかんし……でも、お姉ちゃんがちょっとでも楽になるんやったら、帰るつもりやから」

『そんな無理して帰って来んでエエよ。私、この2年でお父さんとお義母さんの葬儀を仕切ったから、勝手は分かってるし』



 検案を終えた母の亡骸は、自宅近くにある斎場の安置室に移されていた。

 死因は、虚血性心疾患。いわゆる「ヒートショック」だ。発見時、浴槽の中に座ったまま水没することもなく顔面が湯に浸かることもなかったので、水は全く飲んでおらず、ほぼ即死状態だったらしい。

『苦しまずに逝ったみたいやから、それがせめてもの救いやね……お母さん、見る?』

 安置所の薄明かりの中、白い布に包まれて眠る母の姿が画面に映し出され、一瞬、戸惑った。母の顔を見て、どんな感情が心の中に湧き上がるのか自分でも分からなかったからだ。

 悲しみよりも、怒りや恨みごとが先立ってしまったら、どうしよう……


『明日の夜、お通夜。告別式は木曜日の午前中の予定。今後、ゆっくりビデオチャットするチャンスがあるかどうか分からへんよ。お母さん、今のうちに見ておく?』

 もう一度、たしなめるような姉の声にうながされて、「うん」とうなづくしかなかった。

 母の顔を覆っていた白い布が、そっと外される。

『お母さん、由海と会うの、久しぶりやね』




 母は、なんとも無邪気な顔で眠っている。

 けれど、ずっと年老いて見えた。



「……髪、真っ白やん」

 いつも、きれいな明るい栗色に染めていたはずなのに。

『白髪染め、自分で出来へんようになってからは美容院で染めてもらってたんやけど、半年くらい前から市バスの乗り方が分からへんようになってね。そうなると、一人で外出するのも難しくなって……新年を迎える前に、美容院に連れて行くつもりやったんやけどね』


 その瞬間、私の心の中で、するり、と何かが抜け落ちた気がした。


 とげだ。


 私の心の奥底に潜り込んで、ちくちくと私を苦しめ続けた、「言葉」という名の毒の棘。




 パーキンソン病を患っていた父は、10年の歳月をかけてゆっくりと命を削り、亡くなる数日前から昏睡状態に陥り、家族と医療従事者の方々に見守られながら静かに息を引き取った。その年月は、私たち家族にとっては「いつか来るであろう、父の最期」を受け入れるための準備期間でもあった。

 母は、玄関の掃き掃除をしている姿を隣人が見かけた翌朝、湯船に浸かったまま、たった一人でひっそりと命を終えた。本当に、なんとも呆気なく。


 予期せぬまま絶たれた日常が、緩やかに擦り減りながら静かに消え入る日を待つ歳月と比べて、あまりにも酷烈で。

 だから、いつものように裏庭の落ち葉を掻き集めたり、愛犬と散歩に出掛けたりする合間にも、母のことが脳裏にちらつくようになった。

 こんな風に、いつものように暮らしていただけなのに、突然、命を断ち切られた瞬間、母は何を思ったんだろう、と。



 告別式の日。姉がつないでくれたビデオチャットの画面越しには、いつの間にか母そっくりに老いた叔母の顔があった。

「姉ちゃんね、うちに遊びに来るたびに『由海が、由海が』って……あんたのことばかり話してたんだよ。本当はとっても心配してたんだからね」

 それなら、どうして、素直にそう言えなかったんだろう。


 叔母の隣でiPhoneを支えていた姉が、なんとも言えない表情を浮かべてうなずいた。

「そやねん。『由海は? あの子、今、どこで何してるの? 結婚したの?』って、私の顔を見るたびに聞いてたし」

 それなら、どうして、私の心の片隅に『お前は要らない子』という呪詛が刻まれているんだろう。

 どうして、心を打ち砕かんほどの罵声を浴びせられ続けたというのに、『愛情の裏返し』などというキレイごとにすり替えられてしまったんだろう。



 どうして、私は母から愛されなかったんだろう。



***



 毒の棘に傷つけられて心が麻痺しそうになっても、「私には、父と姉がいる。それで十分」と奮い立った。

 相方とケンカして、口に出してはいけない言葉を投げつけたくなるたびに、「あの人みたいになったらアカン。私はあの人の血を引いてるけど、あの人が家族にしたことを私がしたらアカン」と思い直す。

 『母が反面教師』と言えば聞こえは良いが、そんなもの、欲しくなかった。


 けれど、どれだけ歪な関係であったとしても、出来ることなら、別れを告げる最後の機会には立ち会った方がいい。その機会を逃してしまったら、永遠に晴れない霧の中で心が立ち止まったままになってしまうから。

 健全な親子関係を築けなかったことは悲しいけれど、「もう終わったんだよ」と明確な線引きをすべき時を逃してしまったら、どこで心に区切りをつければ良いのかさえ分からなくなってしまうから。



 母が逝った。


 けれど、その現実が、私の中で全く現実味を帯びないのは、訣別の場所に居合わせることが出来なかったからだ。まだ熱の残る白い骨になった母を、この手で拾い上げることが出来なかったからだ。



 幼い頃から浴びせられた毒の言葉を紡ぐ声と、最後に聞いた弱々しい声。

 いつの日か、その声が聴こえなくなったとして。

 私の心に刺さった棘が全てきれいに抜け落ちる時など、果たして来るのだろうか。



 綻びた絆は、修復することさえ叶わぬまま。

 それは、心の奥底に潜むおりとなり、時にふわりと浮き上がっては、痛みと共にささやきかける。



 ――どうして?



 その答えなど、もう返ってこないのだと知りつつも。

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その声が聴こえなくなっても 由海(ゆうみ) @ahirun

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