其の伍 鬼無 太伽羅は猫に名前を付ける


 

 少女と手代が乗った馬車は、太伽羅たからの用意したものだったのが幸いした。

 探し出した馭者ぎょしゃを頼り、深夜二時を回る頃どうにか遠野の屋敷前まで来たのは良いが、真新しい洋風邸宅のその堅牢な鉄製の門扉の内を覗き見た太伽羅たからは、傍らの下男へ首を横に振るのだった。


「見張りらしい者の姿は無いが、あの冥府の使いみたいな犬が彷徨うろついて居ては屋敷の中に忍び込むどころか、敷地内に入るのも難しそうだよ。いくら一匹とはいえ、調練した犬に人は敵わない」


 太伽羅たからが最後まで言い終えぬうちに下男は、するりと音も立てずに門の中へと身体を滑らせ入るのを見て太伽羅たからは息を呑む。

「策は、ある」言いながら片手に手拭いを巻き付け、尻端折しりばしょりした腰から匕首あいくちを取り出すのと犬が唸り声を上げ飛び掛かって来たのは同時。

 跳躍する犬の口の中に躊躇なく手を突っ込み、残る片手で持つ匕首が鈍く光ったと思った次の瞬間には、血塗れた剣先から黒い血を滴らせ、痙攣する犬を見下ろす静かな後姿があった。

 

 その時、外の異変に気づいたのか、真っ暗な屋敷に一部屋だけ石油ランプの灯りが点り、奥に消えるのが見えた。


「胡散臭え屋敷だなぁ。明かりが一つってぇのは、使用人も居なそうだ」

「屋敷には、あの男と二人ってことかな?」

「かもしれねぇ。じゃなけりゃ、もうあの子は居ないのか。アンタは、あの灯りの点いた部屋を探しな。俺は他を見て回ろう」

「……お前は一体、何者なんだい」

「ハッ。死に損ないの老ぼれだな」

「ふうん? 、じゃなくて良かったよ。私と来たからには、お前もんだからね」


 太伽羅たからのその言葉に、闇に紛れて下男の顔が歪んだ。



「で……あんたは、なんで居る?」

 

 例の部屋で見つけた少女は、裸姿でベッドの上に仰向けに横たわったまま太伽羅たからを見上げると、殴られて腫れ上がった目を薄く開き、咳き込むように笑った。

 

「大切にしている猫が迷子になれば、探すのは当たり前だよ」

「……猫か……あんた馬鹿なんだな」

「どうも、そうらしい。下男にもよく言われるんだ」


 暗い部屋に浮かび上がる白く幼さを残した裸体にも、痣があるのが見て取れる。

 何か少女の身体を隠す物をと、探して見渡した時、ベッド傍にあったレースのショールに気づいた太伽羅たからは、それが自分の店の物だと知った途端、それまでの憤りを隠せなくなった。震える手で、そっと少女にショールを掛ける。


「……あの男か?」

「何を怒る? 所詮おれは商品なんだ。それに、おれが真に恐ろしいモノは、あの男じゃない」


 少女の言葉に、口を開きかけた太伽羅たからの背後で聞き覚えのある声がした。


は、お気に入りでね。貴方が古道具屋だからといっても売るわけには、いかないんですよ。尤も、使えなくなってからでも良いなら構いませんがね」


 振り返り見れば、ピストルを片手に持つ遠野その本人だった。

 

「しかし、困った。店主が死んでは売り買いも出来ない」


 躊躇いもなく、引き鉄に掛かる指が動く。

 乾いた銃声が聞こえた。

 撃たれた筈の太伽羅たからが、何時迄いつまでも訪れない痛みにそっと目を開ければ、床の上で下男に組み敷かれる遠野に、少女が近寄る所だった。

 ふわりとショールが揺れる。


「あんたに、おれと同じ呪いをやるよ」


 少女は、そう言って笑うと唇の血を指先で拭うと遠野の目につけた。

「ホラ、魑魅ちみが視えるか? は、あんたみたいな奴が好きで寄ってくるからね。はははッ。どんな痛みよりも苦しい此方側へようこそ」


「あ、あ、嗚呼、あ、あ、あああ……」


 呻き声を上げ目を掻きむしる遠野に、何が視えているのかは、少女以外誰も知らないのだった――。

 



 「……そうだ。また、迷子になられても困るから、君に名前を付けよう」


 朱に染まる夜明けの空の下を三人で歩きながら『鬼灯』へ帰る途中、太伽羅たからは少女に向かって優しく笑んだ。


 たまき……。


「呼ばれたら、ちゃんと帰って来るんだよ」


 

 





《了》







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『鬼灯』モノ語り 石濱ウミ @ashika21

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