其の肆 鬼無 太伽羅は頭を抱える


 「これと、それ。ああ、ついでにそのショールも貰おうか。それじゃあ宜しく頼んだよ」


 洋装姿の男性は、颯爽とステッキを地面に一つ打ち鳴らすと、揉み手で頭を下げる手代を一瞥しながら太伽羅たからに向かって軽く笑顔を見せた。

「屋敷の場所は、彼が知っていますから運ばせて下さい。一度、話題の『鬼灯』をこの目で見てみたくなりましてね。太伽羅たからさんと云いましたかな? 貴方にも会ってみたかった。噂に違わぬ美青年ですな。いっそ恐ろしいくらいだ」

 太伽羅たからが愛想笑いで応えるのを鷹揚に片手を上げ遮ると、まだ何かを探すように店の中をぐるりと見渡した。

 店の暗がりに立つ書生のところで、微かに視線が揺れたような気もしたが、単にあのような所に人が立っているとは思わず、驚いたのだろう。

 そのまま「では、後ほど」と店を出て馬車に乗るその後ろ姿を、手代と二人で外まで見送ると中に戻りながら太伽羅たからは羽織りの袖に両の手を突っ込み首を傾げた。


「仁七、あの方は原田男爵様からのご紹介だとか言ったね? 随分と羽振りが良さそうだが誰だい?」

「ええ、遠野さまと云いまして何でも紡績会社を切り盛りなさっているとか」

「ふうん?」


 遠野という客が、蓋付きのゴブレットや馬を描いた磁器などを幾つか見繕っただけでなく、カメオなどの装飾品、絹糸のショールなどを即座に裁定したことが太伽羅たからは少し気になったのである。


「金を使いたいだけの顧客、か」


 ふと漏らした太伽羅たからの声に手代の仁七は首を傾げる。

「金を使いたい……? ですか?」

「いや、何。少し気になってね。こういった舶来品が好きな人は、もっとじっくり一つひとつを愛でるものだからね。それをあの人は……いや、何でもない」

 太伽羅たからが、その言葉を打ち消すように顔の前で片手を振るのを仁七は黙って見ていた。

「これらを届けるにしても、お前一人じゃ無理だな。どれ、私も手伝おう。一緒に屋敷に連れて行っておくれ」

「いけませんよ。誰が店番をするんですか。書生さんに手伝って貰います。ホラ、暇そうにしてるじゃありませんか」

「店番なら、彼だって出来るだろう」

「無理ですよ。太伽羅たからさんの代わりにはなりません」


 少女に丁稚の格好をさせなかったのは、手代に使われ店の外を出歩くことがないようにとの太伽羅たからの考えからであったのに、どうしたものかと困って言葉に詰まる。


「このところ、物騒だからね。幼い子供のかどわかしは頻々ひんぴんにあるし、彼は親戚からの預かりものだから……」

「何を仰るかと思えば、あの人だってもう幼い子供なんかじゃないですし、あたしも一緒なんですから太伽羅たからさんは、何も心配なさることないですよ」


 そう言い返されてしまえば、更に言い募るのは、手代を信用していないと暗に仄めかしているようで、おかしなことのように思えた。また、断ってくれないかと少女の方を見れば、やけに大人しいその様子に太伽羅たからは少し心配になるも、店の中で押し倒しているのを目撃された日から手代の姿が見えるとお互いに気不味いのか、少女の方が姿を隠すようにしているのを知っていた為、仕出しでかしてしまった己れを棚に上げ、やれやれと頭を振った。

 この先も店に置くなら、手代と疎遠なままでは良くない。


「だったら、馬車で行ったら良い」


 おいで、と少女を手招きすると、近寄ってきたその手を取った。

「頼めるかい? 断っても良いんだが」

 その様子を、じっと手代が見ている。

「……かな」

「え?」

 何を言ったのか、太伽羅たからが俯く少女の顔を覗き込むようにして聞き返した時には、繋いでいた手は離れた後だった。


 やけに冷たい指先だったと太伽羅たからがその感触を思い出したのは、夜が更けても二人が『鬼灯』に帰らないことを知ったその時である。

 

「おれの運も、ここまでかな」


 はっきりと聞こえなかった少女の呟いた言葉が、今になって不思議と耳元に蘇った。

 店に来たあの男が、見に来たのは品物でも太伽羅たからでも無かった。

 そうだ。

 何を見てもあまり興味を示さなかったあの男が、ぐるりと店を見回したあの男の視線が、少女を捉えたあの一瞬だけ、揺らぐのを目にしたではないか。

 つまり探していたのは、あの少女だ。

 とすれば、仁七も疑わしい。

 粥の礼にと、淫らに誘いを掛け太伽羅たからに向かって身体を差し出そうとしていたのだ。いくらあの様な所を見られたからといって、恥じらう様な少女でもあるまい。

 仁七だって同様に、腰を抜かすほど驚いたのは、眼鏡を外した少女の目の色に気付いたからだ。

 当初、顔を合わせた時には気付かなかったことも、後になってから気付くこともある。


 あの背中の烙印。

 頻々ひんぴんかどわかし。

 組織立った何かが、ある。

 

 ひょっとしたら太伽羅たからは、少女が逃げて来た所へ、みすみすその身を差し出したようなものではないのか。

 仁七もまた、先代から引き継いだ使用人である。住まいも知らなければ、為人ひととなりも良く分からなかった。


 座敷で頭を抱える太伽羅たからに、濁声だみごえが降って来て、その口の悪さから直ぐに下男であると気付く。


彼奴あいつは堕落けたヤツで、賭け事で首が回らなくなっちまったんだよ。店の品物しなもんを勝手に売り捌いてたが、それじゃ足りねぇと別のもんにも手を出した」

「……何で知ってる?」

「アンタらは俺ら下男なんて、そこいらの石ころと同じ。見えてねぇからな。こっちからは、よおっく見えてんだけどなぁ。戸のがたつきも、汚ねぇ塵屑も自然に無くなると思ってる節すりゃある。ただ……アンタは間抜けで、馬鹿で、気に入らねぇけど」


 ……嫌いじゃねえよ。


 太伽羅たからは、顔を上げて下男を見た。


 

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