鬼がいる扉 3/3

(8)

「失礼します」

 部屋の中からの返事を確認したあと、女性は扉を開けて中に入った。


「あなたでしたか。お座りください」

 鬼の勧めるまま、椅子に腰を降ろした。


「お嬢さん、今回は機嫌がよろしいようですね」

 女性の表情が和らいでいることを、鬼は敏感に感じ取っていた。


「ええ。心残りが解消したので」


「それは、おめでとうございます。是非聞きたいものです」

 鬼は、前回、部屋を出るときの女性の不気味な笑みがずっと気になっていた。


「その前に、紅茶入れていただけますか。とても美味しかったので」

 鬼は立ち上がり、紅茶を入れて戻ってきた。


「ああ、美味しい。前回は味が分からなかったけど、本当に高級品ね」

 女性は両手でカップを握って、一口ずつ味わっている。


「取り寄せた品物、使われましたか?」


「ええ。封筒に入っていたのは鍵。彼と住み始めた家の鍵だったの」


「亡くなったあとは、家には入らなかったのですか? 亡くなられた方の移動は自由なので鍵が無くても入れるはずですが」

 鬼は首をかしげる。


「なぜだか、入れなかったの。彼に申し訳ない気がして……。それが、あの鍵を使ったら入れたの」


「なるほど。深層心理が邪魔して行動ができないことが、時々あるようです。それですね」

 鬼は紅茶を一気に飲み干した。


「ところで、あなたの心残りは何だったのですか? 彼を道連れにするのではないかと心配しておりました」

 鬼は疑問に思っていたことを聞いた。


「最初は、心残りが何だか分からなかったの」

 女性は空になったカップを皿に置いた。


「でも、彼を見ていると心配になってきて……」


「心配……ですか?」


「彼、会社を休んで家から出てこないし、このままじゃ、道連れじゃなくて彼の方が後を追ってしまうんじゃないかって」


「それで?」

「嫌われようと思ったの」


「それで、何をしたのですか?」

 結婚することになっていた相手に嫌われたと思う心情が、鬼には分からなかった。 


「脅かしてやったの。お化けみたいな感じで。大成功したわ」

 女性は両手を肩の前で下げてお化けのようなポーズをした。その表情には悲壮感はなかった。


「あなたは……それで悲しくないのですか?」

 鬼は、必死に女性の考えを理解しようとした。


「悲しくないわ。どちらかと言うと……すっきりした感じ」

 そう言った彼女は満面の笑みを浮かべた。


「お嬢さん。顔は笑っているようですが、その……目から涙がでているようですが」

 女性の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


 鬼に言われて、初めて気が付いた。


「あれ……なんで、私……悲しくなんて……ない……」

 とめどなく流れる涙を、手で必死にぬぐった。


「このハンカチ、いいえ、手ぬぐいを使ってください。洗濯してありますので」

 手ぬぐいを受け取った女性は、しばらく泣いた。


 鬼はそれを、責めることもなぐさめることもしなかった。


「ありがとう」

 泣き止んだ女性は、手ぬぐいを鬼に返した。


「あなた、顔は怖いけど、とても優しいのね」


「光栄です」

 めったに人に褒められることがない鬼はうれしくなった。


「今、彼がどうしているか、分かりますか?」


「現世を覗くのは、あまり好ましくないのですが」

 鬼はそう言って、額に右手を当てて目を閉じた。


「友人の家にいますね。部屋の隅で震えています」


「荒療治だったかも。でも、これで目的は達成。これで彼は前に進める。私を忘れて……」

 女性はもう泣かなかった。


(9)

「そうそう。鍵を返しておくわ」

 ワンピースの胸ポケットから鍵を取り出した。


その時、ポケットから紙切れのようなものが床に落ちた。

鬼はそれを拾い上げた。


「これは……」

 彼と彼女が笑顔で映っている写真だった。


「そ、それは……」

 二人が出会った頃の写真を見つけた彼女。燃やすのが忍びなく思い、一枚だけ隠し持ってきたのだった。


「現世の物をお持ちいただくことはできません。没収させていただきます」


「そうですよね」

 女性は残念そうだが、仕方ないと思った。


「ところで、お嬢さん、あなたは、本当に心残りがなくなったのですか? 私は鬼なので人間の本心がわかりませんが、これが最善の策だったのでしょうか? 彼にとっても、あなたにとっても……」


「……」


「私から、提案があります」


「提案?」


 鬼は写真を裏返して、ペンと共に彼女に差出した。

「写真の裏にあなたの本心を書くのです。私は記録として、それをノートに貼っておくことしかできませんが。しかし、気持ちの整理はつくかと」


 女性は小さくうなずいて、机の上に写真の裏にメッセージを書いた。


「ありがとう。あなたの言う通り。今度こそ、気持ちがスッキリしたわ」

 写真を表に返して、ペンと共に鬼に渡した。


「私、そろそろ行くわ」

 女性は立ち上がり、神様の作った扉へ向かった。


「今度こそ、大丈夫」

 ノブに手を掛けて回す。扉は簡単に開いた。


「ほらね」

 女性は振り返って鬼を見た。


「お嬢さん、最後に一つ教えてください。あくまで、個人的にお聞きしたいだけなのですが」


「何でしょう?」


「生まれ変わるとしたら、何になりたいですか?」


「うーん……もうちょっと長生きしたいかな」


「叶うといいですね。その願い」


 女性は扉を大きく開けた。


 向こう側から、まばゆい光が差し込んでくる。

 扉の向こう側に立つと、女性は丁寧に一礼をして丁寧に扉を閉じた。

 

 鬼はしばらくの間、感傷に浸った。めったにないことだった。


 記録を残すためにノートに視線を落とした。机の上に、二人が映った写真が置かれていた。それを手に取った鬼は、写真を裏返してみた。


「ほう、これで彼は前に進めるかもしれん」

 鬼は独り言をつぶやき、おもむろに黒電話の受話器を取った。


「私だ。一つ頼まれて欲しい。現世に配達して欲しいものがあるのだ」

 相手は調達班の鬼だ。


「規則? 固いことを言うな、長い付き合いだろ」

 固辞する相手を何とか説き伏せた。


「写真をある男に届けてやってほしい……理由? そうだな……私は見た目によらず、お節介なのだよ」


 電話を切った鬼は、ノートにその日の記録をつけて仕事を終えた。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼がいる扉 ~10回、挑戦しても開かないの?~ 松本タケル @matu3980454

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ