第164話 鉄砂戦線、或いは世界への天敵

 空を裂く金切り音が荒涼とした山肌を撫でる。

 向かう先の空には夜が立ち込め始めるも、星々は姿を見せない。噴煙。遥か雪冠を被った山頂は半ば欠け、今も怪物めいて膨れ上がる膨大な煙を吐き出し続ける山――――アララト山。

 パイロットシートが空中に浮かんで見える全天周囲モニター有するコックピットにおいては、まさしく己が単身でその偉大なる山へと立ち向かうかの如き錯覚を抱く。

 つまりは、不安感というものだ。


 ホログラムコンソールにて浮かんだレーダーマップには、噴煙に含まれる固形ガンジリウムの電磁吸収が齎す電波空白地帯が横たわっており、広域を見通す目である筈のそれは殆どが役目を果たしていない。

 ちらりと、金髪を揺らして背後を振り返った。

 暗夜の如く都市を覆っていた暗雲と入れ替わるように、強い西日が空を燃え上がらせている。

 後にした都市からは今も黒煙が上がり続ける――……後ろ髪を引かれるような気持ちで全天周囲モニターの後面を幾度と振り返りつつ、シンデレラは問いかけた。


「それで、ここからどうするんですか?」


 併走するように飛行する灰色の刃天使――【アグリグレイ】のコックピット内の展開型即席複座に乗り込んだマクシミリアンは、脂汗でその癖毛の灰髪を額に貼り付けながら、震える口を開いた。


「宇宙に上がる……しか……あるまい……アシュレイ・アイアンストーブを……エーデンゲートでの戦闘を確認しなければならない……。いや、その前に……地上を離れる前に、ローズマリー女史の方か……」

「それよりもまずは手当ですよ! 中将が亡くなった今、中心は貴方なんですよ! 自覚してください!」

「……」

「それで、どこへ向かえばいいんですか! あるんでしょう、治療するところが!」


 シンデレラの呼びかけに、朦朧としたマクシミリアンが呟く。


「中心、か。……因果なものだ」


 俯き、彼自身に起きた数奇な運命を嘲笑うかのように。

 

「スパロウ中将が亡くなり、ゾイスト特務大将が死に……全てに火が点けられている……この国の秩序は、岐路についた。その支配のナプキンを握るのは、果たして、誰か」


 浅い息で肩を上下させつつ、他人事のように呟きながらマクシミリアンは思った。


 二度目だ――――。


 彼がこうして誘われるのは、二度目だった。

 一度目は、大地を焼いた星の杖の開発者の息子として。

 そして、焼かれた大地で立ち上がった希望の灯火の少女の――その異父兄として。

 更には、なおも戦争を継続しようとする己の国の上層部を吹き飛ばした終焉を与えるものとして。

 マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは、文字通り中心にいた。中心に、居てしまった。

 誘われたのだ。神の齎した数奇な運命か、それとも悪魔の与えた必然たる宿命か。

 今度は、


「ウィルヘルミナ……ハンス……因果な、ものだ……」


 今やこの世界に新たなる覇を唱えんとする勢力の首魁たる赤髪の少女と、傾き行く洛陽の秩序の中でも最後の砦の如く立つ黒髪の青年の知己として。

 或いは彼自身が、そんな争乱の渦中にある運動の立役者として。

 マクシミリアンは、また、ここに導かれていた。

 或いは再び己がこの物語に終点を与えるために――と彼自身までも思うほどに。

 少なくとも客観的かつ大局的にこの歴史を俯瞰するならば、まさしくマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートという男はこの時代の中核に位置していると言っても全く誤りではあるまい。


(こんな……己が祖国の勝利と同胞を葬った狂った狼に、まだ、仕事があるというのか。……従うべき指導者も、敬うべき先導者も失ったこの私に……)


 片膝から下を吹き飛ばされた疲労と消耗の中で、ぼんやりとマクシミリアンは考える。

 大切な人は、皆、去っていく。

 母も――――父も。妹も。

 戦友も。友も。恩人も。部下も。

 そして望まぬままに、自分は、入れ替わりに渦中に残される。その人たちとなら――と思ったものが形骸になって、残される。

 欲しくもない力と肩書があるから、自分は、そこに留まるしかなくなる。


 鎮痛剤を施されてなお蝕むように現れる言葉にならない痛みと疲労に、不意にすべてがどうでも良くなるような気がした。

 否。既に一度、とうにそんな気分になっていたのだ。あの大戦の落日、未だに戦争を続行しようとしがみつく国家の首脳陣と軍の指導者を吹き飛ばしたあとに。

 あのあと、どこか、消えるつもりだった。

 進めるだけ進んで、それで、消えるように死んでいくつもりだった。

 だというのに――……またこんな場にいる。


(中将……リーゼ・バーウッド……メイジー……父さん……)


 死んでいった人間たちが抱えた理想。夢。希望。

 それを知っているから、投げ出すことができない。

 一度は、彼自身とて同じものを見たのだ。その星を見て立ったのだ。だから、それを裏切れない。そんな己も裏切れない。

 それでも、ただ、息苦しくなった。――――何故己がそれに居合わせるのだと、そして担えるだけの力を持って生まれてしまったのだという気持ちにもなる。

 責務。

 期待。

 希望。

 その言葉は、重荷だった。才を羨まれたことは一度や二度ではないが、望むならそんなものを明け渡していいと思っていた。そこには必ず、力に対するだけの責任も生じるのだから。逃れられない宿痾として付き纏うのだから。


 今度は、己が、彼らの理想を継がなければならない。

 こんな己が。

 彼らのような輝かしい人間性も持たない己が。――できるのか? 指導者など。共に理想を目指す者を失って、たった一人で? それが彼らを殺してしまったとも言える理想などを、己自身の理想として掲げ直すことが?

 空っぽの義務感で。

 ――――それをできるのか? 己に?


(……買い被りです、中将。私はきっと、真実では、近くのものしか見えない。近くの人間の、その幸福しか。……貴方や彼らが居たから、だから――)


 大それた理想を抱える彼らがいたからこそ、それを良しとできた。そんな彼らの力になりたかった。幸福の助けになりたかった。共に論じられ、全力を尽くせた。

 その根が失われれば。

 あとに残るのは、虚しい義務感だけだ。形骸化した指標しか残らない。そして今の自分には、その義務を捧げる先の相手すらも死者しかいない。

 外にしか理由がない。

 群れでしか生きられない。

 どこまでいっても、それが、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートという男の本質なのかもしれない。


(……)


 そうして沈黙したマクシミリアンの呼吸を感じつつ、シンデレラは代わりに言葉を続けた。


「……ローランドさん。【グラス・レオーネ】と【アグリグレイ】なら、マスドライバーがなくても宇宙に向かえます。だけど……」

「ええ。まずはマクシミリアン様の傷の手当を。大気圏脱出の負担に耐えられるとは思えません。このまま支援者の下に向かいましょう。あのブラックボックスを回収し、今頃はその根拠地に戻られているでしょうから」

「ブラックボックスを回収――……」


 メイジー・ブランシェットの死の真相。

 そして、国家による裏切り。

 本来ならば決定的に【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の勝利を――――というよりも【フィッチャーの鳥】の敗北を運命付ける筈であったその一手だ。それを、手中に収めるべく動いた人間がいた。


「――――エース・ビタンブームス。あのレッドフード、マクシミリアン様の妹様の戦友です。ご存知ですか?」


 ご存知ですかも何も、この国に知らぬ者はいないと言えた。シンデレラも雑誌で目にしたことがある。保護高地都市ハイランドを勝利に導いた軌跡の船の、そのクルーだ。

 それでも今は、あのように雑誌を眺めていた日のように胸が高鳴ることはなかった。

 もう、ここに来てしまったから――――。

 自分も主体者として戦場に関わってしまったから、浮ついた憧れなんて持てなくなっていた。


「我々が行うべきは三点。まず第一点はマクシミリアン様の治療。中将亡き今、我々が掲げるべき旗印は我が主をおいて他にはおりません。……そしてマクシミリアン様という衛星軌道都市サテライトの人間が立つことで、あの【蜜蜂の女王ビーシーズ】が得る潜在的な支持も割ることができる」

「……二点目はなんですか?」

「エーデンゲートの戦果の確認です。【フィッチャーの鳥】と【蜜蜂の女王ビーシーズ】で行われる筈だった裏取引を衆目に晒すことで、これら【フィッチャーの鳥】の支持を揺るがします。……可能であるなら、その衝撃に乗じて【雪衣の白肌リヒルディス】の再生と隠蔽、そして強奪についても触れたいところですが、しかしこれを行ってしまえば【蜜蜂の女王ビーシーズ】の対立は決定的になります」

「……何か不味いんですか?」

「やけっぱちになる、ということです。現時点であの兵器を保有する【蜜蜂の女王ビーシーズ】がそれを大体的に用いていないのは、グッドフェロー大尉との戦闘による損耗も然ることながら、ひとえにまだ交渉の段階――保護高地都市ハイランドと協力関係を築くためにあります。つまり、不倶戴天の敵として取り扱われてしまったら彼らも使うしかなくなるのです」

「……」


 追い詰めすぎるな、という話なのだろう。

 そのことを呑み込もうとしてから――不意にシンデレラの頭を過ることがあった。

 あの都市の、あの暴動の話。

 自身も直面したそれであるが……あの瞬間はそこまで気を配って置くことができなかった。だが、ふと思えば――意思を感じたのだ。

 ある種の統一された作為と言っていい。


「……本当にそうでしょうか」

「ミス・グレイマン?」

「本当に――――あの人たちは、交渉のために奪っただけですか? だって、大尉との戦いで保護高地都市ハイランド目掛けて使用されたって……前に言ってたじゃないですか!」

「……それは。ですが、ハンス・グリム・グッドフェローなどという怪物を前にしたら、つい使ってしまっても不思議ではないのでは?」


 あんまりな物言いだ。


「確かに――……ええと、確かにそれは少しは判りますけど……。大尉がいきなり襲ってきたら……えっと……確かに……」

「でしょう? 不殺の信念を持つ剣士であろうとも、目の前に熊やゴリラが現れたら反射的に剣を抜きます。ましてやハイランド・ゴリラ・ゴリラなら尚更です。目の前にゴリラやドラゴンや神話生物が現れたら、そのへんのものを投げつけるぐらい気軽に恐慌に陥っても仕方ない」

「確かに……」


 それは頷けるところではある。

 恐怖を与える、という意味では黒衣の七人ブラックパレードのそれは真実なのだ。かつてヘイゼル・ホーリーホックと向かい合ったとき、その圧力だけで息の根を止められる感覚を味わった。ハンス・グリム・グッドフェローも同様に、彼の憤怒を目の当たりにしたときには骨身まで焼き尽くされる気がした。


「でも、大尉はゴリラじゃなくて猫好きのワンちゃんなんですっ! じゃなくて――」

「――ええ、それは冗談です。ですが正直なところ、我々は彼女の勝利目標を誤認した。アレは戦闘中における迎撃されることを前提としたでの使用かと想定した――――いいえ、それがあの場の戦力や彼らの利益を考えるに最も論理的で効率的な手段だったのです。故にそう結論付けた。ですが……」

「そうなんです! あの街には……あの街に広がっていた怒りの炎は、始まりは同じ色をしていたんです!」


 些か抽象的な表現になってしまう。

 だけれども、ただ直感的に覚えた感覚を根にシンデレラは続けた。


「あの街に、本当にあの人たちは交渉のために来たんですか? だって――そのウィルヘルミナって人は、んでしょう?」

「……その技能の発動にはおそらく条件があると、アシュレイ・アイアンストーブの戦闘報告からはありましたが」

「あの街は、それを満たしていたんじゃないですか? だからあんなふうに――が起こった」

「――――!」


 対立――【フィッチャーの鳥】への支持と不支持。

 不安――この戦火が終わるのだろうかという懸念。

 恐怖――アララト山の噴火。

 不満――都市外から詰めかけたデモのための異邦人までを収容する避難施設。不足する物資。


 場は整っている。

 負の感情が渦巻いている。

 火薬庫の如く、争乱の種がある。


「……火山の噴火という偶発的な要因を核に据えていては作戦と言うには些か無謀が過ぎます。その点では、非現実的だ」

「そう、ですか……でも――」


 言いかけるシンデレラの言葉に、ローランドの通信が被さった。無線の混雑音と共に、


「噴火がなければ、別の要因でもいい。彼女自身の手駒や別の場所で手駒にしたものを用いて騒乱を起こす……あれだけの舞台なのです。その辺りの人間を撃つだけで、十分な騒動になる。もしくは……あの会談の当初に鎮圧されましたが、残党軍による襲撃がまさにあった」

「じゃあ……!」

「ええ。……あまりにも無意味だ。それを行っても意味がない。常道ならそう言える。ここでいたずらに戦火を広げたところで、世界は混乱を増すばかりだ。勝利すら誰一人として得られぬ形で。だが――」


 それはあくまで、現実的な目線に基づいた推論だ。

 だが、果たして――とっくに現実なんてものを投げ捨てていたとしたら?

 まさに幻想の中にしか、己の物語の中にしか生きぬ者がいただろう。他ならぬ残党軍がそうと言えた。自分たちが星になるただそれだけのために周りの全てを巻き込もうとした殉教者気取りの愚物――愚かな自殺者たち。

 一体それとウィルヘルミナが異なると誰が言える?


「……理解しました。【蜜蜂の女王ビーシーズ】が【フィッチャーの鳥】と裏取引をしていたのは、。彼らがだとすべての勢力に認識させるためだった。何もかもはその布石にしか過ぎなかった」

「……!」

「その前提が覆れば――……話は全く変わります。彼女はあの場の何もかもを焼き尽くすつもりだったのです。全てを葬る気だった。初めから――あの状況を利用して。ウィルヘルミナ・テーラーには、到底、平和に収めようという発想がない。何もかもに火を放つ女でしかなかった」


 あの場での、暗殺の警戒はした。

 だが――――一体誰が想像する?

 場を収められる何もかもが葬られたら、終わりのない戦火が吹き荒れるだろう。そんな無意味で、非生産的で、破滅的で、ただ破壊的なだけの完全なるテロリズム。政治目標や利益獲得ですらないという行為を。


「つまり、アシュレイ先生たちは……」


 間違いなく、戦闘になろう。それも極めて激しい。

 地上で何かを起こすならそれが陽動としても最適であると――シンデレラが思ったその矢先だった。


「……砲身」

「え?」

「エーデンゲートには、宙間輸送のために大量のガンジリウムを積載したゲートがあります。グッドフェロー大尉との戦闘によって消耗させられた流体ガンジリウムを補うには、都合がいい。……通常ならまず想定されるゲートが持つ高すぎる経済的な価値ですらもない。あれは、を確保しに向かったんです」


 陽動ではない。

 そちらもまた――――本命だったのだ。

 宇宙の交通の要所、流通の要。

 そんな戦略的な価値をその完全な隠れ蓑にした上で。


「じゃあ……!」

「とは言っても、現時点でその戦場に関して我々に可能なことはありません。……おそらく既にもう何らかの決着を迎えているはずですので。ここから入れる保険はない」

「……」

「……三点目は、中将が暗殺を受けたということへの声明発表です。その容疑は【フィッチャーの鳥】に拠るという論調にするつもりでしたが、この分ではそれもわかりませんね。我々がいがみ合うことが、【蜜蜂の女王ビーシーズ】の利に繋がりかねない。実に的確で、恐ろしい相手です」


 灰のアーセナル・コマンドの操縦桿を握るローランドが深い吐息を漏らした。


保護高地都市ハイランド側でどこまでこれを把握しているか不明ですが……その運びによっては、我々は【フィッチャーの鳥】の打破をできなくなるかもしれません。もしも【蜜蜂の女王ビーシーズ】が何もかもを焼き尽くすつもりならば、間違いなく【フィッチャーの鳥】はその抑えになる」

「……どうなるんですか?」

「それを無視して攻撃を行おうとすれば、保護高地都市ハイランド側がということです。……既にこの戦役の当初と状況が異なる。あくまでも国家が無事である上で、政治的な代理闘争の意味もあった。故に本国は不干渉を貫いた。……だが、国家そのものが揺るがされるならば、そこで争いを起こす何もかもが彼らの敵です。そして――残念ながら組織そのものが正規軍に組み込まれているのは、あちらです」


 つまり、【フィッチャーの鳥】を取り除くことはもう不可能に近くなるということだった。

 機体越しに暗澹と告げるローランドの前で――……しかし、シンデレラは違った。


「……あの。もしそうなら、【フィッチャーの鳥】はどうすると思いますか?」


 シンデレラの問いかけへ、ローランドが応じる。


「当然、国家の防衛に入るでしょう。その本来の設立理念通りに。……彼らとしても都合がいい。そこで存在価値を証明できれば、最悪の解体は免れるでしょうから。

「じゃあ……」

「ミス・グレイマン?」

「じゃあ、それでいいじゃないですか! だってあの人たちがこれ以上に悪いことをしないで――ちゃんと戦ってくれるというなら! わたしたちがこれ以上争わなくても! それでいいじゃないですか! そういうことじゃないんですか!?」


 シンデレラの言葉に、ローランドは首を振った。


「それで彼らの有用性が証明されてしまったとき、現状の問題点が残されたまま存続する――……或いは余計に嵩に着るかもしれません」

「でも……じゃあ余計に危ないことがあるのにって言うんですか!? そんな場合じゃないでしょう!? そんなことをしていたら、かもしれないんですよ!?」

「……ですが、宇宙の民からは見過ごせることではない」

「そうやって続けていたら、本当に取り返しが付かなくなってしまうというのに! 自分の利益だけを見て!」

「しかし、それ以外に道はない! 保護高地都市ハイランドが今日まで【フィッチャーの鳥】を見逃したのです――――それが続かないとは誰にも言えない! そして彼らが【蜜蜂の女王ビーシーズ】と諸共にこちらを滅ぼさないと、何故言えるのです!」


 どちらの主張にも正当性はあった。

 ここで【フィッチャーの鳥】と【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が争えば、最も利を得るのは【蜜蜂の女王ビーシーズ】だ。そして彼女たちは、何もかもを燃やし尽くそうとしている。それを前に争うことのなんと蒙昧か。

 だが、ここで【蜜蜂の女王ビーシーズ】を取り除くことを優先すれば、そのときには趨勢が決する。即ち、【フィッチャーの鳥】の存続と承認。彼らに対する弾劾は届かずに終わる。

 歴史的に……非常時にこそ軋轢が噴出するというのは、これが故なのだろう。強大なる外圧を前にしながらも内部での争いが起こるのは、これが故なのだろう。

 だから、これに結論が出るはずがない。

 もう【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】には、どちらを選んでも詰みに近い状況が作られているのだ。当初の作戦目標の達成は困難であった。

 だが、


「一つ……手段がある……」


 荒い息のまま、複座シートで俯いていたマクシミリアンが顔を上げた。


「もしも……今後の潮流が半ばまでされたあの会談の通りに事が進むとして……ゾイスト特務大将という最大の基盤を失った彼らに有利な形では、終わらない可能性も高い。彼の高い政治力の後継者が、用意されていなかったためだ。そういう意味では保護高地都市ハイランドとしても、この疑惑の組織を解体するいい機会だと……そうも見做すだろう」

「じゃあ……!」

「……ともあれ。そこは、こちらも同じだが。スパロウ空軍中将を欠いた我々を、保護高地都市ハイランドがどう見るか――……無軌道な反政府組織になると、おそらくその懸念が最も高いはずだ。そうでなければ、或いは主導者を欠いた御しやすいものと考える可能性もある。つまり、あの会談で一度は約そうとしていた監査組織へ取り入れるという約定は、白紙に戻されかねない」


 では結局、穏当な解決は望めぬというのか――……。


「しかしただ一つ利するのは、前にも言ったように……兵の質だ。黒衣の七人ブラックパレード級の戦力を抱える――我々はその一点において、他にも増すイニシアティブを持っている。もし【蜜蜂の女王ビーシーズ】とことを構えるのであれば、この戦力は無視できない」

「……! じゃあ、アシュレイ先生とわたしがいれば――!」

「ああ。……数奇なことであるが、それがこの組織やひいては保護高地都市ハイランドのためになろうとはな。奇貨居くべしとは、このことか」


 そのことに、シンデレラの胸に強い感慨が訪れた。

 幾度と折れそうになった。

 それは、【ホワイトスワン】に乗り込んだあの日から。

 訓練で――――ときには実戦で。

 ヘイゼルに撃ち落とされてからは、臨死のショックで機体に乗れなくなった。父に売られ男に穢されかけ、目の前でそんな父が死んだことも深い傷になった。

 守ろうとした人々を目の前で虐殺された。友誼を深めた仲間も失った。

 圧倒的な実力を持つ相手に撃墜されそうになった。

 それでも――――それでも歯を食いしばって、立ち上がった。己のそんな意思が、ここで、道に繋がった。

 そのことが、報われる気持ちだった。ここまで耐え続けたこと、頑張ったことは決して無駄ではなかったのだと。


「その点において、我々から保護高地都市ハイランドへの協力を申し出ることは可能だろう。彼らとも、その後の交渉の余地が出る。当然――そこには君の有用性の証明が必要不可欠だが……」

「やりますよ。戦えばいいんでしょう!? それしか道がないなら、それで一番正しい道に辿り着けるなら……わたしはやります!」

「……」


 そしてそんなシンデレラの返答を前に、マクシミリアンもまた感慨を抱いていた。ただ――彼女とは真逆のものを。

 またしても、と言うべきか。

 彼の妹であるメイジー・ブランシェットが前の大戦にて決定的な役割をいつしか持つようになったように、またしても少女がその場に登った。

 ある意味では、その再現か。

 初めはただのプロパガンダだった筈だ。【ホワイトスワン】という最新鋭機を奪われた保護高地都市ハイランドが掲げた偽りの偶像。偽の神話。人造聖剣。彼女はそんな役割で、メイジー・ブランシェットやマーガレット・ワイズマンをなぞるように壇上へとあげられた。

 だけどいつしか、真実、彼女はそんな劇の主役級の位置についている。

 またしても少女が、戦乱に対する一つの切り札のように。


(……或いはメイジーがそれを為してしまったから、なのか)


 既に神話が作られた。

 そして一つの物語を定型として他の物語が生まれるように、新たな神話が作られていく。似通った条件で。同じ匂いを漂わせながら。

 ともするとこの先もこの歴史に生まれていくのではないかと、そんなことをふと思いながら口を開く。

 それは、ある懸念だ。


「一つ聞かがりなのは――……あの、ラッド・マウスという男だ」

「……!」


 本来ならば終わるはずだった【フィッチャーの鳥】の悪行の開示を防ぎ止めた男。

 陰謀論で世界を二分するかのように、悪を断つはずであった妹の死の真相を世論の分断に用させたあの美丈夫だ。


「あの男が口にした【フィッチャーの鳥】の中のさらなる特殊部隊とは……ともするとあの、【狩人連盟ハンターリメインズ】のことであったのではないか?」

「【狩人連盟ハンターリメインズ】……?」

「……そういう情報を得ている。専用に調整設計された高度な機体を用いて、黒衣の七人ブラックパレードに並ぶべく作られた特殊部隊。君や私も戦ったあの奇妙な機体たちだ」


 僅かに頷き、マクシミリアンは続けた。


「もしもその戦力が十全に発揮されるなら、保護高地都市ハイランドは我々の助力を不要とする。彼らにとって重要になるのは【フィッチャーの鳥】だ。その特殊部隊の数がどれほどか判らないが、十分な数がいるとするならば――彼らは我々を必要とせずに事態を収束させるだろう」

「……さっき、わたし、戦いました。勝ちましたよ」

「ヘイゼル・ホーリーホックと共同で、だろう? おそらくそれだけでは我々の優位の絶対的な証明にもならない。君から……彼らはどうだった?」


 マクシミリアンの問いかけに、シンデレラは僅かに俯きながら答えた。


「……強かったです。ヘイゼルさんが居なければ、駄目だったと思います」

「そうか。では、より数を揃えられるとしたら?」

「……」


 シンデレラの沈黙。

 彼女とて、二対一では敗北を余儀なくされるであろう機体。いや、ともすればあの戦いは一対一とも言える。だけれども勝ちきれなかった。どころか、殺されかけた。

 それがより多くを揃えられたなら――――保護高地都市ハイランドは、明確に黒衣の七人ブラックパレードを不要にする。それだけの暴力だった。

 二つのコックピットを沈黙が支配する。

 ただし、マクシミリアンの抱いた危機感はそれとはまた別のものであった。


(あの場で、あえて分断を加速させるような発言をし――そしてそんな最高戦力の部隊長を務める。……ロビン・ダンスフィードの言に従うなら、メイジーの死の直接的な要因になったのも【狩人連盟ハンターリメインズ】だ)


 あの黒いフード付きコートを纏った白き蛇の如き装甲を持つ機体。

 大箒同然の砲塔を持つ黒魔女の機体。

 死者を従える青薔薇の人妖花。

 どれもが、【狩人連盟ハンターリメインズ】が抱えた専用特化機体だ。つまり、メイジー・ブランシェットを暗殺したことに彼らは深く関わっている。

 それが国家の命令によるものなら、まだ良い。

 あくまでも指揮官として命令に従っただけならば、まだ良い。


(この男は――――本当に国家に従うだけの軍人か?)


 もし、彼こそが何らかの悪意を持つというのであれば。

 それは、最大の威力を生むだろう。

 かの【フィッチャーの鳥】の中核に近い権力。

 そして黒衣の七人ブラックパレードに等しい暴力。

 それはいま現時点のこの世界において、最も強大な支配力を持つと言っても――――過言ではないのだから。

 そんな玉座とも言える場所に彼が置かれることになってしまった。全ての因縁が積もり重なったその上で。


「……そうだ! 戦力っていうなら、ロビンさんはどうするんですか? ロビンさんとの合流は?」

「ブラックボックスがここにあるということは、彼はに勝利を捨てたということですよ。……敗北してなお生存が許されるほど、【狩人連盟ハンターリメインズ】が生易しいとは思えませんね」

「……」


 ローランドの冷たい言葉に、シンデレラは小さく拳を握った。ブラックボックスの存在について伝えた通信のときから、覚悟はしていた。

 思い出すのは、あの、海の都市での言葉だ。


 ――――〈オレから言うのは一つだ、クソガキ〉〈……テメーが死んだら、オレは、世界を焼き尽くす〉〈こうなる筈じゃなかった世界に、オレが、始末をつけることになるんだ〉。

 ――――〈とにかく、オメーは死ぬんじゃねえぞ。死ぬようなことから遠ざかれ〉〈……いいか、クソガキ〉〈オメーは吐いた啖呵の分、期待外れじゃねえってことを見せなきゃならねえんだぜ?〉。

 ――――〈いいか?〉〈オレに従えと言ったんなら――オレに命令するってんなら、黒衣の主に相応しい動きをしろ〉〈……星になるな。生き残れ。生き残れよ、シンデレラ・グレイマン〉。

 

「……自分が死んでどうするんですか。バカじゃないですか、そんなの」


 傲慢で、高圧的で、声が大きくて、子供扱いをしてきて、好きにはなれそうにない人だったけど。

 それでも、言葉を聞いてくれた。

 約束をしてくれた。

 そして彼がそんな死地に飛び込むことになったのは、紛れもなく、シンデレラの言葉によるものだったのだ。彼に為すべきを為せと言ったのは、他ならないシンデレラなのだから。

 操縦桿を握って俯きたくなった。

 だが、ローランドからの通信がそれを許してはくれなかった。


「さて。……生憎ですが、私は機動戦闘は不得手です。ここからの戦いは全てアナタにお任せします」

「……」

「つまりは、あのグッドフェロー大尉に刃を向け流血を迫った我々の生殺与奪をアナタが握っているということです。我々の運命は、貴女の胸先三寸です」


 試すようなその言葉に、


「……しませんよ。それじゃあ、なんのためにわたしたちは戦ったんですか。どうしてカリュードさんやライオネルさんは死んだんですか。ここで貴方たち二人が死んで、どうやって【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】を続けていくんですか。……卑怯ですよ、そういう言い方は」

「失礼。ですが、選択肢の話ですので。……フ。兄の仇であるアナタを私が見逃すのと同じ程度には、アナタにも常識を持っていただけているようで何よりです」


 嫌味な言い方だと思った。

 ただ、言い返さなかった。大切な人を失う怒りや辛さは、多分、わかる。出会ってそう間もないカリュードやライオネル、ロビンを失ったシンデレラでさえこうなのだ。

 半身とも呼べる兄弟を失ったローランドの怒りと喪失感には、どんな値札も付けられないだろう。


 そして、憂鬱なことはもう一つ。

 あの都市から離れるということは、あの都市の警備を任されずに更に外に待機させられていた【フィッチャーの鳥】との戦闘の可能性が格段に上昇するということだ。

 あの街では、自分が法や主のように振る舞って、彼らに都市部での救援を行わせた。暴力的な強制ではあったが、彼らは人々を助けることを最終的に行ってくれた。

 敵ではある。シンデレラ自身がこれまで何度も味わったことから、許せない相手だとも思っている。

 だけれども彼らもまた、人々に手を差し伸べられるだけの力を持っている。その力を得るだけの訓練を積んでいる人なのだ。


(……嫌だな、戦うの。戦わなきゃ、いけないの)


 そんな人たちと、また殺し合いをしなければいけない。

 どんよりと暗い気持ちが立ち込める。

 レーダーにはまだ何も映らない。彼らはそのガンジリウムの蓑の奥に隠れているのか。隠れて、戦闘の準備を整えているのか。

 モニターの中でより大きくアララト山が近付いてくる。

 噴煙とガンジリウムに紛れれば、おそらくレーダー障害や通信障害を彼らも厭ってさほど展開していない部分を抜けられる筈だ――――というマクシミリアンの読み。

 本当に、そうなるのだろうか。

 そう思った、その時だった。ノイズ混じりの広域通信周波数が電波を拾ったのは。


『グッ……フェロー大尉……!? どうし……貴方が出げ……を? はい、確かに…………状況は…………救援要請を、【フィッチャーの鳥】に!? いえ、です…………かりました。では、彼らを友軍と――』


 乱れた通信音声の中で、少女の声が応じていた。

 その声が、また別に切り替わる。

 異なる周波数で、別の通信が流れていた。


『展開中の【フィッチャーの鳥】各機に通達――…………緊急事態により、指揮を――――……での待機ののち、指定空域――――に集結。その後、グッ……フェロー大尉の先導の下で都市に進入。繰り返す、各機は一度所定の基地に…………し、爾後、指定空域――……に集結。先導は黒のコマンド・リンクス。コールサイン【ノーフェイス01】――――……』


 信じられない名前が、そこにはあった。


「……まさか、あれから出撃するとは……重ね重ね、狂った男だ。ハンス・グリム・グッドフェロー……」


 恨めしげなマクシミリアンの声も耳に入らない。


「大尉……! 大尉、生きてたんだ……! 大尉……!」


 彼が無事だったことへの安堵と、それ以上に溢れそうな程の感慨。

 あの人は、最後まで善の傍に立とうとしている。

 命の傍に、立とうとしてくれている。

 戦火が大地を埋め尽くそうとも決して潰えない。そこに秩序の旗を掲げ、いつまでも立とうとしてくれている。苦しむ人たちに向けて。

 争いを、収めようとしてくれている。


(戦わなくて、いいんだ……! 大尉……!)


 大丈夫だと、そう、背中を押してくれた気がした。

 守ろうとしてくれている。

 あんな形の別れになったのに、離れているのに、彼はまだ守ろうとしてくれている。

 そのことに思わず、ロザリオを握り締めた。彼が生きている――――そのこと以上の何よりの喜びと共に。


「ふ。……やはり流石ですね。ハンス・グリム・グッドフェロー。それでこそです」


 なんでこの人が後方理解者ヅラしてるんだろう。

 わたしが寝てる間に何があったのか。知り合いなのだろうか。

 小さく「それでこそ我が……」とか「私の認めた……」とか聞こえるけど怖いから聞かないことにした。


(……大尉。大丈夫ですか? 傷付いて、いませんか? 痛く、ないですか?)


 あれだけの怪我があるのに、出撃してしまう。できてしまう。

 そして、これだけのことが行えてしまう。

 だから――人は彼に星を仰ぎ見る。英雄だと、彼を呼んでしまう。そう祈ってしまう。

 そしてそうされる限り、彼はどれだけ傷だらけになっても立ち上がってしまう。

 ただ――祈りに応えるAnswer for Prayそのために。


(だから――――だからわたしは、これ以上貴方が一人で戦わなくていいように……! 必ず迎えに行きます! 絶対に、もう絶対に貴方を一人になんてさせません!)


 絶対に、もう一度。何度だって。

 あの人の名前を呼ぶ。

 一人きりで苦難の道を進まないように。誰に置き去りにされてもそこに立ち続けないように。

 貴方の隣に、いるんだって――――――。




「祈るのは実に結構ですが、それは彼からの贈り物ですか?」

「そうですよ。どうかしましたか?」


 口を尖らせて隣の僚機からの通信に応じれば、


「なんと申しますか……こう、純度が下がるから……正直やめていただきたいのですが……」


 貴方は大尉の何なんですか!?



 ◇ ◆ ◇



 街の方方では炎が上がっている。

 引き連れてきたコマンド・レイヴンたちは、【フィッチャーの鳥】に属するその駆動者リンカーたちは、凄惨な光景に息を呑んでいた。

 すぐさま、現地で今なお救助を行っている部隊の指揮官に再度の連絡をとった。

 救助のプラン。

 制圧のプラン。

 避難誘導のプラン。

 既にあちらで、それらの概形は作られている。こちらはそれの邪魔にならないように部隊を割り振っていく。現場で一番の混乱を生むのは、こうした混成部隊ができるときだ。統合任務部隊の処理は、気を悩ませるものと言っていい。


「……特に貴官らの歩兵戦力が、彼らにも最も貴重な戦力だろう。騒乱の鎮圧ののち、市民たちへの支援を頼む」


 何機かのコマンド・レイヴンがコンテナのようなものを牽引している。それが、【フィッチャーの鳥】の持つ陸戦兵力を輸送するためのものだった。

 待機の呼びかけに向かった際に出会った部隊たち都市の情報を伝えた上で、所属基地への帰還を願った。帰投後に速やかに状況が共有され、彼らは想定される状況に必要な部隊を編成してくれた。

 今の各機は、その即応部隊の護衛を努めるための空対空戦力と兵員及び物資輸送戦力で構成されている。

 こちらが空域に展開した部隊全てに呼びかけ終わったそのときには、基地間の埋設有線ケーブルを通じて情報は共有され、必要な支援物資の構成と部隊の編成の手配は完了していた。あとは、改めてあちらの基地でそれが実行されるだけだ。

 このデポジット能力こそあの大戦の勝利に必要であったもので、終戦から三年、それが錆びついていないことに頭が下がる思いだった。


 今の自分は、先遣だ。


 つまりはレヴェリア市に既に展開している保護高地都市ハイランド空軍に向けて【フィッチャーの鳥】及びその駐留基地の保護高地都市ハイランド軍が敵対的な意図を持った部隊ではないと伝達し、その後に出発する本格的に編成された支援物資と救助人員を持つ本隊の到着をつつがなく終わらせるためにここにいる。

 先遣隊は、無事に都市に入った。

 道中のスイープ――――これに乗じた反政府組織による襲撃が実行されぬように行った制空圏の構築も、済んだ。

 あとはこの街の秩序の立て直しと、もしくは都市からの避難や退避が行われるだろう。


「非常時の指揮権を返上する。……貴官のあの判断のおかげで、この街の救援も速やかに実施されそうだ。感謝する。……重ね重ね、深く感謝する」

『指揮権の返上を了解しました、グッドフェロー空軍大尉! 爾後はこちらで統合された任務部隊と現地の部隊を主体として救助活動を実行します! お疲れ様でした、鉄の英雄!』

「……ああ。貴官も、息災で」


 街を見る。

 焼けている。

 煙が上がっている。

 もうすぐ夜が来る。

 暴動は、収まったのだろうか。


 ……あの日、自分たちに手を振ってくれた人はどれだけ残っているだろうか。

 全員を生かすことはおそらくできていない。

 関わった人たちは、皆、最大限に動いてくれた――――彼らはベストを尽くした。それでもきっと、自分は遅きに失した。エディス・ゴールズヘアとの戦いに手こずったその時間で、一体、幾つの命が失われただろうか。


(……すまない。もっと速やかに――……すまない……)


 二度と取り返せない喪失。

 一つ一つの失われてはならない命。

 それを、守れなかった。またしても。何も。満足に。

 あの日の彼らは、どんな気持ちだっただろうか。無邪気に手を振る彼らは、こんなことになるとは思ってもいなかった筈だ。それが踏み躙られてしまった。彼らの日常が。平穏が。人生が。

 死ぬときには――どう思っただろう。

 あの日に手を振った相手が救ってくれると、救ってほしいと、そう願ったのだろうか。まさに死に瀕するそのときに、絞り出すように祈ったのだろうか。

 それに、届かなかった。

 怖かっただろう。辛かっただろう。死にたくなかっただろう。誰かに助けてほしかっただろう。

 その祈りを、踏み躙ってしまった。人の最期から零される精一杯の願いを――――祈りを。

 自分は何もできなかった。


(……)


 地上からされる対空火器の使用。

 ウィルヘルミナ・テーラーに導かれた反乱。

 それを、《仮想装甲ゴーテル》を最大展開したコマンド・レイヴンが盾になる形で受け止めながら、地上に部隊展開を行っていく。

 ひとまず彼らも、都市への発砲は行っていない。

 市民への配慮を求めたこちらの訴えを、どうやら受け入れてくれたらしい。あとは――――別に用意したウィルヘルミナの支配を断ち切る装備を利用して都市部の鎮圧を進めていく。それだけだ。

 並行して、襲撃が行われた空軍基地と滑走路の確保も行われている。他には、政府要人の詰めるホテルへの救援作業だ。


 街の中で、特に抵抗が薄い部分があった。

 というよりも、まるでないところだ。

 道路に人が倒れている。そんな場所が、あった。

 

「よぉ、死神。今度はお前さんが騎兵隊代わりってか? 中々気が利いてるじゃねえか、なあ」

「……ヘイゼル」


 見れば、二丁のショットガンを握った漆黒のコマンド・リンクスがこちらに向けて飛来した。

 彼の手によるものなら、頷けた。

 この手の鎮圧はロビンやマーガレットの特技であったのだが、ヘイゼルにもできたのだろう。彼らには。


「あれから、争っちゃいねえよ。お前さんがどこまで見てたのかは判らねえが……シンデレラの嬢ちゃんが場を収めてから、この場じゃ誰も撃ち合っちゃいねえ。……皆して人助けだ」

「……そうか」


 この都市で【フィッチャーの鳥】と保護高地都市ハイランド空軍が争っていないかも、懸念の一つだったが……どうやら杞憂であったらしい。

 これで、救援に来た【フィッチャーの鳥】の心象悪化や軋轢も避けられた。

 この剣を、抜かずに済んだ。


(……シンデレラさん。貴女は、心からの理で人を説ける。闇夜に寄り添う暖かなる灯火のように)


 自分にはできない。

 ただ殺すことしかできない。

 そう設計したのだから、そうにしかなるはずがない。


「さて、と……だ。なあ相棒。スピーカーの音量をちょっと変えてくれるか?」

「? ああ……今のままでも十分に聞こえるが――」


 短波通信。

 何かと思って音量をあげ――――揺さぶられた。

 脳を。

 三半規管を。

 ヘイゼルが、あちらの通信機を叩いていた。


「くらくらする。何故だヘイゼル。俺は友軍だ。何故攻撃する。酷いぞ。くらくらする。痛い。酷い。なんでこんなことをするんだ……」


 誤射とは思えない。攻撃だ。

 だが、何故彼がそうするのか。心当たりがない。

 いや、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に誘われてしまったのか。そして、自分を始末しに来ているのだろうか。

 彼は――


「おめえが絶対安静の怪我人だからだ! お兄さんは寝てろっつったよなあ! なあ! なんで機体に乗って飛び回ってやがる! ふざけんじゃねえぞ!? そこがテメエの棺桶だとでも言いてえのかバカタレ!」

「だが……」

「『だが』も『いや』もヘチマもねえよ! 寝てろっつったなら寝てろ! なんで俺がお前の代わりに戦ったと思ってるんだ、ああっ!?」


 確かに、申し訳のないことをした。

 彼の怒りももっともだろう。

 だが、決して、こちらも望んだことではない。

 あの詰め所でウィルヘルミナ・テーラーから接触を図られ、その会話で得てしまった情報を共有する必要があったのだ。不可抗力だった。


「……状況判だ――――……痛いぞヘイゼル。痛い。俺は怪我人なんだ。君がそう言ったんじゃないか。酷い」

「怪我人だってんなら出撃してんじゃねえ! 出撃してんなら怪我人だって言うんじゃねえ! こっちはお前さんのために……お前さんがあんな調子で頼むから必死こいてあの嬢ちゃん守って命懸けで戦ってやったってのに、お前さんがホイホイと別に出撃してんじゃねえぞコラ!」

「……だが、状況が――……痛いぞヘイゼル。痛い。耳が痛い。酷い。何をするんだ。どうしてこんなことをするんだ……酷い……」

「痛くねえとお前さんは判らねえだろうが!!!!」


 そんなことはない。

 物分りがいいことは自分の数少ない美点だと自負している。分析と判断が早いと。


「お前さんホンッッッッットに昔からそういうところあるよな!? あの大戦のときも気を利かせて寝てろって言ったら『余裕ができたから書類を纏めよう』みてえによぉ! 前々からホンッッッッッッッッットにそういうとこあるよなあ!?」

「いや、余裕があって書類の期限があったからどうにもやむを得ず――――……痛い。酷い。どうしてなんだ。緊急性があったんだ。役割分担じゃないのか」

「一声かけろっつってんだよ!!! ホンッッッッッットてめえは猟犬してた頃から『役割がある』『ならば理解できる筈だ。これが最も合理的だ』『貴官ならば説明の必要もないと認識していたが、俺の買い被りか』みてーにしやがって! 人の心ってモンがねえのか! お前さんそれやってたら絶対マジに将来離婚とかされっからな! というかだから今まで女から散ッッッ々にボロクソに言われてフラれてるんじゃねえのか!? ああ!?」

「……酷い。酷い。どうしてオープンチャンネルでそんなこと言うんだ。なんで皆に聞こえるように言うんだ。そんなに酷いことしなくてもいいじゃないか」

「いい薬だバカタレ! 駆動者リンカー保護も万能じゃねえんだぞ! とっとと治療しろ! あとは俺が引き継いでやるから! 今度こそマジに寝とけ! 次はねえぞ! 説明なら後で聞いてやる!」


 コマンド・リンクスの銃口に基地を指さされる。

 正直、まだ完全に鎮圧が終わってなさそうで戻りたくない気持ちが強い。

 流石に囲んで棒で殴られたら死んでしまう。特に今は。

 それはそうとして――――言わなければならないことがあった。

 

「ヘイゼル」

「ああ? なんだ?」

「無線の私的利用は良くない。非常時なんだ」


 キィィィイーンと、また脳を揺さぶられた。


「……ったく。お前さんがやらなきゃいけねえのは判るが、それでお前さんが死んだらどうすんだよ」

「ヘイゼル……」

「……これ以上、猟犬の同期が死ぬとこなんざ見たくねえんだよ。不幸中幸運ラッキー・アンラッキーのライオネルも死んじまったみてえだしよぉ……」

「……ああ」


 自分、ヘイゼル、ロビン――――……殆どもう、生き残りはいない。大半が失われている。

 彼らは先に橋を渡ったのだろうか。虹の橋を。

 もう取り戻せない喪失の、向こうに。


「……ヘイゼル」

「なんだ、相棒?」

「ありがとう。……本当に」


 それしか、言葉は見付からなかった。

 彼のおかげで、この街の騒乱の幾分かは防がれた。失われる命を止めてくれた。

 そして、シンデレラを守ってくれた。――他に言いたい想いは、胸を詰まって出なかった。


「へっ、無線の私的利用は禁止じゃないのか?」

「……君は時々不粋だな」

「お前さんに言われたかねえよ、お前さんには!!!!」


 酷い。

 そんなことないと思う。



 ◇ ◆ ◇



 熱砂が、黄金に輝いている。

 地平線に呑まれゆく落陽が世界を赫灼と彩り、吹き荒ぶ赤土の砂塵は煌々と燃え上がる。

 黒煙を上げる夕映えの空軍基地。

 その炎と風の中に三機の機影があった。


「……『明日とtomorrowまた明日とand tomorrowそのまた明日とand tomorrowちっぽけなペースで日と日を這ってCreeps in this petty pace from day to dayやがて記念すべき最後の音節に辿り着くTo the last syllable of recorded time』……か」


 呟く駆動者リンカーの言葉。千年近き悠久を超えて劇の中に住まう簒奪王マクベスの独白。

 放たれるプラズマの砲撃を、回転するガトリング砲から吐き出された弾丸が散らす。空中にプラズマが散逸する。

 それで――終わりだった。

 銀色の騎士【残火兵エンバース】の背負った二門の六連銃身は虚しく空転するだけ。

 その背面のミサイルポッドは全ての搭載弾を吐き出しきって空荷となり、左手の力場投射砲式グレネードランチャーも弾切れ。右手のライフルは最後の弾倉の半分にまで手を付け、最早、尽きるのも時間の問題だ。


「随分と粘ってくれるじゃない……! でもそれももう打ち止めね……!」


 対する長大なる箒を掲げた黒魔女じみた機体――【ソーサレス】とその駆動者たるゲルトルート・ブラックは、その黒髪を汗で額に貼り付けながら獰猛に笑った。

 獰猛ではあるが、どこか、力ない。

 それもその筈――


 推進剤を用いこそすれ大半の機動においては力場による推進だけを利用するアーセナル・コマンドは、従来の戦闘機や戦車のようにその駆動に燃料も必要としない。

 核融合炉の触媒は極めて少量の消費に留まり炉の長時間の稼働を可能とし、自己再生する装甲めいた《仮想装甲ゴーテル》は流体ガンジリウムと電力さえあれば尽きることはない。通常駆動範囲での冷却装置は、熱を光子に変えて放射するシステムによって、こちらも一戦では稼働限界は迎えぬと考えていい。

 つまりは真実――――戦い続けるための兵器だ。殺し続けるための兵器だ。

 衛星軌道爆撃によって軍としての連携が行えぬと考えられた環境下で生み出された金属製の巨大騎士は、まさしく単身にて戦争を続けられる形に鋳造された兵器なのだ。


 それでも――……。


 それでも通常、対アーセナル・コマンド戦闘がここまで長引くことはない。まずありえない。それ以前にいずれかが撃破されるか、帰投するか。人の集中力が続かない。

 しかしながら……。

 片や既に、二十四時間を超える激戦の経験がある歴戦の兵士。

 片や、その激戦にて傷も負わなかった少女に近似するための人工的な処置を施された兵士たち。

 それが、こんな――まず有り得ない光景を実現させていた。


(大丈夫……! 大技は抑え込めてる……ヘンリーの動きも悪くない……サムが居なくても、コイツと対等に戦えてる……!)


 ロビン・ダンスフィードが専用機を用いてないことが幸いしてか、以前の戦闘のように人智を超えた気象まで操る環境構築術を発揮されてはいない。

 それでもここまで仕留めきれないのは驚異的と言う他なかったが――……ゲルトルートは歯を食い縛る。


 弾薬の補給を行わせないために、徹底して基地から遠ざけた。

 一度は友軍との共同撃破も考えたが、その弾幕さえも彼の支配を受けてしまうような状況を加味して包囲に留まらせている。

 ここで仮にゲルトルートとヘンリーが敗れたとしても、既に空軍基地の周囲には何重の包囲網を用意している。

 牛歩の如き歩みながら、決着に向けての戦場構築の主導権を手に入れたのはゲルトルートたちであった。

 

「終わりよ、第四位……! 最強を冠した黒衣の七人ブラックパレードも、これで終わる――――!」

「……?」


 ゲルトルートにとっては、前回の戦闘は、何であれ自分だけで仕留められない勝利とも呼べぬものだった。

 経緯が何であれ、あの結末と思惑へとどんな感情を懐きこそすれ、ここに至ってはその雪辱……そんな思いがあった。

 だが、彼女にとってそれが勝利を意味しないとしても――ロビン・ダンスフィードにとっては、明確に一度の敗北である。


 彼もまた猟犬だった。

 始まりのその日から巨腕を与えられた猟犬だった。

 そして猟犬は、狩るためのモノだ。勝つためのモノだ。祖国を勝利に導くために生み出されたモノだ。

 その敗北の経験を糧に生み出された勝算とは――――


「ああ。……終わりってのには同意だぜ、カウガール。ま、こんだけ時間を稼げば――?」

「……!」

「もうターニングポイントは過ぎた。ここからじゃ、あの白蛇にも何ともしようもねえ」


 ――――だった。


「……誰が最強かなんて言われたら、決まってる。その最強が……開幕で自爆なんざするか? 何度考えても、あのアホの子がああもさっさと見切りを付けるレベルの腕とは思えねえ。挙動にバカ犬みてえな凄味がねえ。総合して考えれば――未来を読んでる、……ってとこだろうよ。アホの子はそれに引き摺られでもしたか?」

「……!?」

「そんで――とは言ってもその読みにも限度がある。正しく言うと読みの限度じゃあなくヤツ自身の五感の限度だ。主観的な未来しか見えねえ、ってか? アーセナル・コマンドもしくは戦艦……そういうデケえ規模のものじゃねえと『見付けられねえ』ようだな。じゃなきゃ、生身で脱出したオレをブチ殺しに来てるだろうよ」

「……それがなんだってのよ」


 聞きながら、ゲルトルートは驚愕していた。

 共に部隊にいた己も知らぬエコー・シュミットの不敗の秘密。この男は、たった一度の交戦でそこに辿り着いた。

 歴戦の兵士。

 開戦から飛び続けた猟犬の練磨。

 そして、その上で彼はこの作戦を実行した。あのアーク・フォートレスとの戦闘の記録を回収するために、単身で空軍基地全てを制圧して機体を奪い飛行しようとした。その筈だった。


? ――おお、阿呆の戯言とは別だit is a "NOT" tale told by an idiot! 怒りと驚きに満ちていてfull of sound and fury,ちっぽけすぎる意味があるSignifying "LITTLE" nothing! ……ってことだ。もうオメーらがアホの子をブチ殺した映像が全世界に出回ってんだよ」

「嘘っ、まさか……!」

「ああ。……自分で言うのもなんだがな、デケえ駒を囮に使わねえと思ったか? 元より城壁ルークってのは本命キングのための逃げ道だ。オレに釣られた時点で終わってるんだよ――――ま、釣られなくても気ではあったがな。無視できねえよなァ?」


 でなければエコーの予知を躱せまいとでも言いたげに。

 本気で単身でどうにかしようとして。

 同時に本気で自分が解決できないことを勘定に入れた。

 決して逃げられない二択を用意することが未来予知への勝利の道筋だという単純明快な殺法――――実現不能という点に目を瞑れば、だが。


「ブラックボックスは回収済み、お誂え向きの会談ってのがあったからな。オメーらがメイジー・ブランシェットをバラしやがったのが、どいつにもこいつにもバラされてるってことだ」

「……ッ」


 暗殺行為の公開。

 その危機への冷や汗もあった。だが――


「メイジー・ブランシェットを……?」

「っ、ヘンリー、その話は後でするわ! 集中を切らさないで! コイツを前に油断しないで!」


 もう一つは、共に戦う僚機に対してだ。

 ヘンリー・アイアンリングは、メイジー・ブランシェットに憧憬を向けていた。保護高地都市ハイランドの英雄へと強い憧れを抱いていた。

 それが、同僚の手によって殺された――――。

 そうして不和を齎されること、或いは僅かにでも動きが鈍られることが何よりも恐ろしかった。ここまでロビン・ダンスフィードを抑え込めたのは、散弾銃の弾道精密制御とブレードライフルの近接白兵戦闘での圧力を与える彼の助けも大きいものであったのだから。


「いいねえ、話ってのは。英雄に祭り上げられた小娘をブッ殺した感触の話か? 自分じゃ倒せねえ敵を味方に殺してもらった栄光の話か? それとも、――って信仰の話か? せめてとびっきりの悲劇として語ってやれよ、戯曲になるぐらいにな――……ま、お前にそんな文才があるとは思えねえが」


 ここぞとばかりにそれを、男は嘲り笑う。


「ははっ、なあ、どんな気分だ? そういうときどうするか――――教えてやろうか?」


 コックピットの中。

 銀髪が混じった青髪の青年が銀フレームの眼鏡を押し上げる。レンズが、ホログラムコンソールの光を反射する。

 獰猛な笑みが、一つ。


「『ご覧なさいませLord,定命の者のなんと愚かたるやwhat fools these mortals be!』 ――。精一杯戦ったその果てに、手前らがブチ殺しやがったの最期みてえによォ……!」

「……ッ」


 嘲る? ――違う。この男は、誰よりも、怒っていた。


「せっかくだから聞かせてくれよ、? ハッ……何度も劇では見たもんだがな、裏切りの短剣ってのは一体どんな心地だ? か? それともいよいよお決まりに眠りってもんを遠ざけたか? ――テメエで英雄を殺しておいて? ? 薄汚え人殺しには、銀貨と襤褸切れとあとは一体何がいるんだ? 何匹ガキの死骸を踏み躙って汚くて輝かしい明日に手を伸ばす気だ、ああっ?」

「――――――っ」


 メイジー・ブランシェット。

 撃墜数ランク第一位。

 先の【星の銀貨シュテルンターラー】戦争の最大殊勲。

 保護高地都市ハイランドの英雄。

 二十歳にも満たない少女。


 その事実が――――ゲルトルートを苛まない筈がなかった。


 何度も夢に出る罪。悪行。

 祖国の英雄を暗殺する。一人の乙女を死に追いやる。

 その献身を踏みにじって、彼女のささやかな恋さえ炎に焚べる――最悪の所業。

 ロビン・ダンスフィードの責め句は、全てゲルトルートの心に後悔と苦渋と言う名の弾丸として撃ち込まれる。

 だが、


「なんとほざこうと……アンタはもう打ち止め。これで終わりよ!」


 それでも、ここで止まるという選択肢はなかった。

 今後自分たちがどうなるにせよ、ゲルトルートはここにロビン・ダンスフィードの撃墜に来ている。

 それは【狩人連盟ハンターリメインズ】としてではない。【フィッチャーの鳥】としてでもない。

 保護高地都市ハイランドの総意だ。

 何としても、彼ら黒衣の七人ブラックパレードを反政府組織に置いてはならないという厳命があったのだ――――どうなるにせよ。


 と国家が評したのは伊達でも酔狂でもない。


 巻き起こしたによって海上遊弋都市フロート衛星軌道都市サテライトの共同洋上基地を壊滅させたロビン・ダンスフィード。

 によって海のその先の大陸を一方的に狙い撃ったヘイゼル・ホーリーホック。

 最高の継戦能力と戦略機動力、劣化知らずの持続戦闘能力によってハンス・グリム・グッドフェロー。


 本当に、単身でと考えられた逸材。人智の踏破者。

 特にその中でも猟犬として生まれて戦闘経験を極限まで積み上げた彼らは、徹底的に抑え込まなければならない特記戦力だった。

 神話の英雄がそのまま巨人となったような怪物を前に――それを見過ごすことは、国家としてあり得ることではなかった。


「ヘンリー、やるわよ……! 今ならアイツに援軍は来ない……!」


 精神状態は最悪。

 肉体疲労は限界。

 それでも状況は最善だと、そう睨みつけようとし――


「……『影絵の役者たちよ、退場の時間だ』ってか?」


 手のひらを空に向けた銀色のアーセナル・コマンドが肩を竦め――そして猛烈なバトルブースト。砂塵を蹴り上げた。

 目隠しにもならない小さな抵抗。

 飛来する砂礫への回避も不要かと、ゲルトルートがそう思ったときだった。


「ッ、ヘンリー! 避けなさい! 弾が入ってる!」


 ――

 蹴撃と共にシャワーの如くぶち撒けられた砂礫の散弾の中で、鋼鉄の弾頭が幾度と跳弾してそのたびに運動エネルギーを回収し――――砲撃の如く撃ち出されていた。

 鋼の巨神兵を動かす機体の運動エネルギーを弾丸に込めている。

 バトルブーストで辛くも躱した彼女たちを前に、たった今大地を蹴り付けた銀の騎士から通信が入る。

 

「飛び道具ってのはよォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜、別に兵装じゃあなくても構わねえよなァ〜〜〜〜〜〜……」

「まさか、アンタ……!」

「ここらなら、もしやすくはなるだろうぜ」


 つまらないトリックだとでも言いたげに、婆裟羅の男が眼鏡を押し上げた。


「オレがよりにもよって、なんのためにこの基地を選んだと思う? だ。あのアホの子をブッ殺した白蛇野郎を徹底してブッ潰すためだ」

「……ッ!」

「どれだけ台無しに再演できるかは知らねえが……無限にやり直せるってんなら、。文字通りによォ――――……」


 不壊の城塞が、その敗北を大人しく済ませる筈がない。

 砕けぬからこその防御の大盾は、同じ攻撃を見逃しはしない。

 彼には殊勝な自己犠牲の精神はない。

 勝算を――――――誰を相手に回しても勝算を。仮に全世界の火器を叩き付けられても滅ぼしきるだけの勝算を携えてこの場に立ったのだ。

 ヘンリーが吐き出した散弾も、この砂礫の中でロビン・ダンスフィードの指揮を待ち侘びる尖兵に変貌しているであろう。

 文字通り、というその戦力。


(っ、これが黒衣の七人ブラックパレード……!)


 星の英雄。

 鋼鉄の亡霊。

 騎士王の麾下。


 空から降り注いだ星の欠片に焼けたる大地で、それでも勝利を齎した歴史に刻まれる最新の英雄――――。


 ゲルトルートの頬に汗が伝う。

 この男は――……いつエコー・シュミットが訪れてもいいように必殺の場を整えていた。必殺の場を整えつつ、ゲルトルートとヘンリーを向こうに回してこれだけの時間を稼いでいた。

 つまり、初めから、

 ここから行われるのは、不敗を殺すための殺法だ。最強ではなく無敗であるエコー・シュミットを敗北させるためだけのものを、彼は用意しているのだ。

 今まで一度とて、ゲルトルートもヘンリーもエコーに勝利したことはない。そんな彼女をも負かせるための攻撃が、今、ゲルトルートたちに照準されている。


 周囲の赤土、砂礫、何もかもがこの男にとっての弾薬となる。

 文字通り環境全て、世界全てを弾丸として放つ火薬庫。

 鳴り響く弦と共鳴の如く、万象が一曲として奏でられるだろう――――破壊の行進曲マーチとして。


! 明かりを消しなOut, out, brief candle! 歩き回る影法師たちも、舞台を降りる頃合いだろうぜ……!」

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【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜 読図健人 @paniki

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