最終話
この宇宙船は揺り籠なのだと、アスミナは思う。
きっと《大解放》を経る前にヒトの住める星が見つかっていれば、人々は《繫がった》ままに惑星に降り立って、そこでもまだ《繫がり》を保ち続けていたはずだ。
しかし現実には植民可能な惑星を発見することも出来ず、全員の《繋がり》を維持することも出来ず、それどころか貴重な人口を大幅に削ることとなった。《大解放》後の宇宙船が経た日々には、《繋がり》から解き放たれたヒトがいかに集団社会を築き上げるか、その試行錯誤が刻まれている。
自己中心的な、だが強力なリーダーシップが、最初の集団を率いた。集団は数を増すにつれて人々の間にも相容れない立場が表出するが、彼らの相違点を包括するほどの象徴を仰ぐことで分裂を免れた。
だがさらに人口を増やした今、強力なリーダーシップでも象徴でもまとまりきることのない、大きな集団にまで成長した。《繫がらない》人々は今、それぞれが意見の異なることを自覚し、その差異を疑い、意見をぶつけ、ときにはいがみ合い――
だがそれでも共に在り続けるしかない環境下にある。
「このままではいずれ、《自由民》同士が殺し合いすらしかねない」
悲嘆混じりのプロスペルの言葉に、アスミナはにやりと笑ってみせた。
「ようやく
球房内のベッドに横になっていたアスミナは、故人の教えを呟くように口にした。
「大昔、《繋がる》前のヒトの祖先は、決してひとつにまとまるなんてことはなかった。まとまろうとして振るわれた言葉や力は必ずそれ以上の反発を生み、絶えずどこかしこに争いがあった」
「だからといってヒトは滅ぶどころか、かえって母星を圧迫するほどに増え栄えた」
「《自由民》――いや、《繋がらぬ者》たちは、ひとりひとりが異なって決してひとつにまとまることはないってことを知るべきだ。でも、そこでどうやって互いに折り合いをつけて前に進むか、その術を学んでおかないことには、未知の惑星を開拓しようなんて無茶に決まってる」
「《大解放》から百年近くを経て、ようやくヒトは《繋がり》以前の社会の在り方を取り戻しつつあるということか」
疑心暗鬼を抱えて、争いの火種がそこかしこに転がったままの状態で、緊張と妥協を繰り返しながらなお社会を成し続ける。プロスペルには、いや《繫がれし者》には決して思いもよらない発想であった。そういった争いを無くすために《繋がり》が編み出されたのだから、当然のことだろう。
「そうでなきゃ、私みたいなイレギュラーの居場所なんて有り得ないんだよ」
アスミナは皮肉っぽく笑い返そうとして、不意に激しく咳き込んだ。
咳はしばらくの間止むことなく、アスミナが口元に当てたシーツの端に、やがて赤黒い染みが広がり出す。その様子を心配そうに眺めつつ、立体映像のプロスペルに出来ることといえば、言葉をかける程度であった。
「アスミナ、いい加減に球房を出て、適切な治療を受けるべきだ。君はあまりにも長いこと球房に居続けていたため、医療ナノボットでも対応しきれないほど宇宙線障害に蝕まれている」
アスミナの伸び放題のくすんだ金髪にはところどころ白髪が交じり、それどころか手で梳けばごっそりと抜け落ちる。そして目元から口元には浮かんだ皺、手の甲や首の周りに浮き上がった血管のせいで、今や本来の年齢よりも年嵩に見えた。元より血色の悪い肌は、今や白から土気色に近くなり、彼女の体調が急速に悪化しているのは明らかだった。
「嫌なこった。私はここで、星を見つけるんだよ」
「星の探索は、宇宙船の観測機器をフル稼働させて当たっている。君が命を削ることはない」
「だったら宇宙船と私と、どっちが先に星を見つけるか競争だ。わかってるだろう、プロスペル。惑星探索を取り上げられた私は、それはもうアスミナ・エフドロワじゃない」
そう言ってプロスペルの立体映像を見返すアスミナの目には、鬼気迫るとも切実ともつかない、強い光があった。
「星を探している間は、この宇宙船に居場所を感じられた。でもこの球房の居心地が良すぎて、もしかしたら私は今まで本気で星を探していなかったのかもしれない。そのことに気づいたから、せめてこの命が尽きるまでに、なんとしても植民可能な惑星を見つけ出してみせたいと思う」
アスミナの真摯な表情を目の当たりにしたプロスペルは、その後彼女に球房を出るよう薦めることは、二度となかった。
◆◆◆
ヤシオ・タンバーの後世評には、「優柔不断な指導者」以外にもうひとつ、「幸運な男」という評価がある。宇宙船内の混乱が極まり、ついに緊張が一触即発となるまで高まったタイミングで、植民可能な惑星が発見されたからだ。
惑星発見の報に半信半疑な人々ばかりだった中、ヤシオは有無を言わさずに有人調査を命じ、自ら調査隊を率いて惑星に向かった。かつてのプラヤト調査隊の悲劇を知る者は心中穏やかではなかったが、幸いにして彼らの心配は杞憂に終わった。無事に全員が帰還した調査船から姿を見せたヤシオは、数年単位の惑星改造を施せば十分にヒトが住める星であることを報告した。
宇宙船内は驚愕と、一抹の不安と、それ以上に圧倒的な歓喜に包まれた。
ついに目的の星にたどり着くことが出来たのだという、安堵と達成感にむせぶ人々に対して、ヤシオは言った。
「この星は三百年近くに渡る宇宙船の長い旅の終着点であり、同時に我々にとっては全ての始まりの星である」
その後のヤシオの精力的な活動は、「優柔不断な指導者」どころではない働きぶりであった。惑星改造計画の立案と適切な実施、惑星降下後の植民都市建設や共同体の体制構築など、植民開拓の指導者としては最大限の貢献を果たした。「優柔不断で幸運な指導者」という評価は不当であると、後世の研究者にはそう主張する者も少なくない。
このように評価の分かれるヤシオ・タンバーだが、彼は今ひとつ、後世の人々の間で解釈が分かれる言葉を残している。それはヤシオが惑星に最初に降り立った際、呟いたとされる台詞だ。
「ここは彼女が求めて止まなかった、私たちの可能性に満ちた大地だ」
ヤシオの言う「彼女」とは、初代観測所長サンドルウェス・ケブエを指すというのが定説である。
だが、惑星探索に生涯を捧げた観測者アスミナ・エフドロワのことだとする異説も、また根強い。
(了)
観測者アスミナ・エフドロワの球房 武石勝義 @takeshikatsuyoshi
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