3-5

 ヤシオ・タンバーは初代サンドルウェス・ケブエを除けば、歴代で最も若くして観測所長に就任した。


 彼の先代、三代目観測所長キーラ・ケブエはサンディの娘、プロスペルの妹であった。キーラはプロスペルに似た穏やかな女性で、加えて「サンディの子」であるという事実は、プラヤトの悲劇的な死で動揺する《自由民》たちを宥めるために適していた。その後、新たな惑星の現地調査も発生しなかったため、《自由民》はキーラの下で現状の維持に努めてきた。


 ただ「現状の維持」とは、人口数の維持を意味するものではなかった。維持されるべきとされたのは、これまで《大解放》で失われた人口を取り戻すことを目標としてきた、《自由民》の気質である。


 である以上、いずれ人口増が問題となることは自明の理だった。


 誰もその問題から目を逸らしてきたわけではない。キーラは問題が顕在化した時点で警鐘を鳴らし、出産数の抑制を呼び掛けた。しかしヤシオがアスミナに語った通り、その頃の《自由民》にとって多産は社会的に根づいており、そう簡単に手放すことの出来ないステータスであった。キーラ自身が既に四人の子を成していたという事実も、説得力に欠けただろう。


 一方で《繫がれし者》は問題への積極的な対応を避けた。自然交配という慣習は、惑星開拓が実現した際には必要不可欠という、プロスペルの言葉はそのまま《繫がれし者》全員の判断である。ただこうなるまでに植民可能な惑星に出会えないという事態は、彼らにとっても誤算であった。


 解決の糸口が見えない状況下、キーラは人口飽和問題を解決するには力不足であると、彼女自身が判断した。キーラは後任にプラヤト調査隊の生き残りであるヤシオを推薦して、自らは観測所長の座を退いた。四年前のことである。


 ヤシオに求められたのは、さらに人口増が加速するであろう宇宙船の今後を方向付けること。《自由民》の間に蔓延する、宇宙船の今後への漠然とした不安。それがやがて恐慌に至る前に、何らか手を打たなければならない。新任の観測所長には荷が勝ちすぎる――そう思う者は少なくなかったが、だとしてもヤシオの表情から苦悩を窺える《自由民》はいなかった。ヤシオは生来感情表現が控えめだったが、観測所長となってからはさらに鉄面皮の磨きが増した。


 彼の内心を慮ることが出来たのは、おそらく《繫がれし者》だけだったであろう。


「ヤシオ、君が全てを背負い込む必要は無い」


 プロスペルの言葉に、ヤシオは一度瞬きしてから彼の顔を見返した。


「ですがこのままの状態をずるずると続けても混乱が増すばかりです。せめて私が何らかの方向性を示さないことには、皆の不安は解消されません」

「決断を急ぐ必要は無いという、私の言葉を伝えればいい。少なくとも君に不満が向かうことはないだろう」


 プロスペルの提案は、ヤシオには到底承服しがたかった。ヤシオにとってプロスペルは、《自由民》と《繫がれし者》の統合を象徴する存在というだけではない。プロスペルは彼に直接薫陶を施した、大恩ある導師なのである。


 ヤシオは顔色を変えないまま、だが厳として首を横に振った。


「導師に全てを押しつけようなど、そんな恥知らずな真似は出来ませんよ」

「では言い方を変えよう。ヤシオ、単に《自由民》の意見を吸い上げてまとめるというのであれば、君には実際のところ選択肢はない」


 その言葉を受けて、ヤシオの眉が初めて大きく跳ね上がった。


「どういう意味でしょう」

「《自由民》の大多数はもう、惑星の植民開拓など夢物語としか思っていない。それは君が最も痛感しているだろう」


 プロスペルの口調は常の通り穏やかだが、その内容は痛烈だった。


「だが君は《自由民》の声に応えて備蓄を吐き出そうとは言わない。君自身はまだ、惑星開拓を諦めきれないからだ」


 ヤシオはしばらく瞼を伏せながらプロスペルの言うことに耳を傾けていたが、やがてゆっくりと目を開けて言った。


「……当たり前じゃないですか」


 プロスペルを見返す瞳には、鉄面皮では覆い隠しきれない、強い訴えがあった。


「私はこの足で、惑星の地表に足をついたんです。揺るぎない大地を踏み締めた感触を、周囲にどこまでも続く広がりを、忘れられるわけがない」

「それこそ君が観測所長に推された理由だ。どんな状況下でもこの宇宙船は惑星開拓という目的を見失ってはならない。君ならば大勢に押し流されることはないだろうと、キーラはそう考えた」

「ならば私は惑星探索の継続を、なんとしても人々に認めさせなければならない」


 ヤシオは努めて事務的な口調で告げたが、それは限りなく困難であるということを、その場のふたりとも熟知していた。だからプロスペルは、小さく首を左右にした。


「人々の説得など徒労だ。そんなことよりも君にはすべきことがある」

「……いったい、私にどうせよと仰るのですか」

「時間稼ぎだよ、ヤシオ」


 ヤシオの問いに対して、プロスペルの答えは明瞭だった。


「君に求められているのは、決断しないこと。植民可能な惑星が見つかるまで、ひたすら決断を先延ばしにすることだ」


 ◆◆◆


 後年、ヤシオ・タンバーは「優柔不断な指導者」と称されることが多い。それは彼のキャリアのほんの一時期を切り出した評に過ぎないのだが、人々に与えるインパクトはそれほど大きかった。


 将来には目を瞑って備蓄を吐き出すことで当面の危機を乗り切るか、それとも迫り来る破滅に怯えながらも惑星探索のわずかな可能性に賭けるか。《自由民》は明確な指針が示されることを待ち望んだ。漠然とした不安に苛まされ続ける日々は、人々の心をじわりじわりと締め上げていく。いつまでも方向性が定まらないことに苛立ちが募り、やがて観測所長に直接問い質す者も現れだした。


 しかしヤシオは、観測所長としてそのどちらを選ぶとも明言しなかった。


「まだ議論が尽くされていない」


 ヤシオはそう言っては、決断を迫る人々を退けた。


 何しろ惑星探索という、宇宙船本来の目的を放棄するか否かの重大な決断である。彼の言葉に頷く者もいないではなかった。だが多くはヤシオの態度を嘆くか、腰抜けと罵るか、あるいは見放すかであった。


 ヤシオは当てにならないと考えた人の中には、《繫がれし者》に訴える者もいた。あの無表情な観測所長は、重大な決断を下す力量も度胸も無い。観測所長の座を退くよう、《繫がれし者》は彼に働きかけるべきだ。


 彼らの訴えに対応するのは、大抵においてプロスペルの役目であった。


「《繫がれし者》は《自由民》を従えるものではない、あくまで対等な存在だ。観測所長にアドバイスは出来ても、彼に対してなんら強制することはないよ」


 プロスペルに諭されるように言われると、相手は納得するほかない。もっともその言葉は、半ば詭弁であった。


《自由民》は観測所長を指導者として仰いでいるが、同時にプロスペルは《自由民》と《繫がれし者》を統合する象徴として敬われていた。しかもヤシオの前任の観測所長キーラがプロスペルの妹だったということもあり、両者はどのような関係性なのか、今日まで明文化されずとも問題にはならなかった。


 観測所長とプロスペルと、どちらが宇宙船の民の真のリーダーなのか、ここに来て人々はようやく頭を悩ませることになった。


 結局、《自由民》社会とはまだまだ未熟だったということなのだろう。喫緊の問題の重大さや、それを解決するための体制の不備に直面して、《自由民》はかつてないほどに混乱した。


 だからアスミナが期限を過ぎたというのに一向に球房を退去しなかったとしても、それは些細な問題でしかなかった。


 そのことに気づいていたのは《繫がれし者》を除いてはただひとり、ヤシオだけであった。そしてヤシオは誰に諮るでもなく、アスミナが球房に居座り続けることを黙認したのである。

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