金貸し狸の団三郎

夕藤さわな

第1話

 日本三名狸にほんさんめいたぬきは日本各地の伝承や民話に登場する化け狸の中でも有名な三匹の狸のことでございます。


 一匹は兵庫県淡路島の芝右衛門狸しばえもんたぬき

 一匹は香川県屋島の太三郎狸たさぶろうたぬき


 そして、もう一匹が新潟県佐渡島の狸たちの総大将。二ツ岩大明神に祀られている団三郎狸だんざぶろうだぬきでございます。


 きんが取れる島として名高かった佐渡島。団三郎狸が日本三名狸に名を連ねたのも、金山による裕福さが所以の一つではないかと言われております。


 金山のおかげで羽振りのよかった団三郎狸。江戸の頃には人間相手に金貸しも行っておりました。


 金貸し――で、ございます。

 貸しただけでございます。


 借りたら返しに来るのがすじというもの。だというのに、借りに来る者は後を絶たず。返さない者も後を絶たず。

 ついに団三郎狸は人間相手の金貸しを止めてしまったのでございます。


 ***


 荒れた本堂の手前にある石祠せきしを見た大男は目を丸くしました。

 六尺はある日本人にしては大きな体。令和の時代に着物を着流した姿。一見すると怖そうな見た目をしておりますが、よくよく見れば優し気な垂れ目をしております。


 その大男が目を丸くしたのは――。


「緑の、たぬき……?」


 お供え物かのように石祠の前に緑のたぬきが置かれていたからでございます。その上には紙が一枚と、飛んでいかないように重し代わりの小石が一つ。

 大男の隣に寄り添う凛と美しい、やはり着物姿の奥方は緑のたぬきといっしょに紙を手に取りました。


 ――十年前のお礼に来ました。

 ――あのときはありがとうございました。

 ――初めてもらったバイト代で買いました。 智也


 まだ幼さの残る字で書かれた短い手紙を読み上げて、奥方はきょとんと大男の顔を見上げました。


「十年前のお礼って……心当たりはありますか、あなた」


 大きな手であごを撫でながら考え込んでいた大男は、小さな垂れ目を精一杯見開いて、あぁ……とため息のような声を漏らしました。


「あのときの小僧か」


 あのとき? と、首を傾げる奥方の肩を抱き寄せ大男は目を細めて頷きます。


「鍵を失くして家に入れないとかで、冬空の下、お腹を空かせて泣いていた小僧がいたと話したことがあっただろう」


「あぁ、ありましたね。〝こんびに〟で買った緑のたぬきをその坊やといっしょに食べてきた……と」


「あのときはすまなかったな。せっかく俺の好物を夕飯に用意してくれていたのに。……食べられなかった」


 気にしないでくださいと首を横に振って、奥方は大男の太い腕に自身の細い腕を絡めました。


「……くれてやったつもりだったんだがな」


「きちんと返しに来てくれたんですね」


 一見すると怖そうな見た目の大男が、よくよく見れば優し気な垂れ目の目尻をさらに下げて嬉しそうに笑うのを見上げて、


「よかったですね、あなた」


 奥方は目を細めて微笑みました。


「今日のお夕飯は坊やからいただいた緑のたぬきと……あとは何にしましょうか」


「そうだな。……あのとき食べ損ねた好物を頼む」


 荒れた本堂へと寄り添って歩いていく大男と奥方の頭からたぬきの丸い耳が、着物のすそからふさふさのしっぽがひょっこりと姿を現しました。


 本堂内の扁額へんがくに書かれた文字は〝二ツ岩大明神〟――。

 そこは佐渡島の狸の総大将・団三郎狸が祀られている場所。


 借りたら返しに来るのがすじというもの。だというのに、借りに来る者は後を絶たず。返さない者も後を絶たず。

 ついに団三郎狸は人間相手の金貸しを止めてしまったのでございます。


 ……が、果たして、そのときの団三郎狸の気持ちはどのようなものであったのか。


 〝あのときの小僧〟が返しにきた緑のたぬきと、それを腕に抱える奥方を愛おし気に見つめ、大男は後ろ手に本堂の扉を閉めたのでございます。

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金貸し狸の団三郎 夕藤さわな @sawana

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