幻 -maboroshi-
多部栄次(エージ)
序幕 Unknown Genocide ―空虚の天罰―
高校生の時、小説執筆の趣味に目覚めてからそう時間が経ってない頃に書いた話です(記憶が正しければ)。文章表現の誤りや読みづらい箇所があるかと思いますが、ご了承ください。
―――――――――――――――――――
二柱の巨塔の鐘が鳴る。ひとつは全壁面に独特の幾何学模様が刻まれた紅と白の尖塔、もうひとつは無数の文字記号が刻まれた蒼と黒の尖塔。ふたつのフィニアルは結晶質の多面的な十字のフォルムを為し、赤、金、白の色を輝かせる。2つの尖塔を戴いた巨大な壁には、蜂の巣模様や植物のような有機的にねじり曲がった彫刻群が彫られている。中央上部のゴシック様式の窓には、お椀型を逆さにした黄金色の金属の鐘が大きく揺れては夜明けの刻を知らせる。その塔が見つめる先は祈りを捧げた石膏色の女神の巨像。広場の正面から見れば、一対の塔が女神の翼として担っている様にもみえる。
風を浴び、層積雲に紛れた無数の白色金属の高層ビルの大都市。数百メートルに聳え立つそれらは、夜明けに照らされ白銀の光を放つ。
突如、彫像の女神の頭部が砕け散る。砲撃でもなんでもない、ただ自ら自然に弾け飛んだ。白石の欠片が周辺に飛び散る。
それを合図にしたかのように、二柱の巨塔に蔦が生えたかのように罅が入り、ズダダダ、と白石畳の広場の地面に数えきれないほどの直径十寸程の大砲の弾痕のような穴が連続して出現する。弾は撃ち込まれていない。破裂したかのように発生したのだ。
弾痕だけではない。剣か爪で深く、大きく切り刻んだ跡も何の前触れもなく人工の地面や都市の高層金属製建築物に出現する。
市街にはまだ人の姿がほとんどみられなかった。だが、起きていた僅かな人々がその現象を目にしたときには、既に人の形を失っていた。
知らぬ間に街が崩れ、気づけば命を失う。数百の年月を経て発達してきた大都市であれ、その景観と機能は数分で崩壊した。
閑静な都市に響き渡るのは、辛うじて聳え立っていた巨塔にある、無傷の鐘の音のみ。
「――それが二十年前、『ホネスの翼』の首都『ベレン』で起きた最初の『
提督風の白いコートと控えめの金属装飾がなされた軍服を羽織った、黒髪のオールバックの男が目を細め、煙草を吸う。三十代程の強面の男の前後には四十もの灰色の憲兵が散在し、暗夜の廃れた市街周囲を警戒している。
彼の話を、隣にいる軍服を着た青年が聞いていた。
「大量破壊、大量殺戮を無差別に引き起こす現象は、神話や民謡で鬼の仕業や神の悪戯だと言い伝えられているが……」
「『
爽やかな顔つきだが、危機感ある口調で話を入れる。男は頷く。
「ですが、その現象の正体が人だとすれば、能力の異常さはともかく、どうしてそのようなことをするのでしょうか」
角閃石にも似た石造の古き寺院群で成立した街並みを飾るのは、ありとあらゆるところに彫られた大小さまざまな鳥類と人型の像。高塔状の屋蓋が載く祠堂や経蔵が目に入る。
その部下の問いに男はしばらく答えなかったが、角を曲がったところで口を開いた。
「さぁな。夜叉の考えることは理解する気も起きねぇよ。そんなことよりも厄介なのは、その夜叉がこの古びた廃都に来ていることだ。何の目的でここに来ているかは知らねえが、最悪『あれ』を掘り起こすかもな」
抽象的な言葉だったが、青年は理解したのか、ゾッとした表情を浮かべる。
「『あれ』って……『
「存在してなかったら、今頃世界が悪い意味でひとつになってるだろうよ」
男は相変わらずの素っ気ない顔で煙草を吸う。
亡き「原罪者」が創り出した
「じゃあ……オーディスさん以外の最高幹事の方々もここに出揃っていたのも、卍刻が実在するから……」
「そうだな。同時に『王』も実在していることになる」
「っ! それが狙われているなら大変なことですよ! 急ぎましょう!」
しかし、オーディスは白い煙を吐いて、歩く速度を速めたりしない。至って冷静だった。
「オーディスさん! 落ち着いている場合ですか!」
「焦る必要もねぇってことだ。『王』は既に滅び、懸念すべき肉体も無ぇ。卍刻に封じられたのは魂だけだろうよ」
「で、ですが、白幻夜叉が手にすればとんでもないことに――」
「ロバルト、いい加減俺の『体質』を把握しろ」
ロバルトと呼ばれた青年軍人はハッとする。同時に、絶望感が襲う。
「アルタイト軍で最高位の俺たちが率先して行かずに、こうやって祭壇の回廊周りに陣を張り巡らしている理由、待機させている理由。……察しのいいお前なら解るはずだ」
「……! まさかっ」
「間に合ったなら、こうやって悠長に煙草なんざ吸っていねぇよ。情報が来た時点で、もう決まっていた」
先を見通す千里の瞳は、廃都の中央に聳え立つドーム状の円形壇を見つめていた。
これが最期の一服だろうな、とオーディスはもう一本煙草を取り出した。
*
一刻前、丘の上に立つ巨大なドーム状の円形ピラミッドが聳え立ち、階段状の壇が建てられている石の遺跡に、ひとりの古ぼけた黒いローブ姿の人が階段をふらふらと登っていく。フード越しからちらちらと銀色の髪が覗いている。怪我でもしているのか、それとも疲労なのか、しかしその挙動は正常とは言い難い。それほどまでに身体を引きずっているような歩き方をしていた。微かに息切れをしている。
その両の手には布に包まれた何かを抱えていた。それだけは大切に扱っているように、強く抱きかかえている。
頂上中央の天壇に上りつく。その者は最初から分かっているかのように、その天壇の新大陸創世の神話が浮き彫りされた壁をぐっと押す。すると、ボロボロと崩れ、人ひとり分が通れる空洞が現れた。床は無く、下に少し広がった空間が確認できた。
「この中に……」
女性の声。肝が据わっている、少女から成長した冷静沈着な声。透き通るような声は静かに空間の中へと消えていく。
人間はその穴の中へと降り立った。
半径5m程のドーム状の内部も、浮き彫りされた象形文字のような言語で埋め尽くされていた。壁には等間隔で古錆びた仏像が十二体鎮座している。
その中央にあった台座のような錆びた銅の円柱。女性はそれに触れる。
「この柱が……『卍刻』……?」
話で聞いたものとは違う。その人間の微かに反響した声はそう物語っていた。
「……」
女性はフードを外し、その顔を露わにする。整った美しい顔立ち、背中まで流れる銀の光にも見える純白の髪。澄んだ赤い瞳は抱えた布に包まれた何かをその台座にやさしく置く。
赤子の声。それに包まれていたのは、生後一年数カ月ほどの可愛らしい赤ん坊だった。
「神『ヘリオス』……どうかこの子にご加護を……!」
祈りを捧げる。なにもない空間の錯覚、それは時をも忘れさせるほどだった。
赤子を見つめる。親と子、ふたりだけの空間は周囲の視界に境界を隔てた。
「アンジェ……愛してるわ……」
涙を流す。一雫の涙は頬を伝い、一瞬だけ反射された光で儚く輝いた。
そして、その赤子の額にキスをする。
涙が溢れそうになる。女性は涙を拭うことなく、これ以上流さないようにと堪える。
ローブの中から取り出したのは鋭利なナイフ。両の手で強く握りしめ、しかしその手はナイフの切っ先と共に震えていた。
息がしずかに荒くなる。涙が止まらない。
奥歯を噛み締め、女性は涙をこぼしながら両腕を振り上げた。
背後の眼光に気づくこともなく。
*
ズム、と重い地鳴りが大地を揺るがす。
連続した振動ではない。たった一度だけの大きな揺れ。小石が跳び上がり、パラパラと建物から砂埃が降る。その場の警戒態勢を厳戒へと固めた。
「――っ、来たか……!」
煙草をくわえたままオーディスは目を中央の巨大なドームへと向ける。ロバルト含め、すべての憲兵が銃剣を構えた。
「ッ!!」
それは、無意識の一言。
本能故に反射として実行された、己の意識とは反した行為。一瞬だけの意識が奪われ、気がつけば刀を抜いていた。
ドゥッ、と風の壁が叩き付ける。キィィィィン……と耳鳴りがする。しかし、それは自身から発しているものではなく、握っていた刀の銀色の刃から発していた。細かく振動し、5カ所の刃こぼれが見られた。
体勢を起こし、ゆっくりと振り返る。
(……幹事以外、ほとんどやられたか)
惨劇。枯れたような廃都一面に目を眩ますほどの真っ赤な花が咲き乱れていた。崩れた骸は茎。潰れた頭蓋は咲いた花。それは、砕けた大地の隙間にもくまなく根を張っていた。
平坦だったはずの都市が、いつからこのような急斜の坂道ができたのか。否、叩き割られた地面が傾いているに過ぎない。建造物ごと、傾いているのがその証拠だった。
地面には銃弾程の無数の穴と削られたような刻み跡。空から砂と骨と血が混じった欠片が雨として降り注ぐ。
一瞬にして景色が惨劇へと一変する。それを刀一本で防ぐことができたオーディスは奇跡と称した。
「……これが、空虚の天罰か」
ズン、と重力が増す。咄嗟に刀を持ち替え、地と平行に刃を回転させた。高速で回転させたことで一瞬だけ生じた刀の盾は頭上から来る衝撃を防いだ。ガィン! と鈍い金属音が響く。
「――くッ」
あまりにも重い衝撃は両脚を地に埋める。それだけではない、オーディス以外の地面全体に無数の弾痕らしき六角形の穴が生じていた。すべての建物の屋根にも、中央のドームにもすべて。まるで地面すべてが蜂の巣でできているかのようだった。ズシリとくる重力は未だ収まっていない。
空間の歪みなのか、それとも何かが神経を侵しているのか、大地が、空が、自分以外のすべてがゆらゆらと波のように揺らぎ始めた。頭部を殴られ、脳震盪が起きたような感覚だ。不快感、吐き気等の気持ち悪さも生じてくる。
遠くから衝撃音や爆音が聞こえてくる。自然的な音ではない。自分以外の生存者の猛攻だった。しかし、未だ手ごたえのある一撃を与えられていないことを察知する。
無闇に振るっても意味はない。
一刀一振。これに賭ける。
「決着をつけるぞ。ジェノサイド――いや、白幻夜叉か」
煙草を捨て、一度刀を鞘に納める。やや背中を丸めながら腰を折りたたみ、片膝を立てては柄を下から握った。
瞳を閉じる。それはつまり、視界に頼らず、第六感を、気配の察知に全神経を注ぐということ。身を屈め、頭を下げ、目を閉じる姿は一種の黙祷。
無音。否、聴覚をも遮断している。痛覚をも、遮断している。
何も考えず、一点のみに集中する。ただ、一点にだけ。
風をも感じず、時をも感じさせない。いつからこうしているのか、それも考えない。
姿形すら視認できない、破壊と殺戮――この空虚の天罰の正体が夜叉なのであれば、それを討ち取る武器は、本能と直感……そのふたつだ。
「――!」
斬撃の甲高い金属音でもない。
握り潰された肉体の裂ける音でもない。
業火を放った爆音でもない。
音無し。空間に散在する分子に振動をほぼ与えることなく、大気に振幅をあたえることなく、静かに決着はついた。
水平に斬りつけた構え。左腰と右肩で抜刀した、体幹に歪みのない低姿勢。その抜刀術――居合切りはどこまでも美しい。
ただ一点、欠落があるとすれば、
――腕が無い。
左腕は肩ごと失い、刀を持った右腕は肉の一片すら持たぬ骨となっていた。そして、銀の雷の如く輝く刃は砕け散っていた。持っているものは牙をもたぬ柄のみ。気がつけば、全身が切り刻まれていた。熱い血が噴き出る。
そして、周囲は何もない砂漠のような荒野と化していた。中央のドームだった瓦礫の山を残して。
「……」
アルタイト軍最高幹部「オーディス・アヴァストロ」は見た。
刃に重さを感じた、あの一瞬をこの目で見た。
現象『空虚の天罰』――人間『白幻夜叉』の姿。
白き羽衣を纏い、蝶のように羽ばたかせ、獣の牙と竜の爪を向けた鳥の如き人間。風のように流れる一瞬の姿は魚。遮断した五感に焼き付けられ、思い浮かべたは白い花弁。幽玄から覗くは隠された真っ赤な雌蕊の華。雷の如き強暴、しかし天空のように大らかで、雄大だった。
どこまでも白く、どこまでも恐ろしく、そしてどこまでも美しい。
男は、刻まれた傷と共に、崩壊した都市と共に、その悪魔の如き女神の姿を心に刻む。
風が啼く。
風が、凪ぐ。
遠きゞ昔、愛し君はそこに在った。
鬼のやうに恐ろしき、天女のやうに美し人。
子どものやうに遊び、風のやうに縦横なり人。
愛し君が童たちと口ずさんだ手毬唄。
夢を浮かべた渓流の流し燈籠、旅往く魚と惑いて流々す。
映ゆる朧月夜、盃の染む涙は何故儚い。
根雪の下で芽吹いた蕾を静かに見送る。
欠けた月の夜、ままに君を叫ぶ。
瞼落つる珠は雨となりて千々に降りそそく。
春はあけぼの、君在りし日の彩りを想う。
君よ、遥か昔にて後れた存在。
目をとじれば夢のよに虚ろひ。
愛し君は何処へ往く。愛し君はいつ帰る。
されど知る、愛し君は戻らぬことを。
過ぎゆく四季の移ろひのやうに、愛し面影を忘れ去る。
ひとり往く我こそ去りゆくもの。愛し君は何想ふ。
天翔けるその煌めきは、夜風のよに語ることなく。
憧憬は幽玄、哀傷は幻影の唱を唄ふ。
愛し君は、さらに遠く。
さらに、遠く。
幻 -maboroshi- 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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