福子の証言 五

 破れた障子戸から差し込む朝日に、私は目が覚めました。板葺の天井も見覚えはなく、人様の家だとわかった時、慌てて跳ね起きました。和室には私が寝ている布団が一組あるだけで、調度品もありません。ただ枕元には、着物が一式と、紺地の洋服が置かれていました。私は紺地の洋服に袖を通し、部屋を出ました。

 縁側に出ると、二階建ての枯司堂が垣根の向こう側に見えました。周りは竹林に囲まれて、お隣さんとはだいぶ離れているようでした。私が寝ていた場所は、どうやら小さな離れで、もしかしたらクジョウさんやカラシさんのお住まいかもしれません。

 ちょうど、夜が明けたばかりで、雲間から朝日がこぼれておりました。時々、スズメの鳴き声が聞こえるだけの静かな朝でございました。カラシさんにご厄介になってしまったお詫びをしようと、縁側から庭に降りた時、縁台に誰かが腰掛けているのが目に入りました。白い肌がクジョウさんかと思いましたが、少し伸びた髪の毛が朝日を浴びて焦げ茶色に見えましたので、すぐに違うとわかりました。

 その時、突然短い破裂音と一緒に、火花が舞ったのです。私は思わず悲鳴を上げてその場に座り込んでしまいました。ほんの少し火薬の匂いが鼻をくすぐり、ゆっくりと煙が消えていくと、縁台の人がこちらを向いていました。

「……どなたですか」

 顔色の悪い、若い男の人でした。寝巻の上に半纏を羽織り、その手には小さなすり鉢のようなものがありました。辺りに漂う火薬の匂いから、私はこの人が例の火薬技師だと気づきました。どうして、このような場所にいるのか不思議でしたが、それは相手の方も同じでしょう。明らかに不審者はこちらの方でしたから、私は問われるままにお答えしました。

「お邪魔しております、苅間福子と申します」

「ああ、カラシ先生の患者さんですか?起こしてしまったようならスミマセン。まさか人が出入りしているとは思わなくて」

「あの、貴方も……」

 私はそう言いかけて慌ててやめました。あまり詮索するようなことは相手にも失礼だと思ったからです。ところが、その人は背中を丸めるように頭を下げて言いました。

「僕は佐生米継さおうよねつぐという者です。ここで、花火細工をしながらカラシ先生とクジョウさんのご厄介になっています」

「花火細工……」

「橙色が思うようにいかないんですよね。難しい……成功する前に、いよいよ身体の方がもたなくなりそうだ」

 いよいよ、という言葉に私はとてつもない寂寥感を抱きました。それくらい目の前の男性はやせ細り、目の周りも窪んで見えたからです。私は何と言葉をかけたら良いものか、たいそう悩みました。そこへ、ちょうど玄関の方から人の気配がしました。黒い洋服を身にまとったクジョウさんが縁側に姿を見せると、私たちを見て笑みを浮かべました。

「花火の音に起こされちまったかい?シャッポにはお客が寝ていることを言っておくのを忘れていたんだ。悪かったね」

「い、いいえ」

「シャッポや、自己紹介は済んだのかい」

「今ちょうど終えたところですよ、クジョウさん」

 そうかい、クジョウさんは煙管をくわえながら私に向き直りました。

「シャッポってのはお手上げという意味なんだとさ。昔の友達につけられたらしいよ。確かに、何もかもお手上げ状態の身体には違いない」

「やめてくださいよ、お客さんの前で」

 からかわれた男性――シャッポさんは少し恥ずかしそうに笑いました。こんなに身体を病んでいるのに、どうして明るく振る舞えるのか、私は不思議で仕方ありませんでした。

「あの、えっと」

 私は二人の前で少したじろいでしまいました。あまりに仲睦まじく見えてしまったせいかもしれません。ところが、気を利かせてくれたように、クジョウさんはあの小さな笑みを見せて言いました。

「朝ごはんに呼びに来たんだ。支度が済んだら顔を出しな。シャッポも少しは食べた方が良い」

 クジョウさんは煙を吹かしながら離れを出て行きました。あたりには、花のような香りが漂っていたことを今も思い出します。私は、途端にシャッポさんの身体が心配になりました。いくら何でも、病を抱えた人の前で煙管を吹かすのは良くないと思ったからです。

 ですが、シャッポさんは笑っていました。澄んだ瞳でこちらを見つめながら、

「福子さん、僕に構わず、食事に行ってください」

 そう言いました。

「そんな。シャッポさん、ご一緒しましょう?」

「あまり一緒にいない方が良いんですよ。僕の病気がうつったら大変だ」

「だ、大丈夫です!」

 シャッポさんは、目をしばたかせて口をポカンと開けました。

 その時の私は、少し変でした。

 初めて出会った男性を前に、どうしてあんなに舞い上がってしまったのでしょう。

 爆弾を作る人は、もっと怖い人だと思っていました。

 ですが、その人が作っていたのは、小さな小さな花火です。

 その人は死の床にあっても、澄み切った瞳で笑う人でした。

 ふいに、私の脳裏に雲日様の病んだ姿が浮かびました。あの御方も穏やかな笑みを見せる人だと思い出した時、私はシャッポさんを真っ直ぐに見つめました。

「シャッポさんは、爆弾もお作りになるのですか?」

 こんな清らかな人が、そんなことをするわけがないと信じたかったのでしょう。世直しとして横川さんたちが欲しがっているものは、ここにはない。雲日様も人を傷つける行ないは反対なのですから、そもそもこんな計画は――。

「作れますよ」

 私の気持ちとは真逆の言葉が戻ってきました。

 シャッポさんは首をかしげると、

「何を言い出すのかと思えば……食事の話をしていたのに」

 そう言って、笑いながら咳き込みました。

 私は、急に悲しくなりました。つい先夜までは、世直しは正しいなどと思っていたのに、勝手な女だと自分でもわかります。もう、何が正しいのかわからなくなりました。

 ふと視線を上げると、いつの間にか、シャッポさんは鋭い視線でこちらを見ていました。

「爆弾、ね」

 思いつめたような、悲しいような。さっきまで笑っていた人とは思えませんでした。

「作れます。ですが、二度と作りません。誰の差し金か知りませんが、そうお伝えなさい」

 シャッポさんはそう言うと、静かに立ち上がって庭に転がっていた花火の小さな筒を拾い上げました。

「あ、あの……」

「貴女のようなお嬢さんが、そんな物騒な言葉を使うには事情があるのでしょう。大方、町のゴロツキに脅されたりしたのでは?華族の方々は、少し危なっかしいから」

 どれもこれも、言い当てられたようで私は言葉を発することができませんでした。シャッポさんは少し気まずそうな顔をして、頬を指で掻きました

「え?やだな、当たり?嘘でしょう?冗談のつもりだったのに」

「あ、あの、その」

 私はどうにかごまかそうとしましたが、そもそも爆弾などという言葉を考えもなしに使ったことが全ての誤りだったのです。父から嘘をついてはいけないときつく言われて育てられた私は、シャッポさんに洗いざらい話す以外ありませんでした。

「私の父は、篠田議員の謀略で散財し、一家はバラバラになりました」

 自分でも少し声が震えているのがわかりました。

「そんな時に、篠田議員の秘書である横川さんが、その篠田を始め、腐敗した社会の世直しのために、協力してくれと持ちかけてきたのです」

 シャッポさんは首をかしげたまま、私の話を聞いてくれました。その眼差しに、私は少し息苦しさを覚えました。

「……横川さんは、その目的のために、爆薬を作れる同士を求めていました。そこで、枯司堂に下宿しているシャッポさんの話になったのです。私は、その横川さんがお慕いする雲日様という方のために、お薬を処方してもらいつつ……貴方のことを調べてくるよう頼まれて、枯司堂に来たのです。そして――」

 言い終わらないうちに、シャッポさんはスッと立ち上がり私に背を向けました。もう話は聞きたくない、そう伝わってくるのがよくわかりました。

「あの、シャッポさん」

「お話しはよくわかりましたよ。でもね」

 シャッポさんは薄日が差す曇り空を見上げました。

「世直しなんて、歴史上、何度も何度も繰り返されてきたじゃないですか。それって、つまり……ちっとも世直しされてなかったことになりませんか?」

「え?」

「結局、自分たちの思い通りにしたいだけでしょう。明治の維新から五〇年くらい経ちますかね。あの世直しは何だったのでしょう。誰かさんの自己主張のために、巻添えで命を落とした人はどれくらいいたでしょうか」

 涼しげな風が、私たちの間に吹き抜けました。

 私はシャッポさんの一言に縫いとめられたように、何も考えられなくなってしまいました。目の前の人は、口元を押さえて小さく咳き込むと、背をかがめて言いました。

「確かに僕は、元々は火薬技師で、銃弾とか爆薬とかには少し詳しいですけど、こんな身体になって働けなくなりました。起きていられる時は、花火を作ったりして、カラシ先生の店で売ってもらったりしています。子どもでも、すぐに飽きてしまいそうなオモチャですけど、人を傷つけるよりマシでしょう」


 そう言うとシャッポさんは背をかがめたまま、立ち去ってしまいました。

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