鵺と言えば猿・狸・虎・蛇の合わさったのですが、本作は怖い・上手い・凄い・面白いの合わさった逸品。
あらすじは「不思議な経験を持つ大学生がある日幽霊屋敷に足を踏み入れたのを境に恐怖のどん底に叩き落とされ、怪異とその身の秘密に迫っていく」なんて如何にもですが、それが良い。おふざけもマンネリも無くずっと面白い。
頭身の毛も太るホラーシーンは言うまでも無く、その間に挟まる怪異の解説パートもまた出色のできばえ。主人公の身に起きる怪奇現象を解き明かす為に、次々登場する怪異達(紅衣小女孩・七人ミサキ・てけてけ等々)がロジカルに整理される語りの上手さ。作者様の博識に圧倒されるだけでなくストンと腑に落ちていく。しかし、その後にはまた予想を上回る展開――恐怖が! まさしく入門者向けエンタメホラーとして間口を広く取った親切かつ飽きの来ない構成。私のような素人は「おお凄い」と楽しめますし、おそらく玄人の方でも答え合わせするかのように次の話が気になってしまうはず。
また終始恐ろしくて息苦しいのみでなく、キャラクター達の掛け合いも魅力的。中心となる三人、不幸で愛すべき主人公:菱河切人や快活で健気なヒロイン:小田原小春、解説役で頼みの綱の怪奇作家:水留浄一が話していると安心感があり、シリアスな物語の中にいい緩急がついて私は先が気になるやら、彼らが最後まで無事であってくれと祈る気持ちやらぐちゃぐちゃの感情で読み進めることになりました。
そうやって読んでいった先、幽霊屋敷から始まり数々の怪異、人間達、果ては信仰に至るまでを取り込んで、この物語のスケールは雪だるまのように膨れ上がっていきます。その物語の風呂敷の広げ方たるや最早魔法のような手腕。あれよあれよと二転三転、ひたひた忍び寄るような、聞くも悍ましいような、大切なものが奪われていくような、伝統的で自分とも地続きに感じるような、様々なジャンルの恐怖を作り上げてはまとめ上げていく。縦横無尽に語り、騙られ、ホラーの遊び方を教えてくれる。それがこの作品の凄み。エンターテイメントでありつつも、ホラーというジャンル自体への俯瞰的な視点を以て練り上げられている。読みながら「ホラーってこんなに面白いんだ!」と再認識させられ、また改めてホラーとは何なのかを考え直させられる、素晴らしい体験をさせてもらいました。
発端となる赤い少女とは、鵺とは、主人公の秘密とは。
真実が解き明かされていった末、主人公の選択とは、その先で待つものとは。
そして怪異とは、怖さとは、ホラーとは何なのか。
ぜひ貴方も読んで欲しい一作です!
鵺と言えば日本妖怪上で至極有名な合成獣。
そのルーツは、元来トラツグミを指すとされ、そこから転じて夜に聞こえるトラツグミの不気味で物悲しげな鳴き声から想起された、音を源とする怪異とも言うべきものと目されます。
まあ、妖怪としての鵺を語る上では欠かせない源頼政の鵺退治のバリエーションからは、初期は一応鳥の姿で考えられたと思われる(『十訓抄』参照)わけですけども。うん、同じく頼政の鵺退治を収録してる『平家物語』は全体的に大衆娯楽として、バンバン変更加わってますからね。
その一方で、その有名なキメラ的姿から転じて「正体のはっきりしないもの」との意味合いを持ちます。
さて、無駄に長い前置きを挟みまして、こちらの作品における鵺ですが。
複数の怪異、複数の怪談、複数の思惑、複数の呪詛、複数の宗教が絡みもつれて数多の鵺を成している……というのが現時点(2021/12/31)で観測できる範囲でしょうか。
そっち系知識の有り余ってる考察好きの自分としては、要素一つ拾って眺めるだけでもにやにやものです。
一方で、湿り気を帯びながら痕跡だけ残して這いずり寄り、否が応でもその確固たる存在感を刻み込んだ上で、とどめとして顕れる怪異の悍ましさはジャパニーズホラーの醍醐味とも言えましょう。
いまだその全体像の明確化に至らぬこの鵺は、果たしてどのように腑分けされるのか。
はたまた、主人公にまつわる謎はどのように今後に影を落とすのか。
点と点がつながって描き出される鵺は一体なのか、複数なのか。
続きをとても楽しみにしております。
なお、一言紹介については、タイトルから「そういえば枕詞に鵺関係のやつあったな〜」などと思って、このフレーズが浮かんだわけですけれども、現時点の情報で下の句をつけるなら
まがひは沈き いさめるはあし
でしょうか。
筆力などは他の方がレビューされているので、最早言うに及びませんが、個人的にこの筆力豊かなジャパニーズホラーが「今この時読める」ことを推したいです。
新型コロナウイルスによる日常の一変は、インフルエンザとは比べ物にならないほど、感染への忌避感や危惧といった『恐怖』を根深く植え付けたと感じます。重症化すれば死に至り、特効薬が存在しないというだけでなく、感染は可視化できないからこそ恐れられているのではないでしょうか。
今この時の自分も、自覚症状がないだけで感染しているのかもしれない……そうしたら身近な人達を危険に晒しているのでは? 今感染していなくとも、明日あり得るのでは? という可視化できない恐怖は、ある種ホラーめいているのかもしれません。
本作で取り上げられている呪詛の感染は、コロナ禍の現代だからこそ、身に沁みて体感できる恐怖だと思います。