*【6-6-6】*
暗い闇に閉ざされた場所でフロリアンはゆっくりと目を開いた。
『気を失っていた?』
頭の中の整理が出来ない。確か、アンヘリック・イーリオンで玉座の間を目指すべく、神域聖堂 サウスクワイア=ノトスを目指して――
順を追って記憶を呼び起こしていた時、視界を閉ざす瞬間の出来事が電撃の煌めきのように蘇ってきた。
『そうだ。テミスの1柱、アビガイルと話をしていた時、僕はアザミさんに…… あれから、どうなったんだ。マリー…? 皆は? イベリスは……』
意識と記憶を取り戻し、周囲の状況を確認しようとするが真っ暗闇に閉ざされた視界に映るものは無い。
身体を動かそうとするが、後ろ手に縛られているのか腕を動かすことが出来ず、脚もまた同様であった。
『ここはどこだ』
フロリアンがそう考えた時、突然周囲の景色が眩く輝いた。
急に瞳に差し込んだ光の眩しさに目を閉じ顔を俯ける。そうして瞼越しに分かる周囲の明るさに目の感覚が追い付いた頃、恐る恐る目を開け周囲を見渡した。
「なっ! これは……」
自身の目の前に広がる光景を見て愕然とした。
欧州諸国で見られる大聖堂を模したような空間。だが、圧倒的に規模が違う。
空間の壁面には黄金色に輝く装飾が散りばめられ、ステンドグラスからは淡い光が取り込まれ幻想的な光が差し込んでいる。
周囲にはカトリック系大聖堂によく見られる彫像が立ち並び、それはまるでサンピエトロ寺院のファサードを見上げた時に視界に入る聖人たちの像のようであった。
中央には金の刺繍によって装飾が施されたレッドカーペットが敷かれ、突き当りには巨大なパイプオルガンが設えられた大祭壇が構えられており、上に目を向ければ巨大で透明に輝く十字架が掲げられている。
見る角度によって輝きを変えるクリスタルによって作られた十字架は、ミュンスターの聖マウリッツ教会に掲げられたプレキシガラス製の光の十字架〈ライト・クロス〉を彷彿とさせた。
思わず口に出た言葉の先を呑み込み、周囲の圧倒的な景色に目を奪われる。
そうして恐る恐る視線を下に向けると、自らの身体を縛り付けていたものがロープなどの類ではなく、得体の知れない黒い帯状の影であることも見て取れた。
自分がどんな状況に置かれているのかも分からぬフロリアンは心に、言い知れぬ不安が沸き上がってくる。
ところが、その言葉に返事をしたのは意外な人物であった。
「まるで蛇に睨まれた蛙ね。そんなに心配しなくても大丈夫よ? お兄ちゃん。ここには貴方に危害を加えようだなんて人はいない。むしろここにいる皆が、貴方とお姉様の愛を祝福しているわ」
「アイリス!?」
「えぇ、私よ。ごきげんよう、麗しの花婿様? 目覚めの気分はいかがかしら?」
「君は、何を言って――」
隣で朗らかな笑みを湛えて言うアイリスを見やり、フロリアンは困惑しきった表情を浮かべたが、彼女は気に留める様子もなく口元に手を当てて言った。
「しっ、始まるわ」
何が…… フロリアンは言いかけたが、彼女に促されるがままに空間の中央に敷かれたレッドカーペットへと視線を移した。
だが、特に何が始まるという風でもなく、変わった様子もない。
「アイリス、君に聞きたいことが……」
すると、アイリスは自らの唇に人差し指を当てる仕草を再び見せ、視線を大祭壇の向かい側、つまりはレッドカーペットの行き着くもう一方の突き当りへ向けるように促したのだった。
そこで、フロリアンは信じられないものを目にした。
花のような形をした黒い人型を模した影の化物。
幾重にも連なるそれらの後ろに続いて、見慣れた人物が装いを変えた姿を目にしたからだ。
フロリアンが自身の最愛の人に目を奪われる中、ふいにパイプオルガンの荘厳な音色が空間の中に響き渡った。
奏でられた曲は、かの有名なモーツァルトの楽曲【レクイエム ニ短調 戴冠式ミサ】に連なる楽曲だ。
異形の後に続く最愛の人は、ウェディングドレスのような黒いロングゴシックドレスに身を包んでおり、いつも目にする彼女より少し背丈が伸び大人びたような印象を受ける。
緩やかなウェーブがかったブロンドゴールドの髪は腰の辺りまで伸び、その髪は光の加減で全体が虹色に煌めているように見えた。
宝玉のような赤色の瞳は遠目からでも分かるほどに澄んでいて美しく、ドールのように透き通ったガラスのような肌と相まって極限の輝きを放っているように感じられる。
マリアの後ろに目を向ければ、そこにはミュンスターの地で初めて出会った3姉妹の姿が見て取れた。
シルベストリス、ホルテンシス、ブランダの3人は黒い神官のような服に身を包み、儀式で使うような装飾品が乗せられた箱を掲げ、黙したままマリアの後に連なって歩いている。
姉妹達が両手で掲げる箱にはそれぞれ【王冠】【王笏】【宝珠の埋め込まれた指輪】が供えられ、それらはまるで世界の王室にまつわる神聖な宝物〈レガリア〉を彷彿とさせるものであった。
王笏は遠目で見ると剣を納める鞘のような形をしていることから、もしかすると献納の宝剣のようなものなのかもしれない。
隊列を成して歩くマリア達一行とは反対側に再び視線を移すと、大祭壇の前には黒のキャペリンハットを被り、同じく黒いベールで顔を覆った長身の女性がいつの間にか姿を現していた。
アネモネア姉妹達と同じように、神官のような黒服に身を包んだアザミはマリア達を待ち構えて大祭壇の前に立つ。
フロリアンは目の前で繰り広げられている光景に息をするのも忘れて見入った。
夢か、現実か。それすらも不明瞭になりかける。
思考の中でありとあらゆる情報が錯綜し、どのような経緯を辿って眼前の光景が実現されたのかすら理解できない。
ただひとつだけ明確なことがあるとすれば――
唯一無二の名を持つ一人の少女。
理想世界の構築を夢に見た、新たなる王の戴冠式が始まっていることであった。
*
一歩、二歩、三歩。私の歩む道の先にあるものとは栄光だ。
遠い昔。私は全てをそこに置いてきた。
私を愛してくれた人、私が大事だと思ったもの、私が――
何もかも投げ捨てて、ここまで辿り着いたというのに。どうしてだろうか。
私の周囲は、こんなにも私のことを慕う者達で溢れている。
そして遠くには、私の最愛となった人の姿まであるのだ。
目を覚ました彼は、今の私をどのような目で見つめているのだろうか。
傲慢、悪意、裏切り、欺瞞。
私が彼の仲間達にした仕打ちだ。
私は私の理想を叶える為、彼が大切に思うものを容赦なく切り捨てた。
彼は、こんな私のことをどう思うのだろうか。
それでも、と。あの日、あの時と同じように、この手を離さないと言ってくれるだろうか。
それとも、私の罪を裁く為に、醜悪な私の唇に熱した炭を押しつけてくれるのだろうか。
ハンガリーで感じた時と同じように、今でも私は彼に期待してしまっている。
私の穢れ、私の悪、私の罪を清める者。
私の最愛の人よ、見えるだろう?
これが私という人間だ。人間ですらなくなった私という悪鬼の正体だ。
怒りと嫉妬と憎悪によって世界に絶望を抱き、歪んだ者。
私は君の純粋さに触れ続けて、ついにはそれを壊そうとするほどに狂ったままだ。
狂ったままの私は、間もなく――
あぁ、目の前に理想が近付いてくる。
華美な大祭壇の前で戴冠を果たし、新たなる時代を導く者として立つ時がきたのだ。
聖母懐胎、受胎告知。
理想を叶える新たなる神の創造。歴史という物語を終わらせるための機械仕掛けの終焉機構デウス・エクス・マキナ。
私の目には、見える。
この世界の辿る道が。
マリアが大祭壇に近付くよりも前。
先陣を切って歩く黒い花の人形たちが両脇へ身を退き、跪いてマリアの通り道を形作る。
そうしてマリアは大祭壇の前に立った。
その場で待ち受けていたアザミの前に立ち彼女の顔をじっと見据えて立つ。
間を空けず、マリアの背後からアネモネア姉妹達が歩み出て、レガリアと呼ぶに相応しい3つの宝具をアザミへと差し出した。
アザミはまずマリアの左手を取り、細い中指に指輪を嵌めた。
次に、王笏をマリアの右手に持たせた。
宝具が供えられていた箱が空になると、それを手に持ったホルテンシスとブランダは後ろへ下がり、最後にシルベストリスがマリアの前に立つ。
彼女が手に持つ箱の上に輝く王冠をアザミが手に取り、マリアの頭上へと被せると、自身も後ろへと身を退いた。
聖なる時。万軍の主、その栄光は世界へと満たされる。
戴冠したばかりの、新たなる王が玉座へと歩み出る。
パイプオルガンが奏でる荘厳なレクイエムに包まれ、王は祭壇の前にひれ伏し祈りの姿勢を取った。
すると、頭上に煌めく光の十字架の直下に輝く、もうひとつの十字架に一人の少女の姿が現れる。
磔にされた少女の瞳に光は無く、力なく下方を見つめたまま。
国を導く光、民を導く希望の光、その象徴と言われた少女は今、人類を導く新たなる光となりて――
“唯一無二”の名を持つ、新たなる王の祈りが捧げられる。
赤く眩い宝玉のような瞳を閉じ、暗闇に満ちる深層世界でマリアは思う。
私は聖ヨハネに成り代わり、私の持つ予言と預言の目を以て、この時代を生きる人々に今再び啓示を与えよう。
真実の“千年王国”を実現する為に。
もう二度と、私達のような思いをする人間が、生まれて来ない為に。
この手で、終わりなき不幸の連鎖に終止符を―― 打つ為に。
*
“この預言の言葉を朗読する者。
これを聞いて、その中に書かれていることを守る者達は幸いなるかな。
時が近付いているからである。
貴方の見たこと、現在のこと、今後起ころうとすることを書き留めよ。
貴方が私の右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義とは即ち、七つの星は七つの教会の御使いであり、七つの燭台は七つの教会を指し示す。
私は一匹の獣が海から上ってくるのを見た。
その頭部には角が十、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭上には神の名を汚す名がついていた。
耳のある者は聞け。
虜になるべきものはそうあれかし。剣で殺す者は、自らも剣で殺されなければならない。
ここに聖徒達の忍耐と信仰がある。
私はまた、他の獣が地から上ってくるのを見た。
子羊のような角が二つあり、龍のように物を言った。
小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも奴隷にも――
全ての人々の右手、或いは額に刻印を押させ、刻印を持たぬ者は皆、物を買うことも売ることも出来ないようにした。
この刻印はその獣の名、或いはその名の数字を指し示す。
ここに智慧が必要である。
思慮ある者は、獣の数字を解き明かせ。
その数字とは、人間を指し示すものである。
そして、その数字とは666である”
【ヨハネの黙示録 第1章、及び第13章より抜粋】
-了-
メランコリア・A -崩壊の冠- リマリア @limaria_novel
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