最後の子

 それから十年後の冬だった。

 久しぶりに一年中気温が上がらず、とても寒い冬がやって来た。

 春が来るまであとひと月は掛かろうか、という頃に、ガインが久しぶりに竜との境界の谷にやって来た。


 ガインが来なくなってからのエンリは、元の一週間寝て一日起きる生活に戻っていた。

 だからそれが偶然ではないという事はすぐに察せられた。

 きっとエンリが眠っている間に、ガインは何度もここまで来ていたのだろう。

 すっかり大人になった彼は、エルフ姿のガインと同じように髭を生やし、がっしりとした体をしていたが、せ細っていた。


「どうしたんだ、ガイン。ちゃんと食べないと死んでしまうぞ」

 駆け寄ってそう言ったエンリの顔を見て、ガインは不意に、出会った日のように両目に涙を浮かべた。

「食べるものがもう何も無いんだ、エンリ先生。助けてくれ、私の子も三人も死んでしまった。もう生き残っているのは二番目の子だけだ」

 すがるような目をして、泣きながらガインはそう言った。


 竜はだいたいエンリと同じように、一日起きて、一週間は寝る生活をするのがつねだ。

 それに一年くらいなら、何も食べなくても眠り続けることで生き延びられる。

 春から気温が上がらず、草木の実りが悪かったため、エンリはまだ幼い竜の子を見守るために起きていたが、一年眠る事にした仲間も多かった。

 だがオークである彼らは、そうそう絶食も出来ないし、眠ってやり過ごす事も出来ないのだと、今更のようにエンリは思い出した。


 一刻いっこくも早く食料を分けてやらねば、ガインも彼の最後の子も死んでしまうだろう。

 だが竜が殆ど食事をしないと言っても、その年の寒さは草木をらし、動物たちも眠りにつかせていて、すぐに分けてやれるものはあまり無かった。

 もし食料を与えるなら、ガインだけにというわけにもいかない。

 彼にだけ渡してしまうと、その食料のうばい合いになってしまうだろう。


「分かった、我らの領域から出せるものは出そう。だがどれほど必要か分からない。まずは生き残っている者、全員のところへ案内してくれ」

「本当ですか、エンリ先生! ありがとうございます。村は三つあるので、すぐ案内します」

 ガインは何度も何度も頭を下げると、エンリを先導せんどうして村々を回った。



 どの村もひどくさびれていた。食料がないだけでなく、動物が居ないので、彼らの家に使う革や骨なども無いのだ。

 風は容赦なく吹いていて、それが家を覆う革を傷めているため、隙間から風が入って寒さもしのげない。

 火をこうにも、夏の間に草木がろくに伸びなかったため、焚木たきぎが無いのだ。


 三つの村を見て回る間、エンリはいつものエルフ姿のままだったが、彼の姿を気に留める者もいない。

 みな空腹と寒さで虚ろな目をして、少しでも食べられるものを見つけては口に入れている有様だった。


 こんなにも辛い生活をしていたとは、エンリは想像もしていなかった。

 しかも生き残っている者達はそれなりに多く、すぐに分けてやれる食料ではすぐに底をつくと、容易に予想できた。



「よく分かった、ガインよ。今まで大変な思いをしたな」

 そう言って幼い頃のように、エンリはガインの頭を撫でて微笑ほほえんだ。

 ガインは少し恥ずかしそうな顔をしながらも、それを聞いてホッとしたように笑い返した。


 しかし、とエンリは声を低くして続けた。

「我々竜の領域でも、食料は尽き、みな空腹に耐えるために眠っている。そんな我らからなお奪おうと言うのなら……お前たちを我らの食料としてやろうぞ!」

 恐ろしい顔をしてガインを睨みながら、エンリはみるみる元の竜の姿に戻り、言い終えると咆哮ほうこうを上げた。


「そ、そんな……!待ってくださいエンリーシュ、私はあなた方の事情を何も知りませんでした。どうかお許しください!」

 そう言って、ガインはエンリの前でひれ伏した。

 どうか牙を収めてください、私どもの事は己で何とかします、今日の事はどうかお忘れください、と彼は必死にびた。

 だがエンリは、そんなガインの前に更に歩み寄ると、大きく口を開けて噛みつこうとした。


「やめて! 私の旦那だんなに何をするの!」

 今しもガインの体に牙が立とうとしたその時、ガインと同じ年ごろと思しきオークの女が、棍棒こんぼうを持って飛び出してきた。

 彼女はエンリの頭を殴りつけ、彼の前に立ちふさがった。

 「旦那」とガインを呼んだという事は、彼女がアナンサかと思いつつ、エンリは今度は彼女に牙をいた。


「やめてくれ、エンリ先生!!」

 さすがに妻を狙われたガインは、立ち上がるとかたわらにあった斧を拾い上げた。

 その瞬間を、エンリは見逃さなかった。


 エンリは首を高く上に振り上げると、ガインが上に向けている斧の刃に向けて勢いよく振り下ろした。

 バリンとうろこの割れる音に続き、首に深々と斧の刃が刺さる。

 いくら長命で固い鱗に覆われた竜と言えど、致命傷を負えば死んでしまう。そして深く刺さった斧は、エンリの首を半分以上っていた。



 一瞬の出来事に、ガインはしばらく何が起きたのか分からないような顔で突っ立っていた。

 だがやがて、すとんとその場に膝をつくと、エンリの鼻先に痩せた指を伸ばして、ぐっと抱き寄せた。

「エンリ先生……どうして」

「我が肉を食べよ、ガイン。お前は私の最後の子だ。優しく賢い、可愛い息子だ」

 間近まぢかにやって来たガインにだけ聞こえるように、エンリは魔法で最後の言葉を伝えた。


「そんな、そんな、できませんエンリ!!」

「泣かなくていい、幼子よ。仲間にもきちんと風に乗せて伝えた。私は空腹を埋めるためにお前たちを犠牲ぎせいにしかけた、恐ろしい竜だ。何もいることは無い。私の肉も骨も革も、全て使って生きびなさい」

「嘘だ、エンリ……あなたは私たちを助けるために、こんな……」

「分かっておろう、ガイン。そう言えばお前に私は殺せなかっただろう。私が自ら死んでも、むくろを利用することも出来なかっただろう」

 エンリがそう言うと、泣きじゃくっていたガインは、ハッとしたように周囲を見回した。


 二人の話し声が聞こえない他のオークたちは、遠巻きにじっと彼らを見ていた。

 エンリは全員を生き延びさせるために、己にできる限界の選択をしたのだ。

 それをガインも理解したようだった。


「ありがとう、我が息子よ。お前と会えて……本当に、良かった……」

 最後の言葉を何とか伝えると、エンリはガインの腕の中で静かに目を閉じた。




 ガインも村の者達も、その竜のお陰で春になるまで無事に生き延びたと、彼はのちに息子たちに語って聞かせた。

 優しい竜であったこと、いつも面倒を見てくれたこと、そして自分を息子と呼んでくれたことも。

 だがエンリとの思い出は語っても、ガインを生き延びさせるために自ら犠牲になったという事は、彼は決して子供たちには話さなかった。

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ある竜の最後の子 しらす @toki_t

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