34.目標管理は大事だよ
女王陛下主催の晩餐会が終わると、貴族たちは領地へ帰っていく。それは秋の実りを確かめて、祝うためだ。
今年は、その収穫の季節に、成年と認められる年齢に達した王太子・シャルルは王国の各地を巡る。
自分の目で王国を見るために。
「で、ヴィオレットも付いてきてくれるの?」
ニコニコと嬉しそうに彼は笑った。
穏やかな笑顔にぴったりの丸い顔。首元をぴったりとシャツの襟が巡る。前合わせのボタンはこころなしか引き攣れていて、袖口もみちみちだ。
来客を迎えるだけでなく、公務の準備をしたり、お茶を楽しむところでもある、シャルルの私室。そこに置かれた、事務仕事用の大きな机に向かって、シャルルは地図や数字の載った書類を広げていた。
体と机の間では、お腹の脂肪が存在を主張している。
じっくりと、そんなシャルルを見遣って。
「大変申し上げにくいことを申しますけど」
「なんだろ?」
「また太ったのでは?」
ヴィオレットが険しい顔で尋ねると、シャルルの笑顔にピシッと亀裂が走った。
「さすがのご慧眼です、ヴィオレット嬢」
椅子の後ろに控えていたハロルドが、眼鏡を指先で押し上げる。
「晩餐会三日前の夜が101kg。晩餐会当日までそちらをキープしていただきましたが、翌日朝には102kg。最新の記録は、今朝の108kgとなっております」
「まだだ…… まだ最高記録は更新していない……!」
「だからって安心している場合ですか!」
だぁん、と机を両手でたたく。そのまま、反対側に座ったシャルルへ、前のめりになる。
「筋トレをサボったんですか!? ダンスのレッスンがなくなったからですか!? それとも、わたくしたちに隠れてお菓子を召し上がってらっしゃいます!?」
「ああ、そうか。私共に隠れて食べているようだったら、食事制限も何もあったものではないですね」
「ハロルドが持ってこないのにお菓子を食べられるわけないだろう!? 最近この部屋に来るメイドたち、みんな君たちの味方だからコッソリと差し入れとかしてくれないんだよ!」
「それは皆がシャルル様のダイエットに協力的だからですわ」
「褒められこそすれど、責められる
「君たち仲良いね! 僕をイジメるときは特に!」
「シャルル様の健康的な肉体のために一致団結しております」
「頑張りましょうね、ダイエット」
ハロルドがにっこり笑うのに合わせて、ヴィオレットも微笑んでみた。
うー、と声を上げて、シャルルは机に突っ伏す。
その背中を撫でながら。
「とはいえ、適切な量の食事は取りませんと、仕事も捗りませんからね。お茶にしましょうか」
ハロルドが言う。
「本当に?」
「ええ、本当に」
「用意してくれるまで信じないぞ」
「ではすぐに」
コツンと踵を鳴らして、ハロルドが部屋を出ていく。
今日も、皴一つなく手入れされた濃灰の三揃え。髪もしっかり整えられている。伸びた背筋に、長い脚。スタイルも抜群だ。
「さあ、ハロルドが戻ってくるまでに、もう少し頑張りましょう? まだ巡察予定の土地の資料、半分も見終わってませんわ」
「そうだね……」
よろりと体を持ち上げて、シャルルは溜め息を吐いた。
「結構、長い旅行だね」
「ええ。ヴニーズに着くまでに寄る土地が九か所」
「それぞれで一泊してたら、一〇日目にやっとヴニーズだよ」
二人で、王国の地図を、真ん中の王都から西へと向かう道を指先で追う。
「ヴィオレット。叔父さんや叔母さんと一緒に戻らなくて良かったの?」
不意にシャルルに問われて。ヴィオレットは瞬いた。
「アンリエット伯母様――女王陛下にも、戻ってもいいとおっしゃっていただきましたけれど。今はわたくしのお願いで王宮に残らせていただいているんです」
「そう…… そうか」
へへ、とシャルルが目じりを下げる。ヴィオレットも笑う。
残っている理由は、シャルルには内緒だ。
うふふふふ、と笑っていると。ハロルドがワゴンを押して戻ってきた。うきうきとシャルルは窓際のテーブルに移動する。ヴィオレットもそれを追いかける。
「わ、今日は二人で内容が違う!」
「殿下にはパウンドケーキ、ヴィオレット嬢にはシフォンケーキをそれぞれご用意しました」
「クリームも少し違うんじゃない?」
「見ただけで見抜くとはさすがですね、殿下。ヴィオレット嬢のほうだけ、ヴァニラエッセンスで香りづけしています。あと殿下のほうが硬めです。こってりしています」
席にプレートを置き、ティーポットにお湯を注ぎながら、ハロルドは微笑んだ。
「巡察に出たらしばらく、お菓子を作る余裕はないでしょうからね。今のうちにお好きそうなお菓子をお召し上がりいただきたくて」
「つまり、おやつは食事制限の範囲外?」
「メニューは、ね。量は程々になさってください」
「ちえー。食べ放題じゃないのかー」
口を尖らせて。シャルルは、ヴィオレットとハロルドを交互に見てきた。
「……そっか。巡察にはヴィオレットだけじゃなくて、ハロルドも来るのか」
「むしろ、ヴィオレット嬢に同行いただくのが驚きなんですよ。私は殿下の秘書なんですから一緒で当然です」
「えー」
シャルルはもっと唇を突き出して。じとっと睨んできた。
「だって、また妬かなきゃいけないじゃないか」
「はい?」
ハロルドが眉を寄せ、ヴィオレットも首を傾げる。
「だってさー。晩餐会の日に」
むーっとシャルルは交互に睨む。
「一緒に会場に戻ってきただろ。あれを見た瞬間! ハロルドのほうがヴィオレットに似合ってるって思って! すっごく悔しかったんだよ!」
シャルルは丸い顔を真っ赤にしている。ハロルドとヴィオレットは顔を見合わせる。
シチュエーションに心当たりがないわけではない。むしろありまくる。エスコートをお願いしたあの瞬間ですね?
なんと言ったものか、とヴィオレットが頬を引きつらせていると。ハロルドはふっと息を零して、ハロルドに向き直った。
「細マッチョをなめないでいただきたい」
ガクッとシャルルは項垂れた。
「だよねぇ」
呟いて、指先で自分の腹をつつき出す。
「マッチョ…… 細マッチョ…… やっぱり筋肉なのか。脂肪じゃダメなのか」
「どうしたんですか、殿下」
「ハロルド、黙ってて」
きっと顔を上げて。ついでに身を乗り出して。
シャルルはヴィオレットの手を握ってきた。
「ねえ、ヴィオレット」
分厚くて柔らかい掌で両手を包み込んで、甘く見つめられる。
「20kg痩せたら婚約して?」
視線を逸らせないまま。頬がさらに引き攣り始める。
だが。
「具体的な数字ですね」
ハロルドは動じることなく喋る。
「目標管理は大事です。20kg減量のために、ダンスのレッスンは継続しましょうか。マダム・エレーヌに連絡をしておきます」
「ちょ、ちょい、ハロルド!」
「筋トレのメニューも、少しハードなのに取り組んでみましょうか」
「ハード!? 難しいの!?」
焦るシャルルに、ハロルドは高い位置からにやりと笑った。
「私がいつまでも協力的とは思われませぬよう」
シャルルが固まる。ヴィオレットも目を丸くして。
「どういうこと?」
訊ねたが。
「さあて?」
ハロルドはふわりと笑って。
「さあ、お茶が入りましたよ」
ティーカップをそれぞれの前に置いてくれる。
「ハロルド! おまえは僕の秘書なんだからな!」
シャルルが叫ぶと。
「分かってますよ」
彼は穏やかに微笑んで。
「さあ、どうぞ召し上がってください。お二人に美味しそうに食べていただくのは、それぞれ嬉しいので」
と言った。
ヴィオレットにと焼かれたシフォンケーキは、恋の味がした。
(了)
令嬢の恋が筋肉と脂肪に挟まれている話―ベルテール王国より― 秋保千代子 @chiyoko_aki
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