ぬいぐる刑
感 嘆詩
ぬいぐる刑
死刑、生体パーツ刑に次ぐ人道的な極刑として生まれたのが、このぬいぐる刑でございます。
脳ミソをぬいぐるみ型のマシーンに詰め込んで社会奉仕させる。狂っていると思いますが、この頃流行りの倫理観では感激されました。
落伍者に社会貢献するチャンスを与えられる。こんなにも受刑者の名誉を守る刑罰は無いと。善意で言っているのでございます。恐ろしいことだ。
「アシー、おやしゃみなさい」
[うん、おやすみ⌒☆]
夜、反吐が出そうな可愛らしい音声を発し、下宿先のお子さんに挨拶を済ませ押入れの中へ。様式美、というやつらしいのですが、法務省のご老公方の感性が理解できません。犯罪者を子供の側に置くなどと。
[---]
どうにも、人というものは肉体と精神の著しい違和に耐えられないようで、
今日もまた震え、蹲り、ぽろぽろと喪失して行く自我を掻き抱くように眠る、私はNo.×××7、『廃品回収』の
「アシー、おはよほ」
翌朝、この日は、お子さまの自宅学習を見守りつつ、私も奉仕活動の準備をしておりました。
この、脳ミソと、細小とは言え高度な機能をぬいぐるみボディにまとめてしまえるというのも、かの悪名高き生体パーツ刑の、そのノウハウが活かされているのでしょう。或いは。逆に。
このぬいぐる刑のノウハウによって、生体パーツ刑で得られた結果を、より高品質なものにしたいのかもしれません。より人道的な形で。
今、思い返しますと、どうにもこの頃の社会は、人道的、ということに非常に神経質と言いますか、妙にアカデミックにかぶれておかしな倫理観を成熟させてしまった有り様でして、今では、もしくはかつてでは考えられないような極論に至ったのです。それはこの新たな極刑、この頃では革新的な慈悲深きぬいぐる刑にも活かされているのですが、やはり、今、あるいはかつての時代々々の流行り廃りと同じように、この頃を生きる多くの人々には、それがおかしいとは気づけないものでございました。
「いってらっしゃいませ」
[うん、いってきまーす⌒☆]
下宿先のハウスキーパーに挨拶を返し、奉仕活動のためにてくてくと外出いたしました。このハウスキーパーは、なんとも感情の伺えない者でありまして、彼もまた、私には及ばずとも深い業を背負っているのでございますが、この家の主はそういうものばかり雇う、この頃の感覚で言えば大変に徳の高い方でありまして、私も彼も世が世なら石持て私刑に合う立場であるところをこの家主に庇護されているのでありました。
ただ、この家主もまた、ご自身の業に苦しむ方でありましたので、この家は、無垢なるお子さん以外の全てが、現世に顕現したる地獄の様であったと、今になって思う次第でございます。
ですのでてっきり私は、ハウスキーパーの彼が同じ立場であると思っていたがために、これからの事の顛末に関わる、とても大きな失敗をするのであります。その無感動な顔の内側に、それこそ地獄の業火の様な激情を秘めているとは、私には埒外の事でございました。
今になって思えば、至極当たり前の話でした。かのハウスキーパーの兄もまた極刑を受けた者。それも、この頃では酷く古臭く、人倫に悖る、死刑の、この国最後の受刑者だったのです。
「アルシーちゃん、ありがとうねぇ」
[んーん、おやくにたててこーえー、だよ⌒☆]
最寄りの公園ではラジオ体操をするご老人とデモ活動をするご老人が五分五分、何とも革新的で人道的な平日の朝の風景、私は中道を歩むかのような五分と五分の間で老婦人からのご依頼を進めておりました。
奉仕活動と申しましても
この『キュン』と申しますのは
私が改めて苦役のやるせなさに可愛らしくも慄いておりますと、ちょうど公園の対角線から、
もぎゅもぎゅもぎゅもぎゅ
と、あの音が聞こえたのでございます。
[やめて、やめてー]
「わあ、『もふもふの刑』だ!」
「かわいいー!」
もぎゅもぎゅもぎゅもぎゅ
どうやら同じ公園にいたうさぎ型の
外部操作でぬいぐるみボディの五感を刺激し、傍目には脳ミソと精密機械を包む超高弾性の
受刑者側としては、この五感の刺激で人体とぬいぐるみボディとの違和が顕著になり、じわじわと進行している自我の喪失が加速、いつかは心までぬいぐるみ型のロボットになってしまう、恐ろしい罰則でありまして、この、これまで何度か申しております市民側と受刑者側での事象がもつ意味の差、とも呼べるものが、ぬいぐる刑の、革新的で人道的とされる肝なのでございます。
もぎゅもぎゅもぎゅもぎゅ
「もう、悪いことは、しちゃダメだよ」
一人のお子様の言葉が、綿まみれのボディに染み込んでくる様でした。
この頃流行りの倫理観では、死刑は忌避するものでございました。何故ならば、例え妥当な罰だとしても、人が死ぬ光景など見たくないからです。その様を想像するだけで胸がつぶれるような苦しみを感じると、この頃はそういう善良な市民ばかりが集まる大変平和な国でありました。
ですのでこのぬいぐる刑は、きちんと国民感情を反映しつつ、落伍者に社会貢献するチャンスを与えられる、受刑者の名誉を守る素晴らしい刑罰となったのでありました。
誰も彼も、他人の内面など伺い知ることは出来ませんので。
「ねえ、アルシーちゃん」
ちょうど目の前にいる老婦人も。
「あなた、うちの✕✕✕✕だったり、しないかしら。機械いじりがすきだったから」
一見穏やかに見えた彼女は、しかし
[caution、ぬいぐる刑は、受刑者の個人情報の一切を開示することが出来ません。これは、2親等以内のご家族にも適用されます。cautionー]
「ごめんなさいごめんなさい。変な事を聞いて。元に戻って、お願い。お願いします。そんな姿が見たかった訳じゃないの。そんな、機械みたいな。…あの子も、こうなの?」
[お役に立てて光栄です。ぬいぐる刑は革新的、人道的未来のために皆様の生活をサポートするものです]
ごめんなさい、ごめんなさいと、老婦人はしばらく泣いておりました。
他の受刑者の家族に出会うという事は、私には初めての事でありました。その方が、極刑の不名誉を受けた自身の子を、それでも会いたい一心で探し続けているということも。私には埒外の事でございました。この頃の倫理観では、全く思いもよらない事だったからです。
市民の皆様が、
その姿は機械的で、可愛らしい普段とは異なるもので、ぬいぐる刑が受刑者の人権を著しくそこなう刑罰であると想起するものも一部に現れる程でした。この頃では全くの少数でしたが。
先程から公園にてラジオ体操と五分をわかつデモ隊も、この少数、ぬいぐる刑廃止を訴えるグループでございました。
最寄りの公園から私の下宿先のマンションへ叫び続ける彼らのプラカードには、『生体パーツ刑の悪魔の後継を許すな』『氏は二度地獄を産み出した』等々の文言が載って高らかにかがけられておりました。この下宿先の家主は、我が国の司法法制部長として、あの悪名高き生体パーツ刑、その後継たるぬいぐる刑の骨子をつくり、また、裁判官として、この頃では、野蛮で否人道的な死刑を、ハウスキーパーの兄に判決した、我等が地獄の生みの親でございました。
非常に影響力のある方で、その為に、相応に恨みや利権に絡み付かれ、苦悩する有り様でしたので、身の安全の為にここしばらくお子さんとは離れ離れに暮らしておりました。
それでもこの様に嗅ぎ付かれ市民の皆様にリークされる辺り、余程太く強い根が家主を絡めとっているのでしょう。
デモの声がだんだんと高まるなか、呼応するようにマンションから非常に大きな音が、土煙とともに公園に吐き出されました。
公園の皆様は、それこそデモ隊の方々さえ、すわ過激派のテロルか、救助に向かうぞ、と一致団結しておりましたので、誠に健全な世の中になったと感慨深く思いつつ、独りセキュリティをすり抜け下宿先へと向かいました。
してやられた。と、私は浅ましくもそればかり頭に巡っておりました。お子さんの安否や犯人の推測といった、建設的な思考が全く沈んだまま浮かび上がることなく、溺れるような息が浅くなる錯覚を、この極刑の執行によって失った肺や気管の、もしかしたら幻肢痛、のようなものを感じておりました。
子ども部屋の床には大穴があき、地獄の
侵入したのは
後遺症の残らない様に制圧されていることも、
丸くくり貫いた大きな穴が地獄めいて地下まで続いておりまして、はて何かの比喩かしらん、と可愛らしく首を傾げておりますと、もちろん、これは無駄な仕草ではなく、偏差を持たせて精査をより密にする為のシステマチックな動きなのですが、更にもちろん、外部からどう見えるかも意識して製作者はこのシステムを組み込んだであろうことは想像に難くなく、更に々々勿論々々、この偏執的な国民感情への配慮に慄きつつも急いておりますと、
「だれだ、」
衝撃に耳をやられ、焦点も定かでないハウスキーパーが涅槃仏の様な姿勢で刃物を向けてきました。ソムリエナイフ、でしたが。ともすれば滑稽にも見える姿でございましたが、しかし、私は今までの人生でこんなにも恐ろしい刃に出会ったことはありませんでした。
聴覚視覚がまともに働いていない様なので私は彼の空いた手に自身の耳を押し付け触らせました。おやすみモードの時に彼がこっそり私の耳をさわさわしていたことを、私ははっきりと知覚しておりました。
「ああ、あなた、ですか。すみません、あの子は拐われました。くま型…?のぬいぐるみだと思いますが、一瞬のことで」
誰も彼も、他人の内面など伺い知ることは出来ませんので、
「契約をしましょう」
[いーよー、おねがいをおしえてほしーな⌒☆]
聞こえていないでしょうが、お決まりの文言を知っている彼はそのまま続けました。
「あの子を救ってください。お願いします」
言って気が抜けたのか、元々ダメージを受けていた彼は、その後は曖昧な言葉を吐き続けるだけになりました。
「私の兄は死ななければならない男でした、それでも、機械に繋がれて生体パーツとして死に続けるような、そんな地獄に落ちる筋合いはない」
地下に続く穴からは化学的な痕跡はなく、あらかじめマークされていた
誰も彼も、他人の内面など伺い知ることは出来ませんので、私には埒外のことでありました。
「あの人は、兄に人間としての、尊厳のある死を。良い社会のために、戦ってきて、なのに、ここは、地獄だ、掃き溜めの、どうか」
彼は
「アルシー、アルシエル、どうか彼らをお救いください」
ただの善良で敬虔な市民でありました。
フルフェイスヘルメットにプロテクター付きのライダーススーツを着た巨漢が無個性な中古のミニバンに乗り込み、いよいよ出発という場面、後部座席に拘束された
「アシー、アシーエル、たしゅけて」
お子さんがぽつりと独り言。舌足らずな声で祈るように私を呼ぶ。ギリギリ間に合いました。
大型のミニバンは一瞬で鉄屑に変わり、すぐさま誘拐犯とお子さんを隔てる即席のバリケードへと生まれ変わりました。あくまでも社会福祉の為にしか機能の行使が出来ませんので、遊具扱いになるように、取って付けたように耳と尻尾を取り付けましたが。
人様の前では如何にもぬいぐるみらしい言動をせねば『もふもふの刑』がすぐさま発動するのですが、このように市民救助のような緊急事態の場合はぬいぐるみボディのサポートが、決められた文言を自動で発するものでありました。
[かしこまりました。ぬいぐる刑は革新的、人道的未来のために皆様の生存活動をサポートするものです]
[はやいな、さすがである。しかし、迂闊。じゅうようなことが、わかったのである]
そう呟くと異形のジャングルジムを脱した巨漢は、破れかけたライダースを引き千切り、ヘルメットを放り捨てました。そして匂い立つ暴力の香気を溢れさせ、ちぎりパンみたいにパンプアップされた肉体とキャラパンみたいなクマさんフェイスが。
[ーーーーー]
沈黙で
[わがはいは、いや、なのりはよすのである。今はただ、『風船配り』の
なるほど、おそらく気体を操るのです。それであの大穴を空け、肉体を膨らませた。ぬいぐるみボディに使われる超高弾性繊維の集まりたる
「アシー!」
喜ぶお子さんの方を見ればなるほど、全身を枷で拘束されていると思えばそれはバルーンアート、という体を執っているのでしょう。一見、風船に囲まれた可愛らしい絵の様でありました。そのコンセプトは邪悪。看過できるものではありませんが。
[きでんももっているのであろう。奥の手、袖に暗器を忍ばせて。ちがたぎるのである]
恐らく何かしらのガスでも操ったのでしょう。低い爆音と共に肥大化したぬいぐるみは至近に迫り、私は背中にこっそりと設置していたジッパーを開き、過去これまでの依頼からコツコツと貯めていたヘソクリ、『風船配り』が言うところの奥の手を放ちました。
[ふむ、あっけないのである。情緒の、カタルシスの感ぜられない戦いだ。まあ、趣はある…のである]
虫のような6本のサブアーム。超高弾性の
[きづいていたであるか?『廃品回収』よ。貴様、俺が
磔刑のような格好で微動だにせず、つまりはもふもふの刑も執行される気配なく、ほとんど自分の言葉で『風船配り』は話し続けておりました。
[我々の脳は、我々の魂は、もはや我々自身を人と認識していないのだ]
これこそが、あの下宿先に生まれた地獄の入り口めいたような、ぬいぐる刑の抜け道。抜け穴、でありました。
この頃流行りの倫理観では想像の埒外でありましたが、
どうにも、人というものは肉体と精神の著しい違和に耐えられないようで、
人間性を消耗させた
まさに、機械に繋がれ死に続けると言う生体パーツの、悪魔の後継なのでしょう。
死に続け苦しみ尽きざる、ここは、地獄だ、掃き溜めの、
たのしいな
[
僕の罪科をもふーもぎゅー洗いだしー
手を振る市民バスやレンタカーが通りすぎる大きな道路の真ん中で、
旧態依然としたLEDに彩られた山車に乗って、うさぎやくまのぬいぐるみが楽しそうに跳ね回る。
市民の皆様からの感謝のしるし、『きゅん』を一定期間特定数量貯めたものは成績首位となり、記念として特別に
時たま踊りながらもお立ち台の私を振り返る多くの
絶対数が少なく、サイズも小さいので脅威と感じる市民の皆様はおられないようですが、この群れはそもそもが極刑の受刑者、そして科学技術の粋を集めた精密機械でもあるのですから、私には可愛いと感じることは出来ません。
周りを、言い方を悪くすれば最高級な破落戸に囲まれているようなものでありますので、私はこのプレッシャーとダンスによって精神と人間性を消耗させながら、遠くに見えるお子さまとハウスキーパーに手を振り返しつつ、早くこの地獄終わらないかなと、そればかり願っていたのでございます。
ぬいぐる刑 感 嘆詩 @kantananaomoshiro
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