第12話 すり抜ける剣、そして終わりの時

「――いいですか。これは壁です・・・・・・。しっかりイメージしてください。これは壁ですよ!」


「…………」


 フーリさんが指さした先にあるのは、藁人形わらにんぎょうだ。

 背丈は俺よりちょっと大きいくらいの小さな藁人形。

 ただし、レインコートのような赤色の衣を纏っているが……


 そして俺の頭はアレをと認識するように呼び掛けている。


「はい、大きく吸って――吐いて。意識の全てをスキルへと。スキルの全てを剣へと載せて。あなたが今やるべきことは――」


「藁人形だけ・・を、斬る」


「そうです――さあ!」


 パシンと、乾いた掌の音が響く。

 俺の手には一振りの剣。真剣が握られている。

 ずっしりとした感覚。だけど、俺は今、これを振るうだけの最低限度の力を持っている。


 チャンスは少ない。

 俺はすべての意識をスキルに預け、活性化したスキルを剣に乗せ、地を蹴る。

 少ない歩数で加速を重ね、最高速度に達した俺の剣は大きく振り下ろされた。


 袈裟斬りだ。

 右肩から、左腰へと刃を流す。 

 ただそれだけの必殺剣。


「――――おぉっ!!」


 声が漏れる。

 手首に響く反動。何かを斬ったという確かな感触。

 だが俺はそれに意識を奪われてはいけない。


「――っ!!」


 刃がをすり抜ける感触。

 空を切っているはずなのに、異次元の液体を斬っているような、そんなぬるりとした独特の感触を得た。

 これは――


「ふふっ、お見事です。ついにやり遂げましたね!」


「――っは! はぁ、はぁっ……すぅ……」


 込めていた力が一気に抜けて、集中が解ける。

 呼吸すら忘れていた俺は、思いっきり新鮮な空気を肺へ送り込んだ。

 脳が、体が喜んでいるのが分かる。


 ただしそれは、酸素が全身を巡ったからだけではない。

 俺の目の前には真っ二つになった藁人形と、傷一つついていない衣があった。


「相変わらず素晴らしい集中力です。たった一か月でここまで形にしたのは流石ですよ!」


「はは……しかし、本当にできるとは思いませんでした。特定のモノだけをすり抜けさせて、

 中身だけを斬るなんて芸当……」


 最初、フーリさんにこれを言われたときには耳を疑った。

 まさか【壁抜け】というスキル名を聞いただけで、相手の防御効果を完全に無視して攻撃する方法を思いつくだなんて思いもしなかった。

 あぁ、ちなみに最初フーリさんに対して俺のスキルは【壁抜け】だとウソ申告していたが、正式に弟子入りする際に本来のスキルである【すり抜け】の名を教えておいてある。

 もう隠す理由もほぼなくなってきていたし、正しく伝えたほうがいい活用方法を教えてもらえると思ったからだ。


「スキルには大きく分けて二種類あります。それは自分にのみ影響を及ぼすスキルと、自分以外のあらゆるものに効果を及ぼすスキル。もしヴェルさまのスキルが自分だけすり抜けることが出来るスキルならばこんな芸当はできませんが、自分を含めた森羅万象にをすり抜けさせる・・・能力ならいくらでも応用が利くのです」


 これは、最初に聞いた説明と同じだ。

 最初にフーリさんが、自分も一緒に壁抜けすることが出来るかどうかを確かめたのはそれが理由だった。

 俺のスキル【すり抜け】は、壁と指定した障害物を安全・・に通過させる・・・効果を万物に付与する能力だ。


 この能力で壁と指定されたものは、俺が通過させたいと思ったモノの移動に対して絶対に妨害をすることが出来ない。

 今回は衣が壁、剣が通過対象だったからこそ、俺は衣を斬ることなくそのまま中の藁人形だけを真っ二つにすることが出来たのだ。


 とまあ、簡単に言っているけど、実際にこれを成功させるためにこの一か月で軽く100回以上は失敗している。

 それより前に半年近くの筋トレ兼体力づくりをし、もう半年かけて剣術の基礎を徹底的に叩きこまれている。

 実に俺が異世界転生してから一年以上の月日が流れていたのだ。


「ヴェルおにいちゃん! すごい! やったね!」


 すぐ近くで見守ってくれていたマナも、ぱちぱちと手を叩いて祝福してくれた。

 俺もマナも見た目はそんなに変わっていないけど、マナはここにきてからよく笑うようになった。

 フーリさんに魔法を教わっているときは本当に楽しそうだったからな。


 そして俺も、こうやって頑張った成果を褒められるのは素直に嬉しい。

 今の俺は、ちょっと気持ち悪いくらい口角が上がっているかもしれないな。


「よーし、じゃあお昼休憩にしましょう!」


「わーい! おべんとうだー!」


 俺が正式に弟子入りしてから、フーリさんは授業を他の使用人に任せるようになった。

 その代わり家事や事務仕事などを従来の倍近く引き受け、俺たちの指導をしながらそれらを処理していたようだ。

 瞬時に移動できる便利なスキルがあるとはいえ、どちらも一切手を抜かない恐ろしい仕事人ぶりだ。


 そしてその頃からフーリさんは俺への呼び方をヴェル坊ちゃんからヴェルさまへと改め、一応立場的な敬称のみをつけただけの師弟関係へと変化させている。

 ヘルメニューと題して、その名の通り地獄のような訓練メニューを課されて何度も死にかけたが、そのおかげで俺は前世とは比べ物にならない技術を身につけられている。

 多分体力差、身長差があったとしても、今の俺は前世の俺に余裕で勝てる。真剣なしで。


 昼ごはんも毎度めちゃくちゃ美味い弁当を作ってきてくれるし、フーリさんには本当に頭が上がらない。

 ちなみにマナも俺と似たような状態で、マナはすっかりフーリさんに懐いてしまっているな。


「さてさて、ヴェルさまもマナちゃんも1年前と比べて随分と立派になりましたね!」


「え? ま、まぁ、前より強くなったとじゃ思いますが……?」


「わたし、りっぱになった?」


「もちろん一人前にはまだまだ遠いです。ですが、このまま鍛錬を怠らなければ、きっと二人とも立派な戦士に育つでしょう!」


 ある程度食事が進んだところで、フーリさんは唐突に話題を切り替えた。

 えっと、急に何を言い出してるんだフーリさんは。

 なんというか、まるでこれからお別れするみたいな言い方だが…… 


「――って、もったいぶった大げさな言い方、正直私には似合わないですよね……では単刀直入に言います! 私は後一か月でここを去ります。次の目的地へ行かなければいけません!」


「――へ?」


「えっ!?」


 俺もマナも、あまりに唐突な宣言に動揺を隠せなかった。

 え、ガチでお別れってことなの? 一人前になるまで育ててくれるんじゃ……


「ふふっ、驚かせちゃいましたか? でもこれは残念ながら決定事項なんです。しかし安心してください。後一か月でお二人が今後立派な戦士となれるよう精いっぱい――わわっ!?」


 フーリさんが両手を広げて放った言葉を遮るように、マナがフーリさんに飛びついた。

 突然の行動に戸惑いつつも、しっかりとマナを抱きとめる辺りは流石だが……


「えっと、マナちゃん?」


「いや……やだ……いっちゃ、やだ……」


「――やっぱりこうなっちゃいますよねえ」


 鼻をすする音と涙ぐんだマナの声が、フーリさんを引き留めようとしているのが分かる。

 そんなマナの頭を優しく撫でたときのフーリさんの顔は、やっぱり寂しそうだった。

 彼女が俺たちを見限って去るのではないということだけは分かる。分かるんだが……


「その、それって本当にどうにもならないんですか? 前から決まっていたって言っても、一か月後はあまりに急すぎでは……」


「残念ながら、私には時間がないんです。果たさなければいけない大きな使命も……本当はもっと教えたいことがいっぱいあるんですが、これから先は、自分自身で学び取ってもらわないといけません」


 そしてボソッと、あなたたちは、本当に優秀だったから。と呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。

 マナはずっと小さくやだ、としか言っていないが、フーリさんの言葉の意味は理解しているだろう。

 聡明な子だ。引き留めても無駄だということは、多分きっと分かっている。

 でもそう簡単に退けたら、人間苦労しないというもの。

 どちらも気持ちも分かってしまう俺は、酷く複雑な気分だった。


「あの、その大きな使命というのは……」


「……残念ながら、今は言えません。次に再開した時には、必ず」


 一応ダメもとで聞いてみたけど、やっぱり教えてはくれないか。

 先ほどまでおいしかったおにぎりが、どこか味気なくなってくる。

 いろいろ考えつつも結局俺も、ショックを受けているんだろうな。


「……残り一か月。教えられること、全部教えてください。今できる事、限界まで、全部」


 俺はその気持ちを誤魔化すように、自然とそんな言葉を口にしていた。

 動きようのない決定事項に嘆くより、これから先に繋がること。

 そして後悔が残らないように、精いっぱい残りの時間を過ごそう、と。


 半ば現実逃避の用に思考をポジティブなものへとすり替え、フーリさんにお願いした。

 するとフーリさんは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐにいつもの笑顔へと戻った。


「はい! もちろんです! 最後の一か月も手を抜く気はありませんよ!」


「……マナ。気持ちは分かる。でも、あと一か月だけ――」


「……ううん。わかってる。ヴェルおにいちゃん。わたし、わかってるから……」


「――マナ」


 マナは自分の意思で埋めていた顔を起こし、涙がにじんだ眼をこすってから、俺の目をまっすぐ見た。

 まさか、その年齢で自分ひとりで自分の気持ちに整理を付けたというのか?

 そんなこと、ありえるのか? 


「……あと、いっかげつ。よろしくおねがいします」


 そう言ってぺこりと頭を下げたときには、流石のフーリさんもひどく動揺していた。

 もっとぐずられると思っていたのだろう。説得には時間がかかると持っていたのだろう。

 それなのに、マナはまるで大人のような対応をして見せた。

 これはきっと、泣きじゃくるマナをなだめるのより難しい状況なんじゃなかろうか。


 同時に何か、違和感のようなものを覚えているような表情をしたけれど、俺が見ていることを思い出すと、すぐに笑顔でマナの頭を撫でた。


「はい! お任せください!」


 もはや、マナにとってフーリさんは母親も同然。

 両親のすぐそばで育ちながら、一度も両親にあったことがない、酷く歪な我が家で。

 マナはその優しい手を、ただ黙って受け止めていた。


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