第20話 裏の世界はすぐそこに
「さあ、着いたよ! ここがこの国一番の観光地――マティアだ!」
大きく両手を広げ、観光大使のごとく大げさに歓迎の意を示すリオン。
山道を抜け、小さな森を超えた先に位置する大きな町、マティア。
オレンジを基調とした造りの町は前世の地方都市並みの発展具合を伺わせるが、一方で古き良き木造の家も多く見受けられる。
ところどころで白い湯気のような煙が上がっているが、ひょっとしてアレは温泉なのだろうか。
だとしたらここが観光地なのに納得がいく。
そしてその看板通り人の往来が激しく、メインストリートには多くの出店が出て賑わっているのが分かる。
(……そういえば朝から何も食ってなかったな。ソシャゲに熱中しすぎて食事を忘れるのは日常茶飯事だったが、この匂いはヤバい)
至る所から漂ってくる美味そうな匂いによる飯テロはもはや拷問だ。
日もだいぶ高くなってきた。おそらく時刻は昼過ぎと言ったところか。
随分と長いこと祭りなどには出向いていないが、俺はこういう出店が大好きなんだよなぁ……
「ははっ、楽しそうでしょ! でも残念だけど今はのんびりと観光している余裕はないんだ。さ、こっちこっち!」
「あ、ああ……」
ぐっ、金がないというのはなんと辛いことか。
こんなにもうまそうな飯が目の前にあって、胃袋は空腹を訴えて準備運動をしているというのに!
今の俺には飴玉一つ買う余裕すらないんだっ……!
悲しみに包まれた現実に心の中で涙しながらも、リオンの案内で裏通りへと足を運んでいく。
段々と騒がしい人々の声が遠ざかっていくとともに、耳を圧迫すすような静寂を感じるようになった。
(空気が違う……メイン通りからほんの少し歩いただけだというのに、まったくの別世界に迷い込んだみたいだ)
ぴりついた空気というのは、こういう場所のことを指すのだろう。
ふと視線をずらしてみると、ぽつぽつと人々が散らばっている。
刺青のような分かりやすい目印は見受けられないが、どう見ても堅気には見えない雰囲気を纏っているな。
そして何より、誰一人としてこちらに視線を合わせようとしない。
そんな感じでキョロキョロとしていると、リオンが俺の手首をつかみ、ぐいっと引っ張ってきた。
そして、
「あんまりキョロキョロしないで。目が合うだけで喧嘩になりかねないから」
と、小さく耳打ちをしてきた。
なるほどな。
昔ガンを飛ばすという言葉を耳にしたことがあるが、そういう感じなのだろうか。
リオンの言い方から察するに、明確なルールというよりは裏社会における暗黙の了解――不文律と言ったところかな。
ただでさえ子供二人で歩くには不自然すぎる場所だ。
出来る事ならば余計なトラブルは避けたい。
かといって露骨に顔を伏せるとそれはそれで違和感があるので、なるべくまっすぐの方向だけを見るように意識してみる。
「……なぁ、リオン。いったいどこへ向かっているんだ?」
「行けば分かるよ。とりあえず黙ってついてきて」
行き先を尋ねてもこう返されてしまったら仕方ない。
大人しく黙ってついて歩くしかないだろう。
そんな感じでしばらく歩き、行き止まりのような場所でリオンは足を止めた。
正面は壁で遮られており、左右には一軒家のような建物が建てられている。このまま進むのは難しいだろう。
だがリオンは右方向へ振り向き、そのまままっすぐ歩きだした。
誰かの敷地内というわけではないのだろうか。
何の躊躇いもなく庭のような場所を歩き進む。
しかしその先にはレンガの塀。家の裏側に何かあるのか?
そんなことを思っていると、リオンは曲がる寸前で足を止め、そのまま背中を建物の壁に預けた。
そして人差し指を唇に当てて俺にアイコンタクトを取ってきた。
(黙っていろ、ってことか)
何をする気なのかは分からないが、この場における最適な行動が他に浮かばないのでひとまず様子を伺うことにしよう。
しばらく待っていると、
「これはこれは、珍しい来客だ」
「……
「キミがそれは
「……知っているなら話が早い。お願いできるかな?」
「君の場合は大丈夫だろうけれど、一応確認しておこう。ここで塞げるのは私の口だけ。それ以外は自己責任だ。大丈夫かい?」
男の声だ。
声量はそれほど多くないのに、耳にしっかりと届く通りのいい声だな。
壁越しの会話故に顔を知ることはできないが、なんとなくそこまで年を重ねているような感じには聞こえない。
「うん、問題ないよ」
「この情報は決して安くはない。追手があのハックともなれば、なおさらね」
「……分かっているさ。あとついでに手ごろな
「――まいどあり」
なんというか、どう表現したらいいか分からない光景が目の前で広がっている。
まるで刑事ドラマなんかに出て来そうなワンシーンだ。
もしかしてこれが所謂情報屋って奴なんだろうか……?
俺が困惑している中、手際よく取引(?)を終わらせたリオンは、俺を連れてその場を離れた。
しばらく歩き、人目の付かなそうな場所で、リオンはようやく立ち止まった。
「なぁ、さっきは何をしていたんだ?」
早速俺は、率直な質問を投げかけてみた。
するとリオンは真剣な表情でこちらの目を見る。
「彼はぼくが昔なんどか使っていた情報屋だ。このマティアで最も信頼がある情報屋とも言っていいかな」
「情報屋、か」
「この町にはもともとそれなりに情報屋がいたんだけど、今はほとんどが
情報屋とは、その名の通り情報を売って金を得る商売をしている者達のことだ。
人探しから、為政者の黒い事情まで。
彼らは表で調べてもまず見つからないような貴重な情報を握っている。
表の人間が堂々と情報屋を利用することは少ないが、裏社会の人間にとっては貴重な情報源となるだろう。
なにせ裏社会の住人は皆、表の世界から身を躱す術に長けている。
逃げ出した奴を追いかけたところで、普通に探して見つけるのは至難の業だ。
そういうときに役に立つのが彼ら情報屋だという。
ざっくりとした説明だったが、なんとなく理解することはできた。
「このマティアはハックが拠点としている街とは反対の方角に位置している。でも、奴らの手が伸びるのも時間の問題。だから先に手を打ったんだ」
この情報屋の口さえ塞げれば、ハックの手の者がすぐに俺たちの居場所を突き止めることが難しくなる。
だからこそ、リオンは持ち出した金のほとんどを使ってでもこの情報を保護しておきたかったのだ。
改めてコイツが本当に9歳なのか疑わしくなってくるくらい用意周到だな……
「奴はスクリューランスのハックの異名を持つ本物の危険人物なんだ。今の僕たちが真正面に挑んだところで絶対に勝てない。だからこそ少しでも時間を稼いでこの町で準備を整えてから、遠くへ逃げるんだ。奴の手が届かない、はるか遠くまで……」
心なしか、その体がやや震えているような気がした。
その執拗なまでの警戒心は、その身に刻まれたトラウマからなのだろうか。
はたまた、俺にその危険度を伝えるための演技なのか。
その真偽は分からないが、少なくともハックというやつとやり合うのは避けるべきというのは理解した。
しかしスクリューランスのハック、か。
あの莫大な量の水による大破壊が再び脳裏によぎる。
あんな攻撃をぽんぽんと出せるのであれば、流石に戦うのは得策じゃないか……
(あれは俺のすり抜けで回避できるか怪しいしな……)
とはいえ最悪の事態も想定しておかなくてはならない。
万が一奴と対峙する羽目になったとき、なんとか命を拾えるように。
「……ところで最後の空き家の情報ってなんだ? どこかを拠点にするのか?」
「まっさかぁ! この町に留まれる時間はそう多くないんだ。だからこそ――
そうして悪い顔をしながら口角を釣り上げたリオンの顔は、今まで見てきた何よりも純粋な邪悪さを秘めていた。
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