年を越える。

 家に戻ると、早速わたしはお湯を沸かし始めた。


「お父さんはあったかくして休んでて」


「アッ、ハイ」


 帰り道で六回も寒いと言った父は、身を小さくしてうなずいた。


「さて」


 ほどなくお湯が沸いたので、わたしは二つの容器の蓋を開けて、スープの粉末を投入すると、まずはきつねにお湯を注いだ。


「あ、おい」


 横で見ていた父がすかさず口を挟むが、わたしはにっこり笑って言ってやる。


「今のわたしとお父さんなら、赤いきつねが先でも大丈夫なんじゃない?」


「……かもしれないね」


 父は寂しいようなそうでないような不思議な表情で、うなずいた。


「ごちそうさまだね、本当」


「気恥ずかしくなるからそういうこと言わないの」


 ようやく緑のたぬきにお湯を注いだところなので、わたしも父も、まだ何も食べてはいない。わたしが言っているのは、母がたぬききつねの用意を頑として自分でやろうとしたこと、そして、についてだった。


 緑のたぬき――熱湯三分。赤いきつね――熱湯五分。きつねの方が出来上がりに時間がかかるのに、母が父のきつねにお湯を注ぐのはいつも最後だった。それだけではない。あらかじめ蓋を開けて、粉末スープを入れておけばいいものを、わざわざ自分の分とわたしの分の準備を済ませてから、きつねの蓋を開けるようにしていた。


 母がそんな不効率な手順を選んだ理由はおそらく、父の食べはじめを遅くしたかったからだ。


「そう言えば、お母さんって大晦日だけはお父さんに『ゆっくり食べなさい』って言わなかったよね」


「麺類は伸びる前に食べた方がおいしいからね」


 早食いの父と一緒に食べても、同じタイミングであの言葉を言えるように。そんな願いを込めて、母は緑のたぬきと赤いきつねの用意をしたのだろう。


『『ごちそうさまでした』』


 まぁ、その際娘のわたしはおまけなので、なかなかタイミングが合わなかったんですけどね。


「そろそろかな」


「そだね」


 わたしは蓋をぺりぺりとはがしきってから、父とともに「いただきます」を言う。ちょっとふやけた天ぷらにしみ込んだ汁が、甘くて、しょっぱくて、あったかい。


「美味しいな」


「うん」


 母が逝ってから、父はあまり早食いをしなくなった。老け込んだから――ではなく、健康に気を付けようと思ったのだろう。それでも、今日ばかりはいつになく早いペースでうどんを食べている。わたしも負けてはいられない。


「「ごちそうさまでした」」


 わたしたち親子は同時に容器を空にすると、手を合わせて言った。来年は、もうすぐそこまで来ていた。

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父と歩く、年を越える。 mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio

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