父と歩く、年を越える。

mikio@暗黒青春ミステリー書く人

父と歩く。

「お母さんってさ」


 大晦日の夜、近所のコンビニへと続く小道を歩きながら、わたしはそんな風に話を切り出した。


「年越しの緑のたぬきと赤いきつねだけは、絶対に自分で作ることにしてたよね」


「そうだったかな」


 隣を歩く父が小首を傾げて言う。わたしはおや? と思い、すぐに質問を重ねた。

 

「あれって、何か理由があったの?」

 

「大した理由じゃないと思うよ」


 さっと目をそらして呟く父。わたしに隠し事をしてるときによくやる仕草だ。


玖美子くみこだって、『今年はお母さんと一緒にする』とか『無性にお揚げが食べたいからうどんにする』とか、その年の気分でどっちを食べるか決めてたじゃないか」


「……わたしはそうだけどさ」


 やっぱりごまかそうとしている。父がわたしに関するしょうもないエピソードだけ覚えていて、母の奇妙なこだわりは忘れてしまうなんて、そんなことはありえない。


「今年はどうするんだ?」


「コンビニ着いてから考える。お父さんは赤?」


 確認のつもりで聞いたのだけど、父は少し考えてから「そうだね。そうするか」とうなずいた。


 大晦日の晩に食べるものと言えば、年越しそばだが、うちの場合、母がたぬきを、父がきつねを食べるのがならいになっていた。わたしは父が言ったように、その年々、気分でどちらかを選んでいた。


 緑はともかく赤? と、思う向きもあるかも知れない(わたしは小五の頃に思った)。年越しそばの由来は諸説あるが、『細く長いことから延命長寿の縁起物として』とか『他の麺類よりも切れやすいことから災いを断ち切る厄除けとして』といった説が有名どころだろう。なのにどうしてうどんなのかと。父の答えはこうだ。


 ――うどんの方が好きなんだよ。


 ならしょうがない。そんなわけで、わが家の年越しはいつも緑のたぬきと赤いきつねだった。


「冷えるなあ」


 うどん好きの五十代が、部屋用のちゃんちゃんこの中で、体をぶるぶると震わせる。


「だからもう少し着込んだらって言ったのに」


 ちょっとそこまでだから、じゃないんですよ。外は氷点下近いんだから。もう若くはないんだから。


「すまんすまん。大晦日の夜がこんなに寒いってこと、忘れてたんだ」


 そう言われては、わたしも攻撃の手を緩めるより他ない。


「二年ぶりだもんね」


「ああ、そうだな」


 昨年わたしたちは大晦日の恒例行事をやらなかった――やれなかった。秋の終わりに母が急逝したためだ。


 父は涙を流さなかった。医師が母の最期を告げたときも、母を納めた棺が家から運び出されたときも、火葬場で焼かれてとても小さくなった母を骨壺にしまうときも、涙を流さず静かに悲しんでいた。父はそういう人だった。


 だから一年前のわたしは、恒例行事のことを話題にすることさえできなかった。一時間前のわたしは、少しだけ勇気を出して「年越しのアレ、今年はやらない?」と切り出した。父は一瞬目を丸くした後で、ふっと笑って「良いな。そうしよう」と応じてくれた。


「一年休んでしまったけど、また家族で大晦日の恒例行事がやれて嬉しいよ」


 コンビニの明かりが見えてくると、父は呟くように言った。白い息が、夜空に辿り着くより早く、消えていく。


「――そういえばうちっておせち料理を食べないよね」


 わたしたち以外にお客のいないコンビニの店内で、貼りっぱなしになっている高級おせちの広告を見つけたわたしは、ふと思い出して言った。


「結構手間がかかるんだよ。その割に受けがよくないものだから」


 買うという発想がないあたりはいかにも父らしい。でもって、確かにわたしが小さい頃は毎年作っていたような気がする。ごめんね、お雑煮ばっかり食べる娘で。


「でも、お父さんだって三が日ぐらいは料理しなくて良いようにしたいとか考えないの?」


「料理を休みたいんなら、おせちよりもっと手間がかからないやり方がいくらもあるからね。お餅が食べたくてしょうがないって顔してる娘を放っておくわけにもいかないし」


「あう」


 わが家の料理長は、母が生きていた頃からずっと父だった。朝ごはんも、夕ご飯も、わたしが学生だった頃は昼食のお弁当までも、この父が作ってくれた。母が食事を作ってくれたことは多分、数えるほどしかなかったと思う。それだけ、仕事で帰りが遅くなることが多い人だったのだ。父が台所周りの家事を厭わない人だというのも大きいと思うけど。


「……ひょっとして、お父さんを休ませようという配慮だったのかな」


 おせち料理からの連想で思いついたことを口にする。


「配慮?」


「あ、いやさっきの話。年越しくらいは、お父さんの手を煩わせたくなかったのかなーって」


 我が家の料理長はいつだって、先に家族の分の食事だけを用意して「冷めると美味しくないから」と言ってどんどん食べさせた。自分の分は、台所周りの片づけと家族分のお茶を用意した後。それをすごい早さで食べちゃうものだから、もう少しゆっくり食べなさいよって、お母さんによくお小言を言われていたっけ。


「カップ麺にお湯を注ぐくらいなら別に負担にはならないだろう。それに、母さんは玖美子にやらせるのも嫌がったよな」


「あー、言われてみれば確かに」


 お父さんを休ませるのが目的なら、わたしにやらせたって良いわけだ。でも、お母さんは自分でやると言って譲らなかった。


「うーん」


 わたしはインスタント麺のコーナーで腕組みをしてしまう。


「なんだ。まだ迷ってるのか」


「それもあるけど、やっぱりお母さんのこだわりが気になっちゃって」


 わたしは赤い蓋と緑の蓋を交互に見返しながら、過ぎ去ってしまった年の瀬の記憶を呼び戻す。


『さて』


 我が家の恒例行事は、紅白歌合戦が終わったところで、母がそう言うところから始まるのが常だった。


 緑のたぬきと赤いきつねは、台所横のパントリーに二つずつ買い置きしてある。一個多いのは、毎年わたしがどっちを食べるかで迷うからだ。


『今年はどうすんだい?』


『んー、じゃあたぬききつねで』

 

 わたしの希望を聞いて、パントリーから緑のたぬきと赤いきつねを計三つ、取ってくると、まずは自分用のたぬきの蓋を開けて、スープの粉末を投入し、お湯を注ぐ。七味唐辛子は入れずに父用にとっておく。次にわたしの分。最後に父のきつねの蓋を開けて、スープの粉末と唐辛子×2を投入し、お湯を注ぐ。でもって、各々出来上がり時間になったら「いただきます」と言って、食べ始める。そんな具合だったはずだ。


「玖美子も妙なことにこだわるなぁ」


「そりゃあお母さんの子ですから」


 わたしが言うと、父はふっと嬉しそうに笑った。そうしてそれから「案外答えは近くにあるのかもしれないぞ?」と言い足したのだ。


「え?」


「さ、父さんは帰り道で凍えないように、暖かいものを探してくるよ。決まったら声をかけてくれ」


 すたすたとホットドリンクのコーナーに行ってしまう。ヒントをくれたってことで良いのかな。


「緑のたぬき、赤いきつね」


 わたしは二つの容器を手に取って、まじまじと蓋を見る。いつも思うけど、このイメージ写真美味しそうだよね。


「あ」


 ふと、緑のたぬきのイメージ写真を上から下に向かって見ていたわたしの視線が、開け口の斜め上あたりで固まる。すぐに視線を赤いきつねの同じ部分に移す。


『『ごちそうさまでした』』


 脳裏で、父と母の言葉が重なった。


「そういう――ことか」


 何となく、答えに近づけたような気がして、わたしは母と同じたぬきを選ぶことにする。

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