君と美味しい温もりを
藤咲 沙久
京ちゃんの天うどん
「あ~かいたぬきと、みどりのきっつっね!」
「いや逆だから。違和感しかないぞ」
耳へ突然飛び込んできた陽気な節へ、俺は反射的にツッコミを入れた。歌ったのは携帯を眺めていたはずの桜だ。すっかり定番となっているお家デートの
嬉しそうというより、ニヤニヤした表情だ。
「んふふ。なんや京ちゃん、知らへんの? 空前絶後の
見てみ! と勢いよく画面を突きつけられる。ずいぶんとドヤ顔をしているが、急に
「なになに、きつねとたぬき……揚げと天ぷらの交換バージョンが期間限定で発売? ……ふ、は。っははは!」
「わ、びっくり。
もともと丸い目をさらに丸くした桜に返事をしようにも、肩と腹が震えてすぐには言葉が出てこない。読みかけだった
ただ、ジッと上目遣いで見つめられ続けるのはさすがに照れくさいわけで。俺の彼女はあざと可愛いから困る。恥ずかしさを誤魔化そうとした咳払いは、少しわざとらしくなった。
「……ふう。ごめん、落ち着いた。懐かしいうえに可笑しくってさ。まさか公式がやるとは思わなかった」
「懐かしいて、なんか思い出とかあるん? 京ちゃんの昔話やったら聞きたいわ」
ニカッと八重歯を見せて笑う様は無邪気で、きっと本音だと思わせてくれる。素直さは桜の美点だ。他にも挙げ出すとキリがないほどあるが、今は割愛しよう。
これは思い出なんて言うほど大袈裟なものではない。俺も兄貴も実家にいた時の話だ。たった数年前なのになぜか遠い昔のように感じて、つい目を細めてしまった。
「子供の頃、カップ麺って滅多に食べなかったから逆に特別なご飯だと思ってたんだよ」
「あ、ちょっとわかるわ。レアやったもん」
「それな。今じゃいつでも食べれるのに」
放置していた小説に、きちんと
「母さんが珍しく買ってくる時は、必ず赤いきつねと緑のたぬき。兄弟で好きな方を選んでって渡すんだ。でもな、俺が本当に好きなのは……」
きつねのうどんと、たぬきの天ぷら。イタズラを打ち明けるみたいに声を潜めて伝えると、桜も罪深い内容を聞いてしまったと言わんばかりに口元を覆った。いいリアクションをありがとう。
貴重なカップ麺、次はいつ食べられるかわからない。兄貴は俺が決めるのを待ってくれている。うどんをとるか、天ぷらをとるか、小学生だった自分にはたいへんな選択だった。
「その日は迷いに迷ってうどんにしたんだけど。開封したら兄貴が、揚げを食べたいから交換しろよって勝手に天ぷらと入れ換えてきたんだ」
許可も意思も知ったことかという横暴な行動に唖然としたのを覚えている。とはいえ、手元には大好きなうどんと天ぷらがセットされたのだ。遅れてやってきた感動に浸っていると、また確認もなしにお湯を注がれた。そうなるとフタをするしかない。
再会までの五分は、とても長く思えた。アニメの間に挟まるCM明けを待つ気持ちに似ていたかもしれなかった。
「それから何となく、交換するのが当たり前になったんだよな。まあ、兄貴が家にいるうちだから……俺が中二までか」
そこからは天うどんを恋しく感じつつ、ずっとどちらかを選んで食べてきた。今じゃすっかり忘れていたくらいだ。だから今回の公式コラボには驚いたし、なんだか面白かった。
「かわええ兄弟。お兄ちゃん、京ちゃんが天ぷらを好きなん知ってたんちゃうかなぁ」
「そう、なのかな。……そうかもしれないな」
桜が柔らかく笑う。実際どうだったのかはわからないが、それでいい気もした。
「優しいお兄ちゃんやね」
「優しくないことの方が多かったけどな」
「そんなこと言うて、好きなくせに」
さすがにそれはない。でも、まあ、嫌いではない。共有した時間をこうやって振り返るのが楽しいくらいには、俺と兄貴の仲は良好なんだろう。
まさかカップ麺にそんなことを認識させられるとは思いもしなかったけど。
「なあ、京ちゃん。今からコンビニ行こや。カップ麺
「え? ああ、交換バージョンだな? よし行くか」
「ちゃうちゃう、ちゃうで。赤いきつねと、緑のたぬきをな、一個ずつ買うねん」
「でも交換したやつ食べたいんだろ?」
「せやから。今度はウチと京ちゃんで、お揚げと天ぷら換えっこしようや。京ちゃんにとっての“天うどん”は、それやろ?」
さっき携帯の画面を見せてきた時と同じように、自信満々の表情。ああもう、可愛い。可愛いし、俺たち兄弟の
「行こう桜」
「んふふ。あ~かいたぬきと、みどりのきっつっね!」
「やっぱり歌うと違和感すごいな」
くすくすと笑い合いながら、財布だけ持って部屋を出る。きっと外は寒い。だけど懐かしい記憶と優しい彼女のお陰で胸はポカポカとしている。そしてこのあと、美味しい天うどんで腹も温まるのだろう。
君と美味しい温もりを 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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