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『弁護士ホワイトウルフの聖夜』

弁護士ホワイトウルフの聖夜

「シーズーくん。事件のファイリングは完了したかね」


 事務所の玄関エントランスから戻ってきた白山しろやまに尋ねられたとき、志津しづはちょうど自分のデスクで書類仕事を完成させたところだった。

 ハイ、と答えながら志津がふと顔を上げると、白スーツに白ネクタイの変人弁護士は、たった今、配達業者から受け取ったらしい、細長いきりの箱を無造作に小脇に抱えていた。


「なんですか? それ」

「注文していたシャンパンが届いたのだよ。この慌ただしい聖夜によくぞ間に合わせてくれたものだ。あの配達員くん、過剰労働に苦しめられていなければいいがな……」


 白山はそう言いながら所長席へと戻り、桐の箱をごとりと卓上に置いた。

 雇われ弁護士の青梅おうめが言う。


「まあ、大丈夫でしょ。宅配最大手シロネコムサシは今や、ホワイト企業の筆頭だそうじゃないですか」

「そう信じたいがね。……さて、青梅君も帰宅の準備はできたかね」


 青梅が「ええ」と応えるのを聞きながら、志津は白山の卓上の箱をぼけっと眺めていた。

 ……シャンパンと言ったな。ひょっとして、今夜はクリスマスだし、白山はそれを従業員わたしたちに振る舞ってくれるつもりで……?


「ふむ。では閉めるとしよう。二人とも、今年は本当にご苦労だった。来年もよろしく頼む」

「えっ。それ、飲ませてくれるんじゃないんですか?」

「何を言ってるんだ、君は」


 青梅が横で吹き出すので、志津はたちまち自分の勘違いに思い至り、恥ずかしさに顔が熱くなった。


不動ふどうさん。あのシャンパンはね、先生が大事な人と開けるやつなんだよ。ね、先生」

「えっ、白山さんの大事な人って!?」


 興味津々に身を乗り出す志津には目もくれず、白山はマイペースに卓上の書類を白カバンに詰め込み、白コートをばさりと羽織っている。

 志津がこの変人弁護士――白山しろやま白狼はくろうの事務所に拾われてもう半年以上になるが、その間、白山のプライベートに関わることはほとんど聞かされたことがなかった。結婚しているようには見えないが、考えてみれば白山とて黙っていればそれなりに男前なのだし、何より金持ちなのだから、親しい女性の一人や二人居たっておかしくないという気はする……。


「まあ、俺のことは良いではないか。シーズー君は自分の心配をしたまえよ。イブの晩にデートの相手も居ないようではな」

「余計なお世話ですって。ていうかセクハラでしょ、それ!」


 ムキになった志津の叫びは、はっはっと笑って受け流されてしまったが――本気で嫌な気はしなかった。

 世の中の勤め人の大半よりも一足早い年末休み。白山、青梅とともにエレベーターを降りたところで、志津は二人に向かって「今年はお世話になりました」と素直にお辞儀をした。


「良いクリスマスを過ごしたまえ」


 白山はシャンパンの箱を抱えたまま、愛車の開閉式金属屋根クーペ・カブリオレのイタリア車に乗り込み、夜の街に純白の軌跡を残してホワイトタワーを後にする。

 志津は青梅と別れ、駅に向かって歩きながら、この半年余りの出来事を思い返した。まさに怒濤の七ヶ月間だったが、白山らが救った相談者達の顔を思い浮かべると、少し晴れやかな気持ちになれた。


 ――そうだ、どこかで安いシャンパンを買って帰ろう。一緒に飲む相手なんて居ないけれど、いわゆるひとつの、頑張った自分へのご褒美ってやつだ。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 白山白狼は愛車のクーペで夜闇を裂き、郊外の霊園を訪れていた。

 こんな時期、こんな時刻にこの墓地をおとなう者など他には居ない。白山はコートの襟元を片手で押さえ、白い息をひとつ吐いて、薄い照明に照らされた目当ての墓碑の前で足を止めた。

 彼はシャンパンの箱を足元に置き、上着の内ポケットから無造作に一枚の紙を取り出してみせる。それはインターネット版官報かんぽうの画面をプリントアウトしたものだった。そこには、先日、彼と仲間が総力を上げて叩きのめした違法企業の倒産の報せが、無機質なテキストで小さく綴られていた。


「見えるかね。唾棄だきすべきブラック企業がまた一つ、この地上から消滅した」


 幾人もの過労死を出し、メディアでも大きく取り上げられた巨大な違法企業だった。これほどの獲物に己の手でとどめを刺せたことは、彼の弁護士人生で一二を争う誇らしい戦果に違いなかった。

 彼は官報の紙を折りたたみ、線香がわりに墓前に突き立ててマッチで火をつけた。小さな炎はたちまち紙を飲み込み、ブラック企業の断末魔の如く白い煙が墓碑の前に立ち上った。


「……メリー・クリスマス」


 世の人が聖夜として祝うこの日は、白山にとっては忘れ得ぬの命日だった。

 彼はシャンパンの栓を抜き、中身の液体を墓碑の上にそそいだ。四角い石の塊を黄金こがねに彩るその泡は、そこに眠る者が流した涙のようだった。

 彼がどんなに死力を尽くして戦っても、既に死んだ者は帰ってこない。

 過ぎ去った時間を元に戻すことはできないのだ。


「そうそう、ウチのひよっこ法律事務員パラリーガルが、例の小説を自費出版で世に出したいと言ってね。そんな費用など俺が出すからと言ったのだが……彼女はあくまで自分で費用を捻出したいそうだ。……全く、物書きという人種は変人揃いだと思わんかね」


 白山がそう言って自嘲気味に笑ったところで、出し抜けに、ポケットに突っ込んでいた携帯電話が狼の遠吠えの着信音を響かせ始めた。それはホワイトウルフ法律事務所への入電がこの携帯に転送されてきた証だった。

 相手の声は随分と切羽詰まっていた。「このままでは恋人がブラック企業に殺されてしまう」と、その切実な声は訴えてきた。


「今から来所したい? いいでしょう。三十分もあれば事務所に戻れますのでね」


 ホワイトウルフ法律事務所の看板に懸けて、事務員や居候弁護士アソシエイトを時間外労働させるわけにはいかないが、経営者たる自分おれの仕事時間を縛る法律などない。

 並の弁護士なら翌日以降に相談時間を指定するところだろうが、あいにく自分は普通ではないのだ。


「やれやれ。ホワイトウルフ様には休む暇もないな」


 通話を終えて車に乗り込み、キーを回すと、重厚なエグゾースト・ノートが狼の咆哮の如く夜の墓地に響き渡った。

 この世にブラック企業の種が尽きない限り、白き狼の戦いに終わりはない。


「どんな企業か知らんが――この俺が叩きのめしてやる」


 にやりと口元をつり上げ、彼はアクセルを踏んだ。


(Fin.)

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