第28話 結果発表

 初秋の頃、内田まなぶの母親は久々にホワイトウルフ法律事務所を訪れた。マンションの管理人と管理会社を相手取って起こしていた民事訴訟の判決が出たので、その判決謄本を渡すために白山しろやまが学を呼んだところ、本人は平日は忙しいからといって母親がかわりに来たのである。

 この中年女性の顔つきは、志津しづの目には、心なしか以前よりも元気になっているように見えた。

「この通り、八十万円の慰謝料を相手方から獲得しました。まなぶ君が受けた屈辱は、本来、金銭に換算できるようなものではありますまいが――あくまで我々の業界の常識に照らせば、この金額は妥当、むしろ上出来と言ってよいでしょう」

 白山の説明を受け、学の母は、テーブル越しに平身低頭した。

「先生には本当に、何から何までお世話になりまして……まことに感謝の言葉もございません」

「いえ、私は学君の正当な権利行使を手助けしただけです。ちなみに、管理会社からは即日で慰謝料の振込を受けておりますので、後ほど当事務所への報酬と実費を差し引いて、学君かお母さんの銀行口座に振り込む形にしましょう」

「……先生、報酬でございますが、いかほどお支払いしたら」

「我がホワイトウルフ法律事務所は明朗会計、着手金ゼロの成功報酬十パーセントという取り決めに例外はありません。したがって、今回の場合は成功報酬八万円。郵券代などの実費については、後ほど明細をお出ししましょう」

「はあ……本当に、それだけのお礼で宜しいのでしょうか」

 母親は信じられないといった様子で目をぱちくりとさせていた。無理もない。白山白狼はくろうという男の特殊な性質や、彼が既に資産家であって金にこだわる必要がないこと、また「ホワイト企業顧問」で事務所としては十分すぎる利益を上げていることなどを知らなければ、誰だってこの破格の報酬設定には疑問を抱いて当然だろう。志津自身も最初はそうだった。

 しかも、学の勾留こうりゅう阻止の件に至っては、「自分は刑事弁護の専門家ではないから」と言って、白山は弁護士会への言い訳のためにたった二万円を母親に請求しただけだったのだ。普通の法律事務所なら、それだけで何十万円もの着手金と成功報酬が発生してもおかしくないのに。

 そんな白山の様子を日々見ていると、志津はたまに、この弁護士はお人好しを超えてただのバカなのではないかと思うことすらある。

「お母さん。ご承知の通り、今回の件によって特研とっけんゼミナールという一つの違法企業がこの世から消滅し、その経営者が刑事罰を受けるに至ったのです。お母さんが最初に我が事務所の門を叩いてくれたからこそ、我々は社会正義の遂行に手を貸すことができた――。この白山白狼はくろうにとって、それこそが幾百の札束にもまさる至上の報酬なのですよ」

 そう、白山はこういうことを本気で考えている男なのだ。仮に「弁護士バカ」とか「正義バカ」という言葉を作るとすれば、それがこの世で最も当てはまる人物こそこの白山に他ならないだろう。

「学君は、どうされていますか」

 白山の問いに、母親は少し嬉しそうな顔で答えた。

「幸い、教材販売の会社に就職が決まりまして。入社前こそ、自分に営業職が務まるのかと弱音も申しておりましたが、今は毎日活き活きと会社に通っております」

 ふむ、と白山は満足げに頷いていた。

 志津は、最後に会ったときの学の顔を思い出す。白山が例のごとく、自分の顧問先のホワイト企業の求人を紹介しようかと申し出たところ、彼は丁重にそれを断り、「自分で仕事を見つけて母を安心させます」と宣言したのだ。

 教材販売の営業職。とてもラクな仕事には思えないが、それはまあ、どこでどんな仕事をするとしてもそうだろう。志津としては、せめてその会社が度を超えたブラック企業でないことを祈るばかりだった。


「ときに、シーズー君」

 学の母親を見送った後、青梅おうめ弁護士や先輩事務員のおばさんの分も一緒に、志津が昼食の出前を注文して一息ついていた頃――。

 白山は、ふいにデスクから彼女に声をかけてきた。

「コンテストの結果が出るのは、そろそろではなかったかね」

「――あ。そういえば」

 ここのところ法律事務員パラリーガルとしての仕事と勉強に忙しく、すっかり忘れていたが――

 志津が夏前に書き上げ、読者選考の〆切にギリギリ間に合わせていた、小説投稿サイトの職業小説コンテスト。その受賞作の発表がちょうど初秋頃になっていたはずなのだ。

「まあ、キミの才覚ならば、素人作家のネット小説との争いなど余裕であろう」

 ふふんと笑う白山に、志津は苦笑しながら首を振る。

「そうでもないですよ。コンテストの後半にかけて、面白い作品が沢山出てきてましたからね……。ていうか、わたしの作品自体も『素人作家のネット小説』なんですから」

 言いながら、志津はスマホで投稿サイトを開いてみる。ここ二ヶ月ほど全く開いていなかったそのサイトのレイアウトが、なんだかひどく懐かしいものに感じられた。

「志津ちゃん、コンテストに通ったら専業作家になるの?」

 先輩のおばさんがのんびりした口調でそう尋ねてきた。志津は「そんなまさか」と笑って答える。

「たった一冊本が出たくらいで独立できるほど、甘い世界じゃないみたいですよ」

「副業禁止規定のあるブラック職場じゃなくてよかったね」

 と、青梅までもが、まるでもう志津が印税収入を得られる身分になったかのように軽口を飛ばしてきた。

「……あ」

 サイトのトップを見ると、「職業小説コンテスト 受賞作決定!」とでかでかと書かれた大きなバナーが最上段に踊っていた。

「結果出てる」

「ほう? それで、どうだったのかね、当落は」

「まだページ見てませんよ」

 白山が急かしてくるのを抑え、志津は一つ深呼吸をする。

「何しろ重大な結果だからな。キミの作品の受賞如何いかんによっては、我がホワイトウルフ法律事務所の輝かしき活躍を更に広く世の中に伝えることに繋がるのだ。……まあ、仮に駄目なら俺が自費出版で出してやるから安心したまえ」

「仮に駄目ならとか言わないでくださいよ!」

 はやる気持ちで、彼女はスマホの画面をタップした。


(完)

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