余話

禎氏の庭

 槻秦きしん十二年の春。

 天子義翼てんしぎよくの親政が始まって三年になる。

 親政の宣言によって更迭された延學えんがくが宰相の位にあったのはじつに三十二年の長きにわたる。延學の父、延亮えんりょう帝松柏ていしょうはくの父であった帝雄月ていゆうげつの信任厚く、宰相の地位に就いた年から数えれば、親子二代で四十八年ものあいだ、この国を牛耳っていた。

 延亮は帝雄月の不興をこうむった者に瑕疵かしを見つけ、刑場送りにすることでちょうを得た。

 稀梢きしょう殿の父上、犀湖さいこ殿の冤罪も彼の画策と聴く。

 延亮、延學、彼らふたりにおとしいれられた者は数多く、義翼殿のお母上、さきの帝、帝松柏もまた、延學との政争に敗れ泉下せんかの客となった。

 盤石にも思えた延學の支配を切り崩したのは、義翼殿のお父上、楽賢柳がくけんりゅう殿が築いた人の網で、官僚を豆の蔓のように組織し、延學に不満を抱く地方の豪族や士大夫、皇都の商人たちと繋がって、延學が帝の行う塩の専売や武器の製造に関わって、巨額のまいないを得て私腹を肥やしている証拠を掴んだのだ。

 天子義翼は延學の不正をとがめ、宰の地位をい、財産を召し上げ一族を含めて謹慎を申し渡すことで政治の実権を取り戻した。

 謹慎とは私邸の門にまがきを置き、それを破ることを禁じる刑罰で、家の者は一歩も外に出ることを許されぬし、客も招けない。特赦でもない限りは終身の刑である。

 義翼殿にしてみれば八つ裂きにしても足らぬ人物であったろうが、自身の死を免れるために財産を差し出すことを選んだ延學の行いは司直しちょくによって適法と判断された。義翼殿はこれからの親政が、延學の専横の政治とは違うことを示すため、その判断を尊重した。

 一時は延學に連なる臣が次々に捕縛され、折からの西戎せいじゅう討伐もあって宮廷は異様な緊張に包まれていたが、ここ半年ほどは捕縛者もない。

 帝義翼の施政は帝松柏を引き継ぐものだ。

 殖産に努めて増税は極力避ける方針だが、とはいえ差し迫ったまつろわぬものどもの討伐には臨時の課税による食糧調達や賦役による兵士の補充が欠かせず、目に見えて民の暮らしが楽になったわけではない。それでも、宰の更迭を断行して親政を行う天子義翼に期待する空気は、市井しせいに満ちている。

 帝の新任した臣たちが帝とともに朝廷をうまく切り回し始めたのもある。

 なにより槻秦十年に行われた蒔櫂じかい殿を将帥しょうすいに立てての西戎討伐、その完遂と勝利の凱旋はみなの記憶に新しく、皇都は御親政の華やぎに溢れていた。

 年賀の儀式、夷狄いてきからの入貢の献上式、そして慶賀と恭順の心に満足した帝がみなへ回賜かいしを与える賜恩式と続いた新年儀礼の季節も一昨日でようやく終わり、準備に、後片付けにと慌ただしかった鳳極城ほうきょくじょうに落ち着きが戻ってきた。

 書額堂しょがくどうにおいては式典のあるなしは仕事に影響しないが、式典の続いている時期は他の省から手伝いを頼まれることもおおく、書額堂の書史たちも年々歳々のこととはいえ慌ただしくしていた。

 年々歳々……そう、まさに毎年の繰り返しだ。繰り返し、繰り返し、なにも変わらぬようで、けれども気がつくとなにもかもが変わっている。

 人も、ちょうも。

 私だけが、変わらない。

 私の来し方は相当長く、すでに二千八百年近くになる。

 個人的な持ち物は増やしてこなかった。いま手元にあるのは必要な衣服と、最低限の装飾の品、筆と硯と墨、小刀や櫛などの多少の道具、危急の時に使うための金銀、といったところだ。王朝が倒れるようなときに必要な書額堂の書巻を移すための費用は、あれはいくらあっても足りぬものだから蓄えておくのは無理だ。その時々になんとかして調達する。

 少々気取った言い方をすれば、書額堂にある書巻が、私の歩いてきた道のりをあらわすすべてであって、ほかには必要ない、とも言える。

 私と稀梢殿に一部屋ずつ与えられた、寝台といくつかのひつを置けばいっぱいになる寝室と、共用の客室が一室、書額堂の近くにある武官の宿直部屋を転用した合計三部屋の『私室』……これが我々の『住まい』のすべてだが、さほど私物のおおくない私にとっては充分な広さだった。

 私が所用でしょうの御前に参上し、戻ってきた夜更けのことだ。

 なにやら静けさがわずらわしくて、自分の部屋に直行せず、客間を覗く。

 柄にもないことだが落ち着かず、人恋しいような気持ちだった。

 折良く稀梢殿は客間で髪を乾かしていた。

 寝室は窓もないし、狭すぎてその場所がないからだろう、客間の机を窓際で斜めに立て、そこに洗い髪を広げて風に当てている。

 自身は麻のひとえを着て、板張りの床のうえ、羊の毛で編んだ円座を敷いて正座し、手元で小刀を操っていた。かたわらにできあがったとおぼしい木彫りの梅の花や松笠が転がっている。

 巧いものだ。

 今年は彼も骨折りで、新年儀礼の式の数々に皇族として列席した。

 彼はこれまで、その境遇のおかげで皇族でありながらも一種、員数外の扱いだったのだが、今年初めて上の臨席のお許しが出たのだ。しかも上と近い、なかなか高い席次だった。

 普通ならばおのれの幸運に舞い上がるような話だが、稀梢殿にしてみれば迷惑なことだったろう。

 彼は十九のおりに、帝雄月と彼のお父上との諍いに巻き込まれて以来、三十七年、皇族らしいことごととは無縁で来たのだ。

 列席のおりに着る衣装から装飾から、細かいところでは髪に塗る油まで、必要なものは上がすべて用意してくださったとは言え、着付けから儀式にふさわしい髪を結うところから、普通は屋敷の下女や従僕の手で行うところ、書額堂の書史に手伝ってもらいながら準備した。書史たちは皇族の着付けの手伝いなどやったことがないし、私も着付けの知識は持ち合わせていなかった。稀梢殿はすべていちから説明せねばならず、大変だったろう。

 私もその説明を聞いて、なかなか勉強になった。

 今夜など、御用の済んだあと、上の申しつけで着付けを手伝ったのだが、稀梢殿に聞いていたおかげでなんとかこなせた。

 政治的に要職には就いておらぬ稀梢殿ならば、儀式はただ、必要な場所と時に、必要な挙措きょそで帝にかしずいて居れば良いだけなのだが、それがなかなか難しい。

 けれど彼は巧くこなしていた。

 歳を取らぬ彼の事情を知る者は、同情するよりは気味悪く思う者のほうがおおいだろう。

 帝のほかには有力な後見もなく親しく付き合う知人もないところ、式典に列席しても、居心地は悪いだけだったはずだ。

 また、逆に事情を知らぬ女官などが「あの見目よろしき貴公子はどちらの?」などと噂し合っていたのだが、良きにつけ悪しきにつけ、本人はあまり気にしておらぬだろうと思う。

 稀梢殿はなにかにつけ頓着しない。

 私や彼のような境遇なれば、それは得がたい資質であろう。

 我々はすべての人、すべての時間をあとに残して先に進まねばならないのだから。

 さまざまなことに情を残していては、心が保たない。

汎砂はんさ、扉は閉めてください。髪を結っていないところはだれにも見られたくない」

 こんな夜中に書額堂のあたりをうろつく者など、我々以外にない……そうは思うが黙って閉める。

 稀梢殿が生まれたこの国、この時代において、髪をある程度以上に短く切ること、成人してのち結わぬままの被髪ひはつを他人に見られることは、たいへん恥ずかしいこととされている。辱めの意味で、断髪の刑罰もある。

 古い時代……王朝の頃には、毛先から魂魄が抜けると信じられており、当代よりはもっときっちりと結っていた。いまでも魂魄を守るという信仰は生きているが、冠をつける習俗が合わさって、冠に凝ったり髪の手入れの良さを見せるために余った髪を背に流すことが流行ったりした結果、冠婚葬祭や朝廷の式典のおりを除けば、固く結うことはすくなくなった。

 しかし西戎や南蛮といった結い髪の習慣がない異民族への忌避感は根強く、男女とも、加冠の儀式を終えて成人すると、髪を結わぬまま人前に出ることはなくなる。

 結婚相手にも被髪の姿は極力、見せぬそうだ。

 貴族たちは、従僕は自分たちとは属する世界が違う、という理屈で洗い髪のときなど、その姿を見せることには抵抗がないらしいが、それも恥とする貴族もいて、そういう者は衣装の着付けなどは従僕の手を借りても、洗髪や結い髪は庶民同様、自分でやるらしい。

 歳を取って髪がすくなくなってきたときのための付け髪や禿げ隠しの被りものまで存在している。

 私はこの時代、この民族以外のことも知っており、そもそも私が生まれた集落では結い髪などせぬのがあたりまえだったので、毛先から魂魄が抜けるだの、被髪は恥だのといった感覚はよくわからない。もちろん『そのように考えられている』ということは知っているから、私も人前では極力、髪を結ってはいるけれども。

「それはそうと、稀梢殿。お疲れさまでしたね」

 私は彼とはすこしはなれた場所に円座を敷いて座った。

「疲れはしないのですが暇で困りました。なにかやることがある時間はいいとして、空きの時間もだれに見られているか知れたものではないゆえ、訳を知ったような顔をしながら、そこに立っているのが仕事の振りをするほかはない。書額堂で仕事をしているほうがよほど楽しい、などと言うと、気を遣ってくださった上には申し訳ないのですが」

 生粋の皇族とは思えないようなことを言いながら、ようやく乾いたのか、広げていた髪を持ち上げて香油を塗り始めた。香油も義翼殿の下賜品だが、気に入ったらしい。

 あたりに迷迭香まんねんろうの爽やかな香りが広がった。

「くだらぬことと思いつつお伺いしてみたいのですが、私に見られるのはいいんですね?」

 興味が湧いて、結っていない髪のことを聴いてみる。

 稀梢殿はその質問に目を丸くした。

「それはその……汎砂にはこれまでいろいろと面目ないところをたくさん見られているから、いまさらではあるし……」

 顔を紅くして、

「鞭で打たれたり、血の吸い方やら抱くの抱かれるのとかいう作法やらを教えてもらったり」

 などと小声で付け足しつつ居心地悪そうに目を逸らす。

「なるほど」

 たしかにそれはそうかもしれない。納得とは別に、そのくらいの間柄でなければ被髪は見せたくないのだな、という事実に驚きもある。

「汎砂」

「なんでしょう?」

 物言いたげに横目でちらりとこちらを見る彼に応えると、

龍涎香りゅうぜんこうの香りがする」

 不思議そうな顔をして、稀梢殿はそう言った。

 龍涎香はその尊貴さと稀少さゆえ、帝しか使うことが許されていない。

 なのでこの場でその香りがするとなれば不思議に思うのも当然だった。

 稀梢殿のように宮廷の経験があまりおありにならなくても、やはり分かるものなのか。

「龍涎香をご存じなのですか」

「故郷の麦州ばくしゅうの海岸で、稀に見つかっていた。見つかったものはすべて州庁に届けられて、発見者から買い取って帝に献上するのだが、いちど、二貫約7キログラムもあるような大きなかたまりが見つかって、それが州庁に持ち込まれたとき、知っていれば役に立つこともあると、父がほんのひとかけら、焚いて香りを確かめさせてくれたのだ。ちょっと麝香に似た……甘くてつんとした香りで……覚えておかねばと鼻先でしばらく嗅いで、酔ってくらくらしてしまったのだが、このくらい、ほんのり香る程度なら、良い香りだな」

「麝香など生き物から採れる香料は、市井では淫心を催す、とされていますね。龍涎香も龍の涎を鯨が飲み込んで腹に貯めていたものであれば、生き物由来と申して良いでしょう。強い香りなので本来は鼻先で匂いを確かめるようなものではありません。普通は衣服に焚きしめるもので……催淫の効能は分かりませんが、気分が高揚すると仰せられて龍涎香は上が御服に焚きしめておられたりしますよ。お疲れの時にお部屋の隅で、ほんの少量、香炉でくゆらせていらっしゃったり」

「ああ、この時期は式典に次ぐ式典で、上もお疲れでいらっしゃるから」

 髪に香油をなじませ終えた稀梢殿は、櫛で髪を梳き、手際よく頭頂の髪を薄絹に包んでこうがいに巻き付けもとどりを作り、練絹で結って髻に冠を被せた。最後に、冠をかんざしで髻に固定すれば、人前に出ても恥ずかしくない髪、ということになる。

 いま、身につけた冠は、一昨日までの金銀細工の麗しい冠ではなく、自分で作った木彫りの冠だった。

 蝙蝠の透かし彫りが素晴らしい。気に入っている一品なのだろう、奮発して漆を塗り込んでいるから色艶も美しく、なかなか見目良い冠だった。

 そういえば書額堂に新しい書史が着任したときや結婚の時、退官の時など、稀梢殿は長寿を願う桃や幸福に音が通ずる蝙蝠、厄災から身を守ってくれる天蓋、子宝を願う柘榴、瑞雲や盤長ばんちょう柄の彫刻をした手製の冠や筆箱を贈っている。

 そのような細かな気配りは、彼なりに書額堂のことを居心地良く思ってくれている顕れのようで、嬉しかった。

「見回りでもしてきます」

 そう言って稀梢殿は斜めに立てていた机を置き直し、円座を仕舞って木工の道具を手に客間を出た。

 私も自分の寝室に戻るべきかと思ったが、久方ぶりの食事で火照った身体に、客間の窓から差し込む十七の月光が涼しく感じられて、しばらくそこで休むことにした。

 こんな夜は、徒然にさまざまなことを思い出してしまうものだ。

 十七……そう、十七だった。

 五年前……あれは義翼殿が十七のおりのことだったのだ。

*

 槻秦七年の夏のことだ。

 私は政務の日課を終えたしょうきょうしとして仕えに参上していた。

 登極される以前より回数は減ったものの、上のお困りごとにお答えするために、月に二、三日、故事や儀礼、あるいはもうすこし実務的な律令の解釈などを講義しに上がっている。

「汎せんせいめとらぬというのは、やはり父祖ふそをないがしろにするということになるのだろうか」

 不意に義翼殿が問うてきた。

 事前にご下問かもんのあったことをひととおり説明し終わったあとのことだ。

「『婦』と申しますのは『箒をもって廟を掃き清める祭祀を司る女性』のことで、これをおそばに寄せぬというのは、父祖の祀りをないがしろにしていると言われても仕方がないとは言えましょうね」

 むろん、婦が祭祀を司っていたのは遙か昔、しゅうの時代のことで、いまではその実態の薄い言葉だ。現実の問題としては、家を継ぐ子を生さぬのはけしからん、ということに尽きる。

 上は「で、あろうな」とうんざりしたように溜息をお吐きになった。

 義翼殿は女性にご興味のないたちでいらっしゃる。

 彼が八歳のときに崩じられた松柏殿がこのことをご存じだったかどうかは知らず、お父上の楽殿、妹君の汀香ていか殿は義翼殿のこの性質をご存じで、尊重はされているものの、日増しに強くなる貴族たちの『娘を後宮へ』の圧力を封じる有効な手段は、楽殿もお持ちではなかった。

 『帝は国の安泰のために子をつくる責務がある』という理屈が、だれも疑わぬ『常識』であるだけに抗いきれぬものがある。いまのところは義翼殿が「修養至らぬ我が身にはまだ早い」と退けているものの、いつまでも通じる言い訳でもなかった。

 上もすでに十七。

 市井にあっても廟を守る婦を娶り、家督を継ぐ子を生せという圧力は、長子ちょうしには強い。

 ましてや、帝である義翼殿なれば。

「上、ひとつお話をいたしましょう」

 気休めを申し上げても仕方がないとは思えど、私は言葉を探した。

「柊の幽帝には皇妃がおりましたが、なかなか子ができず、幽帝は妾妃を求めました。妾妃の名は峰似ほうじといいます。しかし、できるときには立て続けにできるもので、これまでなかなか授からなかったのが嘘のように、一年後、幽帝はひと月の差で相次いで男子を授かりました。一人目は皇妃の子でけつと名付けられ、二人目は妾妃の子でらいと名付けられました。結は武に秀でておりましたが粗暴でもありました。禮は文に秀でておりましたが、兄を軽んずるところがありました。幽帝は峰似に寵を注いだこともあり、彼女の子の禮を偏愛し、彼を太子にしたいと思いましたが皇妃にも子ができた以上、幼長の序からも妃の格からも、それは簡単には受け入れられることではありませんでした。皇子たちが十八歳のおり、皇妃の父親であった申公が叛乱を起こしました。幽帝が妾妃とその息子ばかりを可愛がり、自分の娘がないがしろにされていることに不満を覚えたからです。幽帝は申公の叛乱に腹を立てて皇妃と結を幽閉し、禮を太子としました。申公はますます激怒し都に迫り、幽帝の軍を打ち破って幽帝をしいたてまつって太子の禮も切り捨てました。以後、申公の擁立する結と、幽帝の弟を立てたほかの貴族たちの間で後継者の争いが起こり、柊は混乱を極めました。……さて、この話において、幽帝の過ちはどこにあったでしょうか」

 これを境に穏やかな天地のときを司っていた柊は、東西に割れて天命を失い、中原ちゅうげんは諸国乱立のときを迎える。

 幽帝は世の道理から外れるようなことはなにもしていない。

 妾妃の峰似と次男を偏愛していたところだけは非難されても仕方がないとも言えるが、長男の結は太子となるには粗暴に過ぎ、幽帝はその性質を見極めていたがゆえに立太子に慎重であったとすれば、いちがいに愚かとも断じきれない。

「決めるべき時に決めなかったところですよ」

 私が答えを申し上げると、義翼陛下がはっとした表情をした。

「早々に結を太子としておけば、禮はよけいな期待を抱かず、兄に仕えたでしょう。結は不安を覚えず次の帝として修養を積み、粗暴の質を改めたかも知れません。申公が叛乱を起こしたあとでなく、もっと早くにほかの諸侯に根回しをして禮を太子と決め、結を家臣の身分に落としておけば、皇后をはじめ、いろいろなところから幼長の順を守るべき、という不満の声は出たでしょうが、ほかならぬ帝が決めたことなのです。帝が『この決定は天意である』と宣言すればみなはそれに随うしかない。可能性として、結も禮もうまくやっていけたかもしれないのですが、現実には、必要なときになにも決めなかったことで最悪の結末を招いてしまった。いつまでも定まらぬ地位に皇子やその母親、周囲の貴族たち……みな、勝手な期待をし、結局、幽帝は社稷しゃしょくを危うくすることになってしまったのです」

 この話は義翼殿が婦を娶らず、みずからの子を持たぬことへの解決策ではない。

 『自分の子』に拘ったとて、それですべてが解決するわけではないと……それを思いだして欲しかっただけだ。

「それに、上はお忘れかも知れませんが、いにしえの帝橋きょうは我が子がいたにも関わらず、血縁のないじゅんに才能を見いだし、彼を帝位に就けました。帝橋、帝准、おふたりとも大徳にして放勲ほうくん重華ちょうかの帝と讃えられております」

 これは『書経』の巻頭に載る逸話で、この国の皇族、貴族、官吏ならばみな読み習う話だ。亀王朝のまえ……神話の時代に属する話で、私も実際に見たわけではないが、古い時代には自分の子を含め、親族の中で一番優れた者に長を継がせる国もあった。

 私の生まれた泰邑たいゆうもそうで、私と先代の長とのあいだの血縁はかなりうすい。

 だから帝橋の行ったような国の継がせかたがあってもおかしくはない。

 もっとも国をさらなる繁栄に導いた帝准と違い、私は泰邑を守り切れなかった亡国の首長ゆえ、私を継嗣に足る優秀の者と見た先代は、とんだ見込み違いをしたと言わざるを得ないのだが。

 才を見極め、選ぶ。徳治に理想を見いだしながらも、人は血に拘らずにはいられない。

「もし、ご自身の意思を貫こうとするなら、果断にお決めになることです。上はその一身に持つちからがおおきゅうございますれば、みながさまざまに自身の思惑を重ねて期待してしまう。世の『あたりまえ』と違うことを行おうとすれば、周囲の風当たりは並大抵でなく、きつうございましょうし、うまくやらねばなりますまいが」

 上に対する期待とは、まことに残酷なものだ。

 ……政治の実権はいまだ延學ら宰相たちが握っている。

 けれど、上のご年齢とご気性から考えて、いまのままではいずれ上は親政を行われ、延學らは自分の権力が失われることを予感していよう。だからこそ、上に自分たちの娘や孫娘を嫁がせることを急いでいるのだ。娘が孕んだその子を太子にすれば、自身の権力は安泰。上が邪魔になれば毛を吹いて瑕を探し、退位に追い込んで自分と血の繋がった帝を擁立できる。

 上に期待する、と言っても、その期待のなかの上は『帝』という絶大な権力を持った『位』であって彼の人格はまるで尊重されていない。

 どの時代の、どの国においても帝とはそういう境遇になる。

 柊の幽帝、さいびん王、近くは義翼殿の祖父、帝雄月……その残酷さに負け、病んでいく支配者の、なんと多かったことか。

 そういうものだと分かってはいても、やりきれない。

 それはともかく義翼殿の場合、必要なときに決める、とは申せど、女を抱けぬ、というご性質は下手に表に出せば、それだけで廃位を迫られる口実にもなる。枕を交わすのは男が良い、というのは問題ではないのだが、男しか受け付けない、というのはさわるのだ。

 いまのところ、上は慎重に振る舞っておられるゆえ、上が女性とねやをともにするのが難しい、ということは取り沙汰されていない。

 義翼殿がなにかを腹に収めるように、ひとつ、頷いた。

「……汎子……いや、汎砂。今宵は汝に、枕席に侍ることを……申しつける」

 不意打ちだった。

 私は書額堂の創設と運営のために、ときの権力者に近づくことがおおく、この見目と物珍しさから、かように命じられることはすくなくなかった。

 だから、そう仰せがあったとて困惑はしないが『いま』か、という驚きはある。

 しかし、いくらしっかりしておられるとはいえ、義翼殿はまだ十七であらせられる。

 私になにを見ておられるのか……傅として近い場所で仕えてきた私に、なにか特別の思い入れをなさっておられるのは、あり得ることではあった。

 私がおのれに課し、完遂しようとしているもの……天命の在処を記し、かつて存在し、けれどもいまはもう跡形もないさまざまなことを……私のくにがかつて存在した、そのことをこの世の果てまで伝えてゆく、それゆえに移りゆくすべてのものに心を寄せることをめている、その私のありようを知れば、きっと上は失望なさるのであろうが。

 この国の行くさきを指先ひとつで左右できるだけの権力を持ちながら、それゆえにままならぬことのおおいお立場なれば、不満のひとつも容易に口にできぬ心の綾が、いま、このように言わせたのだろう、と拝察申し上げる。

 いくら傅として、その知識を尊重していただいているとはいえ、煎じ詰めれば従僕に過ぎぬこの身なれば、私には『断る選択肢などもとよりない』というのを重々承知したうえで、うわべの選択肢を排してきちんと命じてくださるところなど、帝者ていじゃにふさわしい言葉であるとも思う。

 そのお歳でかような分別まで身につけてしまわれている義翼殿の寂しさには、いくら永い時を生きてきた私でも、心動かされる。

「真実、上がそうお望みであれば、否を申し上げることはございませんが、あまりお勧めはできませんよ」

 義翼殿は、傷ついた表情で私をご覧になった。

「……稀梢殿か」

 数年前に出回った作り話のことを気にかけておられるのだろうか。

 書額堂の書史のなかの二人ほどが、なにを思ったか私と稀梢殿とのあいだに情が通っているという話を創作して、仲間うちで読み回しているうちに写しの書巻が出回り、いらぬ騒動になりかけた。

 そのときは上も、あれが作り話だと言うことはよくよく納得されたうえで笑っておられたものだが……。

「それは違います。彼はわば窮鳥だった。彼のお父上でいらした犀湖殿が、ご自身の身が危うくなったとき、ご子息を救おうとなさったのです。そして思うようにならず、万策尽きて私に彼をお預けになった。それだけのことでございます。私がお預かりする、ということは、帝となる資格を失うということですから」

 義翼殿の祖父である鳳雄月殿と犀湖殿の確執のことを知らない義翼殿ではない。

「……済まぬ」

 義翼殿は溜息をお吐きになった。

 帝たる者、あまりしもの者に軽々しく詫びるものではないが、いまはそのことを指摘せぬほうが良かろう。

「なんと申し上げれば良いのか……上は『グゥイ』のことをご存じでしょうか? しもじもが夏の泰山府君の祀りで供え物をする」

「よくは知らぬが、冥府から甦って生者に災いをなすとか」

「まあ、そういうものです。たとえばこういう昔話があります。嫁いだばかりの女が、夫を亡くしました。女は道士に頼み、夫を甦らせてくれるよう願いました。道士は女を憐れんで泰山府君の呪法を用いて夫を冥府から呼び戻しました。『おまえの夫は三日のうちにこの家に戻ってくる。だが女よ、いちど冥界の者となった夫とは決して夫婦の床に入ってはならぬ。おまえの枕の下にはこの布を敷いておくように』道士はそう言って、女に泰山府君の似姿が描かれたちいさな絹を手渡して立ち去りました。はたして三日ののち、夫は戻ってきました。互いに再会を喜び合い、男はその日から生きていた頃と同じように働きました。女はそんな夫の姿を喜びつつ、けれども道士の言うとおり、もらった布を枕の下に敷いていました。ある晩、夫が言いました。『どうかその恐ろしい布を棄てて私を夫婦の床に入れて欲しい』と。女は拒みましたが、そもそも愛するがゆえに甦らせたのです。最後には道士の布を枕元から取り去って、夫を招き入れました。その日を境に女はだんだん弱っていき、半年後、亡くなってしまいました。嘆き悲しむ男のまえに道士が現れこう言います。『陰の気でできた鬼のおまえが人と交われば人の陽の気を喰ってしまう。陽とは命。このままほかの人間の陽の気を奪いながら鬼として生きるか、いまここでもういちど死ぬか、選びなさい』と。男は一も二もなく、死を願いました。道士は男の願いを聞き入れ、泰山府君の呪文を唱えると、男は土に還ったということです」

 亀王朝のむかしから、人は死後、冥府で生前とおなじ生活をしていると考えられている。

 そのせいか、なにかのきっかけで死者が現世に戻ってくる、このような『鬼』の話は数多い。

 この『鬼』と私のような地祇ちぎの縁者とは、かかわりがあるのかどうかははっきりしない。

 類縁の鬼魅がいるのか、あるいは私のような地祇の縁者を目の当たりにした人々が、泰山府君の信仰と絡めて記憶したものか。私の生まれ育った国をこちらの文字で書き表せば『泰邑』と書き、泰邑の者たちが祀っていた季岳の地祇は『泰基たいき』と書く。『泰山府君』となにかかかわりがありそうにも見えるが『泰邑』『泰基』は我々の使っていた文字と発音が似ているだけの当て字ゆえ、他人の空似というものだろう。ただし、泰山と季岳の聳える場所はさほど離れていない。

 いずれにせよ、ときとして冥界から『鬼』のような妖魅が迷い出ることを、人は信じている。

 そして長寿を願い、迷い出た鬼を退け……あるいは、愛しい者にもう一度出会いたいと、人は泰山府君に願っている。

「私は、この物語にでてくるのとおなじ鬼なのですよ。泰山府君の呪文で甦ったわけではありませんが、一度死んで甦り、人の血を吸い、精を喰って永らえている」

 上はお困りになったような顔をされた。目の前に座ってる人の姿をした者が、じつは人ではなく鬼魅なのだという……突然、こんな話を聴かされたなら、そんな顔をせざるを得ないだろう。

「一度、上の寝所にまかり越したとして、それで上のお命が危うくなるようなことはありませんが、数日、寝込まれると思いますよ」

 私が『なにものであるか』というのは皇室の方々であればご存じのことだが、義翼殿は早くにお母上を亡くされて、詳しくは御耳にしていなかったのだろう。

 そういえば、稀梢殿は十九のおりでも、私のありようのことはご存じなかった。

 犀湖殿は当然、ご存じだったから、案外「必要になれば伝える」くらいに思っている皇族の方はおおいかも知れない。

「上は『禎氏ていしの庭』という故事を覚えておいでですか?」

 どうせ私の話が出たついでなので、もうひとつ話しておこうと言葉を重ねる。

 義翼殿が頷いた。

 『禎氏の庭』の故事とは、こういうものだ。

 かつての国の沈という大臣が、庭作りの名人だった禎氏に命じて美しい庭をこしらえ、磁公を招いた。公は庭の美しさに驚嘆する。しかし沈氏はそののち非道をなし民を苦しめたので、磁公に紂される。主人のいなくなった沈氏の家の庭をふたたび訪れた公は、その庭が以前とまったく同じでありながら、輝きを失っているのを見た。公が禎氏を呼んでわけを問うと、禎氏は涙を堪えながら『この庭は私が沈氏のために造ったもので、沈氏がいなくなったいま、もとの輝きを取り戻すことはありません』と語り、その場を辞去すると首を括って死んでしまった。

 どんな非道な者にも慕う者はおり、なにをもってしても靡かすことができないことはある……たとえ名君といえど、すべてを救えるわけではない、という話だ。

「私は、謂わば諦めきれなかった禎氏のようなもので、かつて我が手にあったなにかが、もういちどこの世で見つからぬものかと探している……そういう者なのです」

 かつての空、かつての大地、かつてのくに、かつての友や親族たち……いまはいまで大切な仲間もおり、仕事もある。むかしとて良いばかりではなくつらいことも多かった。だが、振り返らぬと心に決めていても、まえを視るまなざしのさきに、日々書き残す文章の行間に、垣間見てしまいそうになる。

 遠いむかしの、思い出を。

「『禎氏の庭』の故事については、母が、こんなことを話してくれた」

 義翼殿は私をご覧になっていた。

 愛情、思慕、期待あるいは怨恨……情を込めて相手を見詰めれば、よくもわるくもまなざしは濁る。相手の像が濁り、歪むことでうまくやってゆけたり、そのように視ることで、相手が育ってゆく、そういうこともある。そこが人の関係の玄妙さだが、義翼殿のまなざしは違った。

 こちらのすべてを見透かすような透徹したまなざしだった。

「完成したと思ってはいけないのだ、と。完成したと思ってしまうと、つぎになすべきことを思いつかぬ。慢心する。あとで短所が見つかると、いたずらに『完成した』ときを懐かしみ、その欠点を生み出したものを憎んでしまう。だが、それは違う。完成したと慢心しているそのときから、短所は日陰で静かに育っている。庭師の仕事は、その育ちつつある悪い部分を怠りなく目を凝らして見つけることなのだ、と。禎氏の庭は完成してなどいなかった。人はいずれ死ぬもので、沈氏が亡くなっただけで失われる『完成』など、真の完成ではない。そして、一国を司る帝は庭師で、国は『未完の庭』なのだ。義翼よ、禎氏とおなじ過ちを犯してはならぬぞ、と」

 松柏殿らしい言葉だと思う。

 彼女はほんとうにおつよかった。

 剛すぎ、美しすぎて……あの方の魂魄こんぱくは天へ捧げられてしまったのだ。

「だから汎砂。汝がかつて諦めず、いまでも諦めておらぬことを、わたしはとても嬉しく思う」

 ……ああ、これだから。

 これだから人は……がたい。

 ただ生き延びるために人を殺め、おのれの望みのために人を騙し、裏切り……いかほどの罪を私が犯してきたかもご存じないにもかかわらず、お赦しになろうとする。

「それにな、先日、里帰りしてきた妹に言われたのだ。『兄上はなんでも難しくお考えになりすぎるのです。あれこれ子が生せぬような事情を持つ者や、夫婦者でもいろいろあって子がおらぬ者など世には珍しくございません。吾は麦州でさまざまな者を視て参りましたが、苦労している者も多いとは言え、みな、それなりに上手くやっております。天子に差し出口をする不敬はここだけのこととご寛恕いただきたく存じますが、吾は今年嫁ぎますゆえ、夫と励んで十年くらいのあいだに四、五人、産んでおきます。兄上は、そのなかで跡継ぎに一番向いていそうなのをお選びになったらよろしいのですわ』と。横で聴いていた父は大笑いしていたよ」

「それは……」

 なかなか感想を述べるに困る話だった。

 義翼殿はほんとうに松柏殿のお若いころにそっくりで、汀香殿の仰る通り、悩み抜き、慎重に過ぎるところがあるものの、これで果断さを身に備えられたら、松柏殿に比肩し、いずれは越える良い治世をなされるだろう、という予感がする。

 汀香殿は松柏殿とも義翼殿とも、あるいはお父上の楽殿とも毛色が違い、果断と行動力のかたまりのようなお人柄だった。考えがないわけではないが、悩むよりとりあえず良さそうなことをやってしまえ、という性質でいらっしゃる。

 汀香殿のその行動力は、策謀と欺瞞の空気に満ちた宮廷を六歳であとにし、犀湖殿の薫陶を受けた官僚たちの治める風通しの良い麦州で暮らしてきたせいかもしれない。

「妹は、なんでもあっさり決めすぎなのだ」

 義翼殿はそう仰せだが、上の妹御、汀香殿もいまだ御年十五ではあれど、優秀な知事補やほかの官僚たちに補佐されて、麦州知事としての振る舞いを身につけていらっしゃる。

 世の『常識』であれば女性は嫁すれば相手の家に入り、夫と夫の両親、そして我が子に仕えるものとされているが、嫁しても知事は辞めぬ、と宣言していらっしゃった。

 かたちのうえでは相手の家に入るのだが、知事を辞めぬ以上、夫の家族をまるごと、麦州知事の住まい、南戒宮なんかいぐうに連れてくることになるため、見た目が入り婿のようで、男が嫌がって早い結婚は難しいのではないかと思われていたのだが、さにあらず、早々に良い縁も見つかった。

 相手の繁都はんと殿は、蒔櫂将軍の推挙と聴く。御年三十二。禁軍の左将軍を務めていらっしゃる。

 上の仰っていた『里帰り』というのは、帝室に納采のうさいを行うために参上した繁都殿と一緒に鳳極城に帰ってきたときのことだろう。

 ただ、この話にはあとで延學の「上より先に妹御が嫁されるというのは如何でしょう」という、下心丸見えの物言いが付き、結局、正式な婚姻は延學が失脚してから、槻秦十年、汀香殿が十八になってからとなる。

 有言実行、槻秦十一年の暮れには汀香殿は第一子、清角しんかく殿を出産されたことも付しておく。

「とはいえ、妹の言うことにも一理はある。いくら手を加えても、庭は完成せぬものだが、上手くゆかぬと悩むばかりで手を加えることを躊躇い続ければ、それで終わりだからな」

 どこか鬱屈を抱かれたお顔で『婦』のことをご下問なさったときから比べて、ずいぶん、すっきりした表情になられた、そう思う。

 私の話したことは、なんの解決策でもない。

 が、わずかでも義翼殿の御心が軽くなるたすけとなったなら、それは幸いなことだ。

「今日は短慮なことを口にした。『王言如絲、其出如綸(王の言葉は些細なものでも重い意味を持つ)』。吾の発した言葉はなかったことにはできぬが、汎砂、今回は戯言ぎげんのたぐいと聞き捨てておくように」

「御心のままに」

 むろん、私に否はない。

「だがな、吾は諦めぬ。吾がほんとうに天命に値せぬのならばともかく、つまらぬ詮索で吾の治世に口を挟むような者が現れぬようになったら、改めて汝を召すことにする。吾は、汝と視たいのだ。完成はせぬとわかっていながら、理想に近づけてゆくことを諦めない……『禎氏の庭』を」

 義翼殿のことであれば、自分と私の視ている『庭』が違うことも分かっていらっしゃるだろう。私の『庭』の面影が、決してご自身のそれには重ならないことも。

 それでも見果てぬ夢を追う者として、ひとときをともに過ごしたいと……そう、お考えなのだ。

「もとより上の御意を入れぬことを赦される立場にはございませんが、敢えてこう申し上げます。『そのおりには、喜んで御身の枕席に侍りましょう』。ですが、ほんとうにお疲れになってしまいますよ。よろしくないとは思っても、精を喰うのは私自身にも止められぬのです」

くどいぞ。要は吾が壮健であれば問題なかろう。蒔櫂に言って剣の修練の時間を取ることにする。帝位に就いてから、どうしても身体を動かすほうが疎かになっていたゆえ、ちょうど良い」

 義翼殿は、すこしむくれたお顔をなさる。

 それは、この日、この席で初めて浮かべられた……十七歳の御年にふさわしい、少年期の気配をわずかに残した、青年らしい表情だった。

「汎砂、さきほど奏上しにいった竹柵ちくさくだが、今日は……というか、しばらく上は休養されるとのことで、引き取ってきた」

 槻秦十二年の春の宮廷行事がひととおり済んだ日より三日後、門下省の文書課におもむいていた稀梢殿が戻ってきた。昨夜洗ったばかりの髪から迷迭香の涼しげな香りが漂ってくる。

「式典など慣れぬこととは言え、私ならば適当に澄まし顔で立ったり座ったりしてかしこまっておれば良いだけだが、上のお立場ともなると気疲れも多かろう。長引かねばよいが」

「大丈夫でしょう。上はご壮健でいらっしゃるし、去年も春の行事が終わると休養を取られていらっしゃいましたが、四、五日で朝見ちょうけんにお戻りでしたから」

 稀梢殿がすこし考えるような仕草をして「そういえばそうか」と得心したように頷く。

「それはそうと汎砂も髪を洗ったのだな。汎砂は髪の質が独特で洗いたてだとすこし跳ねて落ち着かぬ感じがするが、似合っていると思う」

 要するに、髪の脂が洗い流されてしまうと、私の髪は外はねが酷くて乱れていると言いたいのだろう。そこは私も多少は気にしている部分ではある。

 ただし、稀梢殿はこの髪を見て手入れが悪く見えると遠回しに忠告しているわけではなく、ほんとうに「似合っている」と思っているだけなのが、彼の凄味ではある。

「稀梢殿が昨夜、髪を乾かしていらっしゃったのを見て、そういえば私もしばらく簡単に水浴するばかりだったと思い出し、洗いに行ったのです」

 髪ばかりでなく、昨日着ていた官服も洗って干してある。いま着ているのは先日の年賀の儀式のおり、官吏全員に下賜された着替えの服だ。

 そう……義翼殿の部屋にはあの香りがずっと漂っていたから、自分の鼻が慣れてしまっていて気がつかなかった。髪はもとより、しばらく上の服と私の服を重ねてあったせいで、服にも龍涎香の香りが移っていた。稀梢殿の生い立ちなら、あれが龍涎香の香りだということを知っていてもおかしくない、ということにも気を回しておくべきだったろう。

 べつに気取られたとして、どうということもないのだが、気づかれぬならそれに越したことはない。

「汎砂、なにか良いことでもありましたか?」

 いつもはこちらがなにを思っていても我関せずといった風情の稀梢殿が珍しく私の顔色を読んでそう言った。

「とくに、なにも。ただ、未完の庭のことを考えていただけです」

 稀梢殿はふと、不思議そうな顔をして、けれどもそれ以上は詮索せず、自分の仕事に戻ってゆく。

 毎日と変わらぬ、なにごともない日常。

 いずれは過去のすべての王朝、過去に私が関わったすべての人々同様、いまここにあるすべてが過去のものになっていくのだろう。

 稀梢殿だけはどうなるか分からぬけれども……この王朝も、いまここにある書額堂と、ここに立ち働くひとびとも、義翼殿も、みな、いずれは。

 情を残せば、それだけ心が削れてゆく。

 けれど、いまこのときは、私はみなとともにここにいる。それは天のことわりと同じように確かなこと。

 情は残さぬ。

 残さぬが、竹柵に書き留めることもなくただ移ろいゆくままとはいえ、私の思いは、たしかにある。

 私自身の『庭』を造りながら……松柏殿から義翼殿が受け継ぎ、彼が丹精する『未完の庭』の行く末を見届けることで、私は、この胸に宿る思いに応えようと思っている。


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書額堂奇譚 宮田秩早 @takoyakiitigo

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