2021 告白
2021年6月。
深い闇が辺りを包み始めた頃、美夏子は野川の堤防を歩いていた。
三十年前の亨の「心残り」を叶えるため、美夏子は今年も、蛍を見にこの場所へとやってきた。片手でハンドバックを、もう片方の手で一人息子の
「ママ、今年も蛍さん、見れるかなあ?」
「うん。見れるといいね」
美夏子は堤防沿いを歩きながら、二枚橋から離れた山林が迫る場所へと向かっていた。三十年前のあの日、亨と一緒に蛍を見たあの場所に。
美夏子はようやく足を止めると、しゃがみ込み、草が生い茂る堤防をじっと凝視した。
「いないね。今年はもう見れないのかな……」
「待とうよ累人、まだここに来たばかりでしょ?」
美夏子が落ち込む累人の頭を撫でていたその時、どこかで聞き覚えのある渋い男性の声が美夏子の肩越しに聞こえてきた。
「ほら、あそこにいるよ、蛍」
美夏子が振り返ると、白髪が混じったオールバックの男性と、白いワイシャツを着た高校生位の少年がにこやかな表情で並んで立っていた。その瞬間、美夏子はあまりの衝撃に全身の震えが止まらなかった。
「あ、あなたは……!」
「俺たちのことは後でいいから、川面の辺りを見てよ。今見ないと、逃げちゃうよ、蛍」
すると、累人が突然川面を指さし、悲鳴をあげた。
「ママ!いるよ、あそこ!あのふわふわっと飛んでる黄色い光!」
大はしゃぎで喜ぶ累人を見て、美夏子は背後に立つ男性に軽く頭を下げた。
「ありがとう、お陰様で今年も蛍が見れました」
「いや、俺もうれしいよ。久しぶりに美夏子に会えて」
「やっぱり、あなたは……」
「そうだよ、高校の同級生の亨だよ。あ、この子は息子の
オールバックの男性は、やはり亨だった。隣に立つ少年は亨に促されると、丁寧に深々とお辞儀した。
「ねえ、今までどうしていたの?亨、あの時に『いつか帰国して、私と一緒にここで蛍を見る』って約束したから、私、その言葉を信じて毎年ここに来ていたのよ」
すると亨は突然顔をしかめ、美夏子から目線を逸らして息子の宙に向けた。
「おまえに会わせる顔が無かったからだよ。なぜなら、俺の心残りは、この場所で美夏子に自分の想いを告白することだったから。あの頃はアメリカに留学することで頭がいっぱいだったし、勉強にも追われてたし。だから、帰国したらちゃんと告白しようと思ってたんだ。無事に念願のMBAは取得したけど、留学中に現地で知り合った女に猛アタックされて、そのまま結婚してしまった。俺、何のためにおまえにあんなことを約束したんだろうって、自責の念にかられてね。帰国しても、ここに来る勇気が起きなかったんだ……」
そう言うと、亨は「ごめん」と小さくつぶやき、美夏子の目の前で深々と頭を下げた。離れて立っていた宙も、いつの間にか亨の隣に立って一緒に頭を下げた。
「バカよね」
「え?」
「何であの時、好きだってちゃんと言ってくれなかったの!?こんな回りくどいやり方しなくてもさ。いつまでも亨がここに来ないから、私は適齢期過ぎて、焦って合コンで見つけた相手と結婚して、この子を出産したんだから」
美夏子はそう言うと、累人を抱き寄せて茶目っ気のある笑顔を見せた。
「ね、累人。おバカよね、この人」
そう言うと、累人は笑顔でうなずき、亨を指差し「ばーか」と言って笑った。すると亨の隣に立つ宙が、それに釣られるかのように笑い始めた。
「ホントにバカですよね。僕、美夏子さんの話を聞いた時、親父に怒ったんですよ。『何で好きだって言わなかったの?しかもずっと相手を待たせてるなんて最低だよ。僕も行くから一緒にあやまろうぜ』って。僕がそう言わなければ、親父はこの場所に来なかったと思いますよ」
宙の辛辣な言葉が効いたのか、亨は歯ぎしりをしながら頭を掻いた。
「あ~ちくしょう!俺の意気地なしが!」
「何言ってるの?あなたの『心残り』のおかげで、私たち、今日こうやってここで再会できたじゃない」
「!?」
美夏子はそう言うと亨の手を握り、目を細めて微笑んだ。
「さ、一緒に蛍を見ようよ。今年だけじゃなく、これからもずっと」
「あ、ああ」
川面を見ると、一匹の蛍が草むらから顔を出し、真上へと空高く舞い上がった。すると、もう一匹の蛍が待ちかねていたように近づき、二匹並んで仲睦まじく並んで、夜空を上下左右にさまよい始めた。
二匹の放つ淡い黄色の光は、堤防に座る美夏子達の顔をほのかに明るく照らしていた。
あの夏の蛍 Youlife @youlifebaby
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