第26話 エピローグ 楓坂ニュータウン

 横浜の都心から地下鉄で十五分。

 駅から一区画外れると整然と区画された住宅街の街並みが現れる。晴れた日には遠くに富士山を望むここは、昭和の終わりに開発された大規模なニュータウンだ。その名を楓坂ニュータウンといい、一万人近くの人口を抱えている。

 ほどよく都心に近く、ほどよく自然の残る街並みが、若い新婚夫婦からリタイア世代まで幅広く人気を集めている。住宅情報誌の「首都圏近郊の住みたい街ベストテン」の常連だった。

 遠くに富士山が顔を見せるある晴れた春の日、そんな街並みの一画の真新しい家から、夫婦と三人の女の子の家族が出てきた。土産物と思しき菓子折りを手にもって自宅の門を出て、隣の家へと向かっていった。


「さて、まずはお隣さんから行こうか」

「ご近所さん、みんないい人だといいんだけどね。しかし、都会は隣の家までの距離が近いわねえ。考えてみたら隣の家がこんなに近いの、私、生まれて初めてかもしれない」

「独身の時に寮に住んでたじゃないか」

「あれは隣の家とは言わないわよ。隣のね」

「ふふふ、まるっきり田舎もんだよな、いくつになっても」

「あなたに言われたくないわ」


 夫婦はそろって隣家のインターホンの前にならび、夫の方がボタンを押した。すぐにスピーカーを通して返事がある。


「はい」

「あ、こんにちは。初めまして。隣に引っ越してきました国宮といいます。ご挨拶に伺いました」

「あ、はい。今出ます」


 インターホンが切れると、家の中で「パパー、ママー、お隣の新しい家の人、ご挨拶だってー。ほらー、早くー。ちょっと、そんな恰好であいさつに出ちゃダメだよー」と、はつらつとした声が家の中に響きわたり、玄関の前で待つ夫婦の耳にまで届いた。

 夫婦は若干緊張した面持ちで玄関の前で直立不動で待っていた。しばらくドタドタと物音が続いたが、やがて玄関のドアが開いて、中から通学カバンを持ったセーラー服の女子高生と、人の良さそうなその父母らしい人たちが顔を出す。

 玄関で待っていた夫婦は、隣家の三人に向かって改めて丁寧に礼をする。それに合わせて夫婦についてきた少女が三人も順番にぴょこりぴょこりと頭を下げた。


「国宮といいます。よろしくお願いします。このとおり女の子が三人おります。共働きですので、これから子供たちがお世話になることもあるかと思いますが、よろしくお願いします」


 夫が口上を述べて挨拶を交わす。シンプルだけどそつのない挨拶だ。


「これは、ご丁寧にどうも。うちはご覧のとおり三人家族でしてね、この子は高校一年生なんですよ。奥さんもお勤めなんですか。うちは専業主婦なんで、なにかあったら言ってくださいね。あら、かわいいお嬢さんたち」

 

 隣家の奥さんの方が如才なく挨拶を返した。旦那さんは寝起きなのだろうか、少し眠たそうな顔をして黙って聞いていた。

 夫は、三人の少女たちを順番に並べて、号令をかけるように命じる。


「ほら、おまえたちも、ご挨拶しなさい」

「国宮あおい、八歳です。小学校二年です」

「国宮みどり、六歳です。ねんちょーさんです。もうすぐ一年生です」


 女の子たちは背の高い順に挨拶していく。最後に一番のちびっ子がとことこと前に出て、堂々とした態度できれいなお辞儀をした。そして胸を張って声をあげた。


「すずかです。五十四歳です! よろしくお願いします」


 ちびっ子の自己紹介を聞いて隣家の女子高生が一瞬の沈黙のあと口を開けて笑い出した。夫に向かって笑ったままの顔を向ける。


「あははは、すずかちゃんっていうんですか? 面白いこと言いますよね。すずかちゃんは五歳なのかな? 四歳なのかな?」

「違うよ! すずかは五十四歳なの!」

「あははは、私はゆかり、高校一年生。よろしくね、すずかちゃん。あおいちゃんとみどりちゃんも、よろしく。しかし……」

 女子高生は通学カバンを胸に抱いて、腰をかがめた。すずかと名乗った女の子と同じ高さで目を見つめて、髪の毛を撫でる。


「すずかちゃんだけ、すごくきれいな金髪なんだね」


 夫はちびっ子の肩を押さえると、一歩前に出て女子高生に向けて声をかけた。


「私たちは、ここに来る前、十年ちょっとアメリカにいまして。この子たち、三人ともアメリカ生まれなんですよ。時たま変な日本語を喋るかもしれませんが、その時は教えてやってください」

「あら、まあ、そうなんですか。みんな、英語喋れるの?」

「イエス、イグザクトリー」


 一番背の高いあおいと名乗った子がここぞとばかりに親指を立てた。そのあとにすずかと名乗った一番ちびっ子が異常に落ち着いた様子で続ける。


「英語の方が日本語よりもずーっと簡単だよ」


 そのふてぶてしいまでの言い切りに、女子高生が転げるように再度笑い声をあげた。


「あはははは、おかしい! じゃあね、すずかちゃん、今度お姉さんに英語教えてちょうだいね。ママ、私もう行かなきゃ。行ってきまーす」


 セーラー服の女子高生は通学カバンを持って軽やかに駆けていった。それを見送った夫は隣家の夫婦に手土産を渡して、また頭を下げる。


「これ、つまらないものですがみなさんで召し上がってください。それでは失礼いたします。これからもよろしくお願いします」


 夫に続いて妻と三人の娘が揃って頭を下げた。


 ◇


「まったくスズカは。バカ正直にホントの年齢言わなくていいのになあ」

「そうよね、ふふふ。話がややこしくなるだけなのにね。三歳とか四歳って言っておけば丸くおさまるんだけど、まあ、そこはスズカさんとしては譲れないところなんじゃない? 今まで積み重ねた経験を否定されたくない、みたいな心理なのかなあと私は思ってる」


 こうして一軒一軒挨拶をしていく。夫婦は最後の一軒をつつがなく回った後、近くの公園で一休みすることにした。初対面の人に挨拶して回るのは何かと気疲れするものだ。ただそれは大人たちの都合、子供たち三人は公園の芝生の上を大喜びで走り回り始めた。

 ベンチに腰掛けた夫婦は、きゃっきゃっと歓声をあげて飛び跳ねる子供たちを見守りながら、声を交わしていた。


「さっきのスズカの話だけど、さすがはプロのナースの考察だな。……今のスズカは、あの時のクリスと同じぐらいになっているから、プロの目で見ると……あと三年、いや、五年ぐらい、だろうか」

「そうね。……長くてもそれぐらいだと思う」


 妻の美しい横顔が翳る。


「身長が小さくなってからが、早かったよね。やっぱりあの機械なしではクニミヤ・メソッドは上手くいかない」

「それはスズカも分かっていたことだと思う。分かっていたけど、ああすることを選んだんだよ、由紀恵」

「それでも、ツラいよね。……見ているだけしかできないんだもん」


 妻は涙ぐむ。その肩を抱く夫の表情にも悲しみが隠せない。そこへ一番のちびっ子が走り込んできた。


「リョージ、かたぐるまー」

「よーし、かたぐるましてやる。それー」


 きゃーと声を上げて喜ぶちびっ子を軽々と抱えて肩に乗せると、夫は歩きだした。妻もそっと涙をぬぐって立ち上がる。


「あおいもみどりも帰るわよ」

「はーい、ママ! あー、すずちゃんだけずるいー! みどりもかたぐるまー!」

「もうみどりは重すぎてかたぐるまできないわよ」


 妻がだだをこねる真ん中の子をたしなめる。一番大きなあおいという子は、ちょっと大人びた態度で「みどり、すずちゃんの邪魔しちゃだめだよ」と妹を叱った。


「えー、なんですずちゃんだけ、だんだんかたぐるまできるようになるのー? みどりはかたぐるまできなくなってるのにー。ずるいー!」

「ふふふ、みどりちゃん、これがわたしの特権なんだよー」

 そう言って一番のちびっ子は夫の肩の上でふたたびドヤ顔をした。夫の髪の毛を叩きながら「早く歩いて―」と急かしている。


 夫は得意満面のちびっ子、すずかを肩に乗せてゆっくりと歩きだした。

 妻はその後ろで左右に姉妹の手をつないで続く。


 春のゆるい陽の光の中、ニュータウンの公園には明るい子供たちの声が響き渡っている。

 夫婦と三人の娘たち。手をつないで歩く帰り道。春の日の午後。うららかな陽気。 

 それは取り立てて珍しくない、どこにでもいる平和な家族の風景だ。

 一番小さいすずかの髪の毛が、太陽の光を浴びて金色にきらめいている。ただそれだけが、どこにでもある平和な家族の風景に、異彩を放っていた。


―――いつの間にか、スズカがこんなに、ロリになっているなんてなあ。


 夫は肩の上のちびっ子のぬくもりを感じながら、新しい自宅への道を歩いていた。いろいろな感傷を胸にしまいこんで、頭上の少女に明るく話しかける。


「なあ、スズカ」

「んー、なあにー」

「楽しいか?」

「とーっても楽しかったよー。もう多分思い残すこともないかなあ。日本にも帰って来れたしねー」


 ちびっ子は肩の上でもしゃもしゃと夫の髪の毛をつかみながら、妙に大人びた口調でそう話した。


「そうか。いつの間にか……、スズカもすっかりロリになったな」

「へへー、リョージ、うれしい?」

「ああ、とってもな。スズカと暮らせているだけで、楽しいぞ」

「すずかもとーっても楽しい! みんなそう思って過ごしていたのかもねー。あー、リョージ、富士山が見えるよー!」


 ちびっ子は両手を上げてバンザイをした。勢い余って夫の肩から落ちそうになる。えー、どこにー、私見えない、すずちゃんずるいー、と妻と手をつないだ二人が騒ぎ出すのを、妻が微笑みながら、ほらあそこに見えるじゃないと指さした。


「あ、こら、スズカ、暴れると落ちるぞ」


―――残された時間が許す限り、心から楽しむといい、スズカ。


 頭上ではしゃぐちびっ子の重さは、今の夫にとって大して重く感じない。ただ、そのほのかなぬくもりだけが、ちびっ子が身を預ける背中に伝わってくる。


―――それは間違いなく、お前の特権だから。


 ちびっ子の足首をしっかりと握りながら、心の中で夫は誓った。


―――俺も、由紀恵も、付き合うぜ。最後まで。……そう決めてるからな。


 夫は金髪のちびっ子を肩に乗せ、はるか雲の向こうに臨む富士山に向かって、目の前の道を、ゆっくり、しっかりと歩んでいった。



(いつしか、キミが、ロリになる 完)











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いつしか、キミが、ロリになる ゆうすけ @Hasahina214

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