第25話 再びアメリカ(3)
「ドクターが壊せないなら、私が壊してあげるわ! そんなところで迷うなんてドクターらしくない! ええい!」
スズカは思い切り機関銃のスロットルを引き絞った。バリバリと音を立ててラボに続くスチール製の扉に銃痕が開いていく。
「スズカ、やめるんだ! あの機械を壊してしまったらプレスティックソンの住人の生活の糧がなくなるんだ! キミはそれを分かっているのかね。それだけではない。キミ自身に五年に一回投与される血液アンプルも作れなくなってしまうんだぞ!」
常に一貫して鷹揚で横柄な態度を見せていたクリスも、スズカが躊躇なく破壊行動を始めたことは想定外だったらしい。
機関銃をぶっぱなしながら、スズカは横目で俺を見てニヤリとほほ笑んだ。その表情は、五年前、二十歳だったころに見たあの笑顔だった。そして、十年前、中学生だったころ教壇の上で生徒に向かって笑いかけたあの笑顔だった。
間違いない。
俺が探し続けたスズカは今、ここにいる。
「リョージ、元気そうね。私だって分かってくれたんだね。私、ちょっと嬉しいよ」
機関銃の発射音に負けないように、スズカは俺に叫び声を浴びせる。
「由紀恵ちゃん、きれいになっていたよね。まさに私の睨んだ通りだったわ」
「何言ってんだ、バカ! 俺にとって、おまえのいない時間が、どれだけうつろだったと思ってんだ!」
何年も胸の中にたまっていた俺の想いは、とっさに言葉にならない。言いたいことは山ほどある。ただ今は、スズカが現実に目の前で機関銃を打ちまくってる、それだけで胸がいっぱいだった。それに名前を付けるなら、安堵だろうか。得心だろうか。
スズカはラボに続くスチール製の扉が窓枠から外れて、かろうじてぶら下がった状態になったところで機関銃を止めた。銃口を下ろしてドクターのそばに駆け寄る。
「ドクター、こりゃ確かにカ・イ・カ・ンだね。噂どおりだよ。手りゅう弾、ちょうだい!」
ドクターは呆然と手に持っている手りゅう弾を見つめる。
「ソーヘイが私のために作ってくれたこの機械を壊すなんて、やっぱり私には、できないわ、スズカ……」
「チノ、ここの機械は、ドクター・クニミヤが、チノのためにチノの血液向けに調整して作ったもの。でもね、ここにこの機械がある限り、私たちの血から殺人兵器が作られ続けるのよ。私はそんなの、ゴメンだわ!」
スズカはドクターの手から手りゅう弾をもぎ取ると、機関銃を肩にかけてラボへ続く扉に駆けていった。
「スズカ、待ちたまえ!」
クリスがあわててとことことスズカの後ろを追う。しかし五歳児の見た目のクリスとは体格差が歴然としている。スズカは難なく外れかかった銃痕だらけのラボの扉にたどり着いた。そしてそれを思い切り蹴り飛ばした。どさっと扉がラボの中に向かって倒れ落ちる。駆け込むスズカを追ってクリスがラボの中へと入っていった。
俺も二人に続いて、床にうずくまっているドクターを残してラボの中へと二人を追って駆け込む。重役室から一歩入ったそのラボには洗濯機二台分ぐらいの大きさの機械が据え付けてあった。クリスがスズカを呼び止める。
「スズカ、キミはプレスティックソンの住人が生きていけなくなってもいいのかね。見殺しにするのかね。恩を仇で返すようなことが、キミにできるのかね!」
必死にスズカを押しとどめようと叫ぶ。
「プレスティックソンのみんなには、恩があると思っている。でも、だからといって、無関係な誰かが死んでいいわけがない! 誰かを殺すための血を提供することが恩返しになるわけがない! そんなのが恩返しだなんて、絶対思わない! プレスティックソンの人たちは、私の血で誰かが死ぬことなんて、望んでない! 絶対、望んでない!」
「そうなのかね? 私はそうは思わない! キミがその機械を壊すと、プレスティックソンの誰かが死ぬかもしれないのだぞ? キミが死ぬことになるかもしれないのだぞ? どこかの知らない誰かが死ぬよりも、プレスティックソンの誰かが死ぬ方がいい、キミはそう言うのか!」
クリスの言葉にスズカの手が止まった。
「この機械がある限り、誰かが悲しまなければならないなら、こんなものはない方がいいのよ。たとえ、それで私の病気が進んだとしても。たとえ、それがドクターの思い出だとしても」
スズカはそう言葉を繋いだ。しかし、明らかに迷った様子で手りゅう弾を握った腕が縮んでいる。
「バカ! 迷うな、スズカ! 迷ってどうすんだ! 決めたんだろ! 決めてたんだろ!」
とっさに言葉が口を突いて出た。スズカがハッと俺を見る。その目には「投げてもいいの?」と問いかけている。
違うだろ? おまえが投げようとしていたんだろ? そのために来たんだろ? 何年も俺が追い続けたスズカは、そんなことで迷ったりしないんだ!
俺はスズカの華奢な手から手りゅう弾をひったくって安全ピンを引き抜く。
俺が、投げてやる。
俺自身にケリを付けるためにも。
じいちゃん、それでいいだろ?
俺は手りゅう弾を壁際の機械に向かって思い切り投げつけた。
思い切り投擲してすぐにスズカとクリス、二人の手をひっつかんで、元の重役室に飛び込んだ。二人を抱えたまま、身体を床に投げ出して伏せる。二人の身体はまだ小さい子供だった。
できるだけ扉から離れるようにして床に伏せたと同時に、まだ呆然としているドクターと、律儀に重役デスクの前でおろおろと事態を見守り続けていた金髪の少年少女たちに怒鳴り声を上げた。
「ドクター、伏せろ! おまえたちもだ!」
その直後、閃光とものすごい爆発音。頑丈そうなラボの建物が揺れた。ラボ室から爆風が吹き込み、いろんなものがばらばらと飛んでくる。床に伏せた背中に何かが当たった。
いてえ! なんちゅう威力の手りゅう弾だよ、ドクター、物騒すぎるぜ。
俺は必死に、腕の中の小さい身体を二つかばいながら屈みこんでいた。
◇
ラボでの爆発が収まったあと、ドクターは呆然と座り込んでいた。自慢の流れるような金髪は乱れたままだ。
金髪の少年少女たちはまだ伸びているクリスのもとに心配そうに取り囲んでいる。そのうちの一人がクリスを抱き起し、横抱きにして無言で部屋を出ていこうとする。スズカも立ち上がり、服をぱたぱたと払うと、金髪の少年少女たちのうちの一人からパウチをひったくった。よく見ると俺に中華街で手紙を渡した少女だった。
そして、「リョージ、行こうか」と淡々と言った。
金髪の少年少女たちは床でまだのびている五歳児のクリスを軽々と抱えると、
「ドクターは、どうするんだよ」
俺はスズカに向かって聞く。
「私のことは大丈夫。スズカが来なかったら、私には壊せなかったかもしれない。でも……、しばらく……、一人にしてちょうだい」
意外にもすぐにドクターからはっきりとした声で返事がきた。てっきり放心しているのかと思っていた。スズカがドクターに優しく声をかける。
「ドクター、機械なんかなくても、ドクター・クニミヤはクニミヤ・メソッドとしてあなたの中で生き続けているから」
◇
「あらためて、リョージ、お久しぶりね。元気そうで何より。しっかり働いてる?」
「ああ。スズカも、元気そうだな」
「リョージとは、もう会うことはない、会っても私だとわかってもらえない、と思っていたんだけどね……。不思議なものね。これも運命、なのかな」
俺はハンドルを操作しながら、助手席の明るい茶髪のスズカに話しかけている。ラボの外はしんしんと雪が降る音のしない世界になっていた。暗闇の中、スズカの乗ってきたチェロキーを走らせる。
「おまえ……小さくなったよな。それと、髪の毛が茶色くなってる」
「うん。もう少ししたら完全な金髪になるよ。クリスやドクターみたいに」
「え、そうなのか? ゲルスト・シュメルツァリスティーク・ヴィスツィオドーゼ症候群の発症者はみんな金髪なのか」
「発症すると若返る中でだんだん金髪になっていくんだよ。その人の髪色を見れば発症してからの年数がだいたいわかる」
俺はピンときた。そういえば初めてプレスティックソンに来た時に随分金髪の子供が多いと感じた。たくさんの金髪の子供が遊ぶのどかで、平和で、美しい自然の中にある、明るい田舎の村、という印象を抱いた。しかしゲルスト・シュメルツァリスティーク・ヴィスツィオドーゼ症候群が進行すると若返って金髪になる。ということは、金髪の幼い子供が多いプレスティックソンの実態は……。
「つまり、プレスティックソンは村全体が終末医療施設のようなもの、ってことか。なんだか、……やりきれないな」
「そうね……。未来のない子供たちの村。それがプレスティックソンなのよ……」
車内に沈黙が落ちた。それは平和な見た目と乖離したあまりに残酷な現状だった。
「それでも、村の人たちは平和に暮らしていた。それが、普通だったの。多分、クリスたち以外の村の子供たちは、誰も私の血で人殺しの薬を作って売りさばいているなんて知らなかった。あ、リョージ、あそこだよ」
外は街灯もない暗闇。村の中は建物はあるが、明かりは極端に少ない。おまけにうっすら積雪があるせいで、スズカに教えてもらわなければちゃんと道路の上を走れたかどうかも自信がない。ヘッドライトが照らす前方には雪の中、控えめに看板を出している木造の建物があった。
「あれが村の中で唯一宿屋っぽいことをやっているところ。今日はここに泊まりましょう。病院には今日は戻らないって電話しておけばいいや」
まあ確かに、ろくに準備もしないで飛行機に乗って、ずっとドライブしてきて、ラボで大騒ぎして、とにかく濃厚すぎる時間を過ごしてきた。今まで緊張していたからか気が付かなかったが、俺自身相当疲れているようだ。
「一緒に泊まるからってエロいこと考えちゃダメだよ?」
「今のスズカは見た目中学生だからな。エロいこともくそもあるかよ」
「うふふふ、私じゃなくて、由紀恵ちゃんに対して、だよ」
は? なに言ってんだ、こいつ、と思ってふと後部座席を見ると、そこに頭から毛布にくるまって、両目を猫のように光らせている由紀恵がいた。
「おわぁ! なんで由紀恵が車に乗ってるんだ!」
驚きのあまり車をぶつけそうになってあわててブレーキを踏む。
「なんかリョージくん、ロリぃの好きそうだから、見張っとかないとスズカさんに手を出しそうなんだもん」
「いやいやいやいや、肉食系のナースじゃねーんだから、手なんか出すかよ。そもそもJCルックじゃロリ度が足りねーし。それより、由紀恵は仕事はどうしたんだよ!」
「オペ後の患者の緊急移送っていう名目で出国してきたんだ。スズカさんが麻酔から覚めて、血液アンプルが盗まれたことを言ったら、すぐにアメリカに行かなきゃいけないって言ったから。ドクター・ノーエに電話したら調整してくれたの。だから私は出張扱い。飛行機はビジネスクラスだったし、エセンシャル・プライオリティだったから普通なら時間的に無理な乗り継ぎもできたし、空港から病院までは
「それずるすぎだ! 反則だろ! で、ラボに入ってこないでずっと車の中にいたのかよ!」
「まあ、何かあって逃げなきゃいけない場合は由紀恵ちゃんに運転してもらおうと思ってね。私が車で隠れて待ってて、ってお願いしたんだよ」
スズカはそう言ってふふふと笑った。
車は宿屋の前まで来ていた。モーテルというよりも西部劇の木造の宿屋だ。駐車場はないらしいので、道に路駐しておく。それでも道幅は十分あって通行量も少ないので特段問題はないらしい。
スズカは車が止まるやいなやドアを開けて飛び出す。雪の落ちてくる夜空に向かって腕を伸ばして明るい声を上げた。
「ああ、くたびれた。さあてシャワーでも浴びて早く寝ちゃおう。私が寝たら二人で何しててもいいよー。へへへ」
なんかえらい含みのあるセリフだな、おい。
そう思って振り返ると、後部座席で毛布にくるまった由紀恵がさっとプロの看護師の表情になって、宿に入ろうとするスズカを呼び止める。
「スズカさん、体温と血圧測るからね。すぐ寝ちゃだめだよ。気分悪かったりしない?」
「だーいーじょうぶー。じゃあ、私、先に部屋に行ってるね!」
アメリカの山奥の真冬の白い夜は、どこか故郷の前箸村を彷彿させる。
何千キロ離れていても、山の中の田舎の村での人々の暮らしは変わらない。俺はなぜかすとんと腑に落ちた。
「由紀恵、俺、ここに残ろうかと思うんだ。それだけで壊しちゃったじいちゃんの機械の埋め合わせができるとは思わないけど」
「うん。リョージくん、そういうこと言い出すんじゃないかと思っていたんだよ」
由紀恵はにっこりと笑って俺をじっと見つめる。たっぷり間をおいてふうと一つ深呼吸をすると、言葉を繋げた。
「あのね、リョージくん。もしも……、もしもだよ? リョージくんが許してくれるなら……」
(第四部 再びアメリカ編 完)
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