解決編

 昭和五年。

 奇しくもこの年、民俗学者・柳田國男が『蝸牛考かぎゅうこう』を出版した。そして同年秋、一人の自称民俗学者が東京府・府中町を訪れた。

 左前光蔵。

 サマエコウゾウ、と読む。左前ひだりまえとは着物を着るとき、右のおくみを左の衽の上に重ねることをいう。死者に着物を着せるときの作法だ。彼はその名の通り、着物を左前にして闊歩かっぽしていた。 


 この男、振る舞いは傍若無人ぼうじゃくぶじんにして破天荒、人でなしにして傲岸不遜ごうがんふそん。民俗学者を自称するが、彼が書いた本は一冊たりとも出版に至っていない。代わりに、書いた本は、これから幾度も出版されることになる。


「埋めたって!? 阿呆か、お前たちは!」

 これである。

 農地はならされ、ビルヂングが建ち、かつての面影もない府中町で、頭の先から足のつま先までもが時代の遺物のような着物姿の奇矯ききょうな男は、たまたま玉房たまぶさ家と親交が深い家に生まれ、玉房まつの伝説を家伝として継いだだけの僕を、初対面で罵倒した。


「阿呆ではありません。僕の家が井戸を埋めたわけではないし、埋めたのは玉房家です」

「知っている! そのくらい調べていない私だと思ったか、だから阿呆なんだ!」

 ふん、と男は鼻をならす。僕はこれを玄関に上げたことを後悔している。

「井戸というのはムラの中心だろう。この乏水性ぼうすいせいの武蔵野で、水が如何いかに恵みたるか。そのために十何メートルもまいまいと堀ったんだろうがよ。それをくだらない迷信で埋め立ててしまうなんて、なんと馬鹿か! そのとかいう旦那を、はったおしてでも止めるのがご近所の務めだ。だから阿呆のすえだと言ったんだ」

 息を吐く。そして吸う。

「そして、その阿呆たちのせいで私は本を書けない!」

 自分勝手か。

 自分勝手が左前に服を着て歩いている男だな、と思う。左前に服を着ても、右にならえとは聞かない男だろう。

「気が済んだなら帰ってください。それにあなたも学者なら、迷信だなんて軽々けいけいに言わない方がいい。バチが当たりますよ」

バチだと」

 男の目の色が変わる。

バチを誰が当てるんだ。神か? ほこらを移されたくらいで祟るような神のご利益りやくなど、こっちから願い下げだ。ばつを下すのなら、まつを殺したに下せばいい。それもできないなら阿呆神もいいところだ」


 彼はなんとなしに――そう、まるで世間話のような気安さで――事件の真相を語る。


 僕は絶句した。


「当然の帰結だ。動機があからさまな人物が二人いて、たまたま同じ時刻に過ごしていただと? ならなんだよ。互いが互いの不在証明アリバイを確保することで、自分を馬鹿にしたまつを殺害する計画を立てた。

「迷信深い馬鹿どもよりは利口だった浅一あさいち藤吉とうきちは、事件を祟りの仕業に見せかけようとした――そのために不可能殺人を演出したのさ。

「まず事前に井戸でまつと密会の約束をし、頭を殴って気絶させた。

「そしてツルベからツルベ縄を切り、まつの身体を縛り猿轡さるぐつわをした。これはまつが息をふき返しても、動いて抜け出したり助けを呼んだりできなくするするためだ。

「そして二人はを用いて、まつを墜落死に導いたんだ。

「この伝説のあらましを聞いたとき、どうにも引っかかった。ツルベ替は各家でよった縄を集めてツルベ縄をよる行事だ、ならばなぜができる? これは凶器とするために用意した縄だったんだよ。

「井戸の半径は約十五メートル。犯人たちはそれぞれ約三十メートルの縄を用意し、まつの両脇腹わきばらの輪に通した。そして縄を結び、長さ約十五メートルの二重縄にした。

「そして二人は縄を持ってそれぞれが対角になるように立つと、互いの位置と、縄の張りを保つようにしながら、螺旋らせん

「通路を登りながら、常に縄が張るように調節していくと、浅一と藤吉が地表に立つ頃、縛られたまつは井戸屋形の真上に宙吊りになることになる。人体で最も重い部位は頭部であり、自然、頭は下に向く。

「こっからが勝負だ。二人は合図を決め、息を合わせて二重縄の輪を切る。このときに片端は離さないように腕に巻いておく。切れた縄は脇腹の輪を滑っていき、まつは地上十四メートルから井戸屋形の屋根に激突して死ぬことになる。脇腹の輪の擦過痕さっかこんはこのときにできた。

「あとは音を聞きつけた下女が駆けつける前に、縄を巻いて回収しながら逃げる。縄を巻けば狭い裏口を通ることもできるわけだ。まったく――


怪力乱神かいりょくらんしんかたるな、ってんだよ」


 こう結んでみせた男の姿に、僕は悔しいが見惚みとれていた。


 そう。


 この事件こそが後に僕が記すことになる、左前光蔵の最初の事件になったのである。


 (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

武蔵野探偵奇譚 ~まいまいず井戸の殺人~ 秋野てくと @Arcright101

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ