武蔵野探偵奇譚 ~まいまいず井戸の殺人~

秋野てくと

出題編

 古くから「武蔵野のげ水」という言葉がある。

 武蔵野台地は火山灰が降り積もった地層により、表土の下の砂礫されき層が厚く、水が浸透してしまうことから地下水面が低い。そのため、武蔵野で井戸を掘るのは難しかった。

 そこで、まいまいず井戸が掘られた。


 「井は堀兼ほりかねの井。玉の井。走り井は、逢坂おうさかなるがをかしきなり」


 枕草子まくらのそうしに詠まれる堀兼の井。

 これは地面をすり鉢状に深く掘り、水位近くに達してから通常の井戸のように、底面からたてに掘ったものだ。これらの井戸では、地表から井筒がある底面まで通路をうず形につけてある。この通路がちょうどまいまいず――蝸牛かたつむりのように見えることから、まいまいず井戸とも呼ばれる。



 さて。


 今回語る奇怪な変死にまつわる前提知識はこんなところだ。

 

 それでは、これより殺人事件の話をしよう。



 かつて、この地には玉房たまぶさというお大尽がいた。

 江戸時代、当主・紋次郎衛門もんじろうえもんは商才に富み、一時は多摩一帯の市店を占めてみせたという。そして気風のいいことに、儲けを普請ふしんに回し、どえらい屋敷を建てた。この屋敷というのが古老のばばあの話では、大黒柱は向こう側にすわった者の姿が隠れ、はりの上では子供が鬼遊びをして渡ったという。

 この玉房屋敷は、まいまいず井戸を囲うように建てられていた。


 享保十四年のこと。

 ある朝、玉房屋敷のまいまいず井戸にて、玉房家の娘であるが亡くなっているのが発見された。その死に様はとても奇妙なものだったという。まつは井戸にて、墜落死している状態で発見されたというのだ。

 といっても井中せいちゅうに落下して死んだわけではない。まつは井戸を覆う死んでいたのだ。


 この井戸は残念ながら現存してないが、その構造は玉房家と縁が深い我が家の家伝に記録されている。現代の尺度に変換して示すと、以下の通り。


・すり鉢部上部直径:約三十メートル

・底面部直径:約四メートル

・地表から底面までの深さ:約十四メートル

・井筒の深さ:約五メートル


 底部にある井筒部は井戸の中央にあったそうだ。そして地表から底面に向けて、蝸牛かたつむりのように通路がうずを描きながら通っていたという。

 遺体発見時、まつは頭から屋根を突き破って引っかかり、首を折って死んでいた。頭部には軽い打撲痕も発見された。

 まつは井戸屋形のツルベに繋がれていたツルベ縄で縛られていた。縄はツルベから切り離され、まつの身体中に巻いてあり、猿轡さるぐつわとして口にも巻きついていた。

 まるで、蝸牛かたつむりのうずの如くに。

 おかしなことには、左と右の両脇腹わきばらには縄で小さな輪があり、こすれた痕があった。


 第一発見者となったのは、玉房家の下女だ。

 台所で朝餉あさげの仕度をしていたところ、庭の井戸の方角から人が落ちるような音がした。台所から井戸は見えないものの、すわ誰かが足を滑らせたかと思い向かったところ、まつを発見したそうだ。


 容疑者はすぐに見つかった。

 まつは評判のよくない放蕩ほうとう娘で、男遊びが激しいことで知られていた。当時、まつは二人の男とねんごろだったのだ。一人は浅一あさいち、もう一人は藤吉とうきちといい、どちらも同じ町内に住む商人の男だ。

 まつは二人を手玉に取っており、本気ではなかった。それでもって公然の場で男たちを面罵し、恥をかかせたという。つまり、恨みつらみで殺されるだけの理由があったということだ。

 浅一も藤吉も、玉房屋敷には商いの発注で出入りしており、土地勘があった。正門は戸締りされていたものの、裏口は戸締りされてないことから庭に入ることは容易で、屋敷の造りからして見咎められる心配も少なかったらしい。

 

 ところが二人には不在証明アリバイがあった。

 事件の朝、二人は一緒に過ごしていたのだ。二人ともツルベ替の当番であり、町内の各家でなった縄を集めてツルベ縄をつくる作業をしていたという。家を調べたところとても熱心に作業していたようで、必要なツルベ縄はせいぜい十メートルちょっとだが、作業に没頭するあまり、その五、六倍ほどの長さをなっていたようだった。


 また、仮にこの二人のどちらかが犯人であったとしても、大きな謎が残る。


 それはまつを、という問題だ。


 井戸の半径は約十五メートル。中央の井戸屋形へは、地表から突き飛ばすにしてもとうてい届く距離ではない。

 ばね仕掛けや滑車のような大仰な絡繰からくりを持ち込もうにも、裏口を通れない。裏口は狭く、せいぜい人一人が通るのが限界だった。

 また、犯行には時間的な猶予ゆうよも少なかった。下女が落下音を聞きつけて、屋敷を通って庭にたどり着くまでの時間はせいぜい五分程度だ。


 以上の状況から、人間の犯行説は否定され、事件は迷宮入りとなった。


 事件の後、まいまいず井戸は埋め立てられた。

 元々、まいまいず井戸の付近には第六天のほこらがあったという。武蔵野では屋敷神で第六天を祀る家は珍しくない。玉房屋敷を建てる際に祠は浅間せんげん山に移したのだが、まつの変死が迷宮入りとなったことで、これは第六天の祟りなのではないかと語られるようになった。そこで井戸を埋め、祠を戻すことではらえとしたのだ。


 当主は心労で病み、玉房の繁栄はこの代でついとなった。玉房屋敷を売り払い、その後も細々と商いを続けたものの、江戸時代末期には没落し、現在は家名を記録に遺すのみとなっている。



 そして昭和五年。


 この事件がであったことが、ある男によって解明された。


(続)

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