7.part of Y.H.

「ねぇ、夜にピアノの音が聞こえなくなったのって、三時ごろだよね。鐘一さんは、その後に殺されたんじゃない?」


 ダイニングに残った美穂が私にそう問う。


「犯行は三時から、死体の発見された五時の間だということ?」

「だって、そうでしょう」

「どうかな。何かトリックがあったのかも」

「トリックって……、まさか、ピアノは弾かれてなかったとか?」

「寝室の伝声菅の蓋は開いていた。あの作曲中だって曲は、レコードに録音されてたのかな」

「多分。……どこまで分かってるの?」


 私は足を組み変えて、両手を膝の上に重ね置いた。


「どこまで、か。良いかい、ピアノの音がレコードプレイヤーによるものだったとすれば、犯行は三時より前だ。あんな夜中にレコードを鐘一氏が掛けたとは考え難い。では、誰が犯人なのか」


 私はダイニングで鐘一氏とウィスキーを飲んだことを思い出していた。遠い過去のように思えた。


「誰なの」

「もしピアノの音がしなかったら、どうなったと思う」

「どうって……、犯行がいつか分からなくなった、かな」

「そう。犯人にとっては、そっちの方が良いはずなんだ。わざわざ殺人の後にトリックを仕掛けるのはリスクが伴う。レコードのトリックはアリバイを作る為だと考えるのが自然だろうが、夜中のアリバイなんて、ある人間の方が少ない。だから、トリックなんて仕掛けなくて良かったはずなんだ。犯人はただ、伝声菅の蓋を閉めさえすればよかった。それだけで誰か犯人か分からなくなる。つまり、あのレコードのトリックは囮だ」

「じゃあ、なんで、そんなこと」

「トリックをしかけたとミスリードするためだろう。つまり、真犯人は、殺人犯が伝声菅の蓋を閉めずにレコードのトリックを仕掛けたと思わせたかった」

「真犯人は、自分以外の人を殺人犯に仕立てたかった?」

「そう考えるのが自然だろう。じゃあ、もしレコードのトリックの囮を掴んだらどう推理するかな。伝声菅は私の頭の先程の高い位置にある。つまり、そこに届かない人間が犯人で、それは車椅子の照山氏だけだ……、という推理を、真犯人は期待した。つまり、照山氏が伝声菅の蓋を閉めずにレコードのトリックを仕掛けたと思わせたかったんだ」


 美穂は私の話を反芻しているのか黙ったまま動かない。私は話を続ける。


「でも、ところが、そうじゃなかった。実際には、照山氏は、あの蓋を閉めることは出来たはずなんだよ。座ったままでも、何か物を使えば良い。寝室にはベッドとデスク、レコードプレイヤーしかない。近くの部屋はどうか。ピアノ室にはピアノしか無い。書斎にはどうだ、何か使えるものは無いか……。あるんだ。君も見たあの緑色の布の中身は、刀だった」

「刀?」

「鞘に入った刀を使えば、車椅子の照山氏にも伝声菅の蓋を閉めることは可能だ。つまり、あの刀の存在を知らなかった人間が犯人だよ。刀は照山、西野原両氏によってプレゼントされた。君はあの包みを見たことを隠さなかった。あとはしばらく書斎に入っていないという、扶桑朱乃だけだ」


 美穂は目を見開いて、口を押さえた。


「朱乃ちゃんが?」

「警察が来れば組織的、科学的な捜査がされる。聴取だって長引くだろう。私は鐘一氏の死を闇に葬りたくなかっただけだけど、朱乃にはこの推理を話すつもりでいる」


 私はそう言って立ち上がり、美穂の肩に手を置いた。


「君は、この家に関わったことは忘れた方が良い」

「でも、朱乃ちゃんが」


 美穂の目からは大粒の涙が落ち始めた。私は美穂のその顔を見ていられなくて、視線を外して窓の外を見る。


「榛原さん」


 しかし私は名前を呼ばれ、ダイニングの入り口に視線を向ける。それは、か細い声だった。

 廊下に続く扉から、扶桑朱乃が入ってくる。

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